第5話

 フィネさんに食事を振る舞ってもらってから二週間が経った。

 朝、冒険者ギルドに行くと、依頼の受付をするカウンターの前にララックさんが立っていた。いつもはララックさんが働くアルチ商店で会うことが多いので、ここで会うことは極稀である。しかも依頼の受付をしているということは、何か依頼を出すのだろうか。少し興味があった。

 近寄ると僕に気付いたララックさんが、「あら、久しぶりね」と挨拶をしてきた。


「お久しぶりです。依頼なんですか?」

「えぇ、そうよ。ちょっと必要なものがあるのよ」

「お待たせしました」


 喋っていると、依頼受付を担当していたギルド職員が割って入る。手には掲示板に貼られるものと同じ依頼書を持っていた。


「依頼の受付が完了しました。こちらの依頼でよろしいですか?」

「……えぇ、大丈夫よ。これでお願いするわ」


 依頼書の内容を読んて確認した後、ギルド職員が一例をする。間もなくすると、依頼書が掲示板に貼られるだろう。ララックさんがどんな依頼を出したのか、興味があった。


「どんな依頼なんですか?」

「あら、興味があるの?」


 頷くと、ララックは説明を始める。


「ただの素材集めよ。『ヌベラ』という薬草で、塗り薬に使われるものよ」


 聞いたことのある名前だった。よく使用する塗り薬に、その名前の薬草が使われているという話を聞いたことがある。僕以外にも使っている人がいるので、需要の高い薬草だろう。ただ、その薬草の生息地帯が気になった。


「けど今だと、なかなか依頼を受ける人が現れないかもしれませんね」


 ここ最近、マイルスダンジョンに入る人が減っている。それは、モンスターの生態系が乱れていることが原因だ。上階層はともかく、下階層に行く者は極僅かである。そのうえ、近々ヒランが調査を行うというのだから、それが終わるまでは大人しく待とうと考えるものが多かった。

 それまでの間、多くの冒険者はダンジョンに入らずに済む依頼を受けて金を稼いでいるので、そういった依頼は掲示板に貼られると瞬時に消える。一方でダンジョンに入る必要がある依頼は長く残る。下級ダンジョン向けの依頼は、大抵一週間で受託する者が現れるが、ここ一ヶ月は二週間たっても受託されないことが多い。

