第7話

 護衛しながら七階層でヌベラの採集。かなり危険な依頼だと認識していた。

 七階層に下りることと護衛をすること、両方とも初めての事だった。しかも護衛対象はフィネさんだ。いつも以上に緊張感を持ってダンジョンに挑んだ。

 しかし、


「全然いませんね」


 七階層でモンスターと全く遭遇しなかった。それどころか気配すら感じない。

 六階層でもモンスターの数が少なかったから、七階層も少ないだろうと予想していたが、全く遭わないとは思わなかった。思わず拍子抜けしてしまうほどだ。

 最初こそ緊張してお互いに口数が少なかったが、今ではその緊張もほぐれてしまい、会話する余裕が出来ていた。


「そうだね。まぁ、無事で済むならいない方が良いんだけどね」

「けどこれだと、あの人達が言っていたことを実践できないですね」

「立ち回りの事? そんなの適当に言ったら良いだけだ。以前、七階層のモンスターと戦ったことがあるから、そのときの事を脚色すれば大丈夫だよ」

「いいんですか?」

「そもそも、ああいった連中を相手に真面目に付き合ってたらきりがないから」

「けど依頼を受けちゃったんですね」

「今回は、仕方ない」


 話していると、目の前に岩を見つけた。下の方を見てみると、ヌベラらしき草が生えている。抜き取ってフィネさんに見せると首を横に振る。どうやら違うものらしい。

 ヌベラとヌガラの判別方法を教えてもらい実物も見たのだが、いざやってみると間違えることが多い。僕一人で来ていたら今日中には終わらなかっただろう。フィネさんを連れてきて正解だったと言わざるを得ない。


「親しい人が侮辱されたら怒るのは当然でしょ? フィネさんもそうだったから、あの騒ぎになったんだし」

「知ってたんですね」

「うん。親切な冒険者が教えてくれた」

「そうですか……じゃあ仕方ないですね」

「そうそう、避けられないことだったんだよ。けど、後悔はしてない」

「私もです」


 ダンジョンの中だというのに、不安は感じなかった。モンスターと遭遇しないということもあったが、フィネさんといると不思議と落ち着いたからだ。

 ギルド職員として蓄えた知識と、本人が持つ人を元気にさせる力が僕を心に平穏を与えてくれている。モンスターと戦う術は持っていないが、それは僕が補えばいいだけの話だ。


 不安を感じずダンジョンを進み、ヌベラを探し続ける。七階層にきて一時間、現在までで八束集まっている。あと少しで依頼達成だった。

 しかし、


「見つかりませんね」


 とフィネさんが呟いた。言葉通り、あと少しが見つからなかった。

 最後にヌベラを見つけてから三十分以上は探し続けている。気にしない様に別の話題を話しながら探していたが、これ以上気を紛らわすのも厳しかった。


「無い、ね」


 フィネさんに続き、僕も不平を口に漏らす。同時に焦りが生じて、額に汗が伝った。

 まだ七階層を全部回り切ってはいないが、これ以上時間を掛けるのは危うい。フィネさんは今日、初めてダンジョンに入った。表情には出さないが、ここまで来るのに体力を消費しているはずだ。

