第4話
モンスターの死骸を一匹だけ担いでダンジョンを出たときには、既に日が暮れていた。
半日以上ダンジョンにいたせいで、いつも以上に服は汚れ、体力も限界だった。欲張ってモンスターを持って帰るのは止めていた方が良かったかもしれない。
しかし、持ち帰って来たものは仕方がない。街までは遠くは無いので、気力を振り絞って歩き出す。今日の成果を少しでも目に見える形に残すべく、六階層目のモンスターを担いで街に向かった。
五階層目に挑んでから二週間、五階層目を突破し六階層目に挑戦していた。
初日こそ、七階層目のモンスターであるワーラットが五階層目に来るというトラブルがあったものの、その日以降は順調に五階層目を攻略できた。
五階層目のモンスターは手強かったが、ワーラット程では無かった。四階層目までのモンスターより早く鋭い攻撃を繰り出すが、盾で十分対応できる程度の速さだった。防御手段も似たようなレベルで、僕の攻撃が効かないというほどの頑丈さも無く、攻撃が当たらないというほどの俊敏さは無かった。
もちろん、四階層目までのモンスターよりも素早いため捉えるのに苦労したが、どっしりと構えて盾で受ければあまり疲れずに対処できた。
結果、五階層目はそれほど苦労もせずに五日で踏破した。
問題は六階層目だった。五階層目のモンスターより動きは遅いが、攻撃手段が厄介だった。ワーラットより重い攻撃や、手数の多いモンスターが多く生息していた。必死に盾を使って身を護るが、反撃する余裕が無い。手数の多いモンスターは、攻撃して疲れたところを狙って反撃できる。しかし重い攻撃を繰り出すモンスターに対しては、碌に反撃が出来なかった。
盾で受ければ、受けたときの衝撃に耐えきれずに後ろに下がってしまう。耐えきって受けきったとしても身体が痺れてすぐに反撃が出来ずに、攻撃をしたときにはモンスターはすでに防御の姿勢をとっている。
避けてから反撃することも試みたが、避けてから攻撃するとなると、僕のリーチだと腕や足にしか届かない。攻撃してもたいして効いているようには見えなかった。胴体を狙おうとしたが、そのためには懐に入る必要がある。僕の足では近づくことはできても、そこから逃げるのが難しい。逃げようとしたときに捕まえられるのが簡単に予想が出来る。
盾を持っているのなら、近づいて攻撃を盾で受けた後に少しだけ踏み込んで攻撃し、すぐに元の位置に戻って次の攻撃を受ける、という行動が比較的安全だ。僕の場合、攻撃を受けたあとに反撃するというのが厳しかった。
その課題を抱えたまま六階層目に挑んで九日目、今日も手応えが無いままダンジョンを出ていた。
六階層目のモンスターは、まだ一日に一匹程度しか倒せない。それ以上のモンスターと戦おうとするもんなら、すぐに僕の体力が尽きてしまう。何とか解決策を見出したかったが、何も思い浮かばなかった。
冒険者ギルドに戻ったときには、食堂が人で賑わっていた。この時間帯はいつもそうだ。仕事を終えた冒険者達が、食事をしながら自分や仲間を労い、今日の疲れを癒している。
その賑わいのなかに入らずに、僕は受付でモンスターを買い取って貰う。最近は節約のため、ギルドの食堂で食事をとることが無くなった。量も多く美味しいのが特徴だが、その分値段は張る。だから量が少なくても、値段が安い食料を買って晩御飯にすることにしていた。もちろん、腹が膨れるわけがない。
腹一杯食べたい欲求を我慢して買い取りをしてもらう。買い取りが終わってお金を受け取るとすぐにギルドを出ようとした。
「ヴィックさん、待ってください」
聞き慣れた声に呼び止められる。振り返るとフィネさんが僕の方に歩いて来ていた。ただ、いつもと様子がおかしかった。
周囲の様子を窺いながら歩き、手を伸ばしたら届く距離にまで来て止まる。いつも話す時より近い位置だった。
「今日はもう終わりですか?」
しかも声が小さい。大声で話をする普段との差に戸惑ってしまう。
「そうだけど……どうしたの?」
「じゃあ一緒に食事をしませんか?」
