第2話

 隠し通路を通っていると、暗闇の中で一筋の光を見つけた。その光はランプのものとよく似ている。近づいて光が漏れている隙間を覗くと、奥にはダンジョンの通路が見える。隙間に手を入れ、光を遮っていた岩を手前に動かす。岩をどけると、人一人が通れるほどの穴が現れた。

 穴を出て周りを見渡すと、見覚えのある梯子と多くのモンスターの死体があった。梯子の近くには僕の荷物が置いてあったので、ここが八階層目だと分かった。


 急いでバッグを取って隠し通路に戻ろうとするが、何者かの視線を感じた。振り向くと、通路には見覚えのあるモンスターがいる。僕が気を失った原因となったモンスターだ。

 以前はランプの明かりで影になっていたせいでよく見えなかったが、今は姿形がよく見える。


 体高は僕の腰より少し低く、横幅も狭い。二本の足で立っており、腕はだらんと下に垂らしている。全身が灰色の毛に覆われているが、顔と手足の先には体毛が生えていない。ただ顔は、人のつくりとよく似ている。


 ふと僕は首を傾げてしまった。じっくり見たのは今回が初めてのモンスターだ。しかしこの特徴を持ったモンスターを、どこかで見聞きした覚えがあった。

 記憶を呼び起こそうとしていると、そのモンスターは短く鳴いた。「ききっ」という声を聞いて、あるモンスターの名前が頭に浮かぶ。


「……いや、さすがにそんな訳が……」


 信じたくない一心で否定の言葉を口に出す。しかし見れば見る程、あるモンスターの特徴と一致しているように感じた。


 現実を受け入れたくない僕に関わらず、そのモンスターは僕に跳びかかってくる。じっと見ていたため反応できたが、それでも身体にモンスターの手がかする。しっかりと見ていたはずなのに、紙一重で避けるのがやっとだった。

 そのモンスターは跳びかかった後、壁に着地し、跳ね返るようにして再び跳んで来る。奇抜な動きに驚き、転げるようにして避けた。幸いにも二撃目は避け切れたが、同時に嫌な事実を受け止めることとなった。


「この見た目、鳴き声、滅茶苦茶な動き……聞いてた情報と一致するじゃないか」


 危険指定生物、エンブ。それが目の前にいるモンスターの名前だった。





「マイルス周辺にいる危険指定生物といえばエンブですね」


 昨日、フィネさんと一緒にヌベラを探している最中のことだった。

 何も言わずに捜索し続けるのは気まずかったので、ララックさんに言われたことを話題に出した。マイルス周辺にいる危険指定生物の話だ。

 さすがにフィネさんは知っていたらしくて、歩きながら説明してくれた。


「マイルスの北西に『テノグア山』がありまして、そこに生息してると言われてます。身体はそんなに大きく無くて力も弱そうに見えるうえ、穏健なモンスターだから危険度は低いと思われてたんです。けどその外見に油断して狩ろうとした冒険者は全員命を絶ちました。

 その事実を知った冒険者ギルドは、エンブの強さを測ろうとして、当時の特級冒険者に調査を依頼しました。数日後、依頼を終えて帰ってきた特級冒険者が、エンブは危険指定生物の対象となるモンスターだって報告をしまして、危険指定生物として周知されるようになった訳です」


 特級冒険者お墨付きのモンスターである事を知って身震いした。それほど凶悪なモンスターがマイルスの近くに居るのか……。

 その事実に恐怖を抱きながらも、疑問が浮かんだ。


「危険指定生物が居る場所も分かっているのに、何で放置してるんですか?」


 冒険者ギルドでは、冒険者が危険指定生物を見かけたら報告する義務がある。その報告内容を聞いて、有害なモンスターだと判断されれば、直ちに討伐隊が組まされて排除することになっている。

 僕の質問にフィネさんは難しい顔をしながら答える。


「たしかにエンブは危険な強さを持っていますが、それを除けば無害な存在らしいです。普段は穏健で目の前に冒険者がいても襲い掛からず、むしろ遊ぼうとしてくるほど、友好的なモンスターなんです。こっちから手を出さない限り襲われる心配は無い、と。

