4th ヴァーサス・歌舞女子

 身体を軽くほぐしたあと、歌舞女子との試合が始まろうとしていた。スタートの五人は、桃園戦と同じ五人にした。特に異議を表明することなく、鳴門先輩がベンチに向かう。そんな彼女を見て、岸澤氏がおれに近寄ってくる。

「清雲氏、もしやあづみ嬢が何も言わないことをいいことにベンチに置いているのでありますか? それだったら、自分がベンチに行くのであります。というのも、自分二試合ずっと出ていて……。その、疲れも……」

 ちょっと岸澤氏は少し弱気な表情だった。二試合で随分体力を消耗しているようだった。ほぼ一人でインサイドのプレーをしているから、無理もない。

「いや、そうじゃない。むしろこの試合は後半が肝だと思っているから、後半はバリバリ鳴門先輩は活躍するよ。そして、残念ながら岸澤氏はこの試合もフルかな……。向こうで大きいのはなにも留学生だけじゃないし……。悪いんだけど、この試合も頼めるかな?」

「そうでありますか……。自分、もう少し頑張るのであります」

 うーん。やはり岸澤氏だけではインサイドは持たないか。あと一人、いたら全然違うのだけれど。

 アッちゃんとニアンがセンターサークルで向かい合う。ジャンプボールはニアンが勝った。まずは歌舞女子からのボールで試合が始まった。


 ニアンがインサイドに入る。ボールを持った相手のフォワードがシュートフェイントをしてチャンシノの動きを止めたあと、走り込むニアンの方へ放り投げるようなパスを上げる。

「トフゥビ!」

 ニアンが笑いながら声を上げた。

 岸澤氏はニアンを追う。

 あざ笑うかのようにニアンは岸澤氏のマークを剥がす。

 高く飛ぶ。

 おいおい。

 なんて高さだ。

 岸澤氏は遅れてニアンに飛び掛かる。

 そのまま弾き飛ばされる。

 岸澤氏は尻もちをつく。

 ニアンの長い手にちょうどボールが収まる。

 リングとの距離は。

 すぐだった。

 ニアンはそのまま重力に乗せ、ボールをリングにぶち込む。

 ダンクだ。

 アリウープってやつだ。


「あんなのありかよ!?」

 それは山王工業相手にいきなりアリウープをかました桜木花道のプレーを彷彿とさせた。岸澤氏は青白い顔をして、ニアンを見上げていた。

 ニアンはリングにしばらくぶら下がったあと、岸澤氏に見せつけつようにドスンと地面に足を着いた。ピーっと審判が笛を鳴らす。

「カウント! ワンスロー!」

 岸澤氏はファウルを取られた。遅れてニアンにぶつかったからだろう。あの体格ではファウルしてでも止められない。相手の二点が認められた上に、一本のフリースローが与えられた。これをニアンはなんなく決める。フリースローは一点だから、これで三点プレーだ。

 おれは隣にいる鳴門先輩に話しかけた。

「なあ、鳴門先輩、あれは女の子なの?」

「……」

 鳴門先輩は黙って頷いた。

「マジかよ……。女子の試合にNBAの選手が一人混じっているようなもんだぜ、ありゃ」

「それは彼女に失礼」

 鳴門先輩が珍しく声を上げた。おれは驚いて、鳴門先輩の方を見る。

「全ての女性を受け入れる覚悟があるのでは?」

 おおう。痛いところを突いてくるぜ、鳴門先輩。しかし、ニアンか……。よく見ると身体つきは女性のものだった。おっぱいもわずかではあるが膨らみがある。ううむ、意外と……。


 そんなわけのわからないことを考えているうちに自分たちの攻撃に移っていた。翠ちゃんには既に二人のマークがついていた。前の二試合で驚異的な得点力を見せたのが仇となった結果だ。向こうは翠ちゃんを最も危険な存在としてみなしているようだ。それなら、アッちゃんだ。百合ちゃん先輩も気付いたらしく、ボールを保持しながら、アッちゃんの方を見る。しかし、そこにはニアンがいた。百合ちゃん先輩は躊躇った。二人がマークについているということは、誰かが必ずフリーになっているはずだ。ゴールに最も近い位置にいる岸澤氏がフリーだった。向こうはインサイドをがら空きにしていた。向こうもなかなかリスクの高い守備だ。アウトサイドを恐れるあまり、これはあまり得策ではないと思う。岸澤氏はパワーがある訳ではないが、そこそこ上手いインサイドのプレーが出来る。百合ちゃん先輩は迷わず岸澤氏に鋭いパスを送る。おれは、あっ、と思った。

 罠だった。

 ニアンはアッちゃんから瞬時に離れて、すぐにインサイドに走る。

 岸澤氏がボールを収めようとする。

 が、ニアンが岸澤氏と百合ちゃん先輩のパスコースに切り込む。

 ニアンの指先がボールを弾く。

 ボールは無情にもカットされた。

 そのボールを歌舞女子の五番が拾うと、向こうの速攻が始まった。なんなく、得点され五点の差がついた。


 今度は百合ちゃん先輩が相手のディフェンスを一人抜く。鋭いカットインだった。そのままがら空きのインサイドにシュートに向かうが、ニアンがすぐさまヘルプに向かおうとする。だが、百合ちゃん先輩はわかっていたのか、今度はニアンが離れたことによってフリーになったアッちゃんにパスを出す。アッちゃんがボールを受け取る。スリーポイントより後ろの位置、そのままシュートを放つ。だが、既にニアンが戻っていた。アッちゃんのシュートがブロックされる。

「……!」

 アッちゃんは驚いた顔を浮かべた。ボールはまた向こうへ。また速攻を決められてしまう。嘘みたいな速さの反射神経と状況判断力だ。つまり、ニアンは最初から突っ込んでくる百合ちゃん先輩をディフェンスするつもりは毛頭なく、パスをすることをあらかじめ読んでいたのだ。


 とにかく上手くいかなかった。相手をかわしつつ、チャンシノがフリーでスリーを放る。これは無情にも外れてしまい、ニアンがなんなくリバウンドを取る。岸澤氏とは全く勝負にならなかった。十五点目が入ったところで、タイムアウトをおれはとった。ビーっとブザーが体育館中に響く。

