1st ザ・バトル・ビットウィーン・メン・アンド・ウィメン
「え、入部しちゃダメ?」
「ああ」
体育教員室での出来事。全身赤のアディダスのジャージに身を包んだ男子バスケ部顧問重森教諭、a.k.aティーチャSHIGEMORIにいきなり入部を拒絶されてしまう。ちなみにおれの中でバスケやってるやつでアディダスを着てるというのはモグリだ、って思うんだけど、どう? やっぱナイキっしょ。
「男子バスケ部にマネージャーで入りたいとか、てめえふざけてんのか? えーっと……」
「あ、キヨちゃんで良いですよ」
「なんで今日初めて会ったばかりのお前にそんな馴れ馴れしくしなくちゃいけないんだ! 馬鹿じゃねえのか? 舐めてんだろ?」
「いや、舐めてませんよ。この
「おめえも平成生まれだろ」
「あ、マサミは井原正巳のマサミで……」
「アジアの壁の話はしてねえよ」
「充分、知ってんじゃねっすか」
「ああ、もう……。なんか調子狂う奴だな……」
重森教諭は椅子から立ち上がる。
「デカいな、お前」
「いやあ、それほどでも……」
「褒めてねえよ。しかし、スポーツをやる身体つきじゃないな。ちょっと細すぎる」
おれをまじりと見たあと、重森教諭はゆっくりと歩いて窓の外を見つめ、話し始める。
「うちの男子バスケ部ははっきり言って強いぞ」
おれに背後を見せるとはな。スキだらけだぜ。入部を拒絶されてイライラしているおれは、重森教諭のセンター・オブ・ジ・アスに向かってカンチョーに走る! が、重森教諭はクルッとこちらに振り向いた。
「県内じゃ敵なし……って何してんだ?」
カンチョーの手をすぐにほどいたおれは素知らぬ顔をして、口笛をピューピュー吹いた。重森教諭はさして気に留めず、話を続ける。
「部員は五十人もいるし、今年は有力なセンターもスカウトできた。アウトサイドが去年に比べると少し弱いが……」
「五十人? そんなにいるの?」
「お前、知らないのか? 去年、うちは全国まで行ったんだぞ」
ほえ~。とんだバスケ名門校だったのか。
「そんなにいるんなら、なおさらマネージャーいるじゃん。おれをマネージャーで入部させろよ」
「男子マネージャーは伝統的に受け入れとらん」
「とんだ前時代的男女差別だ」
「マネージャーは間に合っとる。各学年に二人ずついるしな。だからお前はいらん」
くそったれ……。重森教諭はドカッと再び自分の椅子に座った。謎の威厳を出すのに充分な振る舞いだ。
「しかし、お前も見たところ身長だけは高いから三軍くらいの戦力にはなるかもしれん。プレーヤーとしてはやらないのか?」
「いやいや、おれ、バスケ出来ないですし」
おれがそう言うと、はあーあっと重森教諭はわざとらしく大きなため息をついた。普通にウぜえ類の先生じゃん、こいつ。
「ったく、ズブの素人はいらねえよ……。ほら帰った帰った」
「あーもうわーったよ。こんな部活こっちから願い下げだ!」
キレやすい世代のおれはムカムカして手にしていた入部届をギチギチに破って、床に叩きつけた。重森教諭は顔をしかめたまま、おれを怪訝な顔で見ていた。おれはまっすぐ部屋から出て行った。
「……あれ? あいつ、どこかで……」
なにそれっぽいこと言ってんねん。おれはてめーなんか知らねーよ、バーカバーカうんこ丸~。
マネージャーで入部することが出来れば、おれは高校バスケ部のウインドブレーカをゲットできて、逆ナンされ放題、というこの作戦は見事に散った。すんません、ウシジマ先輩。おれ、先輩との約束、守れそうにないっす……。体育教員室を出ると、すぐ近くに体育館がある。ついでだから部活見学と称して、お覗きにでも興じますかあ、とおれはひょいひょいっと体育館の方に歩いていった。ダムダムダム……。お、ちょうどドリブルっぽい音が聞こえるじゃん。
入学式の時も思ったけど、高校の体育館ってやたらめったら広いよな。中学の体育館の二倍はある。二面分、男子バスケ部が練習をしていた。豪勢なこって。おおーめっちゃ走ってる。
ふと、舞台の方を見てみると、女の子二人がぽつねんと座り込んでボンヤリと男子バスケ部の練習を眺めていた。もしや、あの子たちがマネージャーかな? はっ! おれすげーナイスでグダイディーア(グッドアイディアを発音よく言う)な作戦を思いついた。あの子たちのどっちかがマネージャーを辞めてもらえればいいじゃん。おれは舞台の方に颯爽とよじ登った。
「ヘイ、そこの可愛いジャーマネちゃんたち」
女の子にはまず容姿から褒める。モテる努力をしないでモテたいというのも、わかるが、おれは敢えてモテる努力をするぜ。そう呼びかけると、二人のうち一人がこっちを向いた。そして、立ち上がりぺこりと頭を下げる。女子にしてはまあまあ背が高い。ミドルボブの髪型がなかなかキュートだぜ。
「あ、あのー」
「なんだい?」
おれはホワイトニングしたばかりのギンギラに白い歯を二カッと見せた。彼女がうう、っとちょっと後ずさりしたのは全く気にしてないぜ。彼女はおれと距離を取って口を開いた。
「今日は女子バスケ部が半面使う日だって聞いたんですけど……」
「え? そうなの?」
「知らないんですか?」
「あ、いや。おれ新入生だからさ。その辺のルールとか全然知らない。あ、知りません」
おれはあたふたして言った。男の子もちょっとドギマギってした方がきっといいじゃん?
「え……。凄い大きいから先輩かと……」
「チミも新入生なん?」
「う、うん! あ、アタシ、
ペコーっと頭を下げる翠ちゃん。うんうん、元気いっぱい。いいね。
「ああ、翠ちゃんね。うん。君のことは良く知ってるよ……」
「こ、怖ッ! 初対面なのにめちゃくちゃ気持ち悪いこと言ってくる!」
翠ちゃんは驚きながら、さらに後ずさりをしておれから距離を離す。おれは同じ分だけ近づいて、肩をすくめ外国映画の吹き替え声優みたいな口調で喋る。
「怖がる必要はないんだぜ? マイメ~ン」
「いきなり親友扱いだ!」
次におれは力こぶを作る。
「ワイルドだろぉ~」
「スギちゃんだ!」
テンポよく突っ込んできてくれてキモチイイ! 次におれは自らの制服のズボンを掴む。
「安心してください!」
高速でベルトを緩めて、一気に足元に下す。
「履いてますから!」
おれは真っ赤なボクサーパンツを露わにした。翠ちゃんは最初、凍り付いた。見る見るうちに顔を真っ赤にして、目に涙を貯めた。
「きゃああああああああ」
甲高い叫び声が体育館内で響いた。練習していた男子バスケ部員たちもおれたちの方を見る。
おいおい、冗談じゃないぜ? まだおれのイチの方のモツさえも見せてねえのに、そんなんじゃ、おれとそれなりの関係になった時、どうすんの?
