第1章(5)
学校から程近い公園には幼稚園児くらいの子供を連れた母親同士の談笑する姿があった。子供たちは夢中になって話す親の気を引こうと服を引っ張っているが、母親たちに「こらっ、服が伸びちゃうでしょう」とあしらわれ、面白くなさそうに口を尖らせていた。
俺たちはそんな公園の片隅にある黄土色のベンチに腰掛ける。巧を挟むようにして座った俺と節原だったが、彼の体は完全に左にいる節原のほうを向いている。警戒心が解けたのはどうやら彼女に対してだけなようで、依然として俺には心を開いていないらしい。
……節原、あとは任せた。
「それで、想汰君とは何があったの?」
彼女は相変わらず優しい笑みを浮かべて尋ねる。
「先週、想汰の家に遊びに行った時のことなんだけど、俺と想汰と、それから同じクラスの友達と四人でチャンバラごっこをしてたんだ。部屋の中にあった物を適当に剣の代わりにして」
「危ないことするなぁ。楽しいのはわかるけどダメだよ」
「で、でもお互いに怪我しないようにちゃんと手加減してたよ。実際に誰も怪我せずに済んだし。ただ……」
巧は唇を噛み締め、そのまま押し黙ってしまった。何か都合の悪いことを隠している、そんな様子だ。
「大丈夫。怒ったりしないから話してごらん」
それに気づいた節原は彼の不安を取り除こうと、一切とげのない柔らかい声で語りかける。その母性溢れる姿はまるで女神のようだった。
巧もそんな彼女を前に黙っているのをやめようと思ったのだろう、観念して隠していた罪を告白し始めた。
「あのとき俺は定規を持ってたんだ。三十センチの定規。周りに気をつけて振り回してたんだけど、壁におもいっきりぶつけちゃって。やばい、と思ってすぐに確認したら白い壁にはっきりとわかるくらいの穴が出来てて……」
巧の手が震えているのがわかる。勇気を出して話している証拠だ。
「俺はすぐ想汰に謝ったんだ。想汰のやつ、暗い顔しててさ、怒られるかなって思った。でも想汰は、『これくらいの傷、気にすることないよ』って慰めてくれて」
目を赤くしながらも話を続ける。声もだんだんと枯れてきていた。
「本当は怒ってるんじゃないかって思うんだ。だって普通怒るだろ? もし親にばれたら叱られるのは自分かもしれないのに。それなのに、気にするななんてさ。そんなの無理に決まってるじゃないか」
巧にとっては怒られたほうが楽だったのだろう。想汰が怒ってくれれば自分の罪も少しは清算されるような気がするに違いない。
だけど、想汰は慰めてくれる。気にするなと言ってくれる。皮肉にも、その優しさが彼の心を余計に苦しめていた。
巧はこらえられずに大粒の涙を流していた。泣いているのを見られるのが嫌なのか、落ちてくる涙を手で拭い、そのまま目をこすって誤魔化そうとしている。
「偉い! よく話してくれたね。ありがとう。巧君が勇気を出して話してくれたおかげで助かったよ」
節原が再び巧の頭をよしよしと撫でる。
彼はしばらくぬいぐるみのようにじっと撫でられていたが、やがて何かを決心したように顔を上げると俺たちに向けて宣言した。
「俺、今日家に帰ったら親にこのことを話します。それで、今度一緒に謝りに行きます。想汰は気にするなって言ってたけど、やっぱりそういうわけにはいきません。もし想汰が俺の罪をかぶろうとしているのなら、それは違いますから」
「うん。それがいいよ。ねっ、賢次君」
「そうだな。頑張れよ、巧」
俺は決意した彼を後押ししようと背中をポンッと叩く。
巧は何か言いたげな顔をしたが、渋々と頷き、「わかってるよ」と声を漏らした。節原のときとは態度が違いすぎないか。まあ、気のせいということにしておこう。
そんな彼だったが、その泣き顔には重荷が取れたような笑顔が垣間見えていた。
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