第4話

 その音は、僕がグラプに殴られた音ではなかった。

 殴り飛ばされて僕が壁にぶつかった音でもなく、地面に押しつぶされた音でもない。何かがぶつかり合う音が僕の前方で生じた。


 僕の前に誰かが立っていた。僕よりも一回り大きい体格で青髪の青年が、左手で持った盾を使ってグラプの攻撃を防いでいる。


 助かった。

 予想外の救援に安心し、その場で座り込んでしまった。


「おい」


 グラプが防がれた拳を引っ込めると、青年は後ろを振り向かずに声を掛けた。慌てて立ち上がって「はい」と答える。


「そこでじっとしてろ」

「え、でも」


 意外な言葉に、思わず戸惑いの言葉が出た。目の前にいる青年はグラプの攻撃を止めてくれた。しかし、何度もあの巨体の攻撃をくらったら無事に済むとは思えない。

 グラプの攻撃を受けきるほどの実力があるのなら、道を塞いでいる蔓を切り開いて逃げることができると思った。


 しかし青年は、後ろ姿からでも分かるほどの溜め息をついた。


「いいからそこで待ってろ。うろちょろされるほうが面倒なんだ。それに」


 右手で持っている剣をグラプに向けた。


「こんな雑魚、俺の敵じゃない」


 同時に、グラプが再び殴りかかってきた。瞬時に青年は、右手で持っていた剣を背中に掛けていた鞘に納め、腰に提げていたメイスに持ち替える。

 グラプの拳が間近に迫ると、メイスを薙ぎ払うように当てて軌道を変えた。グラプの太い腕が方向を変え、地面に突き刺さる。

 直後に青年は、太いグラプの腕の上を駆けていく。あっという間に肩まで登ると、武器をメイスから剣に持ち替える。次に目にも止まらぬ速さで、グラプの頭を覆った蔓を斬り剥がしていく。

 グラプも黙ってやられているわけではなく、蔓で捕えようとしたり、身体を揺らして振り落とそうとする。しかし、青年は向かってくる蔓に対しては瞬時に蔓を斬り落とし、身体が揺らされた時は高く跳び上がって退避する。揺らし終わった時に再びグラプの身体に着地する。

 グラプはたまらず両手を使って捕まえようとしたとき、やっと青年はグラプの身体から離れた。降りた場所は、僕達とは反対側の方向だった。グラプは青年の方を警戒したのか、僕達には目をくれずに背を向けて青年に方に向かって行った。


「とりあえず、これで安心ですね」


 聞き覚えのある声が耳に入った。声が聞こえた方を向くと、ヒランさんが手の届きそうな距離にまで近づいていた。近くまで来ていたことに、まったく気が付かなかった。

 ヒランさんは僕とウィストさんの身体をじっと見ると、背負っていたリュックを下ろして包帯と添え木を取り出す。


「あなたは打撲程度だから問題無いです。彼女は見たところ右腕と左足が折れています。壁か地面にぶつかったときか殴られたときの怪我です。脳震盪で気を失っていますが、助かります」

「……分かるんですか?」

「ダンジョン管理人にとっては必須項目です。早く彼女を下ろしてください」


 応急処置のためにウィストさんを下ろすと、ヒランさんは素早い手つきで処置を始める。助かると聞いて一安心した。

 ウィストさんが大丈夫だと分かったので、僕は青年の様子を見た。青年はグラプを「敵じゃない」と言ったが、万が一の可能性もある。いつでも戦える心構えをした。


「心配は無用です。あなたの手を借りるような事態になりません」


 僕の心境を察したのか、ヒランさんが忠告をした。


「けど相手は上級モンスターですよ。もしかしたら」

「万が一はありません。あなたは彼を知らないのですか?」


 ヒランさんは珍しいものを見るような目で僕を見た。冒険者ギルドでは見たことがない顔だが、あの青年は結構有名な人なのだろうか。

 だが青年の顔をよく見ると、その顔には既視感があった。冒険者ギルドでは見たことが無いはずなのだが。


 青年はグラプを相手に遊んでいるように戦っていた。グラプが殴ってくればメイスで拳を弾き、腕を駆け上がって顔を攻撃する。蹴ってくればぎりぎりまで引き付けてから避けて前に進み、振り切った足を地面に着けた瞬間に、軸足からグラプの身体を背中から駆け上がり、顔を攻撃する。

