第5話
取調室から出た後、フィネさんとララックさんはいなくなっていた。フィネさんは仕事に戻り、ララックさんは既に冒険者ギルドから出て行ったようだった。話せる気分じゃなかったので丁度良かった。
僕の足は病院に向かって進んでいた。目的は、ウィストさんの見舞いに行くためだった。
ヒランさんから行くように促される前から、元々見舞いに行くつもりではあった。僕のせいでウィストさんが怪我をしてしまったのだ。行かない理由が無い。
運ばれた場所も知っている。『マイルス北部総合病院』がウィストさんが運ばれた場所だった。マイルスの北側には冒険者ギルドと傭兵ギルドがあり、利用者も北門からマイルスを行き来するため、患者は冒険者や傭兵が多い。ウィストさんを運んでくれたのが、この病院の人達だった。
病院に着いて入口の扉を開けると、広い待合室があった。背もたれの無い長椅子がいくつも並んでおり、多くの冒険者や傭兵らしき人達が座って待っている。
奥には受付があり、受付係の人達が患者や見舞いに来た人の対応をしていた。
僕も受付に向かい、ウィストさんのいる病室を訊ねる。
「すみません。ウィストさんはどこの病室にいますか?」
「……お知り合いでしょうか?」
素性を疑われていることを察した。恋人でも親戚でもないので、つい仲間だと名乗った。
「ウィスト様は二階の二〇二号室です」
あっさりと答えてくれて一安心するが、仲間であると勝手に名乗ったことに胸を痛めた。僕には、仲間を名乗る資格が無いというのに。
心を悩ませたまま、二〇二号室に向かう。部屋は階段の近くにあったので難なく見つけられた。
部屋の戸を開けると、ウィストさんはベッドに横たわっていた。近づいてみると、目を瞑って寝息をたてている。深刻な症状には見えなかったので安堵した。
「よかった、無事で」
心配事が一つ取り除かれたので、つい独り言をつぶやいた。ウィストさんに言ったつもりではなかった。
「うん。大丈夫だったよ」
「うわぁ?!」
だから突然目を開けて答えられると、変な声も上げて驚いてしまった。
「あはは、驚きすぎだよー」
愉快そうに笑いながら、ウィストさんは身体を起こす。あんな目に遭っておきながら、もう元気になっている精神力が羨ましい。
だが右腕と左足に巻かれたギブスを見た瞬間、そんな事は思えなくなった。
「怪我、大丈夫?」
恐る恐る聞くと、「これ?」と言ってウィストさんは包帯に巻かれたところを見る。
「うん、リハビリ含めて全治三ヵ月だって。綺麗に折れてたから、ちゃんとくっつくらしいよ。いやー、よかったよかった」
怪我をしたというのに、明るく笑うウィストさんが不思議だった。三ヵ月も冒険者として活動が出来なくなるというのに、何故明るく振る舞えるのだろうか。
理由は分からない。これも、生まれ持った素質の違いなのだろうか。
嫉妬しそうになる感情を、手を強く握って抑え込む。今回はウィストさんの見舞いに来たのだ。こんな感情を持ってはいけない。
ただ、長居し過ぎると耐えきれるか分からない。ウィストさんには悪いが、早めに用件を済ませよう。
僕はウィストさんに向かって、深々と頭を下げた。
「ごめんなさい。昨日の事だけじゃなく、今日ウィストさんを巻き込んじゃったのは僕のせいです。本当にごめんなさい」
やっと謝罪が出来た。昨日の事だけではなく、今日巻き込んでしまったことも含めて謝りたかっただけに、やっと胸のつかえがおりる。
そうなるはずだった。
だが謝ったにもかかわらず、胸にもやもやとした感覚が残っていた。
自分の事だというのに、理解できない感覚が気持ち悪い。
違和感を持ったまま頭を下げ続けていると、「顔を上げて」とウィストさんに言われる。顔を上げると、ウィストさんは困ったような表情をしていた。
「今日の事は謝らなくてもいいよ。私が勝手にやっちゃったことだしね」
「けど僕が行かなかったら、ウィストさんはダンジョンに入らなかったはずだ。しかも命を救われたんだ。謝っても、謝り切れないよ」
「んー、けど私は元々そんなつもりじゃなかったのよ。ちょっと気になったから見に行こー、って気分だったからさ。そしたら、なんかヤバそうだなーって思ったから手を出しちゃっただけなんだよ? 軽い気持ちで行っちゃったから、そこまで謝られると身体がむず痒いというかなんというか」
「いや、軽い気持ちでグラプを相手に出来る訳無いじゃないか。仮にそうだとしても、僕が助かったことに変わりはない」
「あー、分かった分かった」
ウィストさんが会話を止めるよう、左手の掌を突き出す。終着点の無い会話に嫌気が差したのか、深く溜め息を吐いた。
「じゃあこの件については、ヴィックが謝って私がそれを許した。それで終わりってことで良いわよね?」
「えっと、あ、うん」
一言でまとめられたが、どこか腑に落ちない。しかしこのままだと話が進まなかったことは事実だ。だからこれで良い、と自分を無理矢理納得させる。
だが相変わらず、嫌な感覚が胸に残っていた。