 それに戦うとしたら、かなり被害が出るみたいです。エンブは全モンスターのなかで一二を争うほど素早くて、小さな身体に似合わない程のパワーがあります。そのうえ、人の言葉を理解できるほどの知能を持つモンスターが縄張りとしている山で戦ったら、被害が甚大になると想定されています。

 あとエンブは人を襲うモンスターも狩っているみたいなので、私達にとっては有益なモンスターと言えます。持ちつ待たれつな関係だから放っているっていうのがギルドの見解です」


 話を聞く限りは、比較的安全なモンスターだと思った。危険指定されているとはいえ、そういう理由で放置しているのなら、そこまで警戒する必要はないだろう。

 そう考えて安心していると、


「あと、これはちょっとした補足情報なんですが」


 と話を続ける。


「危険指定って、時間と研究が進めば対象から外されることがあるんです」

「……どういうこと?」


 フィネさんは真面目な顔をして説明する。


「最初は危険指定対象になってたけど、モンスターの生態や情報が分かるにつれて攻略法や弱点が見つかることがあります。倒し方が分かると、準備次第では中級冒険者でも倒せられるモンスターがいて、そういうモンスターが危険指定対象から外される事があるんです。実際に十年前に危険指定対象としてリストに載っていたほとんどのモンスターが、今のリストから外されてる例が多くあります。

 ちなみに危険指定対象から外されるまでの期間は平均して十八年。そのなかでエンブは、今の危険指定生物のなかでは一番情報が多いモンスターで多くの弱点が挙げられています。

 そこで問題です。エンブはいったい何年間、危険指定生物として名を残しているでしょうか?」


 いきなりの出題で驚いたが、話を盛り上げようとしているフィネさんの心情を思い、その問題について考えることにする。


 話の内容では、エンブは素早くて力が強いうえに賢い。だが情報と研究が進めば危険指定から外されるということは、情報が一番多いモンスターであるエンブはじきに危険対象から外されるはずだ。そしていくつも弱点があるってことは、それなりに長い期間研究されていたということだ。

 それらの情報をもとに、「二十年」と答えた。色んな攻略法があっても危険指定生物の対象から外されていないということは、平均より長いはずだと考えた。


 それなりに自信があったが、「残念!」とフィネさんは答えた。答えが外れて、軽く肩を落とした。


「ちょっと自信あったんだけどなー。ちなみに何年?」

「五十年」


 自分の耳を疑った。一瞬冗談かと思ったが、ダンジョンやモンスターの事に関しては、フィネさんを含めたギルド職員は軽はずみな事を言わないということを思い出した。


「情報はある、研究も進んでいる、色んな弱点が見つかっている。にもかかわらず、エンブは五十年も危険指定生物として今も名を残しています。これは危険指定生物のなかでは二番目の長さです。つまり、何が言いたいのかというと……」


 フィネさんの言いたいことを察した。エンブは弱点が判明しても倒せないモンスター。そんなモンスターを前にしたら、僕が取るべき行動は一つしかない。


「戦うな、ってことですね」


 フィネさんは、「正解です」と答えた。




 フィネさんとの会話を思い出すと、次にとる行動を考えた。

 目の前にいるモンスターは、間違いなくエンブだ。聞いていた情報より身体は小さいが、危険指定生物であることには変わりない。そんなモンスター相手に、戦って勝てる気はしなかった。だから選択肢としては逃げること以外には無い。


 問題はどうやって逃げるかだ。

 僕よりエンブの方が足が速い。隠し通路に戻ろうとしても、先回りされてしまう可能性が高い。梯子を上って通常ルートを進んだとしても、エンブは前回僕を落としたときと同様に登ってくるだろう。

