第8話


 思い出したのは、ウィストさんの言葉だった。


「受け流すときに重要なのは、攻撃をどこで受けるかじゃなくて、受けたときの盾の角度に気を付けるんだよ」

「角度……」


 受け流し仕方を教わったときのことだった。何度やっても上手くできない状況を見て、ウィストさんがアドバイスをくれた。


「相手の攻撃に対して盾の角度を垂直にするんじゃなくて、ちょっと角度をずらす。そして受けたときに攻撃を盾で滑らすのがコツだよ」

「そっかー、弾くもんだと思ってたよ。ありがとう」

「うむ、感謝しなさい。と言っても、基礎の基礎らしいから、そんなに感謝しなくてもいいよ」


 それすら知らなかったのだから、僕にとってはありがたい情報だった。お礼を言うと、「あとね」とさらに言い足した。


「本で勉強してた時に、心構えっていうやつを見つけたんだけど、聞く?」

「うん。一応」


 技術に比べて役に立つのか不安だったが、折角聞いても損は無いと思った。ウィストさんはコホンッと咳払いをすると、心構えを語りだした。


「受け流しとは、攻撃を遮るものではない。攻撃の流れに乗り、流れを少し逸らすだけである。壁ではなく、流水に成れ……だってさ」




 何が起こったのか、一瞬自分でも理解できなかった。

 ただ一番鮮明に思い浮かんだのは、ウィストさんから聞いた受け流しの技術的な話ではなく、心構えの話だということは覚えていた。


 ワーラットの攻撃が盾に当たる瞬間、少しだけ腕の角度を捻った。攻撃の勢いに逆らわずに、一緒に盾を動かせる。しかし少しだけ棍棒の軌道をずらす。棍棒の振り下ろす先は僕の頭ではない。足元の地面だ。

 ワーラットの棍棒は、僕の盾から滑るように離れ、大きな音を立てて地面に突き刺さった。一方、僕の盾は無事な上、棍棒を受けたときの痛みをほとんど感じなかった。


 受け流し、成功だ。

 両手を上げて万歳したかったが、それは後だ。隙だらけのワーラットを見て、僕はワーラットの懐に入る。ワーラットも驚いたのか、僕の動きに対して反応が鈍い。難なく接近することができた。


「うらあぁ!」


 渾身の力を込めて、ワーラットの腹に剣を突き刺す。剣を根元まで突き刺すと、剣を捻りながら引っこ抜く。抜いた瞬間、血飛沫が飛ぶと同時にワーラットの悲鳴が響いた。


「ぢゅらあああああああああ!!」


 苦しそうな声だった。人だったら即死しても可笑しくない傷だ。

 しかしワーラットは倒れずに、僕を睨んだ。その瞳は、さっきまでの余裕に満ちた眼ではない。殺してやると伝わるほどの憎悪を感じた。


 血を垂れ流しながら、ワーラットは棍棒を振るう。先程の攻撃よりも大振りで杜撰な攻撃だ。まともに食らえば即死である。その攻撃に、僕は盾をそえた。

 受け流しに成功した時の感覚は、まだ残っていた。棍棒が盾に当たる瞬間、腕を捻って盾の角度を変える。棍棒は盾の表面を滑り、明後日の方向に逸れていく。また成功した。

 その隙を狙って、今度はワーラットの太股を斬り裂く。太く斬りにくそうな足だったが、力の限りを使って剣を振り切った。するとワーラットは地面に膝をつき、頭部が僕の目の前に降りてきた。


 このチャンスを、逃す気は無かった。剣を振り上げ、ワーラットの頭部に目掛けて振り下ろした。

 ワーラットの顔に垂直の深い切り傷をつけると、ワーラットは前のめりに地面に倒れ込んだ。


 七階層のモンスターを、自分だけの力で倒した。このうえ無い達成感を全身で感じていた。気が抜けて、その場に膝を着いて息を吐いた。


「ヴィックさん!」


 耳にフィネさんの声が届いた。ただその声は、助かったことを喜ぶような声色ではなく、危険を知らせるような類の声だった。その声の理由は、フィネさんがいる方とは反対側の足音を聞いて分かった。