「……とにかく明るい安村……」
奥でずっと男子バスケ部の練習を見ていたもう一人の女子が、ボソッと静かに呟いていた。
「おいおい、お前ら、騒がしいぞ」
男子バスケ部員たちがぞろぞろ群れを成しておれ達の方に寄ってきた。なにこれ、相当人数いるじゃん。まず、喧嘩になったら数の問題で絶対に負ける。ここは穏便に済ませる必要があるな。おれは制服のパンツをゆっくり履き、舞台から仰々しくドスンと降りて、弁解を試みる。
「えっと……女の子に自分のパンツ見せてます」
「こいつ頭おかしいんじゃね?」
「キヨちゃんはシャブなんか打ってましぇん!」
おれは駄々をこねるように言った。特に変な意味は込めていませんよ。
「はあ……。まあいいや。今、体育館内は男子バスケ部の時間だからさ、ただの見学とかならいいんだけど、大騒ぎするならどこか行ってくんないかな?」
おれよりちょっと背の低い爽やかそうな男の子、あまりに爽やかだったのでおれは
「ええ、なにも言い返せませんわ。邪魔してすまんかったね」
「物分かりが良くて助かるよ」
風早君はニッコリと笑う。こら、貞子さんも惚れてしまいますわ。
「えっと、あのー……」
すると、先ほどまでスンスン泣いていた翠ちゃんが、いつのまにか復調していて、おれの横にいた。ちょっと小さく手を挙げて発言しようとする。
「なんだい?」
「今日は半面、女子バスケ部の練習だって……」
「女子バスケ部? 君、女バスなの? 見たことないんだけど」
「あ、はい……。昨日入学したばかりの新入生です」
「そうなんだ。じゃあ、知らないか。今、女バスは人数少なくて活動休止しているはずだよ。だから、僕たちが全面使ってるんだ」
「え、そうなんですか? でも、
翠ちゃんはまだ舞台の方でジッと黙って座っている女の子を見て言った。彼女は先輩なんだ。同意を求めてるんだろうか。
「鳴門さーん、間違ったことを新入生に教えたらだめじゃないかー」
風早君が大きな声で言う。
「……」
鳴門先輩は静かに風早君の方を見ている。
「聞こえてるー?」
風早君が再び呼びかけると、彼女はゆっくりと舞台から降りて、風早君に近づく。
「私は事実を言っただけ。今日は女バスがハーフコート分、使える日」
さっきも思ったのだが、彼女の淡々と冷徹な話し方は、林原めぐみのソレだった。
「……わかってないなあ。君たち女バスは三年生が引退して以来、部員が五人にも満たないじゃないか。そんな廃部寸前の君たちが全国を席巻する僕たちと同じように体育館を使う?」
あ、ダークサイド風早君だ。まあ、うすうす感づいていたけど、やっぱ性格悪かったかー。そんな反語表現いらないから、とっとと言いたいこと言えよな。
「笑わせないでくれ。第一、君の他の部員はどうした? 練習日なのに、入部希望の新入生以外いないなんて、ちゃんちゃらおかしい。それくらい、言わないでもわかるよね?」
ダークサイドに堕ちた風早君の暗黒スマイルに、他の男子部員もウンウン頷いた。だが、そんな数の暴力に鳴門先輩は全く怯むことなく、堂々と言った。
「私以外、今日はサボり」
もしこの状況がアニメだったら、『ワンピース』のどーんっというサウンドエフェクトが響いたに違いねえ。ただ違和感があるのは、ルフィが口を顔の半分まで広げて叫ぶシーンのように仰々しくなく、全く表情を変えずに鳴門先輩は言っていたということだ。
「……」
風早君のこめかみに血管がピキってなったのをおれは見逃さなかった。
「まあ待て」
そう言うと男子部員の群れをモーセのように割って、随分な大男が出てきた。おっきいなあ、おれより背が高い。こっちは風早君とは違って、ザ・ワイルドな男だ。『幽遊白書』の
「鳴門よ。今の女バスはお前と新入生二人しかいない。それはわかるな?」
「……」
鳴門先輩は黙って頷いた。
「二人なら練習できることも限られるし、半面も必要ないはずだ。そうだよな?」
「……二人で半面使えればより良い練習になる。使えるなら使いたい。ダメ?」
「しかし、俺たちも公式戦が近い。実践的な練習が必要だ……。可能であれば、今日は諦めてほしい」
「……」
鳴門先輩はやはり黙り込んだまま表情を変えないし、頷きもしない。頑固な人だ。
「体育館が使いたいならさ」
続いてモンキーみたいに背の低い部員が高い声でしゃしゃり出てきた。
「うちらのマネージャーやらない? 今日は一人も来てないしさあ。ちょうどいいじゃん? ね? どう? 特にそこの新入生ちゃんとか? 君、結構可愛いねえ。バスケやるよりうちらのマネやった方が良いんじゃないの?」
モンキー先輩が翠ちゃんに近づく。その理屈は明らかにおかしいだろ。翠ちゃんは引いた表情をした。……マネージャー? おれはハッとしてそのモンキーに近寄る。
「おおう、なんだよ……」
ちょっと後ずさるモンキー先輩。
「モンキー先輩、いまマネージャー足りないんですか?」
「モ、モンキー?」
「おれにやらせてください!」
ビシーッとおれは頭を下げた。
「は? いきなり何言ってんだ? お前。うちのマネージャーは女子オンリーだから!」
一瞬で玉砕する。
「モンキー先輩、それは前時代的男女差別でしてねえ……」
「モンキーモンキーって……! てっめえよお!」
「やめろ!」
モンキー先輩が高く飛びあがるとおれの視界が一気に逆転した。飛びまわし蹴りをもろに側頭部に食らった。
バガン!