突然の誘いだった。同年代の女性に食事に誘われるのは初めてだ。嬉しい気持ちがこみ上げてくる。
しかし、
「ありがとう。けど、僕と一緒だと何言われるか分かったもんじゃないから……」
僕は誘いを断った。
本当は是非とも一緒に食事をしたい。だが今の僕はハイエナと呼ばれている冒険者で、フィネさんは冒険者ギルドの職員だ。特定の冒険者、しかも評判の悪い僕と一緒にいると、フィネさんの評判が下がってしまう恐れがある。
僕に良くしてくれているフィネさんに迷惑をかけたくはない。だから断腸の思いで断った。
しかしフィネさんは「大丈夫です」と言って僕の断りを断った。
「ばれない場所での食事ですから問題ありません。というわけで北門の近くで先に待っていてください」
そう言ってフィネさんは職員用の部屋に入った。反論する時間すらも与えられ無かった事態に頭を悩ませた。
あの様子だと僕と食事をする気満々だった。待ち合わせ場所に行かずにフィネさんを待ちぼうけさせるのは、想像するだけで心が痛む。
僕は冒険者ギルドを出て、待ち合わせ場所に向かった。
北門で待っていると、冒険者ギルドの方向からフィネさんが歩いてきた。僕に気付くと笑顔を見せて近づいて来る。
「お待たせしましたー」
ギルドで見る服装とは違っていた。茶色の上着と黒いズボンの地味な色合いの服だ。目立たなくて済むので有り難いことだ。
「えっと、ホントに行くの?」
「もちろんです。何か用事でもありましたか?」
「ある」と言って断りたかったが、フィネさんを相手に嘘を吐くのは気が引ける。もし言ったとしても、問い質されたら嘘がばれる可能性がある。正直に「ない」と答えた。
「良かった。じゃあ行きましょっか―」
フィネさんが僕の前を歩き始める。ただ、行く前に確認したいことがあった。
「どこの店? 高いのはちょっと遠慮したいんだけど……」
情けない話だが食事にもあまりお金を使えない状況だ。ギルドの食堂でも食事をしないように節約しているので、できるだけ安い料理で済ませたかった。
「気にしなくても良いですよ。今日はご馳走しますので」
「いや、さすがに奢って貰うのは気が引けるというか」
「違いますよ」
フィネさんが不思議そうな顔で僕を見つめる。今の口ぶりだと奢る様な言い方だったが。
「私の家で手料理を振る舞いますので、思う存分食べていってください」
「フィネさんの家?!」
つい大声で驚いてしまったが、フィネさんは平然と「はい!」と答える。同年代の女性の家に行くなんて初めてだ。
しかし異性の僕を家に招いても大丈夫なのか?
「僕が行っても良いの? 家族になんか言われるんじゃあ……」
「それも問題ありません」
フィネさんは自信有り気に答えた。
「だって、今日は私以外家にいませんから」
僕はフィネさんの危機感の薄さが心配になった。
「……つまり、家には僕とフィネさんの二人きりってこと?」
「はい! みんな今日は用事で遅くまで帰れないんです」
「何の心配もしてないの?」
「心配? ……あぁ、なるほど!」
フィネさんは合点がいったような顔をした。
「ヴィックさんなら大丈夫だと思ってますから。誰にでも家に呼んでいる訳じゃないのでご安心を。それに―――」
「それに?」
「実は痛み始めた食料が大量に残ってるんです。私だけじゃ食べきれないので、どうせならヴィックさんに食べてもらおうっかなーと思って」
残り物を処理してもらうという口実に後ろめたい気持ちがあるのか、気まずそうな表情をしている。だが、そういう理由なら納得だ。残り物を食べてもらいたいという理由だと、良い顔をして招待される人はいない。
けど僕みたいに食べるものを確保するのに苦労している人間なら話は別だ。常に腹を空かしているので、多少食材が痛んでいても気にしない。空腹は最高のスパイス、という言葉があるほどだ。フィネさんは食料を無駄にすることが無い、僕は食費が浮くというお互いに利がある取引だ。
「分かった。そういうことならお呼ばれするよ」