 振り向くと、さっき倒したはずのワーラットがいた。しかも身体に一切の傷がついていない。だが地面に転がっているワーラットの死体が視界に映ると、今の状況を理解できた。

 目の前に立っているワーラットは、別の個体のワーラットだ。おそらく戦闘の音が聞こえたから、それに釣られて来たのだろう。

 やっとの思いでワーラットを倒した後に、もう一体追加ときた。理不尽な仕打ちに思わず笑ってしまう。


 だがやることは変わらない。立ち上がって、再び剣と盾を構えた。

 ワーラットは仲間の死骸を一瞥して、再び僕を見る。気のせいか、鼻息が荒くなっている気がした。仲間が殺されて怒っているのだろうか。

 だとしたら好都合だ。怒りに任せた攻撃は単純になる。力任せな攻撃は読みやすいので、受け流しで対応できる。不安材料が一つ減ったことで、少しだけ心に余裕が持てた。


「よし……来い」


 僕の言葉と同時に、ワーラットは攻撃を始めた。眼前のワーラットは棍棒を二本両手に持っている。連続攻撃に注意を向けた。

 初撃を避けると、踏み込んで反撃をする。ワーラットは身を引いて僕の剣を避ける。一体目よりも身軽な動きだ。よく見ると、一体目のワーラットよりも身体が若干細く見えた。

 そして攻撃の速度は速い。二撃目が来るまでの時間が、一体目に比べて短かった。その攻撃を避け、再び反撃するも当たらない。胴体を狙うのは難しそうだ。


 攻撃され、避けて、反撃して、避けられる。決め手を欠いた攻防が続いた。

 動き回り、互いに横の壁に背を向けたときだった。不意に、ワーラットが動きを止める。何事かと思って観察すると、視線を僕にではなくフィネさんの方に向けていた。

 フィネさんも気づき、身体をビクンッと震わせる。まさか、と嫌な予感がした。

 不安は的中した。ワーラットは僕を無視して、フィネさんの方に近づいて行く。迷い無く一直線に。


「待て!」


 フィネさんとワーラットの間に入り込むように駆け寄った。何の意図があるのかは分からないが、フィネさんを先に狙うつもりのようだ。邪魔な敵を先に排除しようとした一体目と違って、先に倒せる獲物を倒すという思考の持ち主なのか?


 しかし、不用意に近づくべきではなかった。

 フィネさんの前に立とうと走り寄り、先に動いていたワーラットに並んだ瞬間、ワーラットは棍棒を薙ぎ払うように振るった。地面すれすれに、僕の足を狙うような軌道だった。咄嗟に棍棒を跳び越えるように上に跳躍して避ける。


 一方のワーラットは、二撃目の棍棒を振りかぶった。まるで予想していたかのような、滑らかな動作だった。

 そういうことか、とワーラットの意図を理解し、自分の迂闊さを嘆いた。ワーラットの狙いはフィネさんではなく、ずっと僕を狙っていた。僕の隙を作るために、フィネさんを狙った振りをして近づき、僕を誘い出したのだ。


 宙に浮いた僕を狙って、ワーラットの棍棒が向かって来る。最悪なことに、僕の右手側、つまり盾を持っていない方からだ。腕を回し、身体を捻らして盾を向ける。この体勢では受け流しはできないが仕方がない。衝撃に備えて歯を食いしばった。

 棍棒が盾に当たる。一体目のワーラットの攻撃を受けたときと、同等の威力だった。


 あぁ、これはまずい。

 次の瞬間には、僕の身体は壁に激突していた。壁に衝突した痛みが、背中から全身に伝わり、意識が飛びそうになった。駄目だ、まだ倒れるな。


 重力に引かれて倒れそうになる身体を、剣を杖代わりに使って起こした。踏ん張って立とうとしたときに、左手の盾が妙に軽かった。盾は見事と言いたくなるほど、真っ二つに割れていた。


「……笑えない、ね」


 少し気を抜いただけで、この様だった。やはり世の中は簡単にはいかないものだと、改めて実感した。もう何回、そう思っただろう。

 目の前にワーラットが迫って来た。のしのしと音を立てて警戒せずに。だがそんなことに苛立つ余裕は無い。


 僕は自分の状態を顧みた。

 盾は無い、身体に痛みが走って動き辛い、壁に追いやられて逃げ場も無い、最悪の状況だ。


 だがどんなに絶望的な状況でも、諦める訳にはいかなかった。

 顔を上げ、身体を起こし、剣を構えた。


「来なよ、ワーラット。目の前にいるのは、死にぞこないだよ?」


 ワーラットは僕と目が合うと、一瞬たじろいた。瀕死だと思った獲物がまだ戦う気があると分かったら、誰だって警戒する。

 しかしそれは一瞬だけで、ワーラットはすぐに棍棒を構えた。

 僕は剣を持つ手に力を入れた。やったことは無いが、剣で受けてやる。剣で受け流しが出来る人間がいるんだ。出来るはずだ。


 ワーラットの棍棒が振り下ろされる。この一瞬に、全神経を集中させた。

 だがその集中力は、何者かの声に乱された。


「させねぇよ」


 ワーラットの背後から現れた者が、跳躍して剣を横に薙いだ。剣が弧を描くように振り切られると、ワーラットの棍棒を持つ手を斬り落とした。棍棒と腕が宙を舞うと同時に、腕の断面から血が噴き出る。

 ワーラットの悲鳴が、鼓膜が破れる程の音量で響いた。手で耳を塞ぐが、それでも喧しい声が聞こえた。


 ワーラットの腕を斬り落とした者は着地すると、逃げずにその場に止まり続ける。そこはワーラットとの距離が一歩分程度しかない場所だった。案の定、ワーラットは振り向きざまに残っている腕で攻撃をする。


「こっちよ!」


 別方向から、聞き覚えのある声が聞こえた。その声に反応して、ワーラットは視線を声のする方に向ける。

 その直後、ワーラットの喉が斬り裂かれた。二本の剣が真っ赤になるほど深く。致命傷を負ったワーラットは、ゆっくりと地面に倒れた。


 一瞬の出来事に呆然とした。二人掛かりで奇襲したとはいえ、僕があれほど苦戦したワーラットを十秒も掛からずに倒してしまった。しかもそれを実行した二人は、見覚えのある人物だった。


「良かったー。何とか間に合ったよ」

「そっちは死んでも良かったんだけどな」


 僕を窮地から救ってくれたのはウィストさんと、金髪と一緒にフィネさんを非難していたノッポの男だった。

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