「タイムアウト! 神泉!」


 選手たちが続々とベンチに集まってくる。アッちゃんは苛立って、パイプ椅子を蹴り上げた。ガターン! 体育館中に音が響く。治安悪いなあ、おい。ここはニューヨーク・ハーレムじゃねえんだぞ。

「ちょっと、アリジン。やめなさい。騒ぎを立てると試合は中止になるわ」

 百合ちゃん先輩が直ちに注意する。試合が中止、というフレーズが効いたのか、アッちゃんは百合ちゃん先輩を一瞥したあと、特に反論はしなかった。タオルを顔で覆った。倒れた椅子を米山老人が立ち上がって直しに歩いていった。

「鳴門先輩を入れる。交代するのは岸澤氏で」

 おれは宣言した。鳴門先輩はプラクティスシャツを脱いで、ユニフォームになって準備を進めた。

「は? アンタ、じゃあニアンはどうするのよ?」

 百合ちゃん先輩は意義を呈する。

「アッちゃん、出来る?」

 おれはパイプ椅子の背もたれにもたれかかっていたアッちゃんに言う。顔はタオルで覆われたままだ。

「カインドラ……?」

 翠ちゃんが呼びかける。すると、タオルをバッと取って放り投げる。そしておれの真正面に立つ。お、これまた随分と近い。

「最初から戦意のない奴をコートに立たせるな」

 アッちゃんが言った。ビクッと岸澤氏が身体を強張らせたのを、視界の端で捉える。

「うん。これはおれの責任だし、誰も悪くない。過ぎたことをああだこうだ言ってもしょうがない。ニアンはおれの想像以上だった。はっきり言って桃園戦でさえも手を抜いてたぜ、あいつ。だから、頼むよ、アッちゃん」

「……最初からそうすりゃいいだろう」

 アッちゃんはそっぽを向いて、コートに向かう。んー、まだ話は終わってないのに。最初、ニアンに岸澤氏を当てたのは、アッちゃんに守備の負担をかけたくなかったからだ。アッちゃんは部員の中で一番技術が高い分、一番スタミナがない。その分、攻撃に力を入れたかったが、これ以上ニアンに攻められ続け、点差が離れると、取り返しがつかないことになる。ここは一つ、試合を落ち着ける必要がある。

「アッちゃんがニアンととことん勝負することになるので、一旦アッちゃんをスプラッシュ・シスターズから脱退させます。アウトサイドとか関係なく、アッちゃんは好きに攻撃してね」

「アンタ、そのネーミング結構気に入ってるのね……」

 百合ちゃん先輩は呆れた顔だ。右手に持ったボトルから水を飲んでいる。

「『私のことは嫌いになっても、スプラッシュ・シスターズのことは嫌いにならないで』」

 おれはクールにアッちゃんの声真似をした。翠ちゃんが大爆笑して、チャンシノも含み笑いをする。

「結構似てるね、キヨ君!」

「『ミ、ミドリ! そんな急に褒めないでくれ……』」

 おれは照れてる時のアッちゃんのマネをすると、アッちゃんが遂にブチギレて、おれの胸ぐらを掴んできた。すげー力だ。

「オッケ。完全におれが悪かった。だから、話を聞いてくれないかな」

 アッちゃんはチッと舌打ちして、力を抜いた。チームがバラバラになるのだけは勘弁だ。チームメイトに敵意を向けるより、おれに敵意を向けて貰った方がまだ良い。おれは次なる作戦を話した。


 試合再開。いつものへらっとした様子は既にない、岸澤氏がおれの隣に座っていた。

「岸澤氏、まだ出番あるから」

 おれがこう言うと、ビクッとして不安げにおれを見る。

「……自分、あの留学生に勝てる自信がないのであります……」

「じゃあ、自信をつけるために、おれが抱こうか?」

「冗談でも本当にやめてほしいのであります」

 本当に、と付いたところがキモだった。え? マジ? 岸澤氏とは今まで仲良しな感じでここまで来れたと思ったのに。ガチで拒否されておれも不安な顔になってしまう。しかし、岸澤氏にもシリアスな状況はあるんだな。ここはふざけていないで、試合の話をしよう。

「……まあそれは置いといて、だね。ニアンに岸澤氏が勝つ必要なんて全然ないわけよ」

「……?」

「確かにバスケは個々の能力に大きく依存するスポーツだ。その傾向は時代が進むにつれて、どんどん強くなっている。高校バスケも留学生が入ったポッと出のチームに全国常連校が負ける、なんてこともザラにあるしね」

「じゃあ、もう……」

「でも、岸澤氏。そんな留学生も、日本人より体格の優れた外国人という前に一人の人間だ。ましてやまだ大人でもない。必ず弱点やクセのようなものがあるはずだ。それにバスケはあくまでチームスポーツだ。おれはそれを信じているよ。だから、諦めないでベンチにいる間はニアンを観察してみよう」

「観察……」

「うん。チームが勝つためのヒントが隠されているはずだ。おれはいくつか見破ったよ、ニアンの弱点」

「え、本当なのでありますか?」

「ベンチでずっと見てることしかできないからね、おれは」

「お、教えてほしいのであります!」

「すぐに教えたら面白くないじゃん。んーじゃあ、岸澤氏も探してみて、ハーフタイムに答え合わせをしてみよう」

「なんか面白そうなのであります」

 岸澤氏は前を見て、試合を凝視し始めた。少しは気持ちも前を向けたかな?


