第3話 そしてあなたに出会う
わたしの血が煮えたぎり、つむじの辺りが吹き飛びマグマが溢れでた――というのは隠喩で実際のところ顔が赤く熱くなっただけだ。
直哉と口喧嘩になり久しぶりにお洒落をしてデートする予定が出会って十五分で水の泡になった。
事の発端は彼の家に行く途中に会った、クラスメイトの男の子の話をしたことだ。
「俺のこと好きなの!? ハナの気持ちがわかんねぇーよ」
「わかんないってどうしたの? ねえ、わたしは直哉が好きだよ」
「本当のところはそんなんじゃねぇんだ。俺のことなんてどうでもいいんだろう? 俺が好きなのが嘘じゃないなら、途中で会った男の話なんてすんなよ!」
直哉のステータスがバグを起こし揺れ動き静止しないのを見て、彼は心の底から動揺しているようだ。
ステータス画面はその人の感情によって表示の精度が上下する。気持ちが動揺していたり荒々しくなっているときは、ステータスもぶれる。これをわたしはバクと呼んでいる。落ち着いているときや普段通りのとき、又はその人の感情がマイナスの方向でなければステータスは正常に表示される。
「何黙ってんだよ! ほらみろ、否定しねぇ。お前は俺のことが好きでも何でもないんだよ!」
――なんでそんなことを言うの。
以前から直哉は感情の起伏の激しい人だった。それをわたしはよくわかっていて、そのことを頭の片隅に置いて話をしたし行動してきたつもりだった。
人間と言う動物は「慣れる」ことができる。他の動物にも当てはまることかもしれないが、人間が一番「慣れ」に置いて軽率だとある学者が言っていたような気がする。
ああ、確かにそうだ。
わたしは彼の気分に合わせることを考慮していたと思っていた。しかし「慣れ」という見えない魔物が点滴のようにぽたりぽたりとわたしの身体を蝕んでいたようだ。
出かける前にアイロンをかけたプリーツスカートが既によれよれになっている。
なぜあの時、クラスメイトに会ったの? そして、なぜそのことを直哉に言ってしまったのか。こうなることは少しは予想できたのに。
「別に俺は分かれてもいいんだぜ。俺に言い寄ってくる女なんて星の数ほどいるんだよ。知ってたか? 昨日だって――」
乾いた音がしたかと思えば、わたしの右手全体にじんわりと痛みが散布して彼が頬を赤くしていた。
直哉は何が起こったのかわからないという顔をしていて、わたしも自分の手がなんで痺れるのか理解できない。
「ごめん」
喉から精一杯出した言葉は震えていた。わたしは泣いていたのだ。
飛び出した、彼の家を。
心は重たく沈んでいるのに、身体は不思議と軽く無我夢中で走った。自宅には帰りたくはなかった。とりあえず直哉の家から離れて、うんと離れて数分前の事件をすべて忘れることはできなくても彼の顔を思い出さなくてもいいくらいにしたいと願う。
痛々しい頬だった。
わたしは直哉をぶったのだ。
という、およそ十五分の会話で今日の予定は台無しになった。
誰が悪いってそれは自分がよくわかっていた。
澄んだ空は橙色に染められ、わたしたち「慣れ」に弱い人類とその人類が作り上げたビルの表面を暖かく包んでいる。それは所詮表だけの話で、暖かい裏側には冷たい場所も存在している。わたしはそのひんやりとした真っ暗闇に落ちた気分だった。
「真っ暗闇に落ちた自分だから、人の裏側まで見えてしまうんじゃないかな……」
誰に届けたい訳でもないけど、自分で自分にそう言い聞かせたかったんだろう。一言は空しく日陰に吸われる。
「――人の裏側が見えて何が悪いんだよ」
という声が聞こえた。声の主は活力がないようだったが、その声は透き通ってまるで春の小鳥が囀るようだったので、最初は女性かと思ったがどうやら声の綺麗な男性みたいだ。
しかし、どこにいるのかわからない。見つけられないのだ。
「お嬢さん、眼がウサギのように真っ赤。そんなに泣きはらしてどこへ行くんだ」
「どこって、決まっていません……」
風が瞼を擦ってひりひりと痛む。きっと瞼も眼も赤いのだろう。
「あなたは誰なんですか? そして、どこにいるんですか」
「俺の姿が見えないのか……よっと……!」
薄暗闇から現れたのは高身長の一人の男。眼は血のように紅く髪は吸い込まれるように黒い。顔立ちは整っていて素直に綺麗だと思った。顔色が悪く、体調が優れないことが一目でわかる。
「これで見えるか?」
「は、はい……」
と言ったわたしは目を見張る。見えるのは彼の姿以外にもステータスが見える。
【ブラッティーコ・キュウメル
年齢:百三十八
属性:吸血鬼
タイプ:?
特徴:吸血鬼です。気をつけてください。人間の血を吸います】
吸血鬼に初めて会った。
気をつけてくださいの文字が眼球の奥に張り付いて離れない。逃げなきゃ。体が動かない代わりに、
「吸血鬼、なんですか」
と口が勝手に動いた。手には汗をじっとりとかいていて、ぐしゃぐしゃのスカートに更にしわを付けた。
訊かれた本人は「おっ」という顔をしたが、やはり今にも倒れそうだ。血色が悪い。眼はあんなにも紅いというのに。
「あなたには俺の本当の姿が見えんのか」
――怖い。
硬直した自分の前にふらふらと跪いたかと思うと、わたしの手を取り、紅い瞳と目があった。全身の血液の温度が心なしか上昇した。
「可愛いお嬢さん、俺のために血をくれないか……?」
何故だろう。怖いことを言われているのに、不思議と胸が温かい。血液のポンプの自己主張が激しくなり、鼓膜のすぐ裏に心臓があるかと思うほど、胸が高鳴っていた。
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