音が激しく体育館内で響く。バランスを崩して倒れる。おれはとっさに受け身を取ったので、着地のダメージは随分軽減されたが、頭がちょっとクラクラした。そのまま寝っ転がる。
「おい、ヤバいって……暴力は……」
戸愚呂弟が焦る。
「黙ってれば大丈夫っしょ。それにこいつパンツ見せてた馬鹿だろ?」
モンキーは軽く言う。くそ、高校生荒れてんなあ。暴力に突拍子が無さすぎる。たけし映画じゃあるまいし。ファッキン・ジャップくらいわかるよ馬鹿野郎。当たり所が悪くて、起き上がれねえ。ちょっと油断したぜ。
「だ、大丈夫?」
翠ちゃんが近づいてくる。いつもなら怪我を装って、抱き着くくらいのことが出来るんだけど、ちょいきついわ。頭はないわ~マジで。
「何の騒ぎ?」
体育館でこだました、はっきりと正しいイントネーションの日本語。発音だけ聞いたら、日本人だと思うだろう。だが、おれはその声を知っているからすぐにわかった。
「アッちゃん!」
おれはすぐさま飛び起きて、体育館の出入り口を見る。アッちゃんことカインドラ・アリジンは、ポリエステル百パーセントのホットピンクのTシャツに、これまたポリエステル百パーセントの黒のハーフパンツ、エアジョーダンXIをカチッと履いて、おれたちのほうを奇妙な顔で見ていた。アッちゃん、女バス入るんだ。おれはアッちゃんに駆け寄る。
「アッちゃん、なんで今日ずっと無視したの? おれっち寂しかったんだからね~」
「気安く変なあだ名で呼ばないで」
ぶりんぶりんに捲し立てるおれを、アッちゃんはチラリと侮蔑の表情で見る。が、おれの頭部からクールに滴る血に気付いたのか、もう一度おれを二度見する。
「……血が……」
アッちゃんは呟く。おれは、すぐさま拾い上げる。
「あれ? アッちゃん心配してくれるん? わかった! おれのこと好きなんじゃ……」
「コマキさん、これはどういうこと?」
アッちゃんはおれを華麗にスルーして、翠ちゃんの方に向かう。
「あ、アリジンさん……」
あれ、これお知り合いという奴か。二人とも。
「いやあ、それがですねえ」
おれはアッちゃんの横に並んで、説明しようとする。翠ちゃんも説明してくれた。アッちゃんはおれの方を一切見ずに翠ちゃんにだけ相槌を打って話を聞いた。
「事情はわかった」
アッちゃんがまた翠ちゃんの方にだけ向かって言うと、今度は男子部員の方を見た。
「おい」
「な、なんだよ……」
モンキー先輩がアッちゃんにちょっとビビりながら反応する。まあこんな田舎に外国人は珍しいから無理もないか。
「もっと早い話のつけ方がある」
アッちゃんとモンキー先輩は大体同じくらいの身長だ。ただ、アッちゃんの威圧感でモンキー先輩の方が小さく見えた。アッちゃんははっきりと言った。
「私たちとスリーオンスリーで勝負しろ。私、コマキさん、ナルト先輩でお前らと戦う」
男子部員がざわついた。
「ちょっとちょっと正気? いくらなんでも、男子と女子じゃ力の差があるよ」
風早君がアッちゃんに言う。
「私は本気だ。こちらが勝ったらルール通りに体育館を女バスにも使わせること」
「へえ、まあいいけど。そのかわり僕たちが勝ったら?」
「女バスは今後一切体育館を使わない」
アッちゃんは真っすぐに言った。大きく出たねえ~。
「やろう」
風早君は再びダークサイドに堕ちて、暗黒微笑した。男子部員たちもニヤニヤしておれ達を見ている。
「随分、大きく出たねえ。アッちゃん。どうすんの? 負けたらヤバくない? これ」
また無視されるのを覚悟でアッちゃんに絡んだが、意外にもアッちゃんは好戦的な目つきをして、ニヤリと笑った。
「私がいるチームに敗北の二文字はない」
おお~かっけえ~。そんなこと言えるようになりたいものだ。おれが感心して頷いていると、アッちゃんは話した相手がおれだということに気付き、また仏頂面に戻った。なんでそんなツンケンしてんねんや。こちとら普通に仲良くなって普通に懇ろの関係になって、あわよくば……。
「お前らも本気のメンバーで来い」
アッちゃんは戸愚呂弟を睨んで言う。
「えーっと……新入生の君は知らないと思うが、一応俺たちは去年全国に出ている立場だ」
「だから?」
「無茶なことはやめた方が良い。これは警告だ。俺たちは手を抜くということを知らない」
戸愚呂弟は厳しい表情だった。戸愚呂弟の威圧感も相当なものだった。もともとのデカさもあって、あまりのデカさで体育館を包み込みそうだ。もちろん、比喩表現だぜ。だが、アッちゃんも全然小さく見えない。実際はアッちゃんが戸愚呂弟を見上げる形となっているが、威圧感(もう覇気って言ってもいいんじゃねえか?)は全然負けてなかった。ハッ! とアッちゃんは戸愚呂弟を鼻で笑った。
「たかがバスケ後進国の大会に出たくらいで自分たちが強いとでも?」
物凄い挑発文句だった。ブチブチっと血管が切れた音が立て続けに鳴ったような気がした。戸愚呂弟のこめかみもピキっと血管が浮かぶ。ハナっから一二○パーセントじゃねえか。暗黒武術会じゃねーんだぞ、ここは。完全に男子バスケ部員たちの空気が変わった。アッちゃん、めっちゃカッコいいんだけど大丈夫なん?
「空気を読まずに申し訳ないが」
突如、鳴門先輩が口を開く。
「私はその試合に出ることが出来ない」
「何故だ?」
先輩相手にも普通にタメ口のアッちゃんだったが、鳴門先輩は特に気にすることなく答える。
「……コナン君の時間に間に合わない」
「は?」
アッちゃんは愕然とした。
「……彼が私の代わりに出ればいい」
なんと、鳴門先輩はおれを指名した。
「……チッ」
アッちゃんは露骨に嫌そうな顔で舌打ちをした。
「ええ、マジ? おれバスケ出来ないんだけど」
だが、おれの抵抗も空しく、知らぬ存ぜぬで鳴門先輩は帰りの支度を始めていた。
「健闘を祈る。じゃ」
右手をシュビっと上げると、そのまま鳴門先輩は体育館を出て行ってしまった。しかし、負けたら自分たちの部活がかなり危機的な状況になるのに、全く状況に流されない鳴門先輩はすげえな。なんだよ、高校生にもなってコナン君かよ。身体は子供! 頭脳は大人! だが、おれは妙に大人ぶるようなダセエマネはしねえ。むしろ身体は大人で頭脳は子供で、蘭姉ちゃんと一緒にお風呂で戯れたいもんだぜ。風呂に入ると、あのドリル型の髪もストレートになって、綺麗に見えるらしいぜ。
男子バスケ部に事情を話すと簡単に了承した。一人変わったところでどうということはない、というところだろうか。おれは翠ちゃんに頭の応急処置をしてもらって(凄い優しい)、そのまま出ることになった。
