第3話

 転んだ拍子に、大量の鉱石が転がる音が響き渡った。後頭部に鉱石がぶつかったがそんな事はどうでもいい。今は大きな音を立てる方が大問題だ。

 転ぶだけなら大きな音を立てずに済んだかもしれないが、不運にもリュックの口がちゃんと閉まっていなかった。結果、遠くにいても聞こえるほどの音を出してしまう。皆も唖然とした表情で僕を見ていた。


 穴があったら入りたい気持ちになったが、そんな余裕は無い。鉱石の転がる音が止むと、重量感のある足音が聞こえてくる。しかも、さっきよりテンポが速い。

 グロベアが僕達がいることを確信して、向かってきていることは間違いなかった。


「走れ!」


 鍛冶職人が叫ぶと同時に、皆一斉に走り出した。僕もすぐに起き上がって走り始める。

 その気配を察したのか、グロベアの足音も早くなった。


「やっぱり追ってくるのか?! まずいぞ!」

「多分腹を空かしているんだろう。五階層のモンスターがいないのもあいつのせいだ」

「あいつが全部食べたの?!」

「全部かは知らん! ただ結構派手に暴れていたことは確かだ! 他のモンスターは隠れているだけかもしれん」


 グロベアの口元と前足を見て、うすうすとそんな感じはしていた。あれは他のモンスターを食べるときに付いた血が、黒ずんだ色だと思っていた。


「腹を空かせて獰猛になったあいつがやばいのは、さっき言ったとおりだ! 捕まえるまで追って来るぞ!」


 言われなくても予想は出来たことだった。グロベアの足音が一向に小さくならない。寧ろさっきより距離を詰められている気がする。

 だが可笑しい話ではない。僕等はさっきまで採掘や荷物運びを長時間行っていた。だから体力が落ちているのもあるし、持っている鉱石のせいで足が重くなっているのもある。リュックを捨てたかったが、依頼主の許可無く捨てるのは躊躇われた。


「ヴィック、あと少しだけ荷物を運んでくれ。僕に考えがある」


 料理人には何か策があるようだった。それを信じて走り続けていると、四階層目に繋がる上り坂に着いた。

 足を止めることなく坂を駆け上がる。重い荷物を持ったまま上るのはきつかったが、グロベアに追いつかれる前に上り切った。


 ふと背後を見ると、グロベアはまだ坂を上っている最中だ。それを見た料理人は僕のリュックを取って、残っていた鉱石を坂に転がし始める。


「これで足止めが出来れば」


 リュックには半分ほどしか鉱石は残っていなかったが、驚かすには十分な量だろう。しかも一つ一つの鉱石が大きいので、上から鉱石が転がってくる光景は恐ろしいはずだ。驚いて追ってくる気を失せてくれるかもしれない。


 鉱石はグロベアに向かって行くが、グロベアは足を止める気は全く無さそうだった。


 そして鉱石群とぶつかる直前、グロベアは跳んだ。

 それはそれは、見事な跳躍だった。

 突起が無い綺麗な坂道のため、あまり鉱石が跳ねなかったことはある。しかしグロベアは上り坂を上っていたのだ。にもかかわらず、重力をものともせずに跳躍し、ほとんどの鉱石がグロベアに当たることは無く転がっていった。


 グロベアは着地すると、そのまま足を止めることなく走り続ける。


「くそっ! 動けるデブかよ!」


 鍛冶職人が悪態を付きながら走り始める。しかし、さっきよりもまずい状態になった。

 鉱石を転がしたときに、皆が足を止めて結果を見守っていた。一方でグロベアは全く足を止めずに走り続けている。その結果、僕達とグロベアの距離はさらに縮まってしまった。

 しかも四階層目はモンスターが残っている。途中でモンスターと遭遇してしまったら、その時点で追いつかれてしまう。

 さらにまずいことに、三階層目と四階層目を繋げる道は梯子で繋がっている。グロベアとの距離が離れていればそこで逃げ切ることができるが、今より距離が縮まると梯子を上っている最中に襲われる可能性が高い。


 何とかして距離を稼ぐ必要があった。荷を下ろして懸命に走るものの、疲労のせいで速度が落ちている気がした。一瞬だけ後ろを振り向くと、さらに距離が縮められているのが分かった。


「頭を下げろ!」


 突然、鍛冶職人の声が響いた。グロベアの様子見のために後ろを向いていた頭を前に戻す。すると前方を走っていた皆は、頭を素早く下げていた。

 同時に前方から、羽を持った黒い生き物が飛んで来る。名前はデバット、ダンジョンの至る場所に生息するモンスターで、手と一体化した羽を使って飛び回る。

 一匹だけだったが、急な襲来に反応できずにデバットが顔にぶつかった。衝突した勢いに耐えられず、その場で倒されてしまう。


 直後に、地面の振動からグロベアが間近に迫っていることが分かった。すぐに起き上がるが、グロベアとの距離はもう十メートルもない。今から起き上がって走り出したとしてもグロベアから逃げ切れる自信が無い。