「はい! お腹いっぱい食べていってください!」
フィネさんは嬉しそうな顔をして、いつものような元気な声で答えた。
十分ほど歩くと、フィネさんの家に到着した。小さい石造りの家が並び立っている区画にあり、フィネさんの家も同じような造りだ。
フィネさんがドアを開けて入ると、僕も続いて中に入った。家の中は予想通り狭く、中央にテーブルと四つの椅子が置かれ、壁際に台所があるだけだった。奥には別の部屋があるが、フィネさんにテーブルの椅子に座るように促されたので何の部屋なのかは分からなかった。
「じゃあ料理を作りますので待ってくてださい」
フィネさんは台所に立って料理を始める。色んな食料を用意して次々と切っていき、鍋ではスープを作っていく。切った野菜と肉をフライパンで焼き始めると、良い匂いが部屋中に漂ってきた。
三十分ほど待つと、テーブルに料理が並べられる。蒸かした芋と野菜のスープ、そして大量の野菜炒めだ。具がたくさん入っていておいしそうだ。
「じゃあ、召し上がってください」
前に置かれた料理の匂いを嗅いで、もう我慢が出来なかった。
「いただきます」
フォークとスープを使って次々と料理を口に運ぶ。サリオ村に居たときも食べたことがある定番料理だが、叔母さんが作ったものよりはるかに美味しい。
「すごい、美味しい」
「ありがとうございます。作った甲斐がありました」
満足げにフィネさんも料理を口にする。「うん、美味しい」と自分が作った料理を自画自賛しながら。
全ての料理を平らげると、満腹感が身体を支配した。こんなに満足できる食事をしたのはいつ以来だろう。
「満足そうでなによりです」
フィネさんが微笑みながら食器を片付ける。テーブルから食器をのけると、僕の前に紙袋を置いた。
「これ、明日の朝にでも食べてください。残り物です」
「これも痛んだものなの?」
「え……は、はい!」
目が泳いだのを見逃さなかった。紙袋の中を開けるとパンが二つ入っている。指で軽く押してみると、まるで買ったばかりのような弾力があった。
フィネさんの方を見ると、明らかに気まずそうな顔をしていた。どう見ても、これは痛みかけた食品ではない。料理中、用意された食材も腐りそうな品はあまりなかったように見えたが、料理を美味しくするために安全な食材も出したと思ったのだが……。
「あの口実は、僕に食べてもらうための方便だったってことか……」
フィネさんは申し訳なさそうに「ごめんなさい」と謝罪の言葉を口にした。
少し、惨めな気持ちになった。
ただご馳走されるだけならフィネさんに迷惑がかかると思って遠慮したが、お互いに利あると判断して誘いを受けた。しかし実態は僕に食事をしてもらうための嘘だった。
フィネさんがこんな嘘を吐いた理由、それが分からない程の間抜けではない。
「そんなに、僕が可哀想に見えたの?」
他の冒険者からハイエナと呼ばれ、薄汚い服で生活をしている僕は、確かに情けなく見える存在だろう。だが僕を侮蔑の目で見る人が多いなか、フィネさんだけは変わらぬ態度で接し続けてくれた。どんな冒険者に対しても分け隔てをしない人だと思っていた。
しかし、実際には僕を憐れんでいただけだったのか。種類は違えど、僕を下に見る人達と同じ考えだった訳か。
自分が情けなくなって、いたたまれなくなった。フィネさんの家から出ようと思い、椅子から立ち上がった。
「違います!」
フィネさんの否定の言葉を聞いて、足を止めてしまう。
「いいよ、無理しなくて。けど必要以上に僕に親切にしたら、フィネさんだって何言われるか分かったもんじゃないよ」
僕自身はああだこうだ言われるのは慣れているが、フィネさんが同じ目に遭うのは見ていられない。警告をして僕を遠ざけるように促した。
にもかかわらず、「かまいません」とフィネさんは言った。
「ヴィックさんを見捨てるつもりは、全くありません」
表情から、断固たる意志が感じられた。ちょっとやそっとじゃ、考えを変えるつもりは無さそうだった。