 何度も顔を攻撃していると、グラプ顔を覆っていた蔓が徐々に減っていき、終いには無くなっていた。

 現れたグラプの顔は、肌が灰色で目玉が若干飛び出ていた。歯はギザギザで歯並びが悪い。青年が来なかったらあの口の中に入っていたのかと思うとぞっとした。

 だが、青年が執拗に顔を狙っていた理由が分かった。どのモンスターにも脳がある。脳が傷つけられればどんなモンスターも絶命してしまう弱点だ。

 グラプは顔や頭を蔓で覆っていたため、その弱点を狙えなかった。しかし蔓が無くなった今なら、脳を攻撃することができる。


 弱点が露になって危機を感じたのか、グラプは大声で叫んだ。悲鳴なのか威嚇なのか、判断がつかないほど声量に思わず耳を塞いでしまった。青年もグラプが叫んだと同時に地面に降りた。

 叫び声を上げると、グラプの身体に変化が生じた。身体を覆っていた蔓が、徐々に顔の方に移動している。数秒後にはせっかく露にした顔が、身体の別の部位から移動してきた蔓によって覆われてしまった。

 弱点を突けると思ったが、すぐに蔓で隠される。せっかく危険を冒してまで顔を攻撃していたのに、その苦労が水の泡となった。


 だが青年はグラプの顔が蔓で覆われたのを見るとにやりと笑い、再び前に出た。先程まではグラプの攻撃を躱してから攻撃に移っていたが、何故か今回は攻撃を待たずに走り出した。

 グラプの背後に回ると、盾を捨ててメイスを両手で握った。大きく振りかぶると、グラプの足をめがけてメイスを振りぬく。


 五メートルの巨体が宙を回った。


 あり得ない現象を目の当たりにし、思わず口が開いてしまった。しかしヒランさんは、さも当然のように表情を崩さない。まるでいつもの光景を見ているような表情だった。


 宙に浮いたグラプは、背中から地面に大きな音を立てて落ちる。青年は倒れたグラプの身体に乗ると、胸の中心に移動した。

 胸の辺りは、最初こそ多くの蔓で覆われていたが、蔓が顔に移動したため蔓の量はかなり減っていた。青年は武器を剣に持ち替えると、蔓の量が少なくなった胸に向かって突き刺した。

 グラプはビクンと痙攣したかのように身体が揺れたが、すぐに身体が動かなくなった。


 五メートルの巨体が、僕より少し大きい程度の青年によって倒される。まるでおとぎ話のような出来事だった。

 青年は剣を引っこ抜き、地面に落とした盾を拾って腕に着けたとき、既視感の正体が分かった。


「彼は〈王殺し〉と呼ばれている冒険者です。グラプ程度じゃ、相手になりません」


 マイルスの中央広場に建っていた石像と、瓜二つの姿だったからだ。

 青年は剣に付いた血を一振りで振り落とす。剣を鞘に納めながら僕らの方に向かって来る。


「お疲れ様です。残念ながらフェイルは見つかりませんでした」

「そうか。じゃあ、あいつらだけか。手掛かりが見つかれば良いんだがな」

「片方は簡単に喋りそうですが、期待はできません」

「無いよりましか……」


 グラプを倒したというのに、何故か二人の表情は曇っていた。


「それより事前に聞いた話だと、誘われた新人は一人だと聞いたんだが」


 青年は僕の方を一瞥して言った。


「はい。彼女は不運にも偶然巻き込まれた冒険者です」


 ヒランさんはウィストさんの方を向きながら述べた。


「下級冒険者が何でこんなところにいるんだ? フェイル達とは別で入ったのか?」

「分かりません。本人に聞いてみないことには」

「ったく、最近の冒険者はダンジョン舐めてんじゃないのか」


 ウィストさんが悪く言われているのを我慢できずに、「違います」と思わず会話を遮ってしまった。

 青年が鋭い目つきで僕を睨む。恐かったが、ウィストさんが悪くないことを説明したかった。


「ウィストさんは……彼女は優秀な冒険者です。冒険者ギルドでも期待されている存在です。ここに来たのは、僕を心配して追ってきたからです。だから、その、彼女は悪くないんです」


 一気に説明すると、青年の目が変わった。最初は冷ややかな目で僕を見ていたが、話した後だと怒りが宿っているように見える。まずいことを言ったつもりは無いが、少し後ずさりをしてしまった。