 すでに第一クォーター残り六分。まだこちらの得点はない。だが、試合は膠着した。ねっとりとアッちゃんがニアンを守備しているからだ。アッちゃんは上手い。ニアンをインサイドにそもそも入れようとしない。向こうはしびれを切らしたのかスリーを放る。だが、リングにさえ届かず、そのままこちらのボールになる。

 相手のコートまで百合ちゃん先輩がボールを運ぶ。アッちゃんがニアンに何やら話しかけている。外国人同士の会話だ。ちょっと聞き取れなかったが、ニアンはムッとした表情をして、アッちゃんにさらにべったりくっついた。鳴門先輩がスクリーンをかけて、翠ちゃんがパスを受けられる状態になる。すかさず、百合ちゃん先輩はパス。翠ちゃんがボールを保持して、いきなりシュートの体勢を取るが、一人マークが残っていた。翠ちゃんには二人ついていたので、鳴門先輩が翠ちゃんのマークを退けたのは一人だけだった。だが、鳴門先輩はすぐさま反転してゴールに向かって走る。それに気付いた翠ちゃんはすかさず、鳴門先輩にパス。ピックアンドロール。綺麗にハマった。ニアンはアッちゃんに集中していたためか、インサイドに寄ってこなかった。鳴門先輩がフリーでレイアップを決める。

「おっしゃー、初得点じゃ!」

 鳴門先輩はスクリーンが異常に上手い。相手に気付かれずにスッと横に入って、相手の動きを止めることが出来る。今までの練習で気付いたことだった。男子バスケ部との練習の際、なんなく男子部員をスクリーンして、どんどん翠ちゃんやアッちゃんをフリーにしていた。第二クォーターが終わるくらいまでは、鳴門先輩を中心として、向こうの守備を混乱させる。フリーになった人が自ずと得点を決める作戦だ。

 これが功を奏し始めた。今度はまたピックアンドロールでフリーになった鳴門先輩が中に切り込む。ニアンが瞬時に鳴門先輩のカバーに行く。が、かまわず、鳴門先輩は切り込んでいった。さっきまでの展開を鳴門先輩は言わずともちゃんと見ていたようだ。ニアンのカバーはフェイクで実際はアッちゃんへのパスを読んだものだった。鳴門先輩がシュートを放ったころに、遅れて突っ込んでくる。ボールはリングを通ったが、鳴門先輩が弾かれる。ピーっと笛が吹かれる。


「おいおーい! こりゃ退場だろお!」

 試合が止まると同時に、おれはジョゼ・モウリーニョばりの怒りの剣幕でコートに侵入した。蹲る鳴門先輩の周りに両チームの選手が集まっていくなか、おれはニアンにまっすぐ詰め寄る。

「あのねえ、さっきもあったけど、力任せにうちの選手を突き飛ばしたりするのやめてくれない? 練習試合で怪我されたら困るわけ! フェラ……あ、違う、フェアでいこうよ! お互いにさ!」

 おれが捲し立てると、ニアンはただ首を傾げるだけだった。ピピピっと笛が連続してまた吹かれる。審判がおれに近づく。

「君! 選手以外、コートの立ち入りは禁止だよ!」

 審判から注意を受ける。

「いーや。黙っていられませんよ。今のプレーは退場でしょう。レッドカードものですよ!」

「サッカーじゃないんだから……。ニアン選手のファウルですが、退場ではありませんよ」

「断固抗議します! 鳴門先輩が大けがしてたらどうするんですか!」

 おれは審判に詰め寄る。状況に気付いた百合ちゃん先輩がすぐさまおれと審判の間に入る。

「ちょっと、アンタこんなとこまで何してるのよ……。アンタ、その振る舞いが審判への侮辱とみなされたら、アンタが退場よ? ここはふざけてる場合じゃないわ」

「おれはふざけてないぞ!」

 観衆がざわつく。歌舞女子の今日最後の試合というだけあってか、バスケ部以外の歌舞女子生徒も体育館でのゲームを見守るようになっていた。おれはシャツの裾を引っ張られる感覚を得る。

 素早く振り向くと、いつの間にか立ち上がっていた鳴門先輩が、おれの背後にいた。

「おお! 大丈夫ですか? 鳴門先輩!」

「問題ない」

 鳴門先輩は無表情で右の親指をグッと立てていた。珍しい仕草に驚いて呆気に取られてしまう。すると、今度はニアンが申し訳なさそうに鳴門先輩に近づく。ニアンが何か声を発すると、鳴門先輩は笑顔さえ浮かべなかったが、首を縦に頷いた。そして、二人が握手をすると、体育館中にパチパチパチパチ……と、拍手の音が響いた。

「へ……何はともあれ解決したようで良かったぜ」

「お前、さっさとベンチに戻れよ……」

 アッちゃんからの厳しいご指摘を受け、おれはすごすごとベンチに戻った。戻るとき、審判に厳重注意を受けた。次もう一回やったらおれは退場になるらしい。


 その後のワンスローで鳴門先輩はシュートを外したものの、ボールの方向はニアンのいる方とは逆で遠くに飛んでいった。チャンシノが何とかボールを拾い、インサイドに人が集中していたため、外で張っていた翠ちゃんがフリーになっていた。すかさずパス。フリーの翠ちゃんは外さない。やっとこの試合の一本が決まった。鳴門先輩のプレーと翠ちゃんのスリーで一気に五点が決まるプレーとなった。


 鳴門先輩に異常は見られなかった。相手の穴を突くようにどんどんマークをかき乱したり、あるいは起点となるパスを経由して、どんどんこちらの攻撃も活性化していった。また、時折、片側に四人を集めて、アッちゃんとニアンのワンオンワンをさせた。アイソレーションというフォーメーションだ。ニアンは縦に高いが、横に速いという訳ではないうえ、アッちゃんの速さはたとえニアンでも止めることは難しいだろう。アッちゃんがニアンをすぐに抜いて、遅れて出てきたヘルプディフェンスもなんなく交わしてダブルクラッチでシュート。リングに収まる。今のはちょっとジョーダンぽかったな。あるいは仙道かな。ひょいって入れる奴。男の子なら一度は真似したくなるプレーだよな、と女子バスケの試合を見ながら思う。


 第一クォーターは25-15で終わる。鳴門先輩のおかげで差をむしろ縮めることが出来たのは大きいが、翠ちゃんへのマークがなかなかキツい。ニアンの勢いを随分抑えることが出来たが、アッちゃんの息は既に上がっていた。オフェンスもかなり頑張っているし、アッちゃんの負担は計り知れない。

 間の休みはかなり短いので、すぐさま第二クォーターが始まる。ニアンはアシスト役に徹した。ニアンがフリースローラインまで上がってきて、大きく手を挙げる。なんなく上でボールを取られる。あの高さはアッちゃんには厳しい。中に切り込んだ選手にそのままパスを通してイージーな得点を重ねる。だが、繰り返していくうちにだんだん上手くいかなくなった。というのも、ニアンのプレーはダンクといった派手なプレーがあるものの、それ以外は非常に基本的で素直なプレーだからだ。つまりプレーが読みやすい。ニアンのパスは高さがあるものの、コースは極めてシンプルだった。ここでも活躍したのが鳴門先輩だった。ニアンのパスコースをすぐさま読んで、自分のマークしている相手からスッと離れて、積極的にパスカットを狙い、成功を重ねた。攻撃も鳴門先輩のスクリーンが有効に効いた。翠ちゃんのスリーが再び重なる。チャンシノにもボールが渡ると今度はリングに収めた。これよ、これこれ。これが我がスプラッシュ・シスターズってやつよお。

