第20シュー 天井サーブでサービスエース

「天の高さを無限大とするあらゆる宗教に共通の説を信司るなら、折り返し地点でのジャブラニの位置エネルギーも無限大となります。ジャブラニの材質では第一宇宙速度で大気圏を突破することができないため、少なくとも、神は無限大の成層圏内に存在しなければなりません。神の質量をゼロとするあらゆる宗教に共通の説を信司るべきでしょうか? ジャブラニのゴールへの到達時間から逆算すると、神は大型のボーリングマシンと同等の力積をジャブラニに与えたことに……やめっ、やめやめっ」M・K~利き足とエントロピー減少に関する守護神的考察より


 船木や原田ら第二次日の丸飛行隊が長野五輪のジャンプ台で大暴れした直後、白人根性丸出しの世界スキー教会は、ちびの板を短くするルール改正でちびを低迷期に追い込んだ。が、世界蹴球教会が左足でのゴールをノーゴールにすると、アルゼンチンのちびが黙っちゃいない。

 もはや世界中が、スペインの実力と日本の勝利に矛盾を感じていなかった。その両方を確信していた。まさにオーウェルの言う二重思考ダブルシンクだ。


 日本対スペインの前日、両チームの監督と選手代表一人ずつ、計四人が定例記者会見のテーブルに並んだ。日本の選手代表は、まさかの信司。四日前に(もう誰もタックルとは呼ばない)ローキックを三発浴び、右脚が膝まですっぽりギプス氏のミイラと化した、カミカゼシンジだった。信司は、スペインのデルボスケ監督の向こうにいる元チームメイトのシャビと松葉杖で握手した。会見場はピリピリしていたが、相変わらずシャビの目はクリクリだった。


記者「今、世界中が、明日の準々決勝にあなたが出場するかどうかに注目しています。北朝鮮以外の、世界中がです。その右足のギプスが答えでしょうか?」

信司「韓国と北朝鮮のように、僕の右足と左足もあまり仲が良くないんです。もし右足が断っても、左足が出場すると言ってきかないでしょうね。あ、北朝鮮が」

記者「だから出るんですか? 出ないんですか? その右足のギプスもジョークですか?」

信司「いうなれば、38度線ジョークです。右足ももう大人ですから、回復は本人に任せています。僕が出場するかどうかは、最終的には監督が決めることです」

記者「無敵艦隊、スペインについての印象は? それとも、あなたはまたカシージャスのゴールに22発のテポドンを撃ち込むつもりですか? その松葉杖で?」

信司「僕にとっての無敵艦隊は、リビアのジュニアチームです。あ艦隊じゃないか」

記者「ジュニアチーム?……それもリビア?」

信司「小学生の頃に、サハラ砂漠のビーチサッカー大会で対戦したチームです。あビーチじゃないか。たしか……FCカダフィだかカダフィFCだかっていう……」

記者「それはジュニア、の、チームでしょうね。カダフィ大佐のジュニアは国家元首のジュニア枠でセリエAのペルージャにお金を払って入団したことで有名です」

信司「ユニフォームが砂色の迷彩服なんです。僕らも見つけるのに苦労しましたけど、彼らもパスを出す味方を探すのに苦労してましたね。キーパーは赤いベレー帽でした。FCカダフィだかカダフィFCだかは、子供のくせに僕らをアメリカの犬呼ばわりして、僕らの顔めがけて何度も何度も砂を蹴ってきました。今もサッカーが戦争だとは思いませんけど、戦争がどういうものかはわかった気がします。年端もいかない子供に、肌の色が違う別の国の子供を犬だと教えて、砂を蹴らせることです」

記者「……戦争の話は置いといて、スペインよりもその、FCカダフィだかカダフィFCだかのほうが上というのは? フランコよりカダフィのほうが上だとでも?」

信司「少なくとも、彼らは砂漠では世界一です。彼らの攻撃になると、砂から二つ目のボールが湧き出てくるんです。審判は蜃気楼だって言い張るんですけど、蜃気楼でドリブルできますか? いくら子供でも、子供騙しだ。僕が片方のボールを奪ってそのままゴールを決めると、今度は、ボールがピッチに二つ入ったからノーゴールだって審判に言われました。リビアがワールドカップに出場できないのが、今でも不思議です」