「じゃあ、本題に入ろう。覚えているよね?」
ウィストさんが明るい声を出して話題を変えた。
「あー……もちろん」
「忘れてた?」と追及され、首を横に振る。話し合おう、という件についてだ。
入院したばかりなので後日の方が良いと思ったが、本人は問題無いようだ。
「といっても、何話そうかなー。何か議題有る?」
「ううん、全然」
話し合いは、どうやらノープランで思いついたものだったようだ。「んー」と唸り声を上げながら悩んでいる。
「無かったら後日でも良いんだけど」
「いや、こういうのは早いのが良い。……よし」
何か思いついたようだった。満足そうに頷くと、ベッドの傍らにあった椅子に座るように促される。椅子に座ると、ウィストさんが議題を口にした。
「冒険者になった理由、これを語り合おうっか」
「べたな議題だね。良いよ」
「じゃあ、私から」とウィストさんが言ったので先を譲る。
このときはまだ、話し合っても何も変わらないと思っていた。
歩み寄ってくれることが嬉しいのは否定しない。だが僕とウィストさんには壁がある。恵まれた者と恵まれていない者の壁、これはたやすく覆せないほどの高さだ。
分かり合おうとしても、変わらないままで終わるだろう。そんな諦めに似た感情があった。
だが彼女の第一声は、そんなくだらない思考や感情を吹き飛ばした。
「私が五歳の時、親が死んじゃったんだ」
想定外の言葉だった。つい「本当に?」と聞き直してしまうほどに。
ウィストさんは神妙な面持ちでゆっくりと頷く。
「うん。五歳の頃だったから覚えていることは少ないけど、これだけはしっかりと覚えてるんだ。お父さんとお母さん、二人とも冒険者で、ダンジョンに入って死んだって」
懐かしがるように、ウィストさんは窓の外を眺めながら語り始める。外はもう、陽が落ちはじめていた。
「ロティア町の冒険者ギルドでお父さんとお母さんは知り合って、一緒に冒険しているうちに気が合って結婚したの。お母さんは一度、私を産むために冒険者活動を休止したけど、しばらくしたらまた始めるようになったんだ。
育児のために二人で同時に行くことは無かったらしいんだけど、ある日親戚に私を預けて二人で一緒にダンジョンに行ったんだって。そのダンジョンは二人にとっては近所の公園みたいに行き慣れたところだったんだけど、その日は帰って来なかった。
後日、他の冒険者が二人の遺留品と大量の血痕を見つけて、二人は死んだってことが分かったんだ」
「二人は何で死んだの?」
「本来はそのダンジョンに居ないはずの強いモンスターがいて、そいつにやられたんだって。両親が死んだあとは、私は叔父さんの元に引き取られたの。叔父さんは食料品を売っている商人で、奥さんと一緒に切り盛りしてた。
小さい頃は叔父さん達の子供、お義兄ちゃんと一緒に遊んでいたんだけど、十二歳になったらお義兄ちゃんは仕事を手伝うことが多くなったから退屈だったなー。けどその時期に、あるものを見つけたんだ」
途端に、ウィストさんは楽しそうに続けて語る。
「見つけたのはお母さんの日記。荷物の整理をしていた時に見つけて、ちょっと興味があったから読んでみたんだ。その内容が、冒険の事がほとんどだったの。しかも楽しそうな事ばかり書いていたから、冒険者に興味が湧いちゃったんだ。で、叔父さんに冒険者の仕事のことを聞いてみたら、凄く冒険者の事を貶し始めたんだ」
「け、貶してた?」
ウィストさんは「うん」と調子を変えずに頷く。
「あいつらは遊び人だとか、適当な奴らだとか、ふらふらと不安定な生活をしてるとか、ぼろくそに言ってたよ。けどそういう人は叔父さん以外にも少なからずいたんだ。お母さんは楽しそうに冒険してたけど、一方で冒険者に否定的な人もいる。どっちが正しいのか分からなくなったんだ。
けど日記にはこうも書いていたの。『嫌なこともあるけど冒険者はやめられない』って。嫌ならやめたらいいのに、訳分かんないよね」
笑いながら話すが、その瞳には少しだけ寂しそうな感情が垣間見えた。
「私は、両親の事をよく覚えていない。その日記だけが、両親のことを知れる手掛かりだったの。けど、理解できないことが多かった。だから冒険者になったの。冒険者になれば、冒険者だった両親の事が分かるかもしれないって思ったから。
そう思った日から、冒険者になるための準備を始めたの。モンスターやダンジョンの事を調べたり、冒険者の人からモンスター相手の戦い方やトレーニングの仕方とかを学んで訓練したんだ。
そして十六歳になって、冒険者になるために家を出たの。叔父さん達には当然反対されちゃったけどね。心配してくれてたのは分かってたし、育ててくれた叔父さん達には感謝してる。けど、お父さんとお母さんのことを知りたいって気持ちが強かったんだ。だから私は、居づらくなったロティアから出て、マイルスで冒険者になった」
話し終えたウィストさんは、深く息を吐いて僕に向き直った。
「さて」と言って、期待の眼差しを僕に向ける。