 青年が歩幅一歩分の距離まで僕に近づいた。直後に、頬に鋭い衝撃が伝わった。強烈さのあまり、地面に倒れてしまう。頭もグラグラと揺れているような気がした。


「てめぇ、なに仲間を危険な目に遭わしてんだ!」


 怒鳴った青年の言葉が、耳だけではなく胸に響いた。

 その迫力に押され、僕は何も言えなかった。


 青年は舌打ちすると、背を向けてこの場から離れようとする。


「ヒラン、先に行ってる。モンスターは片付けておくから、捕まえた奴等を連れて早く来い」


 青年は僕らが来た道とは別の方向に歩き始める。ヒランさんは僕にウィストさんを背負うことを促すと、僕達が入ってきた道に向かって歩き出す。そのとき僕を一瞥した目が「付いて来い」と言っているような気がした。


 洞穴に着くと、入り口には中年と一緒にいた男性がロープで身体を縛られた状態で座らされていた。よく見ると二人の身体の至る所が汚れて、顔も腫れている。

 ヒランさんは二人を繋いだロープを引っ張って立ち上がらせる。二人は悪態をつきながらも、渋々と立ち上がった。


「これからあなた達を連行します。通常ルートで外に出ますので、逃げない方が良いということは、分かりますよね?」


 今いる場所は上級ダンジョン。青年が先行してモンスターを狩ってくれるとはいえ、モンスターを見つけ損なっている可能性もある。縛られた状態で上級ダンジョン内で逃げることは自殺行為にも等しい。


 二人は不貞腐れた態度をとりながらも付いていった。僕も続いて歩き出す。

 騙されたとはいえ違法行為を行ったのだ。お咎めなしで終わるとは思えない。かといって、逃げる気はさらさらなかった。

 ウィストさんを危険な目に合わせてしまった罪を、罰を受けることで償いたかった。





「無事で良かったです! 命あって何よりですよ!」


 冒険者ギルドに連れて来られて、ヒランさんから話を聞いたフィネさんの第一声がこれだった。


 あの後、ヒランさんに連れられてダンジョンを出た。ダンジョン内ではモンスターとは全く遭遇しなかった。道の途中でモンスターの死骸があったことから、青年が討伐してくれたお陰だろう。

 ダンジョンから出ると、来た時とは別の馬車があり、その馬車に乗ってマイルスに戻った。


 マイルスに戻ると、ヒランさんが北門の近くにいた医師にウィストさんを預けた。この事を危惧して事前にヒランさんが待たせていたらしい。

 ウィストさんは病院に連れて行かれ、僕は捕まえられた二人と一緒にヒランさんに連れられて冒険者ギルドに向かった。


 ヒランさんは捕まえた連中を奥の部屋に連れて行った。一方の僕は、ギルドの受付で待機を命じらていた。


「普通、下級冒険者が上級ダンジョンのモンスターに遭遇したら一分も持たないわ。相手がグラプで良かったわね?」


 偶然居合わせたララックさんも会話に加わった。


「そうです。運が良いヴィックさんなら、きっと罰も軽いに違いありません!」

「罰が軽いとそれを見越して上級ダンジョンに入る下級冒険者が増えるかもしれないわよ?」

「それはダメです! じゃあ重い罰を……ってそれはダメです!」

「あら、むしろ重い罰の方が良いんじゃないの。ねぇ?」


 僕の心を見抜いたような言葉だった。何も言い返せずに黙ってしまう。

 言われた通り、僕は重い罰を受けたかった。入る資格のないダンジョンに入っただけではなく、ウィストさんに重傷を負わせた。下手したら死んでしまう危険もあった。しかも前日にはウィストさんに酷いことを言っている。

 罪悪感が胸に溢れていた。少しでも早く、この毒々しい感覚を消し去りたかった。


「けど、偶然とはいえソランに会うなんて、それこそラッキーよね」

「ホントです! 遠目でしか見たことが無かったので羨ましいです!」

「同じくらい有名なヒランに会えるのだから良いじゃない? それでも十分自慢できるでしょ?」

「とっくに自慢してます! だから次に自慢できる話題を欲しているのです!」

「意外とミーハーね、フィネちゃん」


 ララックさんとフィネさんは、僕を助けてくれた青年とヒランさんの話をし始める。僕も気になっていたところだった。

 ソランと呼ばれた青年は、石像を建てられるほどなので凄い人だということは想像できる。ただ、何をして有名になったのかは知らない。同列に語られるヒランさんの事も、何度も会っているはずなのに何も知らなかった。