ルールは男子バスケ部曰くオリジナルルールのスリーオンスリー。三人対三人のハーフコートバスケットで、三十点を先に取った方が勝ち。バスケは通常ゴールがリングに入れば二点ずつ加点されるけど、遠くから、つまりスリーポイントラインより遠くからシュートを決めれば三点だ。それがそのまま採用されて、ボールがラインからアウトしたら攻守が切り替わる。ただ、守備側がボールを外に出した場合、攻撃はまだ続く。ショット・クロックの概念はなし。男子バスケ部の三人は、風早君、戸愚呂弟、モンキー先輩だ。それぞれ身長もばらついていて、バランスがありそうだ。つまり穴がない。おれ達は作戦を考えた。
「お前らは数合わせだ」
アッちゃんが突然言う。
「はっきり言って、私の邪魔をされたら困る。一対三くらいでアタシは丁度いいと思ってる」
手首をプラプラさせながらアッちゃんは言う。
「わかった! じゃあ、アタシ、外で張ってるね。スリーには自信あるんだ!」
元気よく翠ちゃんは言う。納得がはえーなー、おい。しかし、翠ちゃんはスリーが打てるのか。アウトサイドが使えるのはデカいな。しかし、あの三人相手に、そうシュートを打つ機会があるかどうか。
「なあ、おれは?」
「隅にいろ。素人は何もするな」
「ひでえや」
作戦も糞もない。めちゃくちゃだ。
試合は無情にも始まる。他の男子部員たちはものものしい雰囲気で睨みつけてくる。圧倒的アウェー感。おれたちが先攻だった。三十点先取だから、おれ達の方が有利だが、それはちゃんと得点を重ね続けることが出来たらの話だ。向こうのディフェンスはマンツーマンだった。アッちゃんにモンキー先輩、翠ちゃんに風早君、おれに戸愚呂弟がマークに着いた。翠ちゃんはスリーポイントラインより後ろで、右四十五度の位置に、おれはアッちゃんに言われた通り、左の九十度の位置、隅にポジションを置いた。
「おら、来いよ。クソ外人」
パス交換をして、モンキー先輩がいきなり挑発する。アッちゃんがドリブルを一つ。ダム……。
「お前らが負けたら、そうだな……。まあ俺たちの奉仕係とかさせてやってもいいぜ? メイド服とか着て……」
モンキー先輩がけたたましいトラッシュトークを始めた、その時。
アッちゃんは消えていた。
モンキー先輩が間抜けな顔をする。
ゴール下を見ると。
既にアッちゃんがいた。
もうシュートの体勢に入っていた。
レイアップシュート。
最も基本で、最も確実なシュート。
綺麗なフォームだ。
トン。
バックボードにボールが静かに当たる。
ファサァ。
静かにネットの音が体育館に響く。
「どうした?」
アッちゃんはニヒルに笑って男子バスケ部員たちを見る。
速い。あまりにも速すぎり。速すぎて一瞬の出来事だった。体育館が静まり返る。
「やべー! アッちゃんマジ半端ねー!」
おれはアッちゃんに近づく、どさくさに紛れて抱き着こうとするが、思惑は見事にバレたらしく、おれの方を見向きもせず、先ほどのシュートと同じくらいの素早い動きでおれを避けた。
「アリジンさん! イエー!」
翠ちゃんはアッちゃんにハイタッチを求めた。アッちゃんも軽く笑って翠ちゃんとハイタッチした。なんやこれ、女の子の友情美しいですやん……。
「……ッ!」
向こうの三人は再び目の色を変えた。どうやら今のはかなり効いたらしい。
次は男子バスケ部の攻撃。おれ達の守備陣形はなんとなくマンツーマンになった。モンキー先輩がボールを持った。パス交換のため、一度モンキー先輩はアッちゃんにボールを渡す。アッちゃんがモンキー先輩にボールを渡した瞬間、モンキー先輩は口を大きく開けて叫んだ。
「あっ! あそこにジャスティン・ビーバーが!」
「えっ! うっそマジ! あの世界的大スターのジャスティンがこんな日本の田舎高校体育館に来てんの? うそうそうそ~???? 信じられな~~~~い!!!!」
おれは体育館を瞬時にキョロキョロした。
「なんだ、いないじゃ……」
見ると、モンキー先輩は絶望的な顔で四つん這いになっていた。ボールは既にアッちゃんが持っていた。右手の人差し指でボールをくるくる回している。
「わー! アリジンさんすごーい!」
翠ちゃんが飛び跳ねて喜ぶ。おれは近くの戸愚呂弟に話しかける。
「なあ? 何があったんだ? ジャスティンは? ねえ」
「……信じられない……」
戸愚呂弟は震えていた。男子部員たちもざわつき始めた。
「マジかよ……」
「こっちは全国メンバーだぜ……」
「あのおさる先輩のカットインをいとも簡単に止めた?」
ほう……。どうやらアッちゃんが完全にモンキー先輩を抑え込んだようだな。恐れおののいているようだな。てか、モンキー先輩は部内でも猿扱いされてんのな。おれは仰々しく拍手しながらアッちゃんの方に駆け寄る。
「よくやった……」
アッちゃんはおれの方を見ることなく、またすぐ自分のポジションについた。
「おふざけはなしだ……」
「スイマセン……次からは絶対に抜かれません」
戸愚呂弟はモンキー先輩に喝を飛ばしていた。
しかし、意気込みも空しく、モンキー先輩はアッちゃんに翻弄された。とにかく、カインドラ・アリジンはスーパープレーヤーだった。いとも簡単にモンキー先輩をぶち抜く。何回かこの状況が続くと、今度は風早君もモンキー先輩とともにアッちゃんにマークした。ダブルチームだ。スリーオンスリーでフリーマンを一つ作るのは誰が見てもマズいはずだ。それだけ、アッちゃんにディフェンスを割く価値があるということだ。事実、おれは外側でぽけーとしているだけだったし、翠ちゃんはうずうずしながらその様子を見ているだけで、インサイドに入る素振りさえ見せない。けど、アッちゃんはダブルチームさえものともしなかった。更に得点を重ねた。こちらの守備では、アッちゃんがモンキー先輩からバシバシとスティールをする。おれ達は点差を広げた。
だが、奴らもプライドをかなぐり捨てて、策を講じてきた。攻撃では、まず風早君がアッちゃんの横に立って、守備の邪魔をする。スクリーンってやつだ。翠ちゃんが風早君を追いかけても間に合わず、颯爽とモンキー先輩がアッちゃんのマークをかいくぐり、即座に戸愚呂弟にパスを出す。おれはなにもしなくていいと言われているから、立ってるだけだ。戸愚呂弟は難なくフリーで豪快なダンクを決めた。男子バスケ部員達も大騒ぎ。そして守備、遂に戸愚呂弟もおれを無視して、アッちゃんをマークする。一対三で丁度いいくらいとアッちゃんは豪語してたが、流石に三人は無理だ。一回だけ、アッちゃんは三人を抜いてショットを決めたが、疲労も貯まってきていたというのもあり、だんだん得点を重ねられなくなってきた。向こうはスクリーン作戦で点を重ねる。風早君のスリーが決まったりすることもあって、スコアは20対17。あれよあれよという間に追いつかれつつあり、こちらが三点だけ勝っていた。
「おいおい、どうしたー?」
「最初の威勢はどこいったー?!」
「シャシャッてるからこうなるんだぜ!」
「アリジンさんの太もも、本当に美しい……。こう……ほどよく肉が……」
