第2章(5)

 車に戻った俺たちは、次の指示を仰ぐため本部と連絡を取ることにした。


 電話を繋ぐと、パッと画面に雨谷の顔が映る。


「雨谷、聞こえるか? 言われた通り、矢部さんに話を聞いてきた。最近、中里さんは元気がなかったらしい。はっきりとした理由はわからないが、新しい環境に馴染めなかったのが原因かもしれない」

「五月病ってことね。あんまりこういう言葉でまとめてしまうのは良くないけれど」

「もしかしたら大学にも顔を出してないかもしれないって話だ」

「その辺りについては世良君たちの情報を待ちましょう。彼らの車はちょうど今、大学に着いたところみたい。まだしばらく情報集めに時間がかかるだろうから、あなたたちは今からターゲットのところに向かって」

「行き先、わかったのか?」

「ええ、彼はさっき動物園に入っていったわ」

「動物園?」

「そう。多野たの動物園。行ったことある?」

「ああ、あそこなら昔何度か行ったな。もうだいぶ前の話だけど」


 多野動物園は広大な敷地を持つ歴史ある動物園だ。遠方からもたくさんの見物客が訪れ、全国の動物園の中でも有数の知名度を誇る。


「空岡はどうだ? 確か動物好きなんじゃなかったっけ?」

「うん、好きだよ。最近はあまり行けてないけど、毎月通ってた時期もあったかな」

「毎月?」


 驚いて訊き返してしまった。動物園って一か月でそんなに変化があるものなのだろうか。せめてシーズン毎なら少しは変わっていそうだが。


「いくら動物好きとはいえ、毎月はすごいわね」

「雨谷は? 動物園とか行くのか?」


 俺は車のエンジンをかけながら尋ねる。


「何それ? 私がそういうの行かなそうに見えるわけ?」

「いや、別にそういうわけじゃ……」


 どうやら訊き方が悪くて彼女を怒らせてしまったようだ。すぐに謝ろうとしたが、その前に「じゃあすぐに向かってね」と一方的に切られてしまった。あとで謝罪しなければならなそうだ。


 俺は大きくため息をついた。だが、今は事件を解決するのが先決である。


 気合を入れ直すと、停めておいた車を発進させてすぐに大通りへと出た。


 動物園へと続く道はそれほど混雑していなかった。車は流れるようにすーっと気持ちよく進んでいき、この調子なら比較的早く目的地に辿り着けそうだった。


 動物園に着く前に、もう一度中里の情報を整理しておくことにする。


 彼は大学に入学したばかりの大学一年生。四月からアパートで一人暮らしをしている。当初はそこまで元気がないというわけではなかったが、最近はひどく落ち込んでいる様子だった。大学にも行っていない可能性がある。


 過去に戻りたい理由はおそらくこの辺りが関係しているのだろう。しかし、まだ解決のためのピースは揃っていない。世良たちからの報告、そしてターゲット本人との会話によって、それを特定しなくてはならない。


 それができなければ……。


 目的地に車が近づき、多野動物園まであと八百メートルの看板が見えたところで、もう一度雨谷から連絡が入った。


「もうすぐ着きそうね。確認しておきたいんだけど、世良君たちからの知らせはない?」


 先ほどのことを怒っている様子はなく、落ち着いた声で尋ねてきた。表に出してないだけかもしれないが。


「まだないな。本部にも連絡ないのか?」

「ないわ。できればターゲットに接触する前に情報を提供してもらいたかったんだけど仕方ないわね。あなたたちは中里の捜索に向かって。彼らには、情報を得たら真っ先にあなたたちに連絡するように伝えておくから」

「了解。中里さんはまだ動物園にいるんだな?」

「ええ、それは間違いないわ。でも、残念ながらそれ以上は特定できない。ここからはオブザーバーウォッチを使って捜してもらうしか……」

「了解。あとは俺たちでやる」


 俺は返事をして電話を切った。画面がプツンと消える。


 雨谷が言った『オブザーバーウォッチ』とは職員全員に支給されるスマートデバイスの一つである。腕時計型のこの装置の使い方はシンプルで、ただアプリを起動した状態のまま歩き回るだけ。もし近くに時空の歪みがあった場合、画面に表示されたランプの色が変化して知らせてくれる。何も検知できないときは緑色で、五十メートル圏内に入ると黄色、二十メートルより近くなると赤色に変わる。それを利用してターゲットを捜すのである。基本的には本部にある観測システムと連携して時空の歪みを検知しているらしいが、「持ち運んで使う」ということを前提に機能を特化したらしい。


 ただ、このアプリを使うとバッテリーの消費が激しく、すぐに電池切れとなってしまう。なので普段はアプリを起動せず、単純に腕時計として使っている。時間が狂わないのでそれだけでも便利だ。


 万能に思える本部の観測システム。それにも当然限界はあって、時空の歪みが発生している細かい範囲までを割り出すことができない。今回のようにターゲットが移動した場合には、現場にいる人間が頼りなのだ。


 逆に言えば、そんな弱点があるからこそ技官たちは日頃から小さな時空の歪みを探し、早い段階で見つけた上で調査を進めて、その歪みの発生源となっている人物を特定しておかなければならない。そして、地道にターゲットの観察を続けてデータベースに保存しておき、能力レベルが危険な状態まで上がったら本格的に対処していくのである。


 組織の迅速な対応はそういった日頃からの努力によって成り立っている。


 ときどき忘れそうになるが、どんなに魔法のような技術があっても、それなしでは成立しないのである。

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