「あの、その二人ってどんな人なんですか?」


 僕の言葉に、フィネさんとララックさんが語り始める。


「ヒランは元々、腕の良い上級冒険者だったの。けど冒険者になったばかりの新人が何も知らずにダンジョンに入って死んでいく光景を見て、『ダンジョン管理人』になったのよ。ダンジョン管理人って知ってるかしら?」


 僕は首を横に振った。ララックさんがダンジョン管理人について説明を始める。

 ダンジョン管理人、仕事内容はその名の通りだ。ダンジョンの下の階層への最短ルートを調査してその道に沿って照明を設置したり、階層ごとのモンスターの生態を定期的に調査する仕事だ。

 他にも色々な仕事があるが、経験がないとできない仕事内容だ。そのため冒険者を引退したが他に出来ることが無い、という者がこぞって志願する仕事だ。

 良い管理人がいるダンジョンは色んな冒険者が訪れるが、悪い管理人ならダンジョンが荒れ果て、下手すればモンスターがダンジョンから出てくることがある。

 だから冒険者ギルドはダンジョン管理人の志願者に対して、上級ダンジョンを踏破するよりも難しい試験を課しているという話だ。


「ダンジョン管理人になってからはダンジョンの事だけではなく、冒険者のサポートも熱心に始めてくれたのよ。それに当時冒険者達を困らせていた厄介者も追い払ってくれたから、みんなヒランに感謝してたわ」

「冒険者の評判も変わりましたよ。以前は依頼を出しても達成率が低いので頼られることが少なかったんですが、今は依頼数も達成率もはるかに上がっています! ヒランさんの支援を受けて、冒険者達が意識を変えたからっていう話です!」


 知らなかったヒランさんの一面に、少々面食らった。孤高な雰囲気を感じていたが、面倒見が良い一面もあるらしい。


「で、ソランさんのことですが、一言でいうと『マイルスの英雄』です!」


 フィネさんは青年の事を一言で言い表すが、それだけではわからない。説明を待っていると、ララックさんが話し始めた。


「四年前、この街にあるモンスターの群れが襲来したのよ。その群れは、『危険指定生物』の獅子族が率いてたの」


 危険指定生物。その言葉は以前ヒランさんから説明を受けた。一言でいえば、多くの生態系に影響を及ぼす力を持つモンスターのことだ。

 基本的に、モンスターは自分達の縄張りやコミュニティから出ない習性がある。その方が安全だからだということを、群れの中で教えあっているからだと言われている。

 たまにそこから出る事もあるが、それは食糧危機等の生存に関わる問題が起こったときや、活動期の時期だったり、単に縄張り外が危険だということを知らない無知な個体かのいずれかである。

 他のモンスターの領域に入って事を起こすと面倒だという理由から、基本的には自分達の決められた領域にいる。


 しかし、その領域を自由に行き来するどころか、領域内のモンスターを屈服させるほどの力を持ったモンスターがいる。それが危険指定生物だ。

 モンスターは強さで序列が決まる。強いモンスターが弱いモンスターを従えることが当たり前の世界だ。その序列は戦闘で決まるらしいが、危険指定生物と対峙したモンスターは戦わずにして降参してしまうという話だ。生物としての格が違うらしい。


 実際に力もある。個人で挑んだ冒険者や傭兵が、成す術もなく殺されることが後を絶たない。上級冒険者や傭兵が数人がかりでやっと倒せるほどの強さだ。

 獅子族は、その危険指定生物の一つだ。危険指定生物のなかでも、最も人間に被害を与えていると言っていいモンスターである。原因は、好物が人肉だからだ。

 しかし、獅子族は知性が比較的高いモンスターだ。普段は街から離れた道や山で、安全な場所で人を襲っている。故に人里を、しかも大勢の冒険者や傭兵がいるマイルスを狙うのはらしくない行動である。


「襲ってきた理由は分からないけど、かなりの大群だったのよ。獅子族だけでも十体はいて、上級モンスターもたくさんいた。中級や下級モンスターも含めれば三百体はいたわ」

「三百も……。街はどう対応したんですか?」

「もちろん、戦ったわ。軍隊はもちろん、腕の立つ傭兵や冒険者も召集して対応したの。合計で一千人くらいね。人数差と地形を利用して戦えば勝てると踏んでたらしいけど苦戦したのよね」

