幕間③
日が完全に沈んだ頃、ヒランは肩をうんと伸ばして一息ついた。一日で一番忙しい時間帯がやっと終わった。体力に自信はあっても、事務仕事は別の体力を使っているような気がする。
日が沈み始める時間帯は、ダンジョンや依頼から帰還した冒険者が訪れ、モンスターの素材と資材の買い取りや依頼の報告を行う。さらに、日中の仕事が終わり、手が空いた時間を利用して依頼を届け出る一般人も多い。
また、ギルドに併設している食堂の仕事をしなければならない。料理は専属の料理人が作るが、配膳はギルド職員が行っている。ウェイターを雇えばいいと思うが、経費の節約のためと一蹴される。
実際、この時間帯さえ乗り切れば何とかなるため、その判断は間違いとは言えない。ただ、理屈では分かってはいても納得できないというのが心情だ。現状は今のメンバーで何とかするしかない。
「ヒランさん。書類の確認をお願いします!」
新人のフィネが書類を数枚持ってくる。以前、大量の不備があった書類を提出しようとしていたため、フィネが提出する書類を逐一チェックすることとなった。
パラパラと書類をめくりながら、記入事項を確認する。ミスの数はほとんど無かった。
「ここが間違っています。修正してください」
「はい!」
ミスした箇所を指摘すると元気な答えが返ってくる。書類を受け取るとすぐに修正し、再び提出してくる。当然、ミスは無くなっていた。
「問題ありません。最近はミスが減ってきていますね」
「ホントですか?!」
「はい。この調子で頑張ってください」
「はい! ありがとうございます!」
勢いよく頭を下げて礼を言うと、すぐに別の仕事に取り掛かる。
この時間になっても大声を出せる体力と、即座に次の仕事を行おうとするバイタリティーは彼女の長所だ。不測の事態が起きるとテンパってしまう欠点があるが、それは経験を積み重ねることと同僚のフォローで補うことができる。仕事の飲み込み速度も悪くは無いので、以前より足を引っ張ることは少なくなっていた。
そう遠くは無い未来に、戦力と呼べるほどになるのではないかと期待している。
「おーい。買取してくれー」
受付には買い取り希望の冒険者が待っていた。金髪の青年と細長いノッポ体系で黒髪の青年だ。二人とも冒険者になってから二年くらい経っている下級冒険者だ。
「ヒランさん。あれ、何とかなんないの?」
モンスターの素材を受け取って鑑定している最中に、金髪が声を掛けてきた。
顔を見なくても、声だけで不機嫌そうにしていることが分かった。
「何の話でしょうか?」
「ハイエナだよ。知ってるよな?」
ノッポがイラつきながら言った。
『ハイエナ』。これは他者が狩ったモンスターを利用して、他のモンスターを狩る行為をする冒険者を指す蔑称だ。
モンスターの素材は、モンスターを倒した者に所有権がある。これはどこの冒険者ダンジョンでも決まっている掟である。全く攻撃していない者がモンスターの素材を取ることは禁止され、破った者は厳しく罰せられる。
ダンジョンというギルド職員の目が届かないところで行われるため、直接その現場を職員は見ることができない。しかし経験豊富なギルド職員ならば、運ばれたモンスターを見れば大体分かる。モンスターの強さ、攻撃した箇所、冒険者の腕前と武器、これらの要素が揃えばある程度の判別可能だ。
故に、倒したモンスターを奪ってもばれるため、この掟を破る者は滅多にいない。しかし、それ以外の事は許されている。
例えば、誰かが狩ったモンスターを餌にして、他のモンスターを誘い出す行為だ。
モンスターを倒したときに所有権が発生するが、倒したモンスターの素材を即座に確保する者ばかりではない。理由は、単に手間を惜しんでいるからだ。
モンスターを解体するのはなかなか面倒臭い。狙っていたモンスターならともかく、それ以外のモンスターの解体は無駄な労力と言う冒険者は多い。故に、モンスターを倒したまま道に放置することになる。
さらに狙ったモンスターを倒して解体しても、全部の素材を持って行くことも少ない。モンスターの特定の部位だけを狙うこともあるため、それ以外の部分は放って置くこともある。
道に残ったモンスターの死骸を使い、死肉の匂いでおびき寄せたモンスターを狩る。これがハイエナだ。
モンスターを奪ったわけではないのでルール的には問題ないが、労せずにモンスターの素材を狙う行為は、苦労してモンスターを倒す冒険者からしてみれば忌み嫌われる行為である。
一・二回程度なら許す者も多いが、何度も行うと鬱陶しがられてしまうため、進んでハイエナ行為をする者はいない。だがここ最近、ハイエナを行う冒険者がいるという話だった。