記者「そのせいです。ご存じでしょうが、途中出場だろうがなんだろうが、あなたが出場した公式戦はすべてあなたのチームが勝利しています。あなたは、要するに、リビアのような独裁体制でなければ自分を止めることはできないと言いたいわけですか?」

信司「FCカダフィだかカダフィFCだかには、なんとか勝ちました」

記者「どうやって?」

信司「二個のボールを二個とも相手のゴールに入れたんです。一点でしたけど」


 7月4日。日曜日。日本時間午前3時30分、岡ちゃん公約のベスト4を賭けた日本対スペイン、キックオフ。舞台はヨハネスブルク、エリスパーク・スタジアム。十五年前のラグビーW杯決勝の会場である。地元スプリングボクスが格上のオールブラックス相手に決めた終了間際の逆転フィールドゴール、「エリスパークの奇跡」は、今も南アの語り草である。


 十五年後、サッカーのほうはフィールドゴールのようなキックオフゴールで幕を開けた。試合開始の笛から3分後に試合再開の笛が鳴る、身も蓋もない幕開け。

 本田が浮かせ、信司が左足で蹴り上げたボールは、スタジアムの屋根を越え、雲を越え、成層圏からスペインゴールに落ちた。スペインの守護神カシージャスにとっては、エル・クラシコの悪夢再びだった。「キーパー、後ろ! 後ろ!」


 カシージャスはのちに、コバヤカワSFマガジンの取材にこう語っている。

「僕が空を見上げた時には、もうボールは背中にあった。誰かが空から光速で蹴り返したとしか思えないね。それが誰であれ、僕は今、頭の先からつま先まで無神論者だよ」


 スタジアムの四方に散ったテレビ中継のカメラマンも、さすがに打ち上げ花火の撮影準備はしていなかった。仲良くボールの行方を見失い、観客の指先にて網の中のボール発見。キックオフの瞬間を真上から撮っていたヘリの空撮カメラマンも、ヘリの横を二度もかすめていったジャブラニ号にまったく気付かなかったそうな。


「なんてこった……これがゴール?……これはシュートなのか? 神の怒りなのか? 神はエスパニョール(スペイン)を見放してしまったのか?」と、E‐WAVEの、西のペプラーは言ったそうな。


 女性イレブンによると、バルセロナの邸宅では、クライフがL字型の五人掛けソファごと後ろにずっこけたらしい。地球の裏側では、一億人がジャンプ。渋谷のスポーツバーでは、ヴァン・ヘイレンのあの曲でジャンプ。コートがアイドルのコンサート会場になる前からのバレーボールファンだけが、「いまどき、天井サーブでサービスエースとはな」と吐き捨てたらしい。


 ゴールを確認する前から、信司はまだ痛む右足を引き摺りながらベンチに向かっていた。試合前、中村憲剛から「ゴールを決めたらベンチにダイヴしてこい」とパンクバンドのようなことを言われていたらしい。

 が、開始ゼロ分のゴールには、受け入れ態勢もゼロだった。憲剛がキョトン。六万人がキョトン。ピッチの残りの21人もキョトン。出場停止の大久保だけがスタンドでカズダンスを踊り、近くにいたスペイン皇太子をキョトンとさせた。ベンチにパンクなファンがいないことに気付いた信司は、反転し、持ち場に戻った。


 試合はスペインのキックオフで再開。イニエスタはキックオフゴールでお返し……せずに、シャビにボールを下げた。飛び道具のないスペインは、いつものパス回しを始めた。ややうつむき加減で。