ギャラリーもいつの間にやら増えていて、思い思いのことを叫んでいる。ちなみにアッちゃんの太ももに言及しているのはおれじゃない。
「おうおう、どうするべ? そろそろアッちゃん一人じゃキツいんじゃないの~??」
「ハァ……! ハァ……!」
おれが話しかけても、アッちゃんは全く聞く耳を持たない。こりゃ頭ん中、沸騰しちまってるぜ……。
「……アリジンさん」
さっきまでにこやかにいた翠ちゃんがリアルガチな表情で、膝に手をついているアッちゃんに話しかける。アッちゃんは翠ちゃんの方を向く。あれ? 聞こえてんじゃん。なんでおれの声は無視したの……。
「……ハァ……ッ!」
「アタシにボール頂戴」
翠ちゃんもバスケットボールプレーヤーの端くれだからだろうか。自らにボールを要求する。どう考えても健全な判断だ。アッちゃんにマークが集中している今、フリーになっている翠ちゃんにボールを渡せば、余りにも下手くそじゃない限り、得点は決まる。
「……私一人で……」
「いいから」
ズイッと翠ちゃんはアッちゃんに言い聞かせる。
「……」
アッちゃんはプイッと顔を背けた。
おれ達の攻撃だ。パス交換して、アッちゃんがボールを持つ。ベッタリとモンキー先輩と風早君がマークにつく。奴らもなりふり構っていられない状況だ。アッちゃんは低空ドリブルで二人を抜くが、すぐ前に戸愚呂弟が立っていた。止まってしまう。
「こっち!」
翠ちゃんが叫ぶ。アッちゃんは翠ちゃんの呼びかけを無視した。おいおい、いくらなんでも一人でやることにこだわりすぎだぜ。
「パス出さねえ奴はこれだから楽だよな……」
モンキー先輩がすぐにアッちゃんを取り囲もうとする。ちょっと遅れて風早君もアッちゃんに近づく。
ピュッ。
ボールが物凄い速さで飛んでいく。アッちゃんはパスする方を全く見ていない。ノールックパスだ。遂にアッちゃんがパスを出した。ボールはバチーンととても大きな音を立てて翠ちゃんの手に収まる。
「……ッ!」
ボールの衝撃に翠ちゃんは顔を少し歪めた。翠ちゃんはボールを持つとすぐにシュートの体勢に入る。
だが、風早君はそれを読んでいたようだ。アッちゃんにマークするかと思いきや、そのまま通り越して、翠ちゃんをシュートブロックしようと高く飛ぶ。風早君は翠ちゃんより十五センチくらい高いし、止めてしまいそうである。翠ちゃんもそう思ったのか、クン、と動くのみでシュートを打つのをやめる。フェイクだ。上手い。
「くそ!」
風早君は悔しがる。翠ちゃんはワンドリブル入れて、風早君を避けると、高くボールを放った。だが、ちょっとミスパスになったのか。どこに投げてるんだ、と思うくらい高く弧を描いた軌道だ。
あれ? これ、おれのとこ来てんじゃん!
「わわわ」
おれは慌てて飛び上がる。なんとかキャッチ。もう少しでラインを越えるところだった。無駄に身長が高いおかげだぜ。
「お! これチャンスやんけ!」
おれはフリーだった。ドリブルでゴールに突っ込もうとした。だが、すぐに戸愚呂弟がもう前にいた。
「俺を剥がせるとでも?」
ズウゥウンと立ちはだかる。やべー。もう無理か? これ。パスコースも殆どねえ。
「素人にまでちゃんと油断せずついてる!」
「流石俺たちのキングコング!」
「圧倒的大黒柱!」
男子バスケ部員は大騒ぎする。てか、こいつも猿系統かよ。本当に慕われてんのか? こいつら。
だめだあ~。おれは視線を落とした。と、そこで一つだけ抜け道を見つけた。
戸愚呂弟はおれが相手で油断しているのか、守備の腰が高い。
つまり、股をポッカリと空けている。
ここしかねえだろ。
「だらー!」
おれは戸愚呂弟の股を抜くようボールをぶん投げた。ボールは戸愚呂弟の股を綺麗に抜いた。
「誰もいないところに投げたー!」
「どこに投げてんだー」
「馬鹿だ! 馬鹿がいるぞー!」
いや、そんなことねえ。マークが分散された今、彼女の速さが活きる筈だ。
「……」
アッちゃんがモンキー先輩を振り切って、中に高速で侵入した。おれのボールを受けて、そのままレイアップシュート。決まる。
体育館が静まり返る。差は再び離れた。おれはガッツポーズをする。
「やったぜ!」
アッちゃんに駆け寄る。アッちゃんはショットを決めたその位置で茫然と立っていた。凄い汗だくだ。アッちゃんはおれの方を向く。
「……お前」
「いや、褒めてくれたっていいんだよ? ナイスアシストだったっしょ?」
「……」
アッちゃんは黙ってプイッと振り向いて、守備につこうとした。なんだよ、そっけないなあ。
こちらのパス回しは相手の意表をついたようだ。だが、アッちゃんがパスを出したのはこのゲームだとこれが最初で最後だった。
それに、もう男子バスケ部の得点は抑えられなくなっていた。アッちゃんはもう疲れ切っていて、簡単に点を取られた。これで22対19になる。おれ達の攻撃。やっぱりアッちゃんが抜こうとするも、風早君にスティールされる。得点なし。男子バスケ部の攻撃。何度もパスを回され、外から風早君のスリーが決まる。遂に追いつかれる。
「ウッヒョオオオオ!!!」
「おいおいどうしたどうした~?!?!」
おれ達は男子バスケ部の煽りを受けた。おれはキーキー反論しようとするが、今度はこちらの攻撃なので、集中しなければいけな……。
「!?」
おれ達の攻撃はすぐに始まっていた。なんと、アッちゃんはパス交換して、すぐにシュートを放った。スリーポイントだ。女子特有のダブルハンドショット。これが決まる。再び三点差。25対22。外もイケるクチかよ……。すげえ。
「キャアアア!」
「ステキ! ステキイイイ!」
いつの間にやら女の子ギャラリーも集まっていた。女子にモテる女子という奴か? アッちゃんは?
しかし、このあとすぐに点を返される。25対24。おれは状況を一変しようとタイムアウトを、ちょっとした作戦タイムを儲けようと、宣言した。男子バスケ部員たちからブーイングを受けるが、風早君が許してくれた。負けてるのに、なんて余裕だ。しかし、このままじゃ逆転されるのは時間の問題だ。作戦タイムだ!
「アッちゃん。もう一人じゃ無理だ。おれや翠ちゃんにボールを……」
「……」
アッちゃんは鬼気迫る表情でおれを睨みつけた。
「何をこだわってんだ。このまま負けたら、女バスは体育館使えなくなるんだろ? 勝手な勝負挑んで負けたら激ダサだぜ?」
「……私は……バスケ以外……」
息も絶え絶えでアッちゃんは話そうとする。
「こんなバスケ後進国で……負けるわけには……!」
おいおい。なんてプライドの高さだ。
「おい、もうやるぞ!」
モンキー先輩が捲し立てる。
「わーってるやい!」
おれは叫び返す。作戦、立てられず。
おれ達の攻撃はまたもアッちゃんの自滅で得点なし。男子バスケ部の攻撃では、戸愚呂弟がまたダンクしようとする。さすがにこれを止めるのは無理だ。ガゴン!