 ここで死ぬのか? まだ何も成し遂げていないのに。

 死と後悔が頭によぎった瞬間だった。


「伏せて!」


 ウィストさんの声が響いた直後、僕とグロベアの間に鉱石が投げ込まれた。ウィストさんが今まで背負っていたリュックに入っていた鉱石だ。

 鉱石で足止めする気なのだろうが、おそらく無駄だ。さっきと同じように跳び越えられる。それをウィストさんも見ているから分かっているはずだった。


 案の定、グロベアは躊躇せずに鉱石を跳び越える。さっきより鉱石が長い範囲に散らばっているため、坂でした跳躍より高く跳んでいた。


 その瞬間、ウィストさんが前に出た。僕の横を通り抜けて、グロベアとの間に入る。同時に帯剣していた剣を抜いて、跳んでいるグロベアに向かう。

 グロベアが着地する直前、ウィストさんは走りながら剣を突き刺す。刺さると同時に、斜め前に転がりながらグロベアを避ける。


「グオォオオオオオ!」


 グロベアの叫び声がダンジョン内に響き渡る。ウィストさんの剣はグロベアの首の根元に刺さっていた。人なら即死ものだが、グロベアは叫び声をあげながらもまだ息がある。想像以上の耐久力だ。


 グロベアはウィストさんに向き直る。ウィストさんは既に二本目の剣を抜いて構えていた。


「おい、早く立て」


 後ろから鍛冶職人に声を掛けられる。二人は武器を持ち、すでに臨戦態勢になっている。僕もすぐに立ち上がって剣を抜く。


「どうする?」

「今は動かない方が良い。奴の挙動を見てから、こっちも攻撃する」

「そんなんじゃあの子が死ぬぞ。不意打ちは成功したけど、真正面から戦ったら明らかに分が悪い」

「……いや、分からない」


 料理人が喋った直後に、グロベアは後ろ脚で立ち上がる。さっきまで僕達より低い所にあった頭は、あっという間に逆に僕達を見下ろす高さにまで上がった。


 グロベアは右前脚を殴るように振り下ろす。喰らったら一撃で死にそうなパンチだ。ウィストさんはそれを見切って、グロベアの足元を転がりながら避ける。同時に、剣を後ろ脚に斬りつけた。あまり効いていないのか、傷に意を介さず、ウィストさんの方に身体を向けた。

 しかし、振り向いたときには、すでにウィストさんはグロベアの背中に跳びかかっていた。背中に捕まってすぐに頭付近によじ登ると、躊躇なく突き刺す。


 グロベアは刺した直後こそビクンと動いたものの、間もなく静止して地面に倒れた。ウィストさんが頭と首の根元に刺した剣を抜いても、全く動かない。


「死んだかな?」


 ウィストさんの疑問に応えるように、料理人が近づいてグロベアの様子を見る。身体のいたるところを触ったりした後、「死んでるな」と答えた。


 ウィストさんは深く息を吐くと、「あー、恐かった」と呑気に感想を述べた。


「いやお前……凄すぎるだろ!」


 鍛冶職人は大声でウィストさんに言った。その声にウィストさんは驚いたが、「いやー、無我夢中だったから」と照れ臭そうに返す。


「いや、自慢しても良い成果だ。このグロベアは大きさからしてまだ子供だろう。だが、子供でも危険なモンスターであることには変わりない。それを昨日冒険者になった者が倒すなんて、前代未聞だ!」


 料理人もテンションが上がって、大声で褒めていた。


「そうだ! もっと誇れ!」

「けどせっかく集めた鉱石を捨てちゃいましたから、プラマイゼロかな?」

「鉱石なら今から集めなおせばいい。それよりこのグロベアの回収が先だ。モンスターの素材は狩った者が得られるという約束だから、全部君の物だ。グロベアの素材は貴重だから高く売れるぞ」

「そうだ! 奢ってくれ!」

「年下の女子に奢らせるな」


 わいわいと騒ぐ皆の輪に入れず、僕はぽつんと立っていた。驚きの展開の連続について行けずに、ただ皆を見ていた。

 ずきんっと後頭部に痛みを感じた。触ってみると少しだけ腫れている感触がある。デバットとぶつかってこけたときに後頭部を地面にぶつけたので、そのとき出来たたんこぶだろう。


「ヴィック、さっき倒れてたけど大丈夫?」


 その様子を見たウィストさんが僕に声を掛けた。


「あ、うん。大丈夫だよ」

「あー、デバットとぶつかったのか。すまん、もう少し早く声を出せれば良かったんだが。飯を奢るから許してくれ」

「いえ、その、僕のせいなので、気にしないでください」

「ぎりぎりの状態だったんだ。反応が遅れるのも無理はない。僕らがもっとしっかりすれば、こんな危険な目に遭わなかったんだから。僕ももっと気をつけないといけないな」

「あの、本当に気にしないでください。僕が……」


 その後の言葉が出てこなかった。

 倒れたのは僕自身の不注意が原因だ。あのときグロベアの様子を見るために、後ろを向いていた。鍛冶職人が声を出したときに前を向いていれば、料理人やウィストさんと同じように避けられたはずだった。

 それを言って鍛冶職人が悪くないことを伝えるべきだったが、その言葉が出なかった。


「えー、私には奢ってくれないの? グロベア討伐記念に」

「おいおい、奢るに決まってるだろ。な?」

「あれ、君が言ったんだろ? 僕は奢るなんて言ってないよ」

「それはないぜぇ。ちょっと今月はギリギリなんだから助けてくれよ」

「ギリギリなのに奢ろうとしたのか? 仕方ない、僕も奢るさ」

「やったー。じゃ、早くこれと鉱石を拾って帰りましょう!」


 話が終わりそうになるのと同時に、


「じゃあ、僕は坂の方の鉱石を拾って来ます」


 と言って、返事を待たずに走り出した。

 これ以上もたついて、迷惑になるのは避けたかった。


 だが五階層目に落ちている鉱石を早く拾い終えても、グロベアを率先して運んでも、全く気が晴れることは無かった。


 今までの人生で感じたことが無い程の劣等感が、いつまでたっても消えなかった。

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