 第二クォーターが終了して、39-30。このクォーターは互角だった。しかし、まだ頭一つ抜けない。そして、アッちゃんのスタミナだけでなく、百合ちゃん先輩、チャンシノも疲弊しているように感じてきた。おれは岸澤氏の方を振り向く。

「どう? 見つけられた?」

 おれが言うと、岸澤氏はいつものへらっとした笑顔を見せてくれた。

「意外とよく見ればあるものでありますな」

 答え合わせをしてみた。なんと、岸澤氏はおれが気付いた弱点より一つ多く、見つけていた。


 ハーフタイムを挟んで、チャンシノと岸澤氏を交代。ニアンのマークをアッちゃんから岸澤氏に変えた。作戦を伝える。そのあと、アッちゃんが岸澤氏に近寄る。

「……おい」

「なんでありますか?」

「もう大丈夫なのか? また、足手纏いになられちゃ困る」

「ええ、大丈夫なのであります。清雲氏にいろいろ教えてもらったのであります。だから、あの留学生は自分に任せるのであります」

「いや、あいつはああ言っていたが、私はまだ大丈夫だ。これで上手くいっているのだから、これからも……」

 アッちゃんが少しふらつく。それを岸澤氏が支える。

「……っとと。全然大丈夫じゃないのであります……」

「ちょっと足元が滑っただけだ……」

「カインドラ嬢、無理は禁物なのであります。これから逆転するのに、貴方の力が必ず必要になるのであります」

「う……」

「……先ほどは申し訳なかったのであります。自分もコートに立つ以上、やっぱり負けたくはないのであります」

「……」

「カインドラ嬢、オフェンスに集中するのであります」

「わ、わかった……」

「それでは、行くのであります」

「あ……ちょっと待て」

「……? なんでありますか?」

「さっきは……。その、私も悪かった。上手くいかなくて人に当たってしまったところがあった。私は最低だ」

「……へえ~。カインドラ嬢も謝ることなんてあるのでありますな……」

「な、なんだよ。そんなへらへらした顔でこっち見るな!」

「いいのでありますよ。カインドラ嬢が申したことは自分にとっても勉強になったのであります。だから気にしなくていいのであります」

「あ、ありがとう」

「清雲氏にもそれくらい素直な方が良いのでは?」

「なんでそこでアイツの名前が出てくるんだ!」

 二人は喋りながらコートに向かっていった。ちゃんと聞こえてますよ~、アッちゃん。照れなくてもいいんだからね、グヘヘ……。


 運命の後半戦、第三クォーター。向こうの攻撃では、やはりインサイドでニアンがボールを持つ。再びニアンをフィニッシャーとして戻した。グイグイとドリブルしながら背中で中に押し込む。そう、これにいつもやられていた。ゴールへの距離が近づく。ニアンは反転してシュートの体勢を取る。だが、既に頭上のボールはなかった。

「ナイス、岸澤氏!」

 ニアンはゴール下でのシュートする際、一度ボールを下げる癖がある。これはかなり初歩的なミスだ。恐らく、歌舞女子の指導者も何度も注意をしているはずだが、日本語での指示で的確に伝わらなかったり、またボールを下げても大体うまくいってしまうことがあったりして、その癖は修正されないまま今日まで残っていたという訳だ。第二クォーターの段階でもアッちゃんは試合の中で気付いていて、一本だけボールをカットしていた。ニアンは恐らく日本に来てからバスケを始めたのだろう。

 すぐさま、こちらの速攻に入る。岸澤氏はロングパスを出す。先に走り込んでいた、翠ちゃんにボールが渡る。向こうのコートにはまだ誰もいない。フリーの翠ちゃんはそのまま切り込まず、スリーポイントラインで立ち止まり、そのまますぐにボールを放った。バスケのセオリーを堂々と破る翠ちゃんに見ている人たちがどよめいた。おれの指示だし、翠ちゃんも外からシュートを打てることに無常の喜びを感じているように見える。三試合目の後半になるのに、シュートフォームの乱れは全くなかった。正確無比なショットは、リングの中央を貫く。歓声が上がった。彼女は両手をあげて、天真爛漫な笑顔を浮かべた。

「調子いいじゃない」

「へへー」

 百合ちゃん先輩と翠ちゃんはタッチをした。ええシーンや。さあ、勝負はわからなくなってきた。


 岸澤氏がインサイドに戻ったことにより、今度はアッちゃんが外で張っている。チャンシノOUT、アッちゃんINのスプラッシュ・シスターズは健在だ。ニアンは変わらずアッちゃんをマークするが、鳴門先輩のスクリーンに引っかかる。アッちゃんへのマークはニアン一人なので、翠ちゃんよりかはフリーになりやすい。百合ちゃん先輩はアッちゃんにボールを通す。アッちゃんが放つ。スリーが決まる。相手の表情が曇ったのをおれは見逃さなかった。このまま一気に叩ける。そう思ったとき、ブザーが鳴る。

「タイムアウト! 歌舞女子!」


 いいタイミングでタイムアウトを取られた。向こうはどんな手を打ってくるのだろう。

「光、ディフェンス効いてるわよ」

「キャプテン、ありがとうなのであります」

「このままいきましょー」

 メンバーは皆良い表情だった。おれも特に作戦の変更とかはしなかった。


 試合は再開され、向こうの攻撃は奇策に出た。なんとニアンがスリーポイントラインより外に出てきた。向こうのガードにスーッと近寄りほぼ手渡しの状態でボールを渡す。岸澤氏がニアンに付いていこうとする。

