第3話

 翌朝、僕はマイルスの北門に向かった。北門には関所があり、マイルスに行き来する人達を取り締まっている。待ち合わせ場所は北門の外だったので、関所を通る必要があった。同じ目的で順番待ちしている人達の後ろに並んだ。

 ほどなくして自分の番が来るが、簡単な手荷物検査だけですぐに通れる。ほぼ毎日顔を合わせる相手とはいえ、簡単に済まされると少し不安になった。


 門の外に出ると、屋根の付いた馬車があった。馬車の脇にはフェイルさんが立っており、僕を見つけると手を振っていた。


「やぁ、よく来てくれたよ。じゃあ、早速行こうか」

「はい」


 フェイルさんが馬車の手綱を取り、僕は横に座る。手綱を振るうと馬が歩き出す。荷台の荷物が動いて物音がしたが、気にせずに移動した。

 何もない平坦な道を進んで十分ほど経った頃だった。「体調はどうだい?」とフェイルさんが話し始めた。


「大丈夫です。昨日はぐっすりと眠れました」

「それは良かった。今回の仕事はハードだから、結構疲れるよ」


 思わず唾を飲み込んだ。大金が掛かった仕事だ。覚悟していたとはいえ、やはり不安になる。

 するとフェイルさんは、僕の背中に優しく手を置いた。


「心配しないで。君は一人じゃない、仲間がいるんだ。きっと助けてくれるさ」


 そうだ。今回は一人で仕事をするわけじゃない。協力し合えば、困難も越えられるはずだ。まだ会ったことが無いが、フェイルさんがそこまで推す人達なら、さぞ頼りになるはずだ。

 フェイルさんの言葉を聞いて、気持ちに余裕が生まれた。同時に、肝心なことを聞いていないことを思い出した。


「そう言えば、今回の仕事って何なんですか?」

「あぁ、薬草の採取だよ」


 えらく簡単そうな仕事だ。てっきり強いモンスターと戦うのかと思っていた。しかしフェイルさんは僕の思考を読んだのか、「簡単だと思ったでしょ?」と訊ねる。


「い、いえ、そんなことは」


 慌てて弁解しようとするが、何故かフェイルさんはくすくすと笑う。


「そんなに焦らなくてもいいよ。僕の説明不足だしね」


 からかわれたと分かると、少し安心した。僕が落ち着きを取り戻したときに、フェイルさんは説明を始める。


「採取する薬草はゴクラク草。これはあるモンスターが育てている薬草のため、自然に生えることは無い。だからとても数が少ない。しかしゴクラク草を使って特殊な製法で作った薬は、飲んだ者に幸運をもたらすと言われている。故に、それを欲しがる人達が多いから価値が高くなっている。だからその薬を作るために、ゴクラク草を集めるのが今回の仕事だ」

「生えてる場所とゴクラク草を育てているモンスターって何なんですか?」

「モンスターの名前はグラプ。全身が蔓で覆われた人型モンスターだよ。体長は五メートル。パワーがあるだけじゃなく、蔓を使って相手を捕獲してくる、厄介なモンスターだ」


 人型、蔓を使う、パワーもある、五メートルの巨体。それぞれの特徴を一つか二つ持っているモンスターは見たことあるが、それらすべての特徴を合わせたモンスターは見たことが無い。


「道中でもグラプ以外のモンスターと遭う可能性はあるから、十分注意しないとね」


 仲間がいるとはいえ、用心して仕事にあたる必要はある。今一度、気を引き締めて取り掛かることを意識した。


 一時間ほど馬車に揺られて移動すると、「着いたよ」とフェイルさんが言った。目の前には、マイルス下級ダンジョンと似たような洞窟があった。フェイルさんは馬車から降りて、僕もそれに続く。


 洞窟の中に入ってすぐに、誰かがいる気配がした。無精髭を生やして黒くてぼさぼさした髪の男は、僕やフェイルさんよりも年季が入っている中年だった。中年はフェイルさんに気付くと、「よっ」と言葉を掛ける。


「待ってたぜ、そいつが最後の仲間か?」

「そうだよ。彼の名前はヴィック。まだ冒険者になって一年目だ」

「よろしくお願いします」


 元気な声で挨拶すると、中年は「おう、よろしくな」と返す。使い慣らしてそうな防具を着ているせいか、頼りがいのある男に見えてくる。


「じゃあ、案内をお願いします」

「おう、任せろ」


 中年を先頭にして、洞窟内を進みだした。洞窟を進むと間もなくしてダンジョンの入り口と思わしき場所が見えてくる。その近くには、ダンジョンの名前が書かれた看板が置かれている。

 看板には、『ツリック上級ダンジョン』と書かれてあった。


「フェイルさん、もしかして上級ダンジョンに入るんですか?」

「そうだよ。当たり前じゃないか」

「グラプは薄暗い場所に住み着くからな。当然、ゴクラク草もそこにあるっていうことだ」

「そうじゃなくて、僕はまだ下級ダンジョンにしか入れないんですよ?」


 冒険者は入れるダンジョンに制限がある。上級ダンジョンに入れる者は、中級ダンジョンを最下層まで踏破し、冒険者ギルドに認められた者にしか入ることは許されないはずだ。


「あぁ、それは大丈夫だよ。僕は入れる資格を持っているからね。資格を持った者が一緒なら問題ないんだよ」


 初耳な情報だ。しかしそれが本当の話なら、冒険者登録をしたときにギルドの職員が説明をしてくれるはずだ。

 だが二人は、僕の不安をよそにダンジョンに入っていく。

 不安を抱きながら、僕も同じように進んで行った。


 上級ダンジョンの一階層目、どんなモンスターが出るのかと不安だったが、まったく出る気配が無かった。辺りはしんと静まっており、僕らの足音しか聞こえない。少し拍子抜けだった。


「モンスターがいませんけど、普段からこんな感じなんですか?」

「いや、いたよ。けど昨日のうちに、凶暴な奴は先に片づけていたからね。今いるのは大人しい奴だけだよ。そのモンスターみたいに」


 そう言って僕の背後を指差した。振り向くと手の届きそうな場所に真っ黒い人型モンスターがいた。全身が影の様に黒く、目だけが光っていて不気味だった。


「オイカゲだよ。動いている動物の後ろをついて行って観察するのが習性だ。適当な時間が経ったら何もせずに離れていく、基本的には無害なモンスターだ。

 けど絶対に手は出さないでね。君だと一秒で殺されるから」


 武器を取ろうとした手を止めた。説明が無ければ剣を手に取って、その直後に殺されていただろう。フェイルさんの言葉を信じて歩き続けた。

 すると言葉通り、三分ほど歩くと勝手に離れて行った。ほっと胸を撫で下ろした。攻撃してこないとはいえ、モンスターが後ろからついて来るのを無視して歩く状況は、僕の精神をかなりすり減らした。


 モンスターと遭うこと無く歩き続けると、二人はある場所で止まった。そこには大きな岩が壁に寄りかかるように置かれていた。


「じゃ、ちょっと待ってろ」


 中年が岩をずらすように押し始める。ゆっくりと岩は動き出し、一メートルほど動かすと地面から下に続く穴が現れた。覗き込むと中は真っ暗で、どこまでも下に続いているように見えた。


「もしかして……」

「そう、これはグラプの住処にまで続く穴だ」


 フェイルさんはロープを取り出し、端を固定してロープを穴に垂らす。ロープがしっかりと固定しているのを確認すると、躊躇なく下に降りて行った。あっという間に、その姿は見えなくなる。次に中年がロープに掴まる。


「お前もすぐに降りて来いよ」


 そう言うとすぐに降りて行った。ロープを使って降りた経験は無いのだが、行くしかなかった。

 安全にゆっくりとした速度で降下する。不慣れながらもなんとか降りることができたが、地面に着いた時には腕が疲れていた。


 降りた場所は一階層目の道より狭い空間で、奥に続く道が一本だけあった。降りたときにはフェイルさんはおらず、中年だけが残っていた。


「フェイルさんは?」

「あぁ、やることがあるから先に行った。付いて来いよ」


 中年が歩き始めたので、慌て付いて行く。会話が無く、緊張した時間が続くと、間もなくして開けた場所に到着した。

 天井は十メートル以上の高さはあった。左右にも奥にも空間は広がっており、至る所で何かが光っている。足元にも光源があったので拾ってみると、明光石という名の鉱石があった。


 明光石は、光に充てられたときにその光を吸収し、熱や強い衝撃を与えると光り出す石だ。石によって明るさや光の持続時間が変化する、冒険者達が重宝する鉱石だ。下級ダンジョンにはあまり存在しない鉱石が、この空間には至る所に落ちてあった。

 これらを拾って売るだけでも十分な稼ぎになるが、欲求を抑えつつ歩き続ける。


 この空間でもモンスターと遭遇して戦闘することは無かった。出会いたくはないが、ここまで出会わないと逆に不気味だった。

 不安を感じつつ歩いていると、次第に景色も変わってくる。岩肌が露出していた地面から草が生え、更に歩くと土の地面になり、様々な種類の植物が見え始める。


 ダンジョンに生える植物は、日陰でしか生えない種類しかない。しかし辺りの植物の中には、日光を浴びて育つ植物が多く見られた。これがグラプの力で育ったモノなのかと思うと、その力に恐怖を感じ、同時に興味が湧いてくる。

 一目でいいから見てみたいという気持ちが湧いたとき、中年が「あそこだな」と言って方向を変える。その先にはフェイルさんではない別の男性がいた。男性はこちらを振り向いて僕と目が合うと、にやりと嫌な笑顔になる。


「へぇ、お前もこっち側に来たのか」


 その男性には見覚えがあった。よく冒険者ギルドの食堂で騒いでいるの一味の一人だ。彼らに巻き込まれない様に心掛けていたため近寄ることは無かったが、まさかこんな所で会うとは思わなかった。

 何故ここにいるのか知りたかったが、それよりも気になることがある。


「こっち側って、なんですか?」

「あ? 今の状況を見りゃわかんだろ。じゃ、ここは採れたんであっちに行きましょう」

「分かった。あと、ネタ晴らしが早い。こいつはゆっくりと取り込む予定だったんだぞ」

「良いじゃないすか。こいつみたいなやつは、そこらへんにいくらでもいますよ」

「まったく、フェイルからネチネチ言われる姿が目に浮かぶな」


 二人は歩き始めるが、僕はまだ状況を理解できていなかった。問い詰めるために声を掛けようとした瞬間だった。


 奥から大きな足音が聞こえた。ゆっくりとして重量感が伝わるほどの足音が奥から響いてくる。まだ姿は見えないが、このタイミングでこの場所に来るということは、グラプの可能性が高い。


「ちょっと。もう来ちゃいましたよ?」

「足止めに失敗したのかもしれん。一旦、退き返した方が良い。幸い、保険もあるしな」


 中年は僕に向かって来る。嫌な予感がして身を引いたが、一瞬にして距離を詰められた。

 近づくと同時に僕の腹に蹴りを入れられて、息が止まる。身体がくの字に曲がって、地面に膝をつく。たまらず腹を両手で抑えようとしたが、いつの間にか両手を背中にまわされてロープで縛られていた。


「こう見えて俺は傭兵でな。こういうことはお手のもんだよ」


 何が起こっているのか、全く分からなかった。

 今日は、仕事のためにここに来たはずだった。危険であることは理解していた。モンスターに襲われることも想定していた。


 だが仲間に襲われた今の状況は、意味が分からなかった。


「おいおい、もしかしてまだ理解してないのか?」


 男性の笑い声が耳に入った。にやにやと笑いながら、男性は話し始めた。


「お前、騙されたんだよ。フェイルさんにな」


 耳を疑った。


「……なにを、言ってるんですか?」

「だから言ってるだろ。お前がどんな話で誘われたのかは知らねぇが、その様子だと良い仕事を受けたつもりで来たんだろ。だが俺達は、お前を利用するつもりで呼んだんだよ。餌としてな。

 グラプは自分の育てた植物を取られるのが大嫌いでな。見つかったら最後、犯人を追いかけて捕まえて食い殺す。だから逃げるときに身代わりが欲しかったんだよ。その役目が、お前」


 嘘だと思いたかった。全部こいつのホラだと思いたかった。


「嘘じゃねぇぞ。というか、ホントに健全な仕事なら、仲間に違法なことをさせるわけねぇだろ」

「違法?」

「下級冒険者を、上級ダンジョンに連れて来ることだ。フェイルが、上級ダンジョンに入る資格を持った人が一緒なら大丈夫、と言ったのは嘘だ」


 中年が淡々とした口調で説明する。それを聞いた男性が、愉快な表情で笑い続ける。


「まさかギルド職員の話を聞いてなかったのか? ありえねー。どんだけフェイルさんを心酔してたんだよ。

 あの人は詐欺師だよ。元上級冒険者だけど、度々こういうことをしてるんだぜ。お前みたいなゴミがうようよ居やがるからな。大した悪党だぜ。ま、俺もそのおこぼれに預かってるから、文句はねぇけどな」


 フェイルさんへ抱いていた信頼が、音をたてて徐々に崩れていく。

 フェイルさんの言葉があったから、やり直そうと思った。頑張ろうと思った。

 だけどそれが嘘だった。

 励まされたあの言葉を支えとして生きていこうと思ったのに……。


 これから僕は何を信じればいいんだ?


「おい、そろそろ行くぞ」


 中年はそう言って、男性と一緒にその場から離れた。一方の僕は、全く動けなかった。両手だけではなく、話を聞いている間に両足も縛られていたから身動きが取れなかった。


 だが仮に縛られていなくても、逃げなかっただろう。

 目の前には聞いた通りの姿をしたモンスターが現れた。全身を蔓で覆われて、五メートルを超す巨体の人型モンスター、グラプ。グラプは僕の前に立つと、ゆっくりと手を伸ばし始める。その手を見て、僕は逃げることを諦めた。


 この仕事を達成出来たらやり直せると思った。また頑張ろうと思っていた。

 だけど、その仕事すら無かった。


 やはり、僕の思った通りだった。

 散々嫌な事しか、僕の身には起きなかった。だというのに、何故これからは良いことが起こるなんて思えるのだろう。まったく滑稽な話だ。

 所詮、僕の人生はこんなものだ。生まれたときから人生は決まっていて、変えることなんてできない。良い人生を選ぶ選択肢すらありゃしない。

 だったら、さっさとこんな人生からは、おさらばしよう。


 そう思って諦めたものの、一つだけ心残りがあった。


「やっぱり、先に謝ってれば良かったなぁ」


 ウィストさんの泣き顔が、頭に浮かんだ。

 彼女に対して、謝ることができていない。そんな簡単な事すら後回しにしてしまった。それだけが唯一、後悔していることだった。


 後悔のしすぎか、目の前にウィストがいるように見えた。

 幻覚が見えるくらい、後悔をしていたのかと思うと自嘲してしまう。


 だが幻覚だと思ったウィストさんは、グラプが伸ばした手を斬りつける。グラプは痛がるように手を引っ込めた。


「ヴィック、大丈夫?」


 その声が僕を現実に引き戻した。

 幻覚ではない。本物のウィストさんが目の前にいた。


 ウィストさんは僕を縛っていたロープを剣で斬っていく。あっという間に、両足を縛っていたロープが斬られた。


「なんでここに?」

「ついて来たのよ。馬車に乗って」


 次に両手を縛っていたロープを斬り終える。両手両足を縛っていたロープは無くなり、自由に動けるようになった。


「今朝ヴィックを見かけて、冒険者ギルドに寄らずに街の外に行こうとしてたから変だと思ったの。しかもダンジョンに入る格好で馬車に乗ってたから、気になって荷車に乗り込んで付いて来たら―――」