「私の話は終わり。次はヴィックの番だよ」
ウィストさんの話が終わった後は僕の番だ。だが先に聞きたいことがあった。
「その前に、一つだけ良い?」
「いいよー。なに?」
「その理由は、もう分かったの?」
「んー」と唸りながら考え込む。だが間もなくして、「ううん、分かんない」と答えた。
「いろいろと楽しみながら冒険してるけど、ピンときた答えは無いねー。だからまだまだ続ける気だよ」
悲観的な感情を全く感じさせない答えだった。まだ目的を達していないというのに、ウィストさんの表情に曇りは無い。
今もいつもの調子で、「ほらほら早く早くぅ」と僕が話すのを促している。
ウィストさんは僕の話を聞きたがっているが、僕が冒険者になった理由はたいしたものではない。
サリオ村にいたとき、冒険者達と会ったことがあった。冬の時期、酒場で働かされていたときの話だ。
酒場には冒険者が客として来ていた。そのときの彼らの楽しそうな会話が聞こえ、つい目を向けていた。
冒険者達は、皆楽しそうに笑っていた。たいしたことのない酒や料理しか出していないのに、会話に花を咲かせていた。
彼らみたいに人生を楽しみたい。それが、僕が冒険者になった理由だった。
だがウィストさんは、「いいじゃん」と笑って答えた。「私よりも健全的だね」と。
それからは、日が暮れるまで話し続けた。
生まれた村の事、ダンジョンでの過ごし方、印象に残った依頼の事など、昔の事から今の事まで色々だ。
話をしているとき、改めてウィストさんとの差を感じたが、今まで感じたものとは違った。
僕とウィストさんの差は、生まれ持った才能や環境によるものだと思っていた。その差は生半可な努力で埋まるものではない。だからそれを持っているウィストさんに嫉妬していた。
しかし、現実は違った。
僕と同じように両親がいない。預けられた先の待遇は違うとはいえ、冒険者になることを反対されていた。
だが冒険者になるために、たゆまぬ努力をし続けていた。
その成果が、冒険者になった今発揮されているのだ。これは才能の差ではない。頑張った故に、得られた結果だ。
対して僕はどうだ。預けられ先に逆らえなかったからとはいえ、命令されたことだけをしていた。将来、碌な人生を送れないなと悲観しながらも、改善する努力を一切しなかった。
要は甘えていたのだ。あんな家に預けられたから、こうするしかない、逆らうことなんてできない、努力しても無駄だ。そんな風に達観して、何もしなかった。
冒険者になった今もそうだ。知識も技術も力も無い。そんな人間が一人前の冒険者になれるわけがない。仲間が欲しいのなら、積極的に他の冒険者とコミュニケーションを取ればいい。強くなりたいのなら、知識を蓄えたり、鍛錬をすればいい。
けど僕は、何もしなかった。何も考えずにダンジョンに行ったり、依頼を受けていただけだ。だからその日暮らしの生活から抜け出せないのだ。
それだけならまだしも、ウィストさんに対して嫉妬して八つ当たりをした。なんとも始末に負えない結果だ。自分で自分に呆れてしまう。
ウィストさんは冒険者になることを反対されていた。その言葉に甘えて、冒険者になることを諦めても誰も文句は言わないだろう。そもそも、衣食住を提供してくれる相手にそんなことを言われたら、誰だって縮こまってしまうはずだ。
にもかかわらず、ウィストさんは冒険者になった。しかも前々から冒険者になるための準備もしていた。ひとえに、親が冒険者を続けた理由を知るために。
やりたいことをやるために、必要な努力をしている。ウィストさんにはそれができている。
だけど、僕は違う。人生を楽しみたいという曖昧な願望しかない。楽しむためなら冒険者じゃなくても良い。どこかの店で働いてお金を得られればそれは叶えられる。つまり、冒険者に固執する理由がない。
極端なことを言えば、このまま冒険者を辞めたって問題ないのだ。
以前、ララックさんが言った言葉を思い出した。「いろんな選択肢がある」という言葉を。おそらくそれは、今の状況を指している。
たいした目的もなく冒険者を続けるべきか、それ以外の道を探すか。
冒険者を辞めて、他の仕事を探す人はごまんといる。だから別の道を探すのはおかしくないことだ。
というより、そっちの方に気が向いているとも言っていいくらいだった。もしかしたら、他の仕事の方に適性があるのかもしれない。そんな淡い期待もあった。
「だけど、今は無理かな」
今日の事が無ければ、遠くない未来で、冒険者を辞めていただろう。
だが今の僕には、冒険者を続ける目的ができていた。
「これでダメなら、本当に僕は何もできないダメ人間になっちゃうな」
だが、そうはなりたくなかった。
マイルスに来たあの日、碌でもない人生を変えると僕は決意した。ならばこんなところで挫けるわけにはいかない。
だから僕は、茨の道を選ぶことにした。
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