 念のため書くが、この日の日本は、GK川島、DF駒野、中澤、闘莉王、長友、MF松井、長谷部、阿部、遠藤、早野、FW本田。

 もはや布陣にはパセリほどの意味もないと知りつつも、岡田料理長は厨房のホワイトボードに「今日の献立」を書いた。料理長の仕事は二つだけ。今日の献立を書くことと、レシピを考えたふりをすることだ。

 信司を蹴飛ばしたパラグアイ人を蹴飛ばした武闘派の大久保は、スペイン戦での出場停止を日本中から絶賛された。おかげで、信司のスペイン戦強行出場という日本中の願いが叶ったからだ。信司は面白半分でギプスをトンカチで割られたわけじゃない。


 身も蓋もない言い方をすれば、信司がいれば、布陣も、戦術も、交代も、分析も、練習も、声援も、監督も、呪術師も、ギプスもいらない。始皇帝、アレクサンダー、ナポレオン、ヒトラーもそうだが、信司の時代には信司しかいらない。


 後半、僕はもう涙がちょちょぎれそうだった。マジシャンのようにスペイン国旗を口から出したかった。ルール通りにボールだけを蹴り続けるスペインを、おおっぴらに讃えたかった。死すべき運命に普段着で向き合ったスペインには、靖国の英霊たちも拍手を送っていただろう。聞こえる人には聞こえただろう。


 キックオフゴール以降、信司は左サイドの肥やしとなった。ボールを受けられず、対面のヘスス・ナバスも追えず、立っているのもやっと。なのに、岡ちゃんは信司を代えなかった。不意の失点に備えた保険だった。阪神ファン向けに言うなら、抑えのエース藤川をファーストに置いておくようなものだ。藤川の出番はなく、試合はそのまま1対0で日本が逃げ切った。

 皮肉にも、スペインのボール支配率は史上初の82%を記録。これまでの国際試合最高記録は、スペイン自身がリヒテンシュタイン相手に記録した80%だった。


 ロスタイム、僕はちょちょぎれかかった涙を引っ込めた。痺れを切らしたペドロ、シャビ、イニエスタのバルサトリオ(元チームメイト)が、ようやく信司の右足を蹴ったのだ。女性イレブンによると、クライフはL字型ソファごと三回転したらしい。


 過去最高のフットボールで大会を去るスペインを、エリスパークのスタンドとアリーナは惜しみない「ブブブブーアディオス」で祝福した。世界中のフットボールファンがテレビの前で親指を下に向け、口でハモった。


 無敵艦隊を沈めた戦艦大和の乗組員は、センターサークルで輪になり、変則のかごめかごめを踊り出した。かごの中の岡田提督は、全員内向きなペットボトル型スプリンクラーから水を浴び、「メガネはやめろっつってんだろ!」と怒鳴った。どさくさでクーラーボックスの氷を投げつけた楢崎二等兵(W杯直前に二等兵に降格)の目は、わりと真剣だった。軍用双眼鏡、嘘つかない。

 その頃、マン・オブ・ザ・マッチの早野大尉は、またも担架で野戦病院に向かっていた。名誉負傷賞の副賞は、またも飲みもしない缶コーラ一年分。大尉にとっては、計二年分だった。


 あなたもワイドショーで見たかもしれないが、スペイン戦後の日本代表のロッカールームに、時の総理大臣から国際電話がかかってきた(べらぼうな通話料はたぶん僕らの税金)。誰もが知っている裏話を一つ。選手代表として総理から祝福を受け、受話器を壁に戻したキャプテン誠の第一声は、この半年、キャプテン誠がどれほどサッカー一筋だったかを物語っていた。「……今の、鳩山さんの声じゃなかったみたいだけど」


 7月4日は日曜日だったので、新聞社は玄関前に番犬のいないおうち限定で号外を配達することにした。都内では配達を巡り、号外派と朝刊派の縄張り争いも勃発したらしい。「うちのシマで号外たあ、いい度胸だ」


 「日本ベスト4! さらば無敵艦隊!」~毎朝新聞号外

 「信司るものは……救われた! 神聖日本、ベスト4!」~聖狂新聞号外

 「岡ちゃん公約通りのベスト4! ミスターