第1章

第1話

 港に降りて最初に思ったことは、船上と地上はやはり違うということだ。船に乗ったときは、地上に比べて不安定な感覚がして安心できなかった。気のせいかと思ったが、船から降りて改めて確認した。やはり海上より地上が良い。

 船を見ると、まだ船に乗っているシードさんと目が合った。手を振ってきたので同じように振り返す。


「がんばれよー。応援してるぜ」

「はい。ありがとうございます」


 お礼を言うと、シードさんは仕事に戻った。本当に良い人だ。あんな親切な人に出会えるとは幸先が良い。

 シードさんの姿が見えなくなると、僕も船から離れた。船を乗り降りする人達の邪魔にならない場所まで歩くと、シードさんから貰った地図を広げる。地図には現在地と目的地までの簡単な道順が描かれてあった。しかも文字の読めない僕のために、絵で順路を示していた。


 目的地は冒険者ギルド。ギルドで冒険者登録を行うことで、初めて冒険者を名乗ることができるらしい。それに登録をしなければ、単独でダンジョンに入ることは出来無い。

 冒険者ギルドまでの道は分かりやすい。中央区まで続く大通りを歩き、マイルス中心の広場から北に続く通りにある。一回曲がるだけの単純な道のりだ。

 意気揚々と、目的地までの道を進み始めた。


 進んでいる途中、目に入るのは初めて見るものばかりだった。見たことも無い料理や使い方の分からない道具、様々な服や建物が心を刺激する。

 特に中央広場から見える大きな白い城や、広場に建てられた石像には目を奪われた。同じように石像を見ている人の話を聞いていると、数年前にマイルスを救った冒険者の像だと話していた。改めて石像を見ると、頼もしそうな雰囲気を感じ取れた。


 広場を北から出ると、道行く人々の格好が変わった。さっきまでの道には僕と似たような恰好、つまり普通の服装の人が多かった。しかしこの通路にいる人達は様々な武器を持っており、頑丈そうな防具を身に付けている。なかには動きやすそうな肌を露出させた服を着ている人はいるが……。

 しばらく道を進むと、地図と同じマークが描かれた看板を掲げた建物を見つける。冒険者ギルドを示す、銀色の三角形と紅い蜥蜴が重なった絵だ。


 建物の入り口の前に立って、一度深呼吸をする。

 ここから、自分の人生を変える。決意を改め、冒険者ギルドの扉を開けた。


 扉を開けて最初に目に入った光景は、受付と思わしき長机と、僕の方を向いて待ち構えるように堂々と立っている少女の姿だった。


「おはようございます! クエストの終了報告でしょうか?!」


 いきなりの大声に驚いてしまい、身体をビクンと弾ませてしまった。少女もヴィックの様子に気付き、「あ、すみません」とさっきより小さな声で謝る。


「張り切り過ぎてしまいました。申し訳ございません」

「いえ、僕もすみません。驚きすぎました……」


 しおらしくなった少女を前にして、つい謝り返してしまった。

 明るい笑顔と声で迎えてくれた少女は、ギルドの職員だろうか。同年代では身体が小さい方のヴィックよりも、少女の身体は小さい。赤色の腰まで伸びた長くて柔らかそうな髪を頭の後ろで束ねており、落ち着いた薄緑色の服は制服のように思える。


「えっと……」


 ごほん、と咳ばらいをした少女は、改めてヴィックに声を掛ける。


「改めて伺いますが、クエストの終了報告でしょうか? それともモンスターの買い取りでしょうか?」


 大きめの声で聞いてきたが、言ってる内容の意味は分からなかった。


「あのー……、何ですかそれは?」


 素直に聞き返すと、何故か少女も狼狽え始めた。


「あ、はい! クエストの終了報告は、えっとクエストが終わったことを、報告すること、です! モンスターの買い取りは、モンスターを買い取ること、です!」


 さっきよりも大声で、しかし要領の得ない答えが返ってきた。


「いや、そうじゃなくて……言葉の意味じゃなくて、何でそれを聞いてきたのかなーって……」

「え、えーっと……とりあえず帰ってきた冒険者には、そう聞けと言われて……」


 少女の戸惑う様子を見て、一つの答えが導き出される。

 この子は新人だ。おそらく職員になったばかりで、早速受付の仕事を任されたのだろう。さっきの言葉も、冒険者にそう言っておけば大丈夫だろうと考えて、誰かが教えたのかもしれない。