 しかも今回のララックさんの依頼が下階層に行く必要があるものなら、依頼を受ける人がすぐに現れないことが僕でも分かる。


「急ぎの依頼ですか?」

「……いえ、そんなことはないわ。けどそういうことなら、のんびりと待つことにするわ」


 なんでも無さそうな表情で言ったが、そのセリフを言う前にほっとした表情になったのを見逃さなかった。依頼を受ける人がいないのに、そんな表情をするのは妙だ。

 少し探ってみることにした。


「じゃあ、僕が受けます。いいでしょ?」

「え?」


 ララックさんが困惑する珍しい顔が見られた。眉が上がり、目を真ん丸と見開いた表情は、滅多に見られないものだった。これほど驚くとは、言う甲斐があったというものだ。

 しかし、その表情を見れたのは一瞬だけだった。


「別に無理しなくてもいいのよ。ヌベラはマイルスダンジョンでは主に七階層以下に生えている素材だから、あなたには難しいわ」

「七階層、ですか?」


 生息地帯を聞いて、すぐに無理だと悟った。まだ僕は六階層目で足踏みしている現状だ。七階層目はとてもじゃないが無理だ。


「だから受ける必要は無いわ。のんびりと待つことにするから」


 僕の様子を察したララックさんに引導を渡された。無理だと判断していたので、特に反論すること無く引き下がった。


「……あと、依頼とは関係ないことだけど」


 眉をひそめながらララックは話す。これも、あまり見られない表情だった。


「あなた、危険指定生物って知ってる?」


 唐突に関係ない話題が出される。もちろん知っているので、僕は迷わずに頷いた。


「そう。ならマイルスの近くに居る可能性がある危険指定生物を、何か知ってるかしら?」

「居るんですか?」

「居る、と思われるモンスター、よ。居るかもしれないし、居ないかもしれないわ。で、知ってるの?」


 若干イラついているような声だった。少しびびってしまい、勢いよく首を横に振る。ララックは呆れた顔をして溜め息を吐く。思わず「すみません」と謝ってしまった。


「知っておきなさい。知ってて損はしないから」


 そう言ってララックさんは、僕に背を向けてギルドから出て行った。普段のララックさんとは違う様子に戸惑いながらも、僕はその背中を見送る。


「依頼、受けるんですか?」


 ララックさんの依頼を受け付けた職員が、僕の声を掛ける。さっきの話を聞いていたらしい。首を横に振ると職員が依頼書をしまおうとした。


 そのとき、その依頼書が他の依頼と違う点を見つけた。依頼内容を書くスペースの横に、赤い文字で書かれた判が押されていた。


「あの、これは?」


 その判を指差して聞くと、職員は慣れた様子で答えた。


「それは『緊急』と書かれてます。なるべく早いうちに依頼を受けて達成してくださいという意味です」

「早めに、ですか……」


 ララックさんはさっき、「のんびり待つ」と言った。しかし依頼書には『緊急』と書かれてある。矛盾した内容に首を傾げる。僕を気遣ってそう言ったのか?


 不可解な言動の理由を考えていると、後ろから肩を叩かれたのに気付いた。

 振り向くと、そこにはにこやかな顔のウィストさんがいた。


「さぁ、冒険に行こうか」


 その言葉には、有無を言わせない威圧感があった。




 一週間前、ついにウィストさんが退院した。

 退院初日こそウィストと会って話はしたものの、一緒にダンジョンに行くことは無かった。まだ目的が達成できていない今、ウィストさんとは顔を合わせづらかった。

 初日以降は会わない様にウィストさんが冒険者ギルドにいる時間を避けていた。幸いにも偶然ギルドで見かけたとき、僕に気づかずにギルドから出て行くことがあった。スキップしていたところを見るに、余程ダンジョンに行くのを楽しみにしていたのだろう。


 結果として、ウィストさんの誘いを受けたのは正解だった。

 僕は六階層目のモンスターの攻撃に悩まされている日々が続いていた。攻撃の捌き方を色んな方法で試しているが、どれもしっくりと来なかった。盾で防いだら攻撃をする暇がない。避けてもすぐに捕まりそうになる。進展の無さに少し嫌気が差していた。

 だから六階層目のモンスターを相手にするとき、自分一人のときと違ってサポートしてくれる存在がいるのは心強かった。


 盾をモンスターに弾かれたときや、モンスターの攻撃に受けて二撃目を食らいそうなとき、ウィストさんが前に出て反撃してくれるからだ。お蔭で六階層目のモンスターを相手に、何度も盾の練習が出来た。

 それに、もう一つおまけがあった。


「では退院記念に、この依頼を受けてみたらどうですか?」


 フィネさんが僕達に依頼書を差し出した。それは五階層目での素材集めだ。食用のキノコを二十本集めるという依頼内容で、報酬もそれなりに良さそうだった。しかも最大三十本まで買い取ってくれるというおまけつきだ。

 必要以上に支援されるのは避けたかったが、ウィストさんの退院祝いなら僕が断るというのも変な話である。文句を言わず、その依頼を受けることにした。


 マイルスダンジョンの六階層目に入ってから二時間、盾の使い方のコツをつかめずに疲弊して休んでいたが、ウィストさんの声と共に腰を上げた。

 依頼の方はすでに終わっている。ウィストさんのバッグに依頼の品を全部入れていた。後は気が済むまでダンジョンに入ってモンスターを狩るだけだった。

 上手くいかないことに悩みながらも、気を取り直して再びダンジョンを歩き始めた。


「どう? 調子は」


 平然と聞かれたくないことを聞いて来る。つい苦笑いをしてしまった。


「いやー、全然だめだね。ここ最近はずっと練習してるんだけど、思っていた以上に難しいや」

「そっかー。盾と剣の使い方は違うもんね」

「受けるだけで良いと思ったんだけど、思っていた以上の衝撃が来るからきついんだよね」

「ふーん。じゃあ、これはどう?」


 ウィストさんは剣で横に払うような身振りをする。左右の手で交互に繰り返すと、「ほら」と言ってこっちを見る。剣で攻撃を弾いているのか?