 つまり、何とかしてエンブをここに止まらせる必要があった。


「いや……どうすればいいんだよ!」


 無茶な難題を前にして、弱音を吐いてしまう。だが今の状況を顧みれば、そう思っても仕方がないはずだ。


 目で追うのが精一杯の速さで跳び回るエンブに対して、僕は武器すら抜けずにいる。手に取ろうとした瞬間に跳びかかってくるため、避けるので必死だった。こんな状態では、逃げるどころか動くことすらできなかった。

 時間をかけたくないこともあって焦りがあったが、冷静に心を落ち着かせることに注力する。警戒しながらも、乱れた呼吸を整える。こういうときこそ、落ち着かなければならない。


 呼吸が落ち着くと、少しだけ頭が冴えた気がした。間近でエンブを見て分かったことがある。

 スピードは聞いた通りのものだが、パワーは驚くほどではない。一度、スピードに乗った状態で腹に跳び込まれたが、ワーラットの攻撃に比べればまだ耐えられる。賢いとも聞いたが、目の前にいる『エンブ』の知能が高いとは思えない。さっきから周囲を跳び回り、隙を見て突っ込んでくるだけだ。逆に言えば、隙を作ってやればこっちに近づいて来るということだ。

 ウィストさん達のもとに早く向かいたい。だから早急にケリをつける。


 僕はわざと剣を握る素振りを見せる。予想通り、エンブは跳びかかってきた。しかもタイミングが良く、真正面から跳んで来る。またとないチャンスだった。

 すぐに両手を前に出し、エンブを捕まえる。両手でしっかりとエンブの腕の付け根辺りを掴む。


「よし。捕まえ―――」


 勝利を確信した時、エンブは身体を左に捻り、捻りを戻す反動で右脚で僕の左腕の肘を蹴った。思いがけない攻撃に、掴んでいた左手の握力が緩んでしまう。その隙を逃さずに、エンブは掴んでいた僕の左手を振り解いた。すると僕の右腕に抱き着き、脚を僕の顔に向ける。直後にその脚で、僕の顔を漕ぐような動作で蹴飛ばした。


 衝撃で倒れない様に、身体を後ろに仰け反らせながらも耐える。何とか身体を起こしたが、眼前にエンブの顔があった。僕よりも早く体勢を立て直したのか?

 その疑問の答えを考えるよりも早く、エンブは僕の額をタッチするように強く叩いた。最初に遭遇して倒されたときと同じ攻撃だった。その攻撃はあまり痛くない。しかし、遊ばれている様な感覚が痛いほど伝わった。

 少しだけ、イラっとした。


「この野郎……」


 体勢を低くし、肘を軽く曲げて手を前に出す。捕まえやすい体勢をとって、エンブの攻撃に備える。

 攻撃は後だ。捕まえればいくらでも出来る。まずは捕まえることだ。決してムキになったわけではない。


 自分に言い訳をしながらも、エンブから目を離さない。エンブはさっきよりも多く鳴きながら跳び回っている。心なしか楽しそうな声に聞こえるのは気のせいだろうか。その鳴き声が、余計に僕を苛立たせる。

 するとエンブはさっきまでとは違い、僕が隙を見せずとも跳びかかってきた。左から来たエンブに反応して手を伸ばすが、手が届く前に僕の頭にすれ違いながらタッチする。すぐに右に向くが既に姿は無く、直後に足元から鳴き声が聞こえる。下を向くと同時にエンブの掌が目に映る。下から跳び上がったエンブに額を張り手で突かれる。身体を仰け反らしながら頭上に浮かぶエンブに手を伸ばすが届かない。体勢を崩して仰向けに倒れたがすぐに起き上がって振り返る。

 エンブは目の前でしゃがみ込み、僕の姿を見ていた。その顔が笑っているように見えた。


「調子に、乗らないでよ」


 言葉の意味が分かったのか、エンブは楽しそうに笑う。それを見て僕も笑った。

 変な感覚だった。捕まえられないのは悔しい、捕まえられない自分が情けない、そう感じながらも、エンブに対して不思議と憎しみや敵意を持てなかった。


 再びエンブは四方八方を跳び回る。だが大分速さに慣れてきたお蔭で、エンブの姿を追えるようになった。右から突っ込んでくるのが見えると同時に手を伸ばす。今度は間に合った。掌を広げて掴もうとするが、エンブは身体を回転させるようにして僕の手を躱し、僕の頭に頭突きをした。