 しかし訪れたのは右も左も分からない新人冒険者、いや、まだ冒険者にすらなっていない僕だ。他の冒険者と同じ対応をされても、どうすれば良いのか分からない。


 何とか少女に頑張ってもらって冒険者としての働き方を教えてもらいたかったのだが、緊張のあまり少女は固まっている。何をすればいいのか、分からなくなっているのだろう。


 他の職員を探そうとしたとき、いつの間にか少女の後ろに背の高い女性が立っていた。少女の頭に手を置くと、「交代よ」と言って少女を横にどかす。


「おはようございます。私、冒険者ギルド職員のヒランと申します。先程は新人のフィネがご迷惑を掛けまして申し訳ございません」


 ヒランと名乗った女性は深々と頭を下げると、釣られてフィネと呼ばれた少女も慌てて頭を下げる。ヒランさんは頭を上げて僕の身体を見ると、次の言葉を掛けた。


「冒険者登録のご用件でしょうか?」


 落ち着いた対応と、一目見て僕の用件を察したヒランを見て察した。この人はベテランの職員だ。

 「はい」と答えると、ヒランさんは壁に沿うように置かれている棚から一枚の紙を取り出す。紙とペンを机の上に置くと、

「ではこちらの登録用紙に各項目を記入してください」

 と促される。冒険者登録に必要な情報なのだろうが、書くことができなかった。


「すみません。僕、字が書けなくて」

「承知しました。私が代筆いたしますので、質問に答えてください」


 ヒランさんは慣れた調子で言葉を返す。僕みたいな人を相手にしたことがあるのかもしれない。嫌な顔を一つもしなかった。

 次にヒランさんからいくつか質問を投げかけられる。長い時間がかかるかと思ったが、五分も掛からない時間で質問は終わった。


「サリオ村出身のヴィック・ライザー様。十六歳で、冒険者としての実績は無し。マイルスで初めて冒険者登録を行い、今後の活動拠点もマイルス冒険者ギルド。これでよろしいですか?」


 質問が終わって登録用紙に内容を書き終えた後、ヒランさんは書いた内容を読み上げて、内容に不備が無いかを僕に確認する。


「はい、大丈夫です」

「分かりました。登録用紙はこちらで処理いたしますので、まず冒険者ギルドについて説明をさせて頂きます」


 前置きをしてから説明を始めたが、最初の方は船でシードから聞いた内容とほぼ同じだった。ギルドの目的や、四つのギルドについて簡単に説明したところで、冒険者ギルドの本格的な説明が始まった。


「さて、冒険者ギルドの主な仕事は、依頼書の発行とモンスターや資材の買い取りです。

 あちらの掲示板に依頼書がございますので、受注したい依頼がございましたら、受付の方に申し上げてください。受注後に依頼を完了しましたら、成否にかかわらず受付の方に報告をお願いいたします。

 買い取りについてですが、モンスターや需要のある鉱石や植物等を持って来れば、それに見合った額で買取いたします。しかし、値が付かないものは買い取りせずに持ち帰ってもらいますのでご注意ください。たまにどこにでもあるゴミを持ってくる人がいますので」


 最後の方はやけに口調が強かった気がした。実際に持ってくる人が多くいたのだろう。


「次にダンジョンについての説明です」


 一番興味のあった事項を耳にし、胸が高鳴った。どんな内容なのかと身構えたが、ヒランさんはすぐに説明を始めなかった。それどころか、「少々お待ちください」と言って奥の別室に入って行った。