ドオオオオ!!!!
戸愚呂弟のダンクは花形プレーだ。体育館に熱狂の渦を起こす。男子バスケ部員たちが立ち上がり叫び狂う。ギャラリーも興奮した。遂に逆転された。25対26。おれ達の攻撃、失敗。男子バスケ部の攻撃。モンキー先輩が風早君のスクリーンを利用して、アッちゃんと翠ちゃんを抜く。そのまま決める。25対28。万事休す。
くそ、もうやってらんねーぜ。大体、なんでおれこんなところで女子に交じってバスケしてんだ? 目的は? なんだっけ? 男子バスケ部のマネージャーになって、男子バスケ部気取って逆ナンされ放題のモテモテイケイケメンになる予定がよお。
「どうしよ……このままじゃアタシたち……」
翠ちゃんが不安げな表情でおれの方に近づいてくる。確かにこんなんじゃ……ハッ!
「おれはなんて馬鹿なんだ……」
「え?」
キョトンとする翠ちゃんを横目に、おれは一つ閃いた。
おれ達の攻撃。パス交換をしてまーたアッちゃんがボールを持ち続けようとする。おれは今までずっと隅にぽけーっといるだけだったけど、もうやめだ。隅にはいかず、足止めされているアッちゃんの背後にそっと近づく。
「おらああああああ」
気合を込めた。
両手に全神経を込めて。
おれの両手はアッちゃんの脇をかいくぐって。
そのまま目標物を。
双丘を。
キャッチ!
「!!」
もみゅりん。
アッちゃんはバッと脇をしめた。アッちゃんの育ち盛りの胸を一揉み。
「……は?」
「なんてことを……」
モンキー先輩と風早君が呆気にとられる。二揉み。三揉み。
「ん~。なかなか芳醇ですねえ。アッちゃんって着やせするタイプ? 意外とあるねえ。スポーツブラの上からでも伝わるよお~。この感触。ええ、はっきり言って……」
おれは胸を揉みながら叫んだ。
「キモチイイ!」
先ほどまで熱気を渦巻いていた体育館が、シーンっと静まり返った。あまりにも唐突で馬鹿馬鹿しい展開に皆呆気に取られているようだ。狙い通り。
「ほい」
固まってるアッちゃんの横からボールを奪って、翠ちゃんに投げた。
「汚ねえ! アイツ!」
「……」
翠ちゃんは体育館の空気に飲まれることなく、ボールをキャッチ。ここに来て、集中している感じだ。だが、もう一人空気に飲まれていない男がいた。戸愚呂弟が翠ちゃんの前に立ちはだかっていた。
「させん!」
「翠ちゃん、前にとにかく投げべー!」
おれは指示を出す。今度の戸愚呂弟はしっかり腰を落としてマーク。股抜きパスは無理そうだ。仮にも全国に出たという選手だ。試合中の修正力がある。だが翠ちゃんは臆することなく、すぐにドリブルを仕掛けた。これは上手い。戸愚呂弟の意表をついたプレーだった。まさか自分に向かってくるとは思わなかったのだろう。驚いた戸愚呂弟の腰が浮いた。その隙をついて翠ちゃんはすかさず、股抜きパス。
パスの方には誰もいなかった。だが、それは一秒前のこと。アッちゃんがビュンっと出現する。あっという間に中に侵入したアッちゃんがボールをキャッチ。決まる。これで一点差。
静かになっていた体育館が、しばらくしてブーイングの嵐になった。
「そこのデカブツ! なめとんのかー!」
「死ねー!」
「殺す! 絶対に殺すッ! あたしたちのアリジン様を……!」
男女総スカンだ。おれは高らかに笑った。
「ダハハハ! 決まればいいんだよ!」
ブー! ブー! 鳴りやまないブーイング! すげえ注目されてる、おれ!
アッちゃんはおれの方を一切見なかった。疲れているから、揉まれたことさえ気にならない、って感じ。全てが狙い通り……。
そう、折角女子の中に紛れているんだから、女子を思いっきり触っちまえばいいんだ! おれはなんでこんな単純なことに気付かなかったんだろう。
だが、このあと男子バスケ部の攻撃を押さえられなきゃ負けだ。三〇点先に取られたら負けとなる。
「まあ、今のはサービスサービス」
ミサトさんみてえなこと言って、モンキー先輩はドリブルを始める。なんなく、アッちゃんを抜く。さっきのダッシュで、アッちゃんはもうフラフラだ。
「あーあ」
おれは終わったと思った。とりあえず、中に突っ込んでくるモンキー先輩にヘルプでディフェンスをする。
「まあ、このままお前を抜いてもいいんだけどな。確実な方を選ぶぜ!」
モンキー先輩、渾身のノールックパス。ボールはアウトサイドに飛んでいく。ボールは今日絶好調の風早君の手元へ。地味に嫌らしいところでスリーを決めたりと、いい仕事するんだよな、あいつ。はいはい、これは負けましたわ。おれは俯いた。
パシン。
ボールを手に取る音が聞こえる。このままジャンプショットされてお終い。外してもゴール下には戸愚呂弟がいて、リバウンドをするだろうから、無理。だが、次の動作の音が聴こえなかった。見上げると、翠ちゃんがパスカットをしていた。超興奮した。
「おおおお! ナーイス! 翠ちゃん!」
おれはすぐに翠ちゃんの元に駆けよるが、素早い身のこなしでよけられるとそのまま転んでしまう。
「……まだまだ元気だね」
翠ちゃんはおれを見下ろして、呆れた顔で言った。
「翠ちゃんこそ」
「うん……。アリジンさんが頑張ってくれたし……」
得点は27対28。こっちは二本決めれば勝てるが、もっと簡単な方法がある。
「えーっと……」
「名乗ってなかった? おれは清雲正巳。生きとし生けるすべての女の子を愛するために生まれてきたのサ……」
「プフ……」
翠ちゃんは吹き出す。良いリアクションするなあ。
「じゃあ、キヨ君」
「マーちゃんでもいいよ」
「えーやだよ」
一瞬で一蹴される。だが、翠ちゃんはそのまま話し続ける。
「あのね……作戦があるんだけど……」
「奇遇やね。おれもや」
おれと翠ちゃんは耳打ちをした。結果、おれと翠ちゃんが考えていた作戦は同じだった。