「苦戦した原因は、やはり獅子族ですか?」

「そう。獅子族は速くて大きく頭も良いから、こっちの弱点を見抜いて攻撃してきたの。

 不運にも、こちらの指揮官がダメな人でね。モンスターを相手取るのが得意な冒険者や傭兵の全員を、最初から前衛に出してこき使ったのよ。

 それを見たモンスターの指揮役が、最初に下級・中級モンスターを送り出して冒険者と傭兵の体力を削ってきたの。そのせいで、後から詰めてきた上級モンスターや獅子族をまともに対処できずにやられたわ。で、モンスターを相手取るのに慣れていない兵士達は、多大な被害を負っちゃったってわけ」

「……凄いモンスターなんですね」

「うん。それが危険指定生物なの。流石にモンスター側も無傷とはいかなかったけど、こっちの被害の方が大きかった。

 あっという間に兵力差が無くなったうえに、獅子族はまだ半数以上が健在。対してこっちの冒険者と傭兵はほぼ全員が戦闘不能で、ほとんどの兵士が負傷。絶望的な状態だったの。

 もうマイルスは滅亡すると思われていた。そのときに現れたのがソランよ」


 話を聞き入っているフィネさんが激しく頷く。かなり熱心に聞いているようだ。


「残った兵士達と協力して獅子族以外のモンスターを引きつけて貰って、ソランは獅子族を倒しに行ったの。

 あっという間に自分達が苦戦していた獅子族を狩っていき、遂には全滅させた。群れを率いていた獅子族が死んだことを知ったモンスター達は一目散に逃げて行って、勝つことができたの。

 そのときの功績を讃えられ、獅子族がモンスターの王と言われることに因んで〈王殺し〉という異名がついたわ。そのうえ『特級冒険者』の称号も与えられたの」

「特級冒険者って何ですか?」

「ギルドに登録したメンバーには、腕前と実績に応じてランク分けされるの。冒険者の場合は、入れるダンジョンによって区別されるわ。

 上級ダンジョンに入れる資格を持った者は上級冒険者。中級ダンジョンにまで入れる資格のある者は中級冒険者で、下級ダンジョンにしか入れない者は下級冒険者という具合にね。

 特級冒険者は、未開拓ダンジョンを含めた全てのダンジョンに入れる資格を持ってるの。マイルスに限らず、どこの国でも、ね」


 未開拓ダンジョンは、聞いた話だと天国と地獄が合わさった場所らしい。

 未調査で危険度が分からないため、どんなモンスターがいるのか分からない。故に、常に警戒をする必要があるため休む暇が無く、その結果酷く精神を病むらしい。

 一方で足を踏み入った人がいないため、見たこともない鉱石や薬草、宝を発見できることがある。


 昔、未開拓ダンジョンが発見されたときは多くの冒険者がダンジョンに向かったが、ほとんどの冒険者がその過酷な環境に耐えきれず、また情報の無いモンスターに襲われて死んでしまった。その対応として、資格を持った者しか入れることは許されなくなったという話だ。


「他にも色々と報酬もあったらしいけど、一番の報酬は特級冒険者って名乗ることを許されたことだね。お蔭で自由に冒険できるようになったって喜んでたくらいだからね」


 ララックさんが語り終えると、奥の部屋からヒランさんが出てきた。僕の顔を見ると手招きしたので、ヒランさんの元へ向かう。

 僕はララックさんとフィネさんに「では、失礼します」と言って離れる。フィネさんは心配そうな顔を見せていた。


 案内された部屋は質素なものだった。部屋の真ん中には机があり、向かい合うようにして椅子が一脚ずつ配置されている。部屋の隅には多くの机と椅子が寄せられ、壁には黒板がある。普段は教室として使っているのだろう。