「攻撃を弾くのはやったけど、重量感のある攻撃は無理だったなー」

「弾くんじゃなくて、受け流すの。こう、盾の上を滑らせるようにして」


 僕の盾を触りながら説明をする。そういえば攻撃を受け流すことはまだ試していなかった。やってみるのも良いかもしれない。


「そういえば、何で盾を使うことにしたの?」


 盾の使い方を考えていると、ウィストさんが疑問をぶつけて来る。入院している間に、知り合いが武器を変えていたら気になるのは当然だろう。


「僕は動きが鈍いから、避けて戦うより、攻撃を受けて反撃するスタイルの方があってると思ったんだ。それだけだよ」

「ふーん。ホントに?」


 ウィストさんの追究に「そうだよ」と短く答える。


「なーんだ。てっきり誰かに影響されて始めたのかと思ったのに」


 図星を突かれたが、何とか表情に出ない様にぐっとこらえた。

 さっき言ったことも事実だが、一番の理由は〈王殺し〉と呼ばれるソランさんの戦いぶりを見たからだ。

 たった一人で、ソランさんの背丈の何倍もあるモンスターと戦って倒す姿を目の当たりにしたのだ。憧れるなというのが無理な話だ。


「そういうウィストさんは、誰かに影響を受けたこととかあるの?」

「あるよ」


 隠すこと無く肯定した。


「冒険者になった理由は前に言ったけど、それ以外にあるよ。これとか」


 ウィストさんは二つの剣を片手ずつで握る。片手剣より短く、短剣よりも長い同じ剣を、二つ持って戦うのがウィストさんの戦い方だ。


「昔、街で会った女性冒険者が同じ戦い方をしてたんだ。名前は聞き逃しちゃったけど凄い人なんだよ。私よりなぁんばいも大きなモンスターを一人で倒しちゃったんだから」


 ウィストさんも僕と似たような影響を受けていたようだった。無邪気に語る様子に、ついほころんでしまう。


 入院して会話してから、ウィストさんに対して親しみを感じていた。冒険者としての適性が高いこと以外は、普通の人と変わらない点が多いからだ。

 前向きな考え方や人当たりの良さ、頼もしいところと仲間を大事にするところは他の冒険者も持ち合わせているものだ。冒険者でないときのウィストさんは、その辺にいる少女と何ら変わりのない存在だ。


 そう考えると、ウィストさんに抱いていた劣等感が薄れていた。冒険者としては相変わらず僕の方が劣っているが、ウィストさんの素が普通の少女だと知っていると、劣等感を抱くのが馬鹿らしくなった。そう開き直ると、途端に気が楽になった。


「ま、ウィストさんならすぐに同じことができると思うよ。なんたって期待のルーキーだからね」

「ちょっとぉ、褒めても何も出ないよ?」

「いや、出来るさ。本気でそう思っている」

「……なんか、変わったね。何かあったの?」


 ウィストさんはしみじみとした口調で言った。


「変わってないと思うよ。けど、もし変わっているとしたら、それはウィストさんのお蔭だと思う」


 ほんの小さな願いのためだった。他人から見ればくだらないと言われるような望みだったが、それを叶えたかった。そのために僕は、あらゆる手段を使った。

 ララックさんに頼んで依頼を紹介してもらい、節約のために宿泊費を削って野宿をし、短時間で金を稼ぐために複数の依頼を受託した。そのお金で武器を新調して、ダンジョンの下層に挑んだ。願いを叶えるために、力と実績が必要だったから。


 だがその願いは、まだ叶えられそうにない。

 一ヶ月のブランクがあったとはいえ、未だにウィストさんは僕の前を進んでいる。僕はその後ろを必死に走っているが、まだ追いつけていない。

 だから僕はまだ変われていない。昔のままだ。


「ふーん、そっかー」


 ウィストさんは少しの間だけ寂しそうな表情をしたが、またいつもの明るい表情に戻る。


「けど、いろいろと変わったよね。ダンジョンに入る冒険者が少なくなったし、なんか寂しいなーって」

「……そうだね」


 ダンジョンに来る人が少なくなった理由は知っていた。それは、最近下層にいるモンスターが積極的に上の階層に現れてくるようになったからだ。

 元々下層を活動拠点としている冒険者はともかく、上の階層で活動している冒険者にとっては死活問題だ。上の階層にもモンスターはいるが、脆弱で襲われても簡単に逃げ切れるモンスターしかいない階層だ。そこに命を脅かすモンスターが来ると知ったら、命知らずの冒険者ぐらいしかダンジョンには入らないだろう。