「よく考えてよ。ギルド職員は全ての冒険者に対して公平なサービスを提供しなきゃいけない。けどフィネさんの行動はそれに反している。相手がギルドにとって有益な存在なら、贔屓する理由を他の冒険者達は納得するかもしれない。けど僕みたいな底辺冒険者を特別扱いしていることがばれたら―――」
「私はヴィックさんを支えたいのです。損得を考えたつもりはありません!」
「じゃあ恋心でも抱いちゃったのかい? だとしたらそれは間違いだ。将来性のない僕に惚れてもお先真っ暗だ」
「それも違います。仮に恋したとしても、引くつもりはありませんけど」
「じゃあなんでだ? 何でそんなに僕に優しくしてくれるの?」
フィネさんは言葉と詰まらせたが、少し待つと口を開いた。
「私には、妹がいます」
「妹?」
「はい。とても優秀な妹です」
誇らしげな表情をして語り始める。
「二つ年下ですが、私よりも頭が良いんです。今はフローレイ国立学校の生徒として学校に通っています」
聞いたことのある学校名だ。フローレイ国立学校は国で一二を争うほどの入学と卒業が難関な学校で、卒業生は全員給与の高い城での仕事が約束されているという話だ。
「私が住む区画は貧しい人たちが多くて、字の読み書きができない人が多くいます。だからフローレイ国立学校に通えるなんて前代未聞の話なんです。入学が決まった当時、両親や親戚だけじゃなく、近所の人達がみんな妹を褒めてました。天才だ、凄い才能の持ち主だって。
けど、妹は天才ではありません。ちょっとみんなよりも頭が良いだけの子供なんです」
フィネさんの話を聞いて違和感を覚えた。いや、違和感というよりも既視感か?
「妹は将来、私達家族を楽にするために勉強をしたんです。当時、十二歳の妹は起きている間はずっと机に向かっていました。私が同じ歳のときは仕事をしたり、暇な時間があればずっと遊んでいたんですけど。
当時は入れるか分からない学校のための勉強ばかりをして仕事をしない妹に両親は悩んでいました、妹が私達のために頑張っていると聞いた時にはそんなことを思わなくなり、むしろ応援をしてました。周りからは妹を働かせるように促されたり、どうせ受かるわけないって言われてたんですが、そんな雑音にも負けずに妹は入学することができたんです。
それが、私がヴィックさんを支える理由です!」
フィネさんはそう言い切ったが、フィネさんの妹と僕をどう結び付けたのか、その理由が分からなかった。
「えっと……つまりどういうこと?」
「単純な話です。妹と同じように、頑張っている人を応援したい。だからヴィックさんを応援してるんです!」
「僕以外にも頑張っている人はいるけど……」
「はい。もちろんその方々も応援しています。ただヴィックさんは、以前の妹と似ているんです」
「似ているって、どこが?」
「その目です」
僕の目を指差して断言した。
「絶対に達成したい目標がある。妹がそう言っていたときと同じ目をしています。だからヴィックさんも同じだと思ったんです。妹と同じ目をした人を見過ごすなんて、私にはできません。
だから私は、絶対にヴィックさんを助けます!」
フィネさんの目から、揺るぎない意志を再び感じた。どんなことがあってもやり遂げると、口に出さなくても伝わってきた。
僕がフィネさんを危険な目に遭わせたくないと考えていたと同じで、フィネさんも僕を支えるという固い意志を持っている。
その意志を覆す術を僕は知らなかった。
「……今日は帰るね。ごちそうさま」
フィネさんの行動を阻害することは出来ない。かといって逃げることも難しい。依頼の報告や素材の買取で毎日冒険者ギルドに立ち寄るので、避けることはほぼ不可能だ。
黙ってフィネさんの好意を受け入れるしかなかった。
「はい。また明日」
フィネさんの言葉を背に受けて家を出た。
フィネさんが悪く言われる前に、一人前の冒険者になる必要がある。
頑張る理由が、また一つ増えてしまった。
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