 一方の僕も、一日に二度もダンジョンに入り、何体ものモンスターを相手にしている。長引けば体力が尽き、集中力も落ちて危険度が増す。

 依頼の達成期限は明日だ。これ以上ダンジョンに篭って探し続けるのは得策ではない。一旦仕切り直して、明日に再度挑戦しようと考え始めたときだった。


 歩いていると明るい道に出た。七階層の入口と出口を繋ぐ最短経路に戻ってきたようだった。この道を逆に辿れば上の階層へ戻れる。

 壁に設置しているランプには、入口と出口の方向を示す記号がある。それを確認しようと近づいたが、見ずとも方向を判断で来た。

 左手方向に、下に空いた大きな穴があった。しかもランプは穴の手前で途切れており、奥には下に続く梯子が設置されている。八階層に続く穴だと一目で分かった。


 八階層にもヌベラはある。探し続けるのなら八階層に下りる選択肢もあるが、今回は選ぶ気は無い。一秒もかけずにその判断をする。

 噂に聞くと、八階層以下は七階層までのモンスターがかわいく見えるほどの凶悪なモンスターが多いという話だ。いずれは挑戦するかもしれないが、今はする気は全くない。


 諦めて六階層に戻ることを考えたとき、穴の近くに目的のものが見えた。

 ヌベラが梯子の横に生えていた。しかも七階層側の方にだ。

 思わぬ幸運に頬が緩んだ。


「ありましたか?」


 フィネさんも気づいたようだった。僕が頷いてその場所を指すと、フィネさんの表情に笑みが戻った。

 穴はかなり大きく、壁のぎりぎりまで広がっているが、人が一人通れるほどの幅はある。少し危ないが、あれを取れば残り一束だ。もしかしたら帰り道で見つかるかもしれない。


「じゃあ、ちょっと取ってくるから待っててね」


 フィネさんを残してヌベラを取りに行った。穴に落ちないように壁際を慎重に歩く。足元を見ながらゆっくりと進み、何事も無く梯子に到着してヌベラを引き抜いた。

 鑑定してもらうまでは断言はできないが、何故かこれがヌベラだという確信があった。しかも梯子の下を見ると、暗くて見にくいがヌベラらしき草がある。八階層でも入り口付近なら、すぐに戻れば安全だ。


「フィネさん。下にもヌベラが―――」


 下にヌベラがあることを報告しようとしたときだった。


 僕の様子を窺うフィネさんの後ろに、ワーラットがいた。

 迷うことなく、僕は叫んだ。


「フィネさん! 後ろ!」


 フィネさんはキョトンとした顔をして後ろを向く。後ろのワーラットを見ると、驚いたのかそのまま固まってしまった。

 フィネさんの様子に構わずに、ワーラットは右手に持つ棍棒で殴りかかろうとしている。


 僕は駆けながら地面に転がっている石を拾い、ワーラットの顔に目掛けて投げつける。気づいたワーラットは石を避けるが、避けている隙にフィネさんの元に辿り着いた。

 しかしすぐにワーラットは僕に気づき、棍棒を振り下ろした。僕はフィネさんとワーラットの間に立ち、盾で棍棒を受けた。

 身体全体に伝わるほどの衝撃が響いた。以前、ワーラットの攻撃を受けたことはあるが、それ以上の力を持っている。だがそれも当然である。目の前にいるワーラットは、以前目にしたものよりも大きかった。


 二メートル近い体長に丸太の様に太い胴体、棍棒は巨木の幹ほどの大きさだ。身体が大きいほど力が強いのは子供でも分かることだ。

 僕と同程度の体格のワーラットにも勝てるかどうか分からないのに、これほどの体格差のあるモンスターを倒せる訳が無い。


 すぐに、逃げることを考えた。

 幸いにも逃げ道はある。八階層に続く穴の手前に、別方向に続く道がある。通ったことのないルートだが、この場に居続けるよりかはマシだ。


「後ろの道から逃げて! すぐに追いかけるから!」

「は、はい!」


 緊張して上ずった声でフィネさんは答えた。慌てて走り出すと同時にワーラットが再び攻撃してくる。盾で受けずに動いて避けた。逃げることが目的なので、無茶なことをするつもりは無い。避け切ったところで僕も逃げ出した。