 フィネさんと一緒に取り残されると、二人の間を沈黙が支配した。

 大声で応対してくれたフィネさんも、先ほどの失態があったためはしゃぐのはバツが悪いと思っているのか。視線すらも合わせづらそうだった。

 その姿を見ていたたまれなくなったので、雑談をして気を紛らわせることにした。


「自己紹介がまだだったよね?」


 なるべく軽い感じで話しかけてみた。フィネさんは「は、はい!」とすぐに返事をする。緊張してるのか、声が上ずっていた。


「僕の名前はヴィック・ライザー。つい先日、十六歳になったばかりなんだ」

「はい、さっき聞きました! 私はフィネ・レッシュです!」

「えっと、元気だね。いつもそんな感じ?」

「はい! よく言われます。それが良いって冒険者さん達からも言われてますけど、さっきはすみませんでした。これからは控えますので……」


 しおらしい様子で声がしぼんでいく。よほど失敗した件が響いているのか、態度にぎこちなさも感じる。


 先程、フィネさんが新人であることを聞いた。職員になって日が浅いので、まだ失敗を経験してなかったのかもしれない。

 しかし今回初めて失敗したと感じて落ち込んでいる。誰だって失敗するのは嫌だ。他人に迷惑がかかるし、自分が否定された気分になってしまう。


 フィネさんはこれからも付き合いがある相手だ。これを機に僕に対してよそよそしくなってしまうのは避けたい。それに、最初に見せてくれた明るい元気な笑顔をまた見たかった。


「あのさ、僕も良いと思うよ。元気なのは」


 怒ってないこと、迷惑がっていないことを告げた。


「え? そうなんですか?」


 フィネさんは意外そうな表情で聞き返す。


「うん。あんなに明るくて元気な声で迎えられたのは初めてだったから、びっくりしたけど嬉しいって思えたんだ」


 叔父さんたちのところに預けられてからは、罵倒や嫌味しか聞かされなかった。だから本人にとっては何気ない当たり前の挨拶でも、フィネさんの言葉を温かく感じていた。


 フィネさんは安堵の息を漏らすと表情が緩んだ。


「良かったー。働き始めてまだ一週間も経ってないから、怒らせちゃったかと思っちゃった」


 安心のし過ぎか、敬語を忘れて胸のうちを吐露する。ホッとした表情を見て心が和んだ。


「大丈夫だよ。だから気にしなくても良いから、ね」

「はい。あ、いいえ! 気にします!」


 何故か元気な声で否定された。しかもため口で喋ったことを気づかない様子で、再び敬語に戻る。


「今まで元気な挨拶をされたことが無いのなら、今までされなかった分だけ挨拶し続けます。だから存分に嬉しがってください!」


 失敗したことに対して変な理論を展開する様子は微笑ましく、同時に嬉しくもあった。

 こんな風に僕に対応してくれる人は初めてだった。


「お待たせいたしました」


 フィネさんとの雑談を終えるとヒランさんが別室から戻ってきた。何をしに行ったのか気になっていたが、ヒランさんの服を見て察した。

 さっきまではフィネさんと同じ服を着ていたが、今は動きやすそうな服を着て、服の上から身体の急所に鎧をつけた装備に着替えている。腰には刀が備えられており、右手には剣を持っている。


「それではダンジョンの説明ですが、実際に入って説明をしましょう」

「いきなりですか?」


 冒険者ギルドに寄ってから装備を整えるつもりだったので、今は完全な丸腰だ。安全を考えれば今はできれば行きたくはない。しかし、冒険者としてはダンジョンに入って説明を受けた方が良いかもしれない。


 命の安全と今後の活動に必要な情報。どっちを優先するかを考えていたが、ヒランさんは「問題ありません」と断言した。


「今から案内するダンジョンは、当ギルド自慢の下級ダンジョンです。入口から数十メートル離れたところまで行くだけで、その付近にはモンスターはほとんどいません。一応武器をお貸ししますが、戦闘では使わないと思います。なぜなら」


 ヒランさんは手に持っていた武器を僕に渡すと、同じ調子で言葉を続けた。


「私が守りますから」


 凛とした表情のヒランさんは頼もしく見えた。

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