 勢いに乗った頭突きに耐えられず、体勢を立て直す暇も無く仰向けに倒れた。


「いったぁ、い?!」


 頭突きを食らった場所を手で押さえていると、身体の上にエンブが乗った。エンブのにやけた顔を見て、今の状況に戦慄した。

 圧し掛かられて動けない僕に対し、エンブは存分に両手を振るえる状態だった。「キキっ」と短く鳴くと、右手を振り上げる。手で防ごうとしたが、エンブが両足で器用に僕の両腕を踏んづけて押さえているため動かせない。エンブの掌が近づくのを見て、死を覚悟した。


 しかし直後に辺りに響いた音は、弾けるような軽く高い音だった

 額に伝わった衝撃の正体は、意外にもにもただの平手打ちだった。エンブは僕の額を軽く叩くと僕の上から飛び退くと僕の方を向いて鳴く。その様子は、僕が立ち上がるのを急かしているように見えた。


 意味が分からず、呆けてしまった。

 絶好の攻撃チャンスだったはずだ。てっきり今までの攻防は僕を挑発させるのが目的で、今みたいな有利な状況を作るためのものだと思っていた。今の場面は、全力で攻撃されるれることを覚悟していた。

 しかし、実際は違った。さっきまでと同じように僕の額を叩くと、距離を取って僕の様子を窺っている。まるで僕の準備が出来るのを待つように。


 流石に違和感を抱いた。このエンブは、マイルスダンジョンの生態系を狂わせることと、僕の足止めが目的の筈だ。そして僕の足止めをするのならば、僕を殺すのが一番有効だ。しかし僕を殺す絶好の機会をわざと逃した。

 思い返すと、今までにも僕に致命傷を与えられるほどの機会はあった。あのときは僕を挑発させるためにあえて攻撃しなかったのかと思ったが、実は単に攻撃する気が無かっただけかもしれない。 


 一体何故だ?

 今までのエンブの行動と、フィネさんから聞いた情報を思い出す。何か手掛かりはあるはずだ。

 跳び回る動き、額にタッチするような攻撃、嬉々とした顔、穏健な性格、高い知能、人間相手に遊ぼうとする程の無害さ。


 ふと、ある記憶を思い出した。サリオ村に居たときの小さな頃の記憶だ。あのときの僕は、ある光景をいつも羨ましそうに見ていた。あのときと今の状況はよく似ている。


「まさか……」


 ある答えが頭に浮かんだ。最初は思いもしなかった答えだ。しかし、一度思いつくとそれ以外考えられなくなる。

 試してみる価値はある。そうと決めたら、僕は走り出した。


 行き先は入口方向。だが梯子には上らず、壁に向かった。そして壁際に着くと、壁に背を向けるように振り向いた。エンブの表情を見ると不思議そうに首を傾げていた。僕が何故壁に背を向けたのか分からないからだろう。

 たしかにこの行動は、さっきまでの僕なら取らなかった行動だ。壁に寄って背を向ければ、背後に回り込まれる心配はなくなるものの、逃げ場が無くなる。一度守勢にまわれば、一方的な攻撃を受けてしまうだろう。

 だがそれを知ったうえで、僕はこの行動をとった。攻めるのに躊躇っているエンブに向かって、僕は一言だけ言った。


「来なよ」


 手を前に出して招く素振りをすると、エンブは短く鳴いて跳び回り始める。上下左右に跳び回りながら、僕に攻撃する隙を窺っている。僕もエンブの位置を確認しながらタイミングを計る。出来る限り近づかれて、正面に着地する直前が好機だ。


 エンブは徐々に距離を詰めてきている。二三歩踏み込めば触れる程の範囲で跳び回っているが、まだ動き出すには遠い。せめて一歩で届く距離にまで来て欲しい。じれったくて動きそうになるが、ひたすら我慢した。大丈夫、我慢することには慣れている。

