第2話

 目の前にいる男性は、落ち着いた様子でフォラックの死骸を調べていた。頭から尻尾まで、身体に穴が開きそうなほどの眼力で見ている。真剣な空気を感じ取り、身体に緊張が走った。


 鑑定を終えると、「ふむ」と短く息を吐く。次に自分の頭を掻きながら、手元に持っていた羊皮紙を見始める。チラッと見えたとき、何やら数字が細かく書かれていた。


「このフォラック二匹なら、合計三十シルドといったところかな」


 安い、と心の中でつぶやいた。

 フォラック一匹の相場は、およそ二十五シルドだ。二匹でその値段や安すぎる。買い叩こうとしているのではないか。


「三十ですか?」

「あぁ、相場より安いね。何故だか分かるかい?」


 頭を左右に振ると男性が説明を始める。


「それは、こいつらはまだ子供のように小さいという点だ。大人なら体長は平均一.五メートルはあるが、これは一メートル程度しか無い。取れる毛皮の量が少ないのが安い理由の一つ。それに子供は毛皮の質が良くない。フォラックは大人になるにつれて綺麗な毛並みになるのが特徴で、流通するフォラックの毛皮のほとんどがそれだ。故に、子供の毛皮はあまり売れない。だからこの値段だ」


 「理解できたか?」と言わんばかりの表情だった。若干イラッとしたが気持ちを抑え込む。

 言われた通り、事前に調べたフォラックの体長よりかは小さかったが、素人の僕でも分かるほどの毛並みの良さだったので、ここまで安くなるとは思わなかった。玄人ならではの見極め方でもあるのだろうか。


 しかし、このまま引き下がるわけにはいかない。フォラックの買取額が僕の依頼の報酬金に反映するため、できるだけ値段を上げる必要がある。

 だがそれだけではない。


 僕は少しだけ視線を左に向ける。そこにはソファがあり誰も座っていないが、さっきまではララックさんが座っていた。しかし用件を目の前の男性に伝えると、僕に一言だけ言って部屋を退出した。「交渉は任せるわ」と。

 つまり、男性の言う通りにフォラックを売るのではなく、値段を交渉したうえで売りなさいということだ。


 僕は深呼吸をしたあと、男性の目を見た。


「いえ、この値段じゃ売れません」


 交渉を始めた。




「あら、その様子だと駄目だったようね」


 店を出たところ、ララックさんに話しかけられた。店の前で待ってくれていたようだ。


「……分かります?」

「その表情が演技なら、役者を目指すことをお勧めするわ」


 相当な自信があるらしい。どうやら役者の才能は無さそうだ。

 歩きながら交渉の事を話す。結局、最初に提示された価格から二シルドしか値上げできなかった。ララックは僕の話を頷きながら聞いていた。


「結局のところ、交渉材料? っていうのがなかったんです。それであまり値上げが出来なくて」

「そうねぇ。今回の失敗は準備不足が原因ね。特に知識の、ね」

「そうですね。もっと価値があるフォラックを狙っていれば」

「あら、それは違うわよ」


 即座にララックさんに否定される。


「違うって……成長したフォラックを狙えば良かったんじゃないんですか?」

「事前に情報を得て狙いを絞るのは悪くないわ。けどその情報が全てとは限らないわ」

「嘘が混じっているってことですか?」

「えぇ。情報には真実と嘘が入り混じってるの。その中から真実だけを選ぶのは、その道の玄人でも難しいわ。だから商人は、自分にとって都合の良い情報だけを相手に渡すの」

「都合の良い情報って?」

「さっきの交渉が良い例よ」


 先程した交渉内容を思い出す。しかし、どこもおかしい点は無いと思っている。

 必死に考えたが、「はい、時間切れ」と言ってララックさんに考える時間を打ち切られる。


「正解は、持って来たフォラックとは関係無い真実を話していたことよ」

「え? けどあのフォラックは……あっ」


 言われてやっと気づいた。そういえばあの人は、子供のフォラックは安いということを話していた。しかし、持って来たフォラックが子供だとは一言も言っていない。「子供のように小さい」と言っただけだ。


「あのフォラックは、身体は小さいけど大人だった?」

「そうよ。身体が小さいのは雌だったからなの。雌のフォラックは大人になっても雄ほど大きくはならないけど、代わりに毛並みが綺麗よ。だから雄のフォラックと同様、いえ、それ以上の値段が付く個体もいるわ」