 先に進むフィネさんが持つ携帯ランプの明かりを頼りに道を進む。知らない道を先にフィネさんに進ませるのは心苦しいが、四の五の言っている余裕は無かった。

 しかし、先に進むフィネさんが足を止めた。何事かと思ったが、その原因は分かった。

 行き止まりの壁が目の前にあったからだ。


「そんな……」


 絶望した声が自然と漏れてしまう。眼前には壁が、後ろからはワーラットが来ている。一言でいえば、絶体絶命だった。

 ワーラットの足音が大きくなるにつれて、不安が募る。一緒に助かる方法を考えるが、良い案が思いつかない。必死に脳を回転させていると、フィネさんが僕の名前を呼んだ。


「なに?」

「その……」


 フィネさんの身体が震えている。


「こうなったのは私のせいです。だから―――」


 震えながら、ぎこちない笑顔を作って僕に見せた。


「逃げちゃってください。ヴィックさん一人なら逃げられるはずです」


 一瞬、言葉の意味を理解できなかったが、心配させまいと必死に取り繕った表情と態度を見て察した。

 同時に、怒りが湧き出てきた。


「何言ってるんですか、フィネさん」


 怒りの矛先はフィネさんにではなく、ワーラットでも無い。心配される僕自身に対してだ。

 守るべき相手に心配されて、しかも自分が犠牲になろうとしている。そんな選択肢を考えさせるなんて、自分がとても情けなかった。

 ここで守れなければ、冒険者どころか、男を名乗る資格は無い。


「僕が守ります。だから安心してください」

「けど―――」

「大丈夫」


 僕は盾と剣を構えて、ワーラットがいる方に向き直った。


「こんな雑魚、僕の敵じゃない」


 英雄の言葉を借りて、自分を奮い立たせた。

 相手は七階層のモンスターで一度も勝ったことが無い相手だ。だが倒すことができれば、二人で安全に七階層から出られることができる。気合を入れてワーラットを睨んだ。

 ワーラットは既に僕等を視認しおり、迷わずに近づいて来ている。フィネさんに近づかせない様に、ワーラットの方に向かって歩を進める。


 お互いに近づきあい、相手までの距離が二メートル程になると、ワーラットは棍棒を振り下ろした。予期していた攻撃を見て、冷静に横に避けた。

 その隙を狙って、近づいてワーラットの胴体を斬りかかる。しかしワーラットが直前に身体を引いたため、浅い傷しかつけられなかった。追撃しようとするが、すでにワーラットは棍棒を持ち上げて、いつでも攻撃できる体勢になっていた。


 いつもならこの状態になったら距離をとるのだが、今回は離れずにその場に止まった。後ろに退くと、ワーラットの攻撃範囲にフィネさんが入ってしまうからだ。

 後ろに下がって避けることができない現状では、少しのミスが命に関わる。ミスを減らすために、ワーラットの一挙手一投足を観察する。盾で受けることに自信が無い今、僕が出来るのは攻撃を躱して、隙が出来たところに攻撃をすることだけだった。

 ワーラットが振り下ろす棍棒を見て、僕は右に避ける。振り下ろした隙を狙って腕に剣を振るう。若干だが傷を付けることに成功した。


 続けてワーラットは何度も攻撃を仕掛けてくる。二回、三回、四回。一発でも当たればただでは済まない攻撃だ。

 だが僕は避け切った。反撃を考えた位置取りをしていたら、こうは上手くいかない。しかし、今はワーラットの動きを観察して隙を探すことが目的だ。安全な位置にいれば、油断さえしなければ当たることは無い。後ろに下がれないという制限はあるが、動きが単調なため攻撃を予想できる。動かずに避けるのも最初は無理難題だと思ったが、五階層のモンスターに比べれば攻撃は遅い。

 それに受け流しの練習のお蔭で度胸がついたのか、思っていた以上のプレッシャーは感じない。少しずつ攻撃にも慣れてきて、懐に入るタイミングも掴めるようになった。心配事があるとするならば、体力がいつまで続くかだ

 何だかんだで、さっきまではずっと七階層を歩いてきた。最初にダンジョンに入ったときの疲労も抜けていないため、長引けば体力が持たない可能性がある。


 ちらりと、フィネさんの様子を窺った。フィネさんは心配そうな顔をして、壁に背中がつくほど後ろに退いている。倒せなくても大きな隙を作れば、その隙に一緒に逃げることが出来るが、あの様子だとすぐに動くことは難しそうだ。