 下級ダンジョンに来る冒険者の半分以上は、四階層目より上の安全な階層で活動している者が多い。故にその階層で問題が起きると、途端にダンジョンの利用者は激減してしまう。

 今の僕にとっては気にすることではないが、復帰したばかりのウィストさんからしてみれば不思議に思うのも仕方がないことだ。


「最近、モンスターの活動が激しいからね。危ないから収まるまで、ダンジョンに入るのを避ける人が多いんだよ」

「……冒険に危険はつきものでしょ?」

「ほとんどが兼業冒険者だからね。不用意な怪我して、本業に支障をきたしたくないんだよ」

「そういえばそんなこと言ってたねー。ま、怪我しないのが一番だよね。私も入院中は退屈で死にそうだったし」

「うん。それはごめんなさい」

「あー、違う違う。今のはそんなつもりじゃないから」


 ウィストさんが慌てた様子で否定する。その話題が出されたときはひやっとしたが、本気で言ったわけじゃないと分かってほっとした。


「大丈夫、分かってるから」

「ホントに? それならいいんだけど……。あ、そうそう」


 突如、話題を変えようとする。世間話をしながら歩くのは好きだから良いが、よく話題が尽きないものだと感心した。


「あの依頼受けた? 護衛のやつ」

「……あぁ、あれね」


 ウィストさんが復帰した翌日、冒険者ギルドに大型の依頼が到来した。マイルスの北に位置するアーゼロ町までの護衛依頼。護衛対象は商人の馬車三両と定期便一両だ。

 普段は傭兵ギルドが受けるような依頼内容だ。護衛任務は冒険者よりも傭兵達の方が慣れているので傭兵に任せた方が安全だが、一方でその経験とノウハウの分だけ依頼料が高い。その経費を節約するため冒険者ギルドに依頼を出したらしい。


 実際、今までにもそういう理由で依頼を出されたことがあり、近年で護衛に失敗したこともないので、そういう依頼があっても不思議ではない。

 ダンジョンに入らないうえ報酬金も高い依頼なので、あっという間に提示された募集人数に達した。


「私、あの依頼に参加することになったからさ、もし受注出来てたら一緒に組もうかなーって思って」

「あー、残念だけど僕は参加できないんだ。魅力的な依頼だったけど、僕が見たときにはもう募集が終わってたから」

「そっかー……そりゃあ残念」


 残念そうな顔をしていたが、僕は少しだけほっとしていた。

 まだ僕にはウィストさんと一緒に戦えるような実力も資格も無い。今は盾の練習中で、ウィストさんが僕を教えるという上下関係がある。そう考えるとウィストさんと一緒にダンジョンにいることは苦ではない。

 しかし依頼中では対等の立場として依頼達成を目指さなければならない。だから今のような未熟な腕前で一緒に戦うことは避けたかった。

 せめて盾を十分に使いこなせるようになってから、ウィストさんと共に戦いたかった。


 僕の意図を知らず、ウィストさんは歩調を変えずに歩いている。しかし、ふと何かに気付いたように「そういえば」と声をあげた。


「モンスター、いないね」

「……たしかに、いないね」


 三十分間、ずっとモンスターを探して歩いていたが、まだ一匹も見かけなかった。いつもなら十分歩いたら遭遇するのだが、ここまで遭わないのは少し変だ。

 自然と、ウィストさんとの会話が途切れた。ウィストさんも違和感を感じたのだろう。互いに、武器を握る手に力が入る。


 警戒しながら歩き続けると、下層に続く道を見つけた。緩やかな下り坂になっており、進むと七階層に行くことができる。しかし、今日は七階層に行く予定は無い。

 ウィストさんが僕の顔を見て、「行く?」と聞いて来るが、僕は首を横に振る。六階層目のモンスター相手に勝つことができないのに、七階層目に行くのは自殺行為だ。

 しかも七階層は、先日背を向けて逃げた相手のワーラットが生息している階層だ。まだワーラットに勝てる自信は無い。


 無謀な事をして危険な目に遭い、ヒランさんに失望されるのはもう御免だ。

 だから六階層目を踏破するまで、七階層目に行くつもりは全くなかった。

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