第3章
第1話
注文したジュースを、時間をかけてゆっくりと飲んだ。新しい依頼が来るのを待つために、冒険者ギルドにあるテーブルで掲示板を眺めていた。しかし、僕が達成できなさそうな依頼しか、掲示板には張り出されていなかった。
冒険者ギルドには、依頼の受付や素材の買い取りだけではなく、食事を提供するサービスもある。栄養があって量が多い料理と酒類の飲み物が人気だ。だが酒は飲んだことが無いので、ジュースを飲みながら時間を潰していた。
「最近、よくここで見かけるな」
グラスが空になりそうなときに、声を掛けられた。歳が僕とそう変わらない、大柄な青年だ。名前は知らないが見たことはある。他の街から四人でマイルスに来て、冒険者になったメンバーの一人だ。
「毎日ダンジョンに行ってたらしいが、最近は行かないのか?」
「……依頼はよく受けてるよ」
「だろうな。どうりで最近は俺達向けの簡単な依頼がすぐに無くなるわけだ。座って良いか?」
青年の意図が読めないので少し悩んだが、別に困ることは無いと思ったので頷いた。青年は向かい側の椅子に座ると、料理と酒を注文した。
「噂に聞いたんだが、お前、あのウィストと一緒にダンジョンに行ったんだっけ?」
「そうだけど……」
この話題にはうんざりしていた。ウィストさんの事を聞いて来る輩がまだいたからだ。
ウィストさんがグロベアを倒したという話はあっという間に広がった。あの日、グロベアを連れて戻ったのは夕食時。その時間はダンジョン探索や依頼を終えた冒険者達が、素材の買い取りや依頼の報告のために、一日で最も人が集まる時間帯だった。そのタイミングで冒険者になって一日しか経っていない少女が、子供とはいえグロベアを倒したという報告をすれば、多くの冒険者にそのことが伝わるのは当然だった。
何人かの冒険者は信じていなかったが、一緒にいた依頼人の証言により、疑問の声は無くなった。
その後はウィストさんの下に多くの者が集まって、グロベアを討伐した話を聞こうとした。一方で第三者の話を聞きたいという者は、依頼人や僕の下に来て話を聞きにくる。彼らは感嘆の言葉を上げたり、ひきつった顔で「大したことない」と説得力の無い言葉を言っていた。
翌日以降も話を聞きに来る者が多く訪れた。話をしている間は、僕が人気者になったかのような気分になったが、話し終わるといつも虚しい気分になった。
あの日以来も、僕はウィストさんと一緒に依頼を受けることがあった。一緒に行くと手が出せなかった依頼を受けられるようになったので僕にも恩恵があった。
だが依頼が終わると、ウィストさんの話を聞こうとする者が何人も訪れる。最初の方は淡々と対応していたが、それが何度も続くと途端に嫌になった。
だから最近は一人で依頼を受けて、ウィストさんと会わない様にしていた。お蔭でウィストさんの話を聞きに来る人は居なくなったと思っていた。
だが目の前の青年みたいに、まだ話を聞こうとする人がいたようだ。
「あんな子がグロベアをやっつけるなんて、ショックだよなー」
意外な言葉を聞いて、思わず青年の顔を凝視してしまった。
「ショック?」
「あぁ、そりゃそうだろ。自分より年下で非力な奴が、冒険者になった翌日にだぞ。聞いた日には碌に食事もできなかったよ」
意外と繊細な精神の持ち主の様だ。だが、その気持ちは僕にも分かった。
「……僕も、そんな感じだったよ」
「だよな。天才っていうのかな、ああいうのを。あれほどの冒険者が近くにいると、なんつーかやる気が無くなるというか、無駄なんじゃないかって思っちゃうんだよ」
青年が溜め息を吐くと同時に、頼んだ食事が運ばれてきた。運ばれてきたのは、芋を細く切って油で揚げた『揚げ芋』という料理だ。腹も膨れて、お酒にも合う料理らしい。
「お前も食えよ」と言って、料理の乗った皿を真ん中に置いた。青年が先に手掴みで一本取ったのを見た後、僕も同じように取って食べた。
「今日は一人なの?」
いつもは四人で冒険者ギルドに来ているが、今は青年一人だけだ。
「気分が悪いって言って休んだ」
「もう大丈夫なの?」
「あぁ、サボりだからな。言ったろ? やる気が出ないって」
たしかに病人がこんなところで食事や酒を飲んだりはしない。だが調子は良くなさそうに見える。時折吐く溜め息のせいで、そう感じた。
「お前も、似たようなもんじゃないのか?」
「何が?」
「気分が悪いんだろ」
酒を一口飲んで、続けて言う。
「ダンジョンばっかに行っていた奴が、最近はダンジョンに行く必要が無い依頼ばかりを受けている。依頼なら、あの子と一緒なら良い依頼を受けられるのにそれをしない。あの子を避けているのが丸分かりだ」
言葉が胸にグサグサと刺さってくる。言い訳のしようがない程の的中っぷりだった。大柄で武骨な顔から力任せな人間だと思っていたが、人間観察が得意な人物だとは思いもしなかった。
「大方、感じちゃったんだろ、劣等感を。だから彼女からなるべく避けるようにして、劣等感を避ける様にしているってわけだ」
「……だとしても、あなたには関係の無い話でしょ」
「あるよ。俺も似たようなもんだからな」
青年は店員を呼ぶと、酒をもう一杯注文する。
「俺も、あの子に劣等感を感じたんだよ。けど皆はそうじゃないみたいなんだ。人は人、自分は自分ってな。調子が悪いのもそのせいだ。だから、似た者同士で鬱憤を晴らしたいってわけなんだよ。一緒に飲んでな」
言い終わると同時に、酒がテーブルに運ばれた。青年はそれを僕に渡してきた。
「飲め。俺の驕りだ」
「いや、僕お酒飲んだこと無いし」
「酒は良いぞー。一時的に嫌な事を忘れられるからな。そのうえ美味い。俺を助けると思って、一杯だけ付き合ってくれよ」
嫌な事を忘れられる、その言葉に魅かれた。酒を飲んだことも無かったので興味があったのも事実だが、嫌な事を忘れたいという理由の方が強かった。
僕は黄色く泡立った酒を受け取った。
「じゃあ、こいつだけ」
「おう、ありがとな。それじゃあ乾杯」
グラスを合わせてから、酒を口にする。苦みが口の中に広がった。
*
朝起きてから、ずっと気分が悪かった。原因は昨日慣れない酒を浴びるように飲んだからだ。飲みすぎたせいでイライラが収まらなかった。
一杯だけのつもりだったが、それだけでは嫌なことを忘れられなかったので大量に飲んでしまった。お陰で一時的に良い気分になれたが、朝起きるとイラつきがさらに増していた。
もうやけ酒はしない。そう心に誓った。
だからといって、冒険者ギルドに通う習慣は欠かさない。もしかしたら、新しい依頼が入っている可能性もあるからだ。
今の体調ではすぐに依頼を果たすことは無理だ。しかし急ぎの依頼でなければ、先に依頼の受託だけをして、一日遅れて実行することが可能だ。依頼の期日までに達成すれば問題無い。
冒険者ギルドに入って、すぐに掲示板に向かう。掲示されている依頼書が、少しだけ変わっている。そのなかに僕でも受けられそうな依頼があった。
文字の読み書きの勉強はしてこなかったが、冒険者になってからは最低限の文字を覚えた。『報酬』と『期限』、そして数字だ。これらを覚えておけば、大まかな依頼の難易度を知ることができる。
僕が達成できる依頼は、報酬金が低く、期限が早いのが特徴だ。大抵の依頼は、『近くのマイルス下級ダンジョンで鉱石やモンスターの素材が少し足りないから、急いで集めてきて』である。
期限は早いが簡単にできるため、報酬は高くない。だが日常生活を送る分には十分な額なので、不満は無かった。
依頼書に手を伸ばし、寸前で手を止めて引っ込める。
いつもなら依頼書を手に取って、依頼内容をギルドの職員に読み上げて貰ってから、依頼を受けるかの判断をする。だが、それができなかった。
「……めんどくさい」
やる気が起きないのは、初めての感覚だった。
村に居たときは、怒られたくないという後ろ向きな理由だが、やる気はあった。冒険者になってからは、自分自身のために稼ぐことに楽しみを覚えたため、やる気を持って日々を過ごしていた。
だが今は、後ろ向きな理由も、金を稼ぐ楽しみも持てなかった。
頭に浮かんだのは、期待の新人と呼ばれるウィストさんの顔だった。
ウィストさんは類まれなる才を活かして、色んなモンスターを倒しながらダンジョンを冒険している。どんどんダンジョンの各階層を踏破し、今では五階層に挑戦しているという話だ。その速さは、マイルスダンジョンの最速踏破記録に迫る勢いだ。
一方、僕はどうだ? 才も無ければ仲間もいない。未だに三階層で足踏みをしている状態だ。ウィストさんは僕より後に冒険者になったにもかかわらず、あっという間に僕を追い越して差をつけるほど成果を上げている。
ウィストさんだけではない。昨日一緒に酒を飲んだ青年がいる四人組の冒険者達もそうだ。ウィストさん程じゃないにせよ、彼らも僕より後に冒険者になったのに、仲間と協力してダンジョンを進んでいる。
僕だけが停滞している。その現実がとてもつまらなかった。
依頼を受ける気を無くし、掲示板に背を向けて離れる。
ギルドから出ようとしたとき、知っている声が聞こえた。
受付でウィストさんがフィネさんと話をしていた。手には素材を入れた袋を持っていることから、買い取りをしてもらおうとしているのだろう。
ウィストさんが袋をカウンターに置いて、フィネさんが素材の鑑定を始める。二人の姿を見ていると、ウィストさんが僕の視線に気づいた。
「やっほー。久しぶりだねー」
「うん、久しぶり」
顔を合わせたのはおそらく一週間ぶりだろう。避けるように活動時間をずらしていたから、会わないのは当然だ。
だが僕の思惑を知らないウィストさんは、呑気に話しかけてくる。
「ヴィックは今日はもう上がり? それともこれからダンジョンに行くの?」
「いや、今日は行かない」
「そうなの? 今なら手が空いたから手伝えるんだけどなー」
たった今ダンジョンから帰って来て疲れているはずなのに、僕を手伝おうとする余裕がウィストにはあった。
悪意も打算も無い言葉であると分かっている。もしかしたら、僕が行かないと知ったから分かってて言っただけかもしれない。
いつもなら適当な言葉を返していたはずだった。
だが今は、その余裕のある態度が癪に障った。
「余裕があるんだね。さすが、期待の新人冒険者様だ。底辺とは格が違うね」
ウィストさんが何度も瞬きした。突然、顔見知りに嫌味を言われたら驚くのも無理はない。
「今日はすぐにノルマが終わったから……たまたまだよ?」
「へー、毎日ノルマを自分に課してるんだ。その意識の高さ、底辺の僕には真似出来ないよ」
「えーっと、底辺って、何?」
恐る恐る聞く態度が珍しかった。大方予想はついているんだろうが、誤魔化してほしくて聞き返したのだろう。いつも明るい声で話をすることを知っているだけに、今の姿を見るのは面白かった。
「僕みたいな冒険者の事だよ。その日暮らしで、将来の無い、ダメな冒険者って意味さ」
意地悪く教える僕に対し、ウィストさんの表情には陰りが見られる。
「なんで自分の事をそんな風に言うの? 卑下しても良いことなんて無いよ」
「良いことって?」
「冒険者なら、宝を見つけたり、モンスターのお肉をすぐに食べられることかな。疲れたときに食べるお肉は最高だよ!」
ぎこちない笑みを浮かべて伝えるが、その魅力は僕には分からなかった。すぐに冒険者としての楽しみを見出すのも、また才能なんだろう。
「僕には無いよ、良いことなんて。今までずっとそうだったんだから、これからも無いよ」
「そんなことは―――」
「あるよ」
ウィストさんが言い切る前に、言葉を割り込ませた。
「親が死んで、クソみたいな親戚の下で奴隷の様に働かされて、家を追い出された。冒険者になっても、毎日の生活費を稼ぐのに精一杯。それでも懸命に頑張ってたら、後から来た冒険者達に追い越されて、惨めな気分を味わい続けている。どこに良いことなんてあるんだい?」
ウィストさんは困惑した表情のまま黙っていた。かまわずに、僕は喋り続ける。
「ほんと、君達には嫉妬しっぱなしだ。一緒に進む仲間がいる。一人で生きていける才能がある。ピンチを助けてくれる戦友がいる。ダンジョンを娯楽に変える人格がある。君達の環境が、すごく羨ましいよ。
どうせ君は、子供の頃からその才能のお蔭でちやほやされてきたんだろ? 僕とは、雲泥の差だよ。君と一緒にいると、僕はずっと劣等感を感じているのに気付いてた? 絶対に気付いてないでしょ」
「ヴィック、そろそろ止めて」
騒動に気付いたフィネさんに声を掛けられるが、無視して僕は言い切った。
「これ以上僕を、惨めにさせないでよ!」
自分の中に閉じ込めていた感情を、全てぶつけた。慣れていないせいか、喋っているだけだったのに息切れをしていた。
だが、少しだけせいせいとした。誰にもぶつけられなかった黒い感情を口に出すと、こうも楽になるのか。
その心地よさに少しだけ浸っていると、鼻をすする音が聞こえた。
前にいるウィストさんから発せられた音だった。俯いていたまま目元を拭っているが、足元を見ると雫の落ちた後があった。
泣かせてしまった。
一瞬にして、高揚していた気分が一気に落ち込んだ。とんでもないことを、してしまった。
「あ、えっと、その……」
謝ろうとしたが、言葉が出ない。焦りが募った。「謝れ」と自分で自分をせかすが、その一言が口から出ない。
あたふたしていると、先にウィストが顔を上げた。目元を拭うと、僕の顔を真っ直ぐと見る。
「あのね―――」
ウィストさんが口を開けた瞬間、僕は逃げた。
「待って!」
後ろから声が聞こえたが、かまわず走った。
消え去りたいと思いながら、逃げ続けた。
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