第9話

「ヴィック、無事? 怪我は無い?」


 ウィストさんが駆け足で寄って来る。心配する彼女を見て「大丈夫」と答えようとしたが、同時に身体に痛みが走った。


「いっ……」


 「痛い」と反射的に口に出そうになったが、やせ我慢をして耐える。しかし表情に出てしまったせいか、すぐにばれた。


「やっぱり怪我してた。すぐに治療しないと」

「大丈夫だろ、こんくらい。それより、あっちを診てやれよ」


 ノッポがフィネさんの方を見て顎をしゃくる。納得して無さそうな顔をしたが、僕が促すとウィストさんはフィネさんの元に向かった。怪我は無いと思うが、フィネさんも疲労が溜まっているはずだ。動けるかどうかだけでも確認してほしかった。


「足は動くか?」

「一応、動きますけど」

「じゃあ問題無いな。歩ければここから出られるだろ?」


 代わりに腕と背中がすごく痛いのだが、今言うとフィネさんにも聞こえそうなので口を閉じた。しかし、身体を動かそうとするたびに痛みが全身に響く。しばらくは碌に動けそうになかった。

 大人しくしていると、ノッポが白色の液体が入った瓶を突き出した。


「ほら、これを飲め」

「なんですか、これ?」

「『無痛水』だ。飲めばダンジョンを出るまでは、痛みが無くなる」


 名前は聞いたことがあるが、見たのは初めてだった。下級冒険者にとってはそれなりに高い値段のはずだ。


「なんで僕に? 親切にされる覚えなんかないんだけど……」

「七階層からダンジョンに出るまでの間、何度もモンスターと出くわすはずだ。動けない奴が二人もいたら困る。それに詫びも兼ねたものだから、黙って受け取ってくれ」


 前半の意見には納得できた。一人が戦闘できないフィネさんを守っているなか、もう一人が僕のフォローに付いたら自由に動ける者がいなくなってしまう。

 しかし、後半の理由はよく分からなかった。


「詫びって、何のですか?」

「そこのギルド職員をダンジョンに連れてこさせたことと、ハイエナって言ったことだよ」


 目を合わせないように、ノッポは言った。


「元々、お前だけに依頼を受けさせる予定だったんだよ。ハイエナのくせに贔屓されてたから、少しぐらい痛い目に遭わせるだけだった。どうせ依頼を達成できずに、逃げ帰ってくるだろうと思ってたからな。

 けど、ギルド職員を連れていくとは思わなかったんだよ。しかもあいつも煽りやがるし、意味が分かんねぇ」


 苦々しい表情で愚痴をこぼす。予定と狂った状況にイライラしていたのだろう。僕は金髪とノッポにむかついているのだが、ここは黙って聞くことにする。


「ギルド職員の方は少し脅すだけのつもりで、ダンジョンにまで行かせる予定は無かった。冒険者が死ぬのは不思議な事じゃないが、ギルド職員が死んだら話は別だ。もし死んだら原因が調べられて、俺達の責任になるからな。

 だからお前らが行った後、そこの女と一緒にお前らを見守ってたんだよ。万が一に備えてな」

「それにしては、来るのが遅かったですね」

「お前らが襲われる直前に、今の話をしたんだよ。そしたら女の方が怒って口論になった。そのときにお前らを見失ったんだよ。まぁ許せ」


 偉そうな口調で言われても許せるわけがない。

 しかしそれまでは見守ってくれていたことと、最後に助けてきてくれたことには感謝せざるを得ない。渋々と頷いて納得することにした。


「あと、ハイエナって言ったことは謝る」


 頭を掻きながら、目線を合わさずに謝罪した。


「まぐれかもしれんが、あの子を守りながらワーラットを倒したんだ。一人前の冒険者だってことを認めてやるよ。だからこの薬を受け取れ」


 不覚にも嬉しさがこみ上げてきた。フィネさんを非難した奴だが、ハイエナという評価を覆した人はこの人が初めてだった。

 理由を納得したところで、僕は薬を受け取った。


「しっかし、この短期間でハイエナの評価を覆すほどのお前が、何でハイエナなんてしたんだ? 忌み嫌われる事なんて知ってるだろ?」

「僕だって、やりたくてやったわけじゃないですよ」

「……どういうことだ?」


 不可解なものを見るような目で僕を見た。当時の事を思い出しながら、そのことを話した。


「ダンジョンをうろついてたとき、モンスターと戦っている人がいたんです。ただ劣勢に見えたから、つい助けちゃったんです。そしたら助けたお礼にそのモンスターの素材を貰ったんです。だから結果的に、ハイエナしちゃったってだけなんです。何回もこういうことをしてたら、ハイエナって呼ばれ始めましたね」