もちろんその噂は聞いていたが、確証が無いため手を出すことはしていなかった。
「ああいうのを見るとよ、すっげーやる気が失せるんだわ。苦労して倒したモンスターを、知らないうちに利用されて楽にモンスターを狩ってるやつがいるって分かるとよぉ。注意出来ねぇのか?」
「一言でもいいから注意できないのか?」
特にこの二人からの苦情が多かった。しかし、私は何度もこの二人に言っていた。
「前にも言いましたが、掟を破っていませんので言うことはありません。証拠もありませんから」
ギルド職員は掟を破る冒険者には注意をし、改善が見られないようならば処罰を行うこともある。しかし、ハイエナは該当しないため罰することはできない。
それでも度々行うようなら声を掛けるが、それをする気は無かった。
「いやいや、実際に見たから言ってんだよ。それに例えルールを破ってなくても、冒険者達が快く冒険できるように支援するのがギルド職員の仕事だろ? それとも、めんどくさいからやりたくないってか?」
しかし金髪は執拗に食い下がってくる。挑発的な言葉も使うが、生憎その挑発に乗る気はない。適当に流そうと思った。
「そんなことはありません!」
だがその挑発に、ヒランではなくフィネが乗ってしまった。
「ヒランさんは一杯仕事をして、そのうえ私の指導もしてくれてるんです。凄く真面目で頑張っている人なんです。ヒランさんがめんどくさいという理由で、仕事をしないわけがありません!」
セリフ自体は嬉しいのだが、今はそれを言うべきでは無い。金髪がにやついたのが見えた。
「ほー、そうかそうか。じゃあなんで何も言わないのかなぁ?」
「そ、それは……」
途端にフィネの表情が曇ってしまう。人の良さが仇になる光景は、いつ見ても嫌なものだった。
「そういえば、とあるギルド職員があのハイエナをえらく気に入っているっていう話を聞いたんだが、もしかしてそれが理由かなー」
金髪がわざとらしい笑顔を見せながらフィネに問い詰める。フィネの顔がみるみると青ざめていく。
「変な疑りは止めてください。フィネは誰にでも平等に接している職員です」
「いやいや、見てたら分かるよ。フィネちゃんはあのハイエナに声を掛けるときだけ、他の冒険者よりも良い笑顔で挨拶してるからね」
庇おうとするがすぐさま反論される。前もって準備をしていたかのようにスムーズだ。
「もしかしてもしかして、お気に入りの冒険者だから許しているのかな。なんと! すべての冒険者を平等に扱わないといけないギルド職員がえこひいきを―――」
「おい」
ドスの低い声が、金髪の言葉を遮った。その声は二人の後ろから聞こえた。
黒髪の青年よりも背が高い大柄の男が立っていた。ヴィックよりも後に冒険者になった四人組の一人だ。彼は大きなモンスターを担いで、二人を見下ろすようにしている。
「おい新人。何の用だ?」
ノッポの男が睨みながら詰め寄るが、彼は平然とした表情で返す。
「こいつを売りたいんだ。邪魔だからどいてくれ」
二人は受付を塞ぐようにして立っている。次に買い取りをして貰いたい冒険者からしてみれば、たしかに邪魔な場所にいる。
「あぁ? まだこっちも買取が終わってねぇんだよ。それが終わったらどいてやるよ」
「こちらが買取金額になります」
ヒランはすぐに査定を終わらせてお金を差し出した。ノッポは呆気にとられた表情をし、金髪は軽く舌打ちをする。金髪は金をひったくるようにして取ると、ギルドから外に出た。ノッポも慌てて外に出る。
安心してつい息を吐いた。良いタイミングで彼が来て助かった。
彼は担いでいたモンスターを受付に置くと、「買取を頼む」といつもの調子で言う。さっきの出来事が無かったかのような振る舞いだ。
早速査定を始めるが、彼が「なぁ」と声を掛けてきたので手を止める。
「なんでしょうか?」
「やってないんだよな、あいつ」
話題はさっきの二人と同じだった。そういえば、彼がハイエナと呼ばれる少年と酒を飲んでいるところを見たことがあった。仲が良いのだろう。
「やってないですよね?」
青ざめていたフィネの表情が元に戻り、これを機にと聞きに来る。
二人の顔はさっきの連中とは違う。心配でしょうがないという気持ちが伝わってくる。
ヒランは正直に答えた。
「大丈夫です。彼はやっていません」
途端に二人の表情は和らいだ。だがヒランの表情は晴れなかった。
嘘を吐いたつもりは無い。だがそれは証拠が無いからそう言ったまでだ。
証拠が見つかったら、同じことを言うつもりは無かった。
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