 説明した直後に、グラプが僕らをめがけて殴りかかってくる。僕を縛っていたロープを斬ることに夢中になっていたウィストさんは、まだ気づいていない。僕はすぐに立ち上がり、ウィストさんを引っ張ってその攻撃を避け切った。


「ありがと」


 避けさせてくれたことに、ウィストさんは礼を言う。


「それは僕のセリフだよ」


 僕は助けに来てくれたことに礼を言った。


「あの後、いろいろ考えたんだ」


 ウィストさんはグラプから目を離さずに喋り始める。


「正直、言ってる意味が分かんなかった。けど私のせいでヴィックが傷ついていると思ったら、そんな事は言ってられないと思った。だからよく考えたの」


 ウィストさんは、真剣な面持ちで答えを出した。


「やっぱり、私は全く悪くない」


 きっぱりとした物言いに、若干戸惑ってしまった。


「……正直だね。間違ってないけど」

「私は普通に冒険していただけだよ。そっちが勝手に負い目を感じたんだから、私は関係ない」


 グラプはゆっくりとした動作で、僕達の方に向き直って腕を振り上げる。その様子を僕らはしっかりと見据えて、避ける準備をする。


「だからさ、ちゃんと話そうよ。私達はお互いを知らなさすぎる。分かり合えたら、あんなことは起こらない。多分、きっと」


 最後の弱々しい言葉に、思わずくすりと笑ってしまう。


「まぁ、そうかもしれないね」


 本音としては、やはりウィストさんと分かり合えるのは無理だと思った。

 逃げた僕とは違い、ウィストさんは真剣に考えて向き合おうとしている。その強さは、僕には持ち合わせていないものだ。


 天才と凡人、強者と弱者、恵まれた者と恵まれていない者。二人の間の壁は厚くて大きい。理解できないことが、譲り合えないことがきっとある。それがある限り、僕は劣等感を抱き続ける。


 だが、僕を助けるためにウィストさんは来てくれた。死を覚悟し、生きることを諦めていた僕の命を、彼女は救ってくれた。

 せっかく助けてもらったこの命、一緒に逃げて、ウィストさんに謝るまでは使わせてもらおう。


 最後の最後に、神様は僕に望みを叶えるチャンスをくれたのかもしれない。

 だとしたら、死ぬのにはまだ早すぎる。


「まずは、ここから出ることを考えようか」


 グラプの拳を避けて、ここから逃げ出す算段を考える。

 降りてきた洞穴まで行けばこっちの勝ちだ。洞穴はグラプが入れない程小さい。そこまで行けばグラプは手を出すことができない。


 だが問題は洞穴まで行く方法だ。洞穴はグラプの向こう側にあるので、グラプを避けて行く必要がある。グラプの動きは遅いとはいえ、相手は五メートルの巨体だ。そのリーチの長さを見くびって適当に避けようとすると、捕まってしまうかもしれない。


「じゃあ、十分引きつけてから逃げるよ。また殴りかかってくるから、それを避けてから足元を抜けよう」

「分かった」


 悪くない案だと思った。さっき殴りかかってきたときと同じ速さなら、十分に見切って避けることができる。反転の動作も遅いから、足元を抜けて後ろに逃げれば、反転するまでにはかなりの距離を稼げるはずだ。


 作戦を決めると、グラプは再び距離を詰めて来る。踏み込むと同時に、さっきと同じように殴りかかってきた。やはり動きの速さは変わらない。

 いつでも動けるように準備し、拳の動きを見て十分に引きつける。拳との距離まで一メートル程になると、ウィストさんの「いま!」という声を合図にして避ける。ギリギリだったが避け切った。

 そのままグラプの足元を抜けるように走り出す。大きな足が邪魔だったが、問題無く走り抜けることに成功した。


「よし、これで―――」


 大丈夫だ、と横を走っているはずのウィストさんに言おうとした。だが、走っているのは僕一人だった。予想外の出来事に足を止めてウィストさんを探すがすぐに見つかった。


 ウィストさんはグラプの足元で転んだまま、起き上がれずに倒れている。いや、起きようとしているが、何かに縛られているみたいに身体を上手く動かせられないようだ。

 駆け寄るとその原因が分かった。ウィストさんの足にグラプの身体から伸びた蔓が巻き付いていた。ウィストさんは上半身を起こして、剣で蔓を斬っているが、数が多すぎて斬りきれない。僕もすぐに蔓を斬り始める。