 エンブがわざとらしくゆっくりと動く。違う、距離が遠い。

 壁に着地するとバランスを崩した。あれはわざとだ。行くべきじゃない。

 一歩半の場所に着地をする。あと少しだ。


 間もなくして、一歩で届く距離で跳び回り始める。壁に着地して跳んだ方向を目で捉えると、僕は一歩踏み出した。エンブが正面の地面に着地する、そう判断したからだ。その判断は当たっていた。

 エンブは正面に着地して僕の動きを見ると、すぐさま上に跳んだ。天井に脚を着き、落ちるように跳ぶ。重力と跳躍力による速度は、僕の目では追えない程だ。だがエンブの残像と着地音を頼りに、着地した場所を捉える。エンブは正面の足元に着地していた。すぐに視線を足元に移すが、もうそこに姿は無い。しかし、ほとんどスペースの無いはずの背後から気配を感じた。


 予想通りだ。僕は思わずニヤついた。

 頭を下げながら振り向くと、頭上を何かが通り過ぎる気配を感じた。背後を向くと、エンブがさっきまでの僕の頭の高さまで跳び、腕を盛大に空振らせていた。空中で何もできずに戸惑っているエンブに向かって、振り向いた勢いを抑えずに左腕を突き出す。

 左手を真っ直ぐとエンブの顔に向かって伸ばす。無防備になったエンブは僕の腕を捕まえようとするが、空中に浮いた状態では僕の攻撃を受け止めきれないだろう。仮に受け止めたとしても問題無い。この左は疑似餌だから。

 エンブが両手で僕の左手に触る直前に、左手を開いて掴ませる。両手で掴ませると、すぐに左手を握ってエンブの両手を捕える。


「捕まえた」


 空いた右手をエンブの顔に向けて伸ばす。遮るものは何も無い。右手は真っ直ぐとエンブに向かう。

 そして当たる直前、


「僕の勝ち、だね」


 と言ってエンブの額を軽く叩いた。

 額を叩くと左手を広げる。エンブは地面に着地すると残念そうな顔をするが、すぐに笑いながらその場で跳び始める。まるで、遊び足りないと言わんばかりの言動だ。いや、実際にそう言っているのだろう。 


 そもそもエンブには、戦う気が無かったのだから。


「ごめんね。僕は行かなくちゃいけないから、これで終わりなんだ。お、わ、り。分かる?」


 両手の人差し指を交差させながら言い聞かせると、エンブは寂しそうな顔をする。僕がその場から離れても、表情を変えずに僕を見ている。やはり、予想通りだった。


 あのエンブは子供で、ただ遊びたかっただけだったんだ。

 体格を見て、あのエンブは子供だと推測できた。止めを刺せる瞬間に敢えてそうしなかったのは、そもそも戦いではなく遊んでいる気だったからしなかったのだ。

 額にタッチするのは、おそらくエンブの遊びの一つだろう。タッチしたら勝ちという、非常にシンプルなゲームだ。だからゲームに勝って言うことを聞かせるのが最善だと思った。


 もし本気で戦おうとしたら、今頃僕は死んでいただろう。僕が殺されなかったのは、エンブと戦おうとせず、逃げようとしたからだ。殺そうとしてくる相手が遊び相手になれるはずがない。僕から殺意を感じなかったから、遊び相手に選ばれたのだろう。

 情報の大切さを身に染みた時間だった。エンブの事を知らなかったら、八階層に横たわる死体同様に、僕も無闇に襲い掛かり返り討ちになっていたはずだ。事前に知っていたから、今僕は生きることができ、エンブから逃れることもできた。


 僕は隠し通路に戻るとき、ふと後ろを振り返った。エンブは相変わらず寂しそうな表情で僕を見ている。その姿がいたたまれなかったので手を振った。


「またね」


 予想通り、エンブは嬉しそうな顔で手を振り返した。おそらくまた会う機会は無いだろうが、あの顔を見ると何もせずにはいられない。

 後ろめたさを感じながら、気を取り直して隠し通路を走り始めた。

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