 ヒランさんが奥の椅子に座ると、「座りなさい」と僕に座るように促す。若干声が冷たく聞こえ、不安を感じながら椅子に座る。


「聞きたいことがいくつかあります。正直に答えてください」

「はい」


 ヒランさんは表情を変えずに聞き始める。


「フェイルとはいつ、どこで会いましたか?」

「昨日の夜、街を歩いていたら偶然。けどフェイルは、僕の事を知っているようでした」

「今回の話を持ち掛けられたのはそのときですか?」

「はい。そのときは落ち込んでいたので、懸命に励ましてくれるフェイルを見て信じてしまいました」

「そうですか。そのときに上級ダンジョンに入ることを聞いたのですか?」

「いえ、知ったのは今日ダンジョンに入る直前です」

「下級冒険者が上級ダンジョンに入ることは違法だと知っていましたか?」

「……はい。あのときは、上級冒険者が一緒なら不問だと言われたので、信じてしまいました」

「分かりました。では、以上です」

「……え?」


 予想よりも切り上げの時間が早かった。というより、あれだけの質問だけで取り調べが終わったことに驚いた。


「ではお帰り下さい。もう結構です」


 しかもヒランさんは、僕になんの罪状も告げずに席から立ち上がり、部屋の扉を開ける。

 僕に対して何もしない事態に、さすがに聞かざるを得なかった。


「あの、僕を罰しないのですか?」


 僕の疑問に、ヒランさんは首を傾げる。まるで不思議な生き物を見るような眼で。


「あなたを罰する必要がありません。だから何もしません」


 想定外の言葉だった。

 自分は違法行為をした。そのうえ、助けに来てくれたウィストを危険な目に遭わせた。だから罰を受けるべきだと思っていて、僕自身もそれを望んでいた。


「……どういうことですか?」

「そのままの意味です。確かにあなたは違法行為を行いました。しかし、それは騙されていたことが原因です。そのうえ、ご自身が酷い目にあったようなので、罰を与えなくても同じことはしないだろうと判断しました。だから、罰しません」


 罰を受けない。普通なら、この言葉を聞けば胸をなで下ろす言葉になろう。

 しかし、今の僕にとっては真逆の意味を持っている。


「取り調べは……取り調べは、何でこんな簡単に終わったんですか?」

「あなたに聞いても、大した収穫が無いからです。フェイルの事を、あなたは何にも知りませんよね?」

「そうですけど―――」

「だから聞いたのは、事前に得た情報との確認をとるためだけです。フェイルについては、一緒に捕まえたあの二人から聞き出します」


 頭に僕を陥れた二人の顔が浮かんだ。


「あの二人は、どうなるんですか?」


 ヒランさんの目つきが鋭くなった。探られている様な気がして、思わず後ずさってしまう。


「あなたは、あの二人の仲間なのですか?」

「いえ、違います!」


 仲間かと疑われたので、強く否定する。少しだけヒランさんは僕を見つめていたが、息を吐くと目つきが元に戻る。


「あの二人は分かっていたうえで違法行為を行い、さらにゴクラク草を販売しようとしていました。相応の罰が与えられるでしょう」

「ゴクラク草って、何か問題があるんですか?」

「……本当に何も知らないんですね」


 呆れた顔で言われた。


「一言でいえば麻薬です。一口食べれば天国にいるような幸福感を得られますが、高い中毒性があるうえ、ゴクラク草を食べること以外では全く幸福感を感じなくなります。特殊な製法で粉末にして飲用すれば、さらに効果が増すと言われてます。

 これを欲しがって多くの人が上級ダンジョンに入って、死んでいきました。街で手に入れた人も、ゴクラク草を買うために無理な借金をし、借金を返済できずに消えていく人が後を絶ちませんでした。

 今でこそ、取り締まりを強化し、取引をした者には重い罰を与えることで、ゴクラク草を含めた麻薬を取り扱う者は減りました。しかしこの様子だと、元締めは未だに商売を辞めるつもりは無いようですね」


 ヒランさんが少しだけ歯ぎしりをした。ゴクラク草に纏わることで嫌な事でもあったのだろうか。

 しかし、自分の無知さがとことん嫌になる。知らなかったとはいえ、それほど危険な代物を採取しようとしていたとは、夢にも思わなかった。もし何事も無く仕事を終えていたら、ゴクラク草が街に出回ってしまい、被害者が出ていただろう。想像しただけでも身震いした。

 それほど重大な罪を犯しそうになったのだ。なおさら自分は罰を受けなければならない。


「それなら僕はやっぱり罰を受けないと。僕みたいな人間がまた―――」

「くどい」


 ヒランさんが僕の言葉を遮った。表情に出なくとも、イラついているのが分かった。


「あなたを調べても何も出ないと言いましたよね? それとも自分が感じた罪の意識を、罰を受けることで和らげたいのですか?」


 図星を突かれ、何も言えなくなった。


「私の仕事は慈善事業ではありません。あなたの自己満足のために労力を使うのは御免です。罰を受けたいのなら、危険な目に遭わせてしまった彼女の元に行って、恨み言の一つや二つ聞いてあげればいかがですか?」


 冷たい対応だった。だがまっとうな言葉に、言い訳すらも口から出なかった。


「早く出て行ってください。まだ私には仕事がありますので」


 これ以上居ても、僕がするべき事もされるべき事も無い。

 退室するように促された僕は逆らうこと無く、肩を落として部屋から出て行った。

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