「岸澤氏、外はないから抜かれないように守ってくれー」

 おれがそう叫ぶと、岸澤氏はニアンから少し距離をとって守った。すると、ニアンはシュートの体勢を取る。

「あれ、打つんじゃないんですか?」

 チャンシノがおれに言う。

「いや、まあ打っても入らんだろ」

 おれは答える。そのままニアンはシュートを放った。入れば三点だ。シュートフォームはお世辞にも綺麗とは言えなかった。だが、ボールは高く上がった。バックボードにガコンと辺り、リングを通過した。歌舞女子バスケ部員たちがこの日一番の歓声を上げた。

「は?」

「入りましたね……」

「いや、あんなんマグレでしょ……」

 しかし、マグレじゃなかった。再び、向こうの攻撃でほぼ同じ状況になると、またすぐさまスリーを放った。また、バックボードに当たって入る。ミスター・ファンダメンタル、ティム・ダンカンのようなシュートの軌道だった。おれはすぐさまタイムアウトを取る。


「大変だ。インサイドオンリーだけだと思ってたニアンに外のオプションもあったとは」

「あんなの去年もなかったわ。この一年で強化したのね……」

「とりあえず、外も警戒するか。岸澤氏、割とベッタリ目にニアンにマークして。他の皆も岸澤氏が抜かれたら、なるだけヘルプに行ってあげて」

 ニアンもアッちゃんと同じオールマイティーな選手と認識した方が良さそうだ。


 外もあるかもしれない、という選択肢が岸澤氏の頭に浮かんだ以上、守備の難易度は上がる。ニアンは百合ちゃん先輩をスクリーンする。上手い。向こうの五番が百合ちゃん先輩を避けて、インサイドに切り込もうとする。ヘルプに岸澤氏が行く。だが、それはフェイクだった。ニアンが反転し、ゴール下に向かう。ああ、これは鳴門先輩のピックアンドロールだ。だが、百合ちゃん先輩は気付いていて、ニアンの前に立ちはだかる。しかし、これはあまりにもミスマッチとなってしまう。子供とNBA選手が対峙するようなものだ。百合ちゃん先輩は必死で守るが、楽々と得点をされてしまう。やはり、その際百合ちゃん先輩は弾かれてしまう。

 おれの頭の血管がブチギレた。おれは立ち上がる。

「だ、だめだよ。清雲君! コートの中に入ったら退場になっちゃうよ!」

「止めるな! 言ってもわからない奴にはおれの拳を使って直接わからせるしかねえんだ!」

 おれは一歩踏み込んでダッシュしようとすると、背中の襟を物凄い力で引っ張られた。おれはそのままパイプ椅子に引き戻され、さらに勢いをそのままに後ろへ椅子とともに倒れる。視界がぐるっと回る。

「グエ」

 おれは文字通りそのようなうめき声を上げた。幸い、後頭部をぶつけることはなかった。受け身の達人だからな。

「……? ……?」

 ただ、おれは凄い混乱した。上半身だけ上げて、辺りを見回す。口元に手を当てたチャンシノが見えるだけだ。

「き、清雲君、大丈夫?」

 心配して近づいてきてくれた。

「え、もしかしてチャンシノが?」

 チャンシノ実は女子プロレスラー説? そんな怪力があるものなら、ニアンをマークしてほしいものだ、という考えが脳裏を掠めたが、チャンシノの慌てぶりからどうやらそうじゃないらしいことくらいはわかる。

「ほっほ……」

 おれの横から、身体全身をプルプルさせた米山老人が出てきた。

「え? ……嘘っしょ」

「清雲、君が退場になったら元も子もない」

 静かに米山老人は話した。

「おおーい、神泉関係者、ちょっと来てください……!」

 コートの審判がおれ達を呼びかける。なんだよ、結局行って良かったやんけ。

「このように言われて、初めてコートに行けるのじゃ。ルールは守らないとのう」

 米山老人はすたすたコートの方に歩いていった。おれは後ろから米山老人のあとを付いていった。


 百合ちゃん先輩の意識はあったものの、頭から血を流していた。おれは下唇を噛みながらその光景を見ていた。

「いったん止血する必要がありますね」

 審判が説明する。米山老人がスクリと頷いて、百合ちゃん先輩に近づく。

「明城、一旦ベンチに戻ろう。立てるか」

「ああ、米山先生。ありがとうございます」

 百合ちゃん先輩は米山老人の肩を借りて、ベンチに戻っていった。おれはニアンをずっと睨んでいた。

「いい加減にしろよ!」

 おれはニアンに向けて叫んだ。ニアンはビクッとしておれの方を振り向くが、すぐに顔を青白くして目を反らした。反省しろよな、全く。


 急遽、チャンシノを投入。ポイントガードの役目をアッちゃんに任せたいところだったし、本人もやる気がありそうだったが、やはりフィニッシュの部分で精度を見せてほしい。鳴門先輩にいったん任せることにした。試合再開。鳴門先輩も百合ちゃん先輩と同様に状況判断力は高いが、少しプレーの早さが足りない。パスがなかなか通らなかった。だが、向こうの攻撃も精彩を欠いていった。明らかにニアンのミスが増えていた。そのミスを上手く岸澤氏が突いてボールをカットする。おかげで点差は少し縮まった。だが、未だに逆転が出来ない。そして、第三クォーターの最後、遂に恐れていたことが起こってしまった。

 第三クォーター残り五秒。アッちゃんがボールを持ち、鳴門先輩のスクリーンによって、翠ちゃんのマークが一人減る。アッちゃんは翠ちゃんにボールを渡す。そういえば、アッちゃんがパスするのって翠ちゃんくらいか? 残りの一人が翠ちゃんとの距離を詰めるが、ボールを受けたとたんそのままシュートを放る。やはりきれいなシュートフォーム。ブザーが鳴る。鳴る前にシュートを放っているので、入れば得点。はい、ブザービーター。また三点頂きましたー……と思いきや、ボールはリングの端を叩き地面に向かって落ちていった。今日初めてのミスショットだった。嫌な締めくくりとなってしまった。66-60。決まっていれば三点差になっていたのに。


 選手たちがベンチに戻ってくる。その時、ニアンがおれの方をチラチラ見ていた。……うーん、これは結構気にしているのかな。

 戻ってくる自分たちの選手を迎えず、おれは真っすぐ歌舞女子のベンチの方に向かった。長身で丸いメガネをかけた男が選手に指示を出していた。特にニアンに檄を飛ばしていた。ニアンはシュンとしていた。かまわず、おれはその輪に入って、ニアンの目の前に立った。監督が驚く。

「お、おい。君、なんだ? 神泉の人間だろ?」

 おれは肩を掴まれるが、その手を払って、ニアンに頭を下げた。

「わりい!」

 歌舞女子一同は困惑した。おれは顔を上げる。ビクッとニアンは恐る恐るおれを見ている。

「えっと、さっきおれ、お前に酷いこと言ったから、謝ってる……。その、お前のプレーにかなり影響出てるから言っておかないと、って思って」

 おれは告白した。ニアンはビクビクした様子でチラチラおれの方を見る。

「これ、通じてる?」

 おれは監督の方を振り向いた。唖然としていた監督が、ハッとしておれの言葉を訳してくれた。すると、ニアンはおれを見て両手をブンブン振って、頭を下げた。そして、なにか早口で話してくる。英語の発音ではなかった。

「私の方こそ申し訳なかった。貴方が怒るのも無理はない、だとさ」

 監督が訳してくれた。おれは続けて話した。

「おれのことなんか気にせず、全力でプレーしてくれ。もう君を怖がらせたりしないから」

 監督が訳すと、今度はニアンは真剣な顔で頷いてくれた。そして、スッと手を差し出してくれた。握手してくれるんか。

 しかし、彼女も大変なはずだ。はるか遠い異国の地にまで来ているわけだから、文化とかのアレとか色々あるだろうし。うーむ、ここは向こうの母国語を久しぶりに聞かせて、安心させるのがきっといいだろう。確か、チャンシノが言うにはフランス語を話すんだっけ。知ってるフランス語……ちょっとしかわからん。適当に言っとくか。おれはニアンの手を握る。

「メルシー! ジュテーム! ジュテーム!」

 おれはブンブン握手した。すると、ニアンはなぜか固まって顔を赤らめた。おれ、男の魅力ありすぎるからな。惚れるのも無理はないだろう。何故か監督は絶句していた。おれは握手を解いて、自分たちのベンチに戻っていった。


「皆、ゴメン。あたし、もう大丈夫だから」

 頭に包帯を巻いた痛々しい姿の百合ちゃん先輩が皆に言っていた。

「明城先輩、大丈夫なんですか?」

 チャンシノが米山老人に尋ねる。

「大丈夫じゃ。ちょっと頭部を切っただけじゃったよ」

 米山老人がゆっくり説明した。

「もう大丈夫なら早速行くよ。百合ちゃん先輩」

「あれ、アンタどこ言ってたの?」

「便所便所」

「うぇ……」

 露骨に百合ちゃん先輩はおれから距離を取る。

「そんな距離取らんでも……」

 選手たちは皆闘志に燃えていたが、一人、輪から少し離れて愛想笑いを浮かべていた選手がいた。

「翠ちゃん」

 おれは声をかけた。翠ちゃんはなんでもないように振り返った。だが、明らかに落ち込んでいた。

「さっき外したのは気にしちゃダメだよ。次の一本が大事だから」

「わかってるよ、キヨ君。さっきのはアタシの中じゃもうなかったことになってるから」

 いつも通りの声色で翠ちゃんは答えた。正直、おれはどういえばいいかわからなかった。表面上は取り繕っている。明らかに落胆を隠していた。おれはただ頷いた。ブザーが鳴る。泣いても笑っても最後のクォーターである。


 チャンシノを替えて、百合ちゃん先輩を投入。第四クォーターが始まると、ニアンは先ほどのクォーター終盤とは打って変わり、全力でプレーした。岸澤氏を振り切って得点を重ねた。アッちゃんのヘルプも欲しいところだったが、アッちゃんはもう守備に対するスタミナが残っていないようだった。ただ茫然と立っているだけと言っても過言じゃない。こりゃ点の取り合いだな。

 しかし、こちらの攻撃はまるで上手くいかなくなった。翠ちゃんが三本連続でスリーを外した。先ほどのシュートミスで狂った歯車は狂ったままだった。相手を追い詰めるどころか、逆に自分たちが追い詰められてしまった。これまで外さなかったのがむしろ異常だったのだ。点差は広がった。すぐにタイムアウトを取る。ここで72-60の十二点差はキツい。


「どうするのよ」

 百合ちゃん先輩が開口一番に言った。

「翠ちゃんとチャンシノを替える。で、シューターはチャンシノだけにする。アッちゃんは外で張らずに中にどんどん入ってきて」

 アッちゃんは反論する体力もないのか、ただ頷いた。

「突然、オーソドックスな戦術にするのね。普通、シューターは一人で十分よ。てか、アンタ、インサイドでニアンと勝負するの?」

「勝算はあるよ。ね? 岸澤氏」

 岸澤氏はタオルで顔を吹いた後、へらっとした笑顔で頷いた。

「シューターが一人になったので、遂にスプラッシュ・シスターだ。単数形だな」

 おれは冗談を言ったが、特に笑いは起きなかった。


 こちらの攻撃、インサイドで岸澤氏がボールを受ける。チームで一番背の高いアッちゃんと大体同じ身長の岸澤氏でも、ニアン相手ではミスマッチになってしまう。岸澤氏はすぐに反転すると一つのシュートフェイクを入れた。ニアンの動きが一瞬止まる。岸澤氏は右から抜こうとドリブルを一つ挟む。ニアンの身体の重心が横に寄る。だが、これもフェイク。すかさず岸澤氏はシュートを打つ。クイックだ。普通ならニアンは簡単にブロックするはずだが、重心が移っていたため、止められない。岸澤氏のシュートはバックボードに当たり、ボールはリングを通過する。

 向こうの攻撃では、シュートが外れ、リバウンドをニアンと岸澤氏が争う。これまで全てニアンに取られていた。今回もニアンがキャッチをする。ニアンは体勢を整え、シュートをそのままする。だが、頭上にボールはなかった。岸澤氏がカットしていた。ボールは走っている鳴門先輩に送られ、速攻を決めた。