 打開策を考えながらワーラットに視線を戻すと、ふと違和感を覚えた。

 何かが変わっている、そんな気がした。

 その正体が掴めないままワーラットは棍棒を振り振り下ろす。右手で持った棍棒を避けた瞬間、違和感の正体が分かった。

 さっきまでは、棍棒を空振って体勢を崩していたが、今は攻撃するときと同じように身体を起こしている。

 次の瞬間、左手に持っていた棍棒で攻撃してきた。


「なっ―――!」


 驚きの余り、上手く言葉が出ない。いつの間にか、ワーラットは両手に一本ずつ棍棒を持っている。おそらく、背中に隠し持っていたのだろう。

 予想外の連続攻撃に、慌てて横っ飛びで避ける。だが勢い余って横の壁にぶつかった。避ける範囲がさらに狭まってしまう。

 早く起きて体勢を立て直そうとするが、ワーラットの攻撃の方が速かった。壁に叩きつけるように、右手の棍棒を横に振るって攻撃してくる。しゃがんで避けることができたが、すぐに次の攻撃が来る。左手で脳天をかちわるように、棍棒を垂直に振り下ろしていた。

 右には壁があって避けられない。左にはまだ右手の棍棒が残っているため、避けるのに邪魔になっている。盾で受ける手もあるが、しゃがんでいる体勢で上からの攻撃を受ければ勢いを殺しきれない。即死しないまでも、腕が折れるのは必至だ。


 だから選択肢は、一つしかなかった。

 棍棒が当たる直前に、勢いよく後ろに跳んで避けた。今ので仕留めるつもりだったのか、次の攻撃は来なかった。だが、ほっとできたのも束の間だった。

 立ち上がろうとすると、足がフィネさんに当たった。後ろを見ると、僕は奥の壁にまで追い込まれてしまったのが分かった。


「に、逃げてください!」


 僕だけでも助かってほしいのか、フィネさんの悲痛な思いが伝わった。本当は自分も逃げたいはずなのに、この状況でも僕の心配をしている。

 フィネさんの震える身体を見て、あのときの事を思い出した。上級ダンジョンでグラプに追い込まれたときの事だ。


 あのとき、僕は助けを求めた。居るか分からない冒険者に、必死な思いで叫んだ。ひとえに僕とウィストさんが助かるために。

 だが後ろにいるフィネさんは違う。自分の事ではなく、僕が助かることを願っている。自分の命を二の次にしているのだ。


 不敵にも笑ってしまった。どんだけお人好しなのだ。

 僕は立ち上がってワーラットに向き直る。ワーラットは前進し、僕の目の前で止まる。心なしか、ワーラットの顔が笑っているように見えた。追い詰めたと思っているのだろう。


 たしかに、僕にとっては絶望的な状況だ。背後にはフィネさんがいて、僕が攻撃を避ければ棍棒は少女に当たる。盾で受ければ一撃目は耐えられるものの、二撃目で僕は死ぬ。二つの選択肢があった。


 だが最初から、どっちを選ぶのかは決めていた。

 底辺冒険者である僕を命の危機から救ってくれた人の背中が、脳裏から離れなかった。一人は自分の命を顧みずに、一人はそれがさも当然の様に僕を助けてくれた。そのとき僕は、言葉に出来ないほどの安心と幸福を感じた。

 きっとフィネさんも、助かることを望んでいるはずだ。しかし僕の不甲斐なさを見て、再び絶望している。それは僕の責任だ。


「大丈夫。必ず、助けるから」


 フィネさんだけではなく、自分にも言い聞かせるつもりの言葉だった。あのとき、英雄が僕を助けてくれたように、僕もフィネさんを助けたかった。


 僕は盾を構えて、ワーラットの攻撃に備える。避ける気は全く無かった。盾が壊れようと、腕が折れようとしても耐えてやる。

 ワーラットは右手で棍棒を振るった。棍棒の軌道を見て受け止めるが、予想以上の衝撃だった。攻撃した隙を見て反撃しようと思ったが、盾を持つ左手が痺れて碌に動けない。

 続けてワーラットが左手の棍棒を持ち上げる。再び盾を構えるが、やはり痺れが残っている。


 棍棒が振り下ろされた瞬間、走馬灯のように、以前の記憶が頭をよぎった。

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