「もしかしてさっきのフォラックは……」

「少なくとも、相場以上の値段はつけられたわ。それも二匹とも、ね」


 つまり僕は、最低でも五十シルドで売れたはずのフォラックを、十八シルドも安い値段で売ってしまったということだ。


 今日一番の大きな溜め息を吐いた。だが溜め息を吐きたいのはララックさんも同じはずだ。


「すみません、ララックさん。もっと僕が準備をしていれば」


 依頼主であるララックさんに謝罪するが、本人はいたって平然としている。


「いいのよ。今回私は一ブロドも損をしていないし、本来の目的はもう終わっているから、ね」


 今回の依頼は、僕への授業をかねたダンジョンの生態調査が目的だった。

 ここ最近、モンスターの活動期とはいえ階層を越えるモンスターが多い。しかも、二階層以上を跨いで移動するモンスターもいる。冒険者だけではなく、ララックさんのような商人の耳にも入っていた。


 ララックさんはその機を狙って儲けようと考え、実際の生態がどうなっているのかを調べようとした。それがフォラック捕獲の依頼だった。

 マイルスダンジョンでは活動期になると、階層を変えるほどのモンスターは滅多にいないが、普段活動している領域からは出で同じ階層内でうろつくモンスターは多い。


 しかしフォラックの特徴の一つに、縄張りを変えないという特徴がある。それは活動期でも変わらない。

 非力なモンスターで、かつ他の個体と協力して動くため、普段から用心深く活動している。故に、慣れない縄張り外での狩りは行わない。

 そしてマイルスダンジョンのフォラックは、普通は五階層目にいる。しかし実際には、フォラックは四階層目で発見された。しかも二匹もだ。

 何らかの問題がマイルスダンジョンで起きている、そう考えても不思議では無い。


「けど、この情報だけでどうやって稼ぐんですか?」

「いろいろと出来るわよ。生態が変わったら、慎重な冒険者はダンジョンに入ることを躊躇うわ。つまり、ギルド持ち込まれるモンスターの素材が少なくなる。そうなるとモンスターの素材が高騰する。事前にそれを知っていたら、高騰しそうな素材を買い占めて、高くなったところで売ることで儲けられるわよ。買い占めたものが高騰しなかったら損するから、お勧めはしないけど、ね」


 買い占めてからの売却は僕でも出来そうだが、リスクが大きいうえに買い占めするための資金が無い。

 何より、そんな事をする暇は無かった。


「他にも色々とあるけど、今のあなたにはそんな気は無いでしょう?」


 僕の心を見透かしたような言葉だった。「えぇ」と短く答える。


「ララックさんのお蔭で、思ったより早く準備が出来ましたので」


 ギルドを介してではなく、商人に直接モンスターの素材を売ること何回か手伝ってもらった。今回みたいに僕だけが直接売り込むことは初めてだったが、以前は同席して貰い、ララックさんに交渉を任せていた。

 ギルドの依頼の報酬金は、仲介料を減らした分の価格になる。しかし依頼人から直接依頼を受けると、仲介料を引かれることは無い。その分、報酬金は高くなるということだ。今回はララックさんから依頼を受け、そのついでに交渉を行ったかたちだ。


 ただ新人冒険者が、ギルドを仲介せずに依頼のやり取りをすることは推奨されていない。経験の浅い冒険者が直接モンスターを売り込んでも、買い叩かれることが多く、なかにはギルドに買い取って貰う額よりも少なることがあるからだ。だからヒランさんにはフォラックを狩ったことを言えなかった。


「利用できるものは利用しなさいって言ったのは私だもの。けど、何回もこんなことができるなんて思ったらだめよ」

「分かってます」


 引き際は分かっていた。ララックさんはともかく、他の依頼人は僕みたいな実績が無い冒険者に頼むより、色んな冒険者がいるギルドに頼みたいはずだ。

 ララックさんの伝手で商人に会わして貰って直接依頼を受けさせてくれるように申し出たが、無理を言って依頼を出して貰ったので何度も使える手ではない。

 だから際限を決めていた。それに達した今、これ以上直接依頼を商人から受けに行くつもりは無かった。


「じゃあ、これで私の支援も終わりね」


 ララックさんは立ち止まって言った。既に、ララックさんの住むアパートに着いている。


「これから先は、自分の力で進みなさい。そうすれば、あなたの願いは叶えられる。そうでしょ?」


 微笑みながら問いかける彼女に、僕は真っ直ぐと見つめ返した。


「はい。手伝ってくれてありがとうございました」

「えぇ。頑張るのよ」


 別れの挨拶をして、ララックさんは自宅に戻っていく。

 ララックさんの姿が見えなくなると、僕も明日に備えて寝床に向かう。

 明日からの冒険は、今まで以上に苦労するから。

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