 ハーフタイムに、岸澤氏と答え合わせをしていた時だ。

「ニアン嬢は意外とプレーがシンプルなのであります」

「そうそう。派手なのは序盤のアリウープくらい」

「あと横に弱い、つまりは横に速くないのであります」

「それはおれも思った」

「ゴール下でのシュートでボールを下げる傾向があるのであります」

「毎回じゃないけどね。多分本人が意識的にやっていない時にボールを下げてる。改善途中ってところだろう。そこを突けばニアンからボールが取れる」

「そこから導き出されるのは」

「え? まだあるの?」

「向こうのオフェンスリバウンドからシュートに向かう際、ボールをカット出来る可能性があるのであります」

「ああ、なるほど確かに」

「それと、フェイクに引っかかります」

「マジで? 結構どっしり構えているように見えたけど」

「カインドラ嬢とのマッチアップ時に、カインドラ嬢の目線のフェイクも全て追っていて、釣られて動き出しも遅れています」

「なるほど。デカいから遅いわけではないのか。それはわからなかった……」

 岸澤氏はおれとはまた違った観点でバスケットが見れるのだな、と思った瞬間だった。


 ただ、もちろん毎回上手くいったわけじゃない。ニアンに完膚なきまでに岸澤氏が吹っ飛ばされてしまうこともあった。もうおれは立ち上がらなかったし、岸澤氏もスクっと立ち上がった。でも、ニアンも岸澤氏の細かいプレーにしびれを切らしてファウルをした。フォーファウルになった。

「あと一つで退場しますね」

「ほっほ……」

 おれは隣の米山老人に話しかけたが、いつもと変わらない様子だった。いいタイミングで向こうのファウルトラブルだ。


 試合は互角の内容になっていった。ニアンは大胆なプレーが出来なくなった。はっきり言ってニアンが退場すれば、こちらはすぐに逆転できると思う。フラフラのアッちゃんでも一気にインサイドをなんなく切り込めるはずだ。それは向こうもわかっていて、ニアンを退場させないよう、指示を送ったようだった。ただ、残り三分を切ったら関係なくなる。全力で来るだろう。

「翠ちゃん」

 おれは隣で交代されてからずっとタオルで顔を覆っている彼女に声をかけた。反応はない。

「翠ちゃん、まだ出番あるからね」

「……!」

 そう言うと彼女はタオルを取って、おれに縋りついてきた。あまりの動作に、おれは驚いて少し後ずさりをする。翠ちゃんの目は真っ赤だった。目を潤ませたまま、ただフルフルと首を横に振った。

「え……っと」

「あ……」

 彼女は放心しておれから離れた。目に輝きをなくし、俯いた。そして言った。

「申し訳ありません。アタシはもうシュートを打つことが出来ません」


 彼女をこうしてしまったのは誰だろう。他ならぬおれだ。おれは彼女に負担をかけすぎてしまっていた。それもそうだ。正直、おれの中ではアッちゃんより翠ちゃんの方を評価していた。評価、か……。なんか人を評価するって嫌な言葉だな。おれが監督というのに慣れていないからか。とにかく、アッちゃんはスタミナがないという大きな穴があるのに対して、翠ちゃんには穴がないと思っていた。確かにスリーにこだわりすぎているあまり、ポジショニングに少し難点があるが、鳴門先輩がスクリーンをかければどんどんフリーになれるし、この三試合もこれまでそれでうまくいっていた。シュートが上手く、他のプレーも人並み以上にこなせる。そんな彼女に多くを担わせてしまったおれが悪い。シュートを外さなければおれ達は負けることがない? おれはなんて馬鹿なことを言っていたんだ。シュートなんていつか外れるに決まってるじゃないか。翠ちゃんの決定率が人間離れしているから、おれは翠ちゃんを人間扱いしていなかった。目の前にいるのは翠ちゃんという一人の人間だし、女の子だった。


「アンタ、何をボーっとしているのよ」

 百合ちゃん先輩の声でおれは気付く。向こうがタイムアウトを取っていたようだ。試合を見ていなかった。残り三分? もうそれだけしかないのか? 75-70。五点差か、しかしここからニアンは再び全力で来るだろう。退場も辞さないプレーで来るはずだ。

「なんかニアン嬢の勢いがなくなってきたのであります。さすがに疲れているのでありますか?」

「ファウル数よ。残り時間的に、これからまた全力で来るわ」

「なるほど」

 岸澤氏と百合ちゃん先輩が話していた。露骨に落ち込んでいる翠ちゃんの隣にドスッとアッちゃんが座る。アッちゃんは疲れ果てていて、周りに誰がいるのかも認識できていないようだった。チャンシノもかなり辛そうだった。鳴門先輩は無表情だったけれど、これまでみたことのない量の汗をかいていた。

「……」

 おれは黙っていた。百合ちゃん先輩がいろいろ岸澤氏やチャンシノとマークについて確認し、あれこれ話している。無情にも、ブザーが鳴る。四人はコートに戻った。アッちゃんはブザーに気付いていないみたいだ。とりあえず、アッちゃんに声をかける。

「おおい、アッちゃん。時間だよ」

「……」

「カインドラ・アリジン、おきろ~」

「……」

「カインドラ……」

「……ふぇ……? お父様?」

 ……キメてる感じか? これ? 急にどうしたんだ?

「お父様? どこ?」

 お父様になっちゃってええんか? アッちゃん? 今のアッちゃんは激萌えで今すぐ抱きしめたかったが、おれの心情も幾分かシリアスであったため、行動に移せない。

「うん、行くよぉ」

 立ち上がって、よたよたとアッちゃんはコートに向かった。本当に大丈夫か? クルッとアッちゃんが振り向く。

「ミドリもはやくおいでー!」

 アッちゃんは撫で声でベンチに呼びかけた。翠ちゃんはピクッとしたが、やはり俯いたままだった。


 開幕早々、ニアンのスーパープレイが再び起きた。二度目のアリウープ。離れる点差。勢いは向こうにあった。チャンシノが百合ちゃん先輩にボールを渡す。ドリブルしてボールを運ぼうとする百合ちゃん先輩を、アッちゃんが通せんぼした。

「何が起こってるんだ?」

 百合ちゃん先輩が無視して進もうとすると、アッちゃんは百合ちゃん先輩と併走する。

「ちょっと、アリジン! アンタ、自分のポジション!」

 百合ちゃん先輩がぜーぜー息を吐きながら、大きな声で言う。アッちゃんは今まで見たことのないような笑顔を浮かべた。

「ぼーるちょうだい!」

「はあ?」

 百合ちゃん先輩がドリブルしながら動きを止める。アッちゃんは両手を百合ちゃん先輩に向ける。百合ちゃん先輩はため息をついて、ボールをアッちゃんに手渡しした。アッちゃんはキャッキャと高笑いする。まるで子供だ。