 助けた結果ハイエナと呼ばれるなんて、なんとも理不尽な世界だ。助けたことに後悔は無いが、やはり侮蔑されるのは嫌な事だ。


 僕の心境を理解してくれたのか、ノッポは呆れた様な顔をしている。しかしノッポは溜め息を吐くと、「あほか」と吐き捨てるように言った。


「あ、あほ?」

「あほじゃなかったら馬鹿だ。間抜け、ぼんくら、愚か者だ。好きな名で呼んでやる。選べ」

「喧嘩売ってるんですか?」


 いきなりの罵詈雑言に、流石に腹が立った。ここまで言われる謂れは無い。しかし、ノッポは表情を変えない。


「どこの世界に助けた奴を罵る常識があるんだ。お前がやったことをハイエナって呼んでいたら、ほとんどの冒険者がハイエナになっちまうだろ。お前はハイエナと呼ばれる条件がなんだと思っていたんだ?」

「……モンスターを横取りする人?」

「違う。誰かがダンジョンに残したモンスターを許可なく使って、他のモンスターを狩るやつの事だ。お前の行為はハイエナに該当しない」

「つまり、どういうことです?」

「元々、お前はハイエナじゃなかったってことだよ。ったく誰だよ、こんな見当違いな噂を流したのは」


 それは僕も知りたいことだ。しかし僕以上に怒っているノッポを見ていると、おかしくなって笑いそうになった。さっきまで僕を嫌っていたノッポが、僕を悪く言った人に対して怒っている。なかなか無い光景だった。


「ヴィックさん、大丈夫ですか?」


 フィネさんの声が耳に入った。フィネさんはウィストさんに支えられながら僕の傍にまで来ていた。心配させまいと笑顔を作って「大丈夫だよ」と答えた。

 するとフィネさんは、僕の胸に跳び込んできた。


「良かった……本当に、良かったです」


 涙声で、何度もそう言った。身体に激痛が走るが、痛みを我慢してフィネさんの頭に手を置き、ゆっくりと撫でた。


「言ったじゃない。大丈夫だって」

「けど、けど……心配だったんです。私のせいで死んだら、どうしようかと」

「意外と不安症なんだね」

「意外、ですか?」

「うん。だって、僕が知っているフィネさんは、笑顔が似合う可愛い女性だから」


 フィネさんの泣き声が小さくなった。


「だから、笑ってください。泣き顔なんて、フィネさんには似合わないから」


 少し待つと、泣き声が聞こえなくなった。僕の身体からゆっくりと離れると顔を上げた。

 フィネさんの顔には、いつもの笑顔があった。


「助けてくれて、本当にありがとう」


 この笑顔を見れただけで、ここに来た意味はあった。




 無痛水を飲んだ後、僕は三人と別れて目的のものを取り行った。今回の依頼の品であるヌベラのある場所だ。


 ワーラットを倒して少し休憩した後、ダンジョンを出ることになったが、僕だけが残ってヌベラを取りに行くことにした。

 一緒にダンジョンを出て、明日探しに来ることもできた。しかしヌベラがある場所を知っており、しかも近くにあるので、また来るのは二度手間だと思って取りに行くことにした。


 一分も掛からずにその場所の近くに辿り着く。目の前には八階層に続く下穴と、梯子が見える。梯子の根元に、目的のヌベラがあった。厳密にはヌベラかどうかは判別してみないと分からないが、違うならまた明日にでも来ればいいと前向きに考えた。