おれ達の攻撃になる。お察しかもしれないが、おれ達はスリーを決めれば三〇点になるからそのまま勝てる。もちろん、狙うはスリー。この攻撃は大事だ。
「……わかってるな」
「ああ……」
相手は先ほどスリーを決めたアッちゃんの開幕スリーを危険視してくる。男子バスケ部の三人も血眼にしていた。パス交換する。案の定、アッちゃんはボールを持つとすかさずそのままシュートを打とうとする。
モンキー先輩と風早君が共に飛びつく。それよりも早く飛んでいたおれはアッちゃんのシュートを弾く。
「味方のシュートをブロックした!?」
戸愚呂弟が驚く。てんてんと、転がるボールを翠ちゃんは拾う。
戸愚呂弟がヘルプに行こうとする。いかせないぜ。着地したあと、おれはすぐに戸愚呂弟の進行方向を塞いだ。スクリーン。向こうのプレーを真似させてもらうぜ。
「うおああああああ」
戸愚呂弟はおれにそのまま突っ込んだ。なんてパワー、超痛い。ラグビーじゃねえんだぞ。退場ものでしょ。おれと戸愚呂弟はそのまま倒れ込む。だが、翠ちゃんはこれでフリーになった。
「翠ちゃん! うてー!」
翠ちゃんがスリーポイントラインでフリーになる。
キュッとバッシュの音が響く。
ボールを構える。
グ。
膝を曲げる。
地面に力が伝わる。
ギュン。
高く飛び上がる。
まだ打たない。
ボールを最高高度まで持ち上げる。
かなり高い打点だ。
シンッと体育館が静まる。
力がボールに伝わる。
左手は添えるだけ(至言)。
ワンハンドシュート。
女子では珍しいかもしれない。
しっかり飛んで。
放つ。
男子でもこれほどまでに美しいフォームは中々見られないだろう。
美しい弧を描いた。
リングにボールが収まる。
ネットが水しぶきのように裏返る。
スコアは30対28。おれ達の勝ちだ。体育館内が歓声に包まれる。
「キタキター! おれ達の勝ちだー!」
おれは大騒ぎする。翠ちゃんの方に駆け寄る。
「ナイショット! 翠ちゃ……」
翠ちゃんは目を瞑っていた。まだシュートの姿勢を保ったままだった。
「ふぅ……」
シュートの姿勢を崩して、バタンと両腕を閉じた。先ほどまで汗をほとんどかいていなかったのに、もう汗だくになっている。どれだけ集中して一本を放ったのだろう。翠ちゃんはおれに気付いて、声を上げる。
「入った!?」
周りの歓声は聞こえなかったのだろうか。おれは親指を立てて白い歯を見せた。彼女は満面の笑みを浮かべた。
「やったあ!」
翠ちゃんは両腕を上げて飛び上がって喜んだ。すると、モンキー先輩が近づいてきた。
「ま、まだだ! 俺たちの攻撃が……」
難癖付けてきた。おれはマイケル・ジョーダン並みのトラッシュトークで応戦する。
「あれれ? 負け惜しみですか? ルールは三十点先取ですよねえ? それにこちとら素人と女子二人ですよ? 恥ずかしくないんですか? そんなこと言って? 勝ちは勝ち! おれ達の勝ちだっつうの!」
「く……!」
おれはモンキー先輩を煽りまくる。そこで、アッちゃんがよろよろとおれ達の間に入ってきた。
「……いや。構わない。お前らの攻撃を始めろ……」
「アッちゃん、何言ってんの? もうフラフラじゃん!」
「いいから……」
アッちゃんはまだプレーをやめようとしない。ボールを持ってセンターサークル付近に行こうとする。だが、そこで戸愚呂弟がアッちゃんの右腕とガッチリ掴んで止める。
「何をする……?」
アッちゃんはすぐに腕をほどいて抵抗する。
「て、てめえ!」
おれは戸愚呂弟に向かう。こいつら今後は力づくで……。
「もうやめにしよう。俺たちの負けだ」
戸愚呂弟が肩を落として言った。
「それでいいだろ?」
戸愚呂弟は風早君の方を見た。風早君も頷いた。おれはホッとした。
「物分かりが良くて助かるぜ。戸愚呂弟、風早君……」
おれは二人にフランクに近づいて言った。あ、やべ。心の中のあだ名が駄々漏れだった。だが、二人とも微笑していた。
「てことは……」
「男子バスケ部が……」
「女子に負けた?」
ギャラリーがお互いの顔を見て、またざわめく。
「これは大ニュースやでえ!」
要チェックや! と彦一みてえなことを言ってる生徒がそう言ったのを皮切りに、何人かがどたどたと体育館の外に出て行く。おれはその狂喜乱舞っぷりを見て満足している。
ふと体育館の上のキャットウォークを見る。二人の女子生徒が見えた。あれ、ひょっとしてパンツがみえるんじゃあ……? イヒヒとおれは真下に近づく。
「どうなのでありますか? キャプテン的には。あの子たち、相当やるのであります」
「
「自分、楽しみでありますなあ。彼女たちの入部が」
「……勝手に変な約束を仕掛けて負けてたらヤキ入れだったわね」
そんな話が聞こえた。残念ながら、パンツは見えなかった。
「正直、こんな超高校級のプレーヤーが二人もいるなんてな……」
「そうだね。女子なのが惜しいくらいだ」
戸愚呂弟と風早君はそれぞれアッちゃんと翠ちゃんに言った。翠ちゃんはえへへーと後頭部に手をやって笑っていたが、アッちゃんはまだリアルガチな表情のままで二人を睨む。
「まだ勝負はついてない……ッ!」
二人に突っかかろうとする。あー、こりゃもうめんどくせえや。おれはアッちゃんの背後に回る。
「おら!」
歴史は繰り返す。もにゅりん。
「あー」
「ちょ、ちょっと……!」
その場にいた全員が漏れなく引いた表情をした。アッちゃんのすべてが硬直する。
「ちょっと、皆なに引いてんの? さっきも大丈夫だったし。こんなんよゆーだよ、よゆー」
おれが皆の方を振り返って解説する。おれは! おっぱいを! 揉むのを! やめないいいいいいいい! 今度は全員青白い顔をしていた。
「どうしたの? やっぱいいね、アッちゃんのおっぱい。なんか生まれたころを思い出すよ……」
無表情のアッちゃんと目が合ったのが、体育館での最後の記憶だった。
またいつもと同じ天井……じゃない。初めてだ。こんな天井、初めて!