「ロリアッちゃん……?」

「ほほう……」

 米山老人はなぜか感慨深い表情になっていた。ほほう、じゃねえよ……。


 ボールを持ったアッちゃんはニヤニヤしながらドリブルをした。凄い隙だらけのドリブルだ。歌舞女子の選手も引いていたが、ボールを奪取しようとする。しかし、アッちゃんは鋭い身のこなしでそれを避ける。再び子どものように笑う。……ボールを持ちすぎている。ショットクロックはあと三秒。バスケットボールはボールを持ってから24秒以内にシュートを打たなければならない。リングに当たれば、再びボールを取った方から24秒を計測。

「アッちゃん! 打てよ!」

「……?」

 声は届いているようだが首を傾げたままだった。マズい。

「カインドラ! ゴー!」

 おれは再び叫ぶと今度はちゃんと反応してすぐにシュートを打った。ダブルハンドのクイック。まっすぐ決まる。しかも三点だった。

「ミドリ~! はやく一緒にやろうよ~!」

 唖然とする会場でアッちゃんの声が響いた。


 試合は一進一退になった。向こうの攻撃に対してこちらは成す術がなかった。一方的に得点を決められる。だが、こちらもアッちゃんのジャッキーチェンでいうところの酔拳のような、いやロリ化しているからロリ拳とでも言おうか。その奇抜な攻撃が上手くいく。ニアンも気圧されていた。

 遂に二点差に迫った。残り十五秒の局面、こちらのスローインからだ。絶好のタイミングでタイムアウトをおれは取っていた。

「……」

 選手たちは皆黙っていた。アッちゃんはベンチにドサッと半笑いしながら座る、と。そのまま目を閉じてしまった。どうやら寝てしまったみたいだ。

「ワシがアリジンを見ておく」

 米山老人がスクリと立ち上がり、アッちゃんの方に向かう。アッちゃんは交代だな。

「さあ、最後のラスト・ファイナル・リベンジ・プレーの作戦でも話しますか」

 誰も笑わなかった。

「アリジンの代わりは?」

「……」

 おれは翠ちゃんをチラリとみる。まだ俯いたままだった。百合ちゃん先輩がしびれを切らして、翠ちゃんに向かう。

「ちょっと……アン……」

「ミドリーーーー!!」

 再びアッちゃんが奇声に近い、甲高い声を上げる。驚いて、全員アッちゃんを見る。

「わたし、もうつかれたよー!」

 半泣きの声だった。米山老人は、おお、よしよしとアッちゃんの頭を撫でていた。どういう状況なんだ、これ……。米山老人が撫でると、アッちゃんはキャッキャ言って再び眠ってしまったようだ。

 そこで、遂に翠ちゃんが立ち上がった。目に光がいつの間にか宿っていた。翠ちゃんはクルッとおれの方を向く。

「今はどういう状況?」

「は……?」

「いいから教えなさい」

 なんか、いつもと違うキツめな翠ちゃんだな……。

「えっと、二点差、残り十五秒」

「充分!」

 そう翠ちゃんは言うと、両手で頬をバチンと叩いた。

「さあ皆、行くわよ。子どもたちのために! お姉ちゃんは負けないわよー!」

 翠ちゃんが率先してコートに入っていった。

「……もうなんなのよ」

「わけがわからないのであります。今年の一年生」

「私も一年生なのですが……」

「……」

 四者四様の反応をしていた。とりあえず、おれはフォーメーションだけ四人に伝えて、試合が再開する。


 残り十五秒なので、向こうもオールコートだ。翠ちゃんは相手陣地の左九十度の位置にいる。先ほどとはうって変わって自信に漲った表情だ。向こうはオールコートプレスを仕掛けてきた。チャンシノが迷っていると、鳴門先輩が動き、ボールをもらう。二人にすぐ囲まれてしまう。だが、ここで鳴門先輩の器用なプレーが活きる。二人の間にボールを通して百合ちゃん先輩へ。百合ちゃん先輩がボールを相手陣地に運んだ。何とか切り抜けた。岸澤氏が右、翠ちゃんが左にいる。ニアンは翠ちゃんを警戒していた。この大事な局面で、翠ちゃんに渡す以外ないからだ。勝つには三点を決めるしかない。だが、百合ちゃん先輩は裏をかいて岸澤氏の方に照準を合わせた。岸澤氏はアウトサイドは全くうまくないが、やらないよりかはマシだ。しかし、翠ちゃんが大声で叫んだ。

「こっちだ!」

 いつに増して雄々しく叫んだ翠ちゃん。翠ちゃんはアッちゃんと違って、より大人になった感じだ。百合ちゃん先輩は驚いて、つい翠ちゃんの方にパスを出す。

「よぉし!」

 翠ちゃんがボールをキャッチすぐさまシュートの体勢を取る。もちろん、ニアンが迫っていた。だが、翠ちゃんは冷静だった。一つフェイクを入れて、ニアンを避ける。ニアンは前のめりでバランスを崩し、倒れてしまう。翠ちゃんはフリーで、そのままスリーを放った。ブザーが鳴る。試合終了。ボールは? リングを通る。カウント。逆転だ。得点は認められていた。


「ウオー!」

 おれはベンチから立ち上がって、雄たけびをあげた。余りの劇的な幕切れに体育館中がどよめく。百合ちゃん先輩はへたり込み、岸澤氏は両手を挙げて喜び、チャンシノは両手で顔を覆った。鳴門先輩はいつも通りの無表情だったが、どこか晴れやかな雰囲気を醸し出しているのは気のせいだろうか。だが、翠ちゃんだけはそのまま崩れてしまった。気付いたおれは、急いで翠ちゃんの元に駆けこむ。

「翠ちゃん!」

 翠ちゃんはそのままべたりと寝転がった。……ぐっすり眠っていた。良い寝顔だった。なんだこりゃ。いくらなんでも無茶苦茶な試合展開だ。だが、おれ達は勝った。今日唯一の三連勝チームとなった。間違いなく、これは事実だ。

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