 「グラプは蔓を使って捕獲してくる」とフェイルが言った言葉を思い出す。仕事の内容は嘘ばかりだが、モンスターの情報は全部正しかった。その事実が僕を余計に苛立たせる。


 イラつきながらも蔓を斬り続ける。数は多いが一本一本の強度は弱い。問題はグラプがいつ攻撃してくるかだ。横目で見ると、すでに身体を僕らに向けている。

 途端に焦りが生まれる。簡単に斬れていた蔓が、なかなか斬れなくなる。だがウィストさんの調子は変わらず、同じペースで蔓を斬り続ける。


 あと数本で全部斬れる、と思ったときだった。

 ウィストさんが僕の腕を掴むと、僕を遠くへ投げ捨てる。いきなりの事で碌に受け身が取れずに身体を痛めたが、すぐに身体を起こしてウィストさんを見る。


 何が起こったのか分からなかったが、先程まで僕がいた場所を見ると理解した。その場所にはグラプが新たに伸ばした蔓があった。ウィストさんに投げられなければ、今度は僕が掴まっていただろう。

 新たな蔓は、捕まえようとした僕がいなくなるとウィストの方に向かっていき、身体に巻き付いた。蔓がウィストさんの両手に絡んだことで、剣すらも握れなくなった。


「ウィストさん!」


 叫びながらウィストさんの元に向かう。だが、すでにグラプは殴る動作に入っていた。明らかに間に合わない。


「逃げて!」


 ウィストさんが叫んだ直後だった。ウィストさんは全く防御の姿勢を取れない状態でグラプに殴られた。

 その強さの余り、縛っていた蔓は千切れたが、ウィストさんの身体は壁にぶつかるまで地面を転がる。壁にぶつかるとウィストさんは起き上がることなく、ぐったりと倒れ伏した。


 グラプは倒れたウィストさんの方に歩き出す。まだ動ける僕を後回しにし、倒れて動けないウィストさんを先に止めを刺そうとしている。僕はすぐにウィストさんの下に向かう。足は僕の方が速いため先に辿り着いた。


「ウィストさん、起きて! ウィストさん!」


 声を掛けるが、ウィストさんは全く反応しない。幸いにも息はあるが意識が無い。起こすことを諦めて、ウィストさんを背負って逃げることにする。

 だが背負ったときには、すでにグラプは僕らの前で仁王立ちで待ち構えていた。

 さっきと同じように足元を抜けて逃げようとした。だがグラプは、蔓を広く伸ばして僕らの逃げ場を無くしている。


 後ろは壁、前にはグラプ、左右にも蔓が伸びきって道を塞いでいる。八方塞がりだ。

 生き残る道は、目の前にいるグラプを倒すことだけだった。だがそれは、一番無茶な選択肢だ。

 剣はウィストさんに投げられたときに放り出してしまった。いや、仮に持っていてとしても、これほどの巨体を相手にして勝てる気がしない。


 もはや選択肢は、何もできずに死ぬことしか残っていない。


「いやだ……」


 だがその選択肢を、選びたくはなかった。

 さっきまでなら、諦めていたかもしれない。だが今の僕の背中にはウィストさんがいる。彼女を助けるためにも、死にたくなかった。


 僕の想いを気にせずに、グラプは殴り掛かってくる。相変わらずの遅さだが、逃げ道が無いという重圧が僕の足を止めていた。

 死にたくない。けど生き延びる術が思いつかない。


 絶望が目の前にまで迫ってくる。


「誰か……」


 ウィストさんが来てくれたように、誰かが助けてくれることを願うしかなかった。


「誰か、助けてください!」


 自分でも最高にみじめだと思った。だけどみじめでもいいから助かりたかった。ウィストさんを助けたかった。


 直後に、衝突音が洞窟内に響いた。

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