「どわー! どこだここ! 遂におれもキャトル・ミューティレーションされて次世代型新人類へと進化を……!?」
おれは飛び起きた。
「……ホント元気だね」
「あれ。翠ちゃんじゃん。翠ちゃんも宇宙行くん?」
「何の話? ここは保健室だよ」
傍に翠ちゃんがいる。制服を着ている。窓の外を見るとオレンジ色の空が見えた。ああ、もう結構夕方なんだね。おれは上半身だけ起き上がり、壁にもたれる。
「なんでおれ保健室に?」
「そりゃ、アリジンさんにあんなことしたから……」
ちょっと恥ずかしそうに視線を落とす翠ちゃん。
「ああ、アッちゃんも人並みの羞恥心があったという訳だな……」
おれはうんうん、と頷いていると後頭部に衝撃が走る。
「いて!」
振り向くとアッちゃんがいた。アッちゃんだった。手刀をおれにしたようだ。
「何すんねん! 頭はデリケートなんだよ? それにおれモンキー先輩に食らった蹴りの傷もまだ……」
どうせこう言ってもアッちゃんは無視するんだろうな、と思ってた。
「う……」
だけど、アッちゃんは真に受けたらしく、潮らしい表情をした。
「あれま……」
おれはちょっと驚いた。眉尻が少し下がったアッちゃんの表情は可愛かった。これ、今夜のおかずになるかもしれん。
「もう、アリジンさんも落ち着いて……」
「だって、こいつが……」
「もう。なんで、そんなに目の敵にするの? 一応、一緒に戦った仲間じゃん」
「うう、だって……」
なんか弱々しいな、今のアッちゃん。
「こいつ、私のシュート、ブロックしただろ?」
最後のプレーのことか。おれと翠ちゃんの作戦だ。といっても作戦というほどでもない。アッちゃんからどうにかしてボールを奪って、翠ちゃんにボールを渡す。おれはスクリーンをかけて、翠ちゃんをフリーにする。
「冷静になって考えたんだ。私はシュートをブロックされたのは初めてだ」
それってつまり……。
「じゃあ、おれアッちゃんの初めてを……?」
「……お前、何者なんだ?」
アッちゃんはおれの質問には無視して、質問してきた。
「何者って……。キヨちゃんだけど?」
「ふざけるな。いったい何なんだ、お前は?」
「じゃあ、アッちゃん。おれのこと聞きたいなら、ちゃんと名前で呼んでよ。お前お前なんて上から目線で言われていて答えると思う?」
「う……」
「別にアッちゃんの国の文化は~? そういうのあんまり~? 気にしないのかもしれないけどお? まあここは日本だし? 多少は礼儀とか持ち合わせてもいいんじゃないの?」
「なんでお前なんかに……」
「じゃあ答えな~い」
おれは舌をべろべろバーとした。
「……ッチ」
アッちゃんはおれから目を反らして、舌打ちをする。
「……キヨ君ってバスケやったことあるでしょ?」
今度は翠ちゃんがおれに聞いてきた。
「え? 何言ってんの?」
「とぼけないでよ。男子バスケ部には入らないの?」
「ああ、それね。入部拒否された」
「え?」
「マネージャーで入ろうと思ったら入部拒否されたんだって」
「ああ、あれ本気だったんだ……」
「高校のバスケ部ってモテるだろ? おれだってモテてーし?」
「そうかな? 今日見たあの感じだと、あんまりモテる気がしないような……。それにマネージャーじゃあ……」
「あー! マネージャーバカにすんなよ?」
「じゃなくて! 選手としてはもうやらないの?」
グイグイと翠ちゃんは聞いてくる。
「いや、だからおれは……」
「どうなの?」
翠ちゃんはさらにおれに迫る。このままチュッとキスしちゃおうかな、と思ったけど、翠ちゃんみたいな子にそれやったら流石にもう話してもらえなくなるかもしれない。翠ちゃんみたいな子には文脈が必要だ。然るべき流れとムードを作ればイケる。そういうタイプの女がいる、ってウシジマ先輩も言ってた。今はそうじゃない。ふえ~、じゃあちょっと語っちまうかあ……。
「膝」
「膝?」
翠ちゃんが首を傾げる。
「膝がもうダメなんだ。だからおれはもうバスケが出来ない」
「ちょっと待て」
アッちゃんが口を挟む。
「膝がダメなら何故あんな高く飛べたんだ!? 私のシュートをブロックしておいて……」
「いやあ、ワンプレーくらいなら……。ただ、一試合通してとかはもう無理。だからやめたよ」
「……」
「まあバスケはそこそこ好きだよ。中学も一応バスケ部だったし」
「そうだったんだ……」
お、イイ感じにシリアスな空気感になったな。シリアスは英語で、silly assとも書ける(キヨちゃん式英文法A)。馬鹿な尻という意味だ。これを利用しない手はねえ。今のアッちゃんもおれのことを虫のようになんか見ていない。千載一遇のチャンスだぜ。ここは男のちょっと弱いところを見せて、二人の母性本能をくすぐるしかねえよな。
「バスケがなくなったからさ……。おれ、どうしたらいいかマジでわかんねえんだ」
チラッと翠ちゃんを見る。よし、聞き入ってんな、おれの話。
「温もりが……。温もりが欲しくてしょうがない……」
おれは右腕を翠ちゃんの視界から外して、そーっと尻を触ろうとする。アッちゃんはどうやら思惑に気付いて口をあっと大きく開けた。構わねえ。二人同時に追うのは今は諦める。二兎を追う者は一兎をも得ず、だぜ。ガバーッと一気に尻から翠ちゃんを抱き寄せようとする。
「あ! 良いこと思いついた!」
翠ちゃんは急に立ち上がる。
「うへぁ!?」
驚いておれは変な声をあげる。
「キヨ君、女バスのマネージャーやろうよ!」
「え?」
「バスケはなくならないよ! そういうのって自分の気持ち次第じゃない? だったらもう一度バスケに触れてみようよ!」
おお……。なんか翠ちゃんに後光が差しているようにみえる。なんだ? これはなんだ? 純真無垢だ! 天使だ!
「いや、女バスのマネージャーって……」
はっ! おれは気付く。
確かにおれは今まで高校の男子バスケ部にこだわりすぎていた。男子バスケ部のウインドブレーカーを着て逆ナン待ちをする? おいおい、正巳。お前は待っているだけの男に成り下がろうってのか? 男は女にアタックしてナンボだ。女バスのマネージャー。言うなれば、合法的に女の子たちの楽園に突入できる、唯一の方法じゃねえか。なんで、見落としてたんだ、おれは。ここから始めよう。おれのアナザー・ストーリーを! ここから始める! 女子バスケ部をおれの神聖モテモテ大帝国の領土にいれるんだ!
「うう……」
おれは嘘泣きをした。
「ちょ、どうしたの?」
「ありがとう、翠ちゃん。ありがとう!」
おれは翠ちゃんの両手を握って、ブンブン握手をした。
「え、ちょっ……やめ……」
「嬉しい。おれ、嬉しいよ! 翠ちゃんからそう言われるなんて!」
「ちょ……目が怖い……本気で気持ち悪いから……」
「おれ、やるよ! マネージャー! 女バスのマネージャー!」
よし! これこのまま勢いでイケる! 然るべきタイミングだろ、これ! 一気に翠ちゃんを力づくで引き寄せて、ベッドにこのまま……。
「この豚野郎!」
ゴン!
頭の天頂に大きな衝撃。あ、これヤバいかも。
「……一生寝てた方がいいぞ、こいつ」
マジで痛かったよ。アッちゃん……。空が落ちてくる……。星がきれいだなあ。ブラックアウト。意識はシャットダウン。このまま悲しみのない、優しい世界へ、おれを……。
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