 八階層目に続く梯子を下り始める。入口とはいえ八階層に足を踏み入れることになる。しっかりと梯子を握り、足元も確認しながら下りた。

 最後まで下り切って地面に着地すると、すぐにヌベラを抜き取ってバッグに入れた。依頼された分を確保できたので安心し、深く呼吸をする。


 同時に、吐き気を催すほどの異臭が鼻腔をついた。モンスターの死骸が腐ったときと同じ匂いだ。


「なに、これ……?」


 吐き気を我慢しながら、八階層の通路に目を向ける。目に映ったのは、数多のモンスターの死骸が通路に放置されている光景だった。見たこともないモンスターばかりだが、なかには以前襲われたグロベアの死骸もある。しかもあの時よりも二回り以上の大きさだ。

 どの死骸も腐っているため、何が原因で死んだのかは一目では分からない。比較的見た目がましな死骸に目を向けるが、そのなかには人の死体もあった。格好からして冒険者のようだ。


 受け入れがたい現実に、一瞬目眩がした。

 これが八階層では普通なのかと思いそうになったが、頭を左右に振って考え直す。いや、違う。これはおかしい。

 八階層目は中級冒険者になるための試練と聞いた。しかし冒険者だけではなく、これほどのモンスターの死骸が放置されているのは意味が分からない。冒険者がモンスターを殺し尽したあと力尽きて倒れたのか、それともあるモンスターが無双して、冒険者だけではなくモンスターも殺したのか、どちらかと思ったが判断がつかない。

 ただ、これは異常な光景だと勘が働いた。これはすぐにダンジョンから出て報告すべきことだ。ここ最近のモンスターの生態系が乱れていることの原因かもしれないし、仮にこれが八階層以下で起こる日常的な事だとしても報告して損はない。精々、僕が恥をかくだけだ。


 梯子を握って、足を梯子にかけるために足元を見る。そのとき、頭に小石が当たった。他に冒険者が来たのかと思って、顔を上げる。


 穴の縁に、得体の知れないモンスターがいた。


 それは梯子の上にしゃがみ込んで、僕を見つめていた。ランプの光のせいで影になっているため、具体的な姿は分からない。ただ映し出されたシルエットから、あまり大きくない様に見えた。

 それがとっている体勢は、人がしゃがんでいるときのものとよく似ている。人型モンスターは七階層目にはワーラットしかいないはずだが、ワーラットよりも小さい。

 だが、ワーラットよりも弱いとは到底思えなかった。睨まれただけでも身体が固まってしまい、倒すという気持ちが一切湧いて出ない。こんな感覚は、ツリック上級ダンジョンで僕より何倍も大きいグラプを見たときにも感じなかった。


 敵対したら死ぬ。直感的に、そう思った。如何にして逃げるか、それだけを考えた。

 上に居るということは、僕を待ち構えているということだ。このまま梯子を上れば間違いなく死ぬ。あのモンスターを八階層に下ろして、その隙に逃げるのが最善だ。モンスターなら、梯子を使って上ることはできないはずだ。


 問題は、どうやって下ろすかだった。あのモンスターが何なのか分からない今、どんな習性を持っているのかが分からない。いろいろと試すしかなさそうだ。

 一旦、梯子を持っていた手を離す。まずは人を呼ぶのと同じ要領で手招きした。人型のモンスターなら、もしかしたら分かるかもしれないと思った。違ったら次の方法を考えるだけだ。

 しかしそのモンスターは、僕が手招きすると腰を浮かして、すぐに飛び下りた。四メートルの高さはあるのにも関わらず、迷わずに下りた。その着地点は梯子から少し離れた場所だっだ。

 一発目から上手く行くのは意外だったが、好機と思って一気に梯子を上る。急いで上ったので足を踏み外すことが不安だったが、何事も無く上り切れたので胸を撫で下ろす。

 すぐに離れようと足を踏み出したときだった。


「キキッ」


 モンスターの甲高い鳴き声が、背後から聞こえた。まさかと思いながら、恐る恐る後ろを振り向く。後ろには、さっき八階層に下りたはずのモンスターがいた。しかも梯子の上にいるということは、梯子を上ってきたということだ。普通のモンスターが梯子を使って上れる筈がない。


 予想外の出来事に頭が働かなかった。それを知ってか知らずか、そのモンスターは僕に跳びかかてきた。それは右手を前に出して僕の額を強く叩いた。あまりの速さに対応できず、あまりの威力に後ろに倒れて、地面に後頭部を強くぶつけた。

 僕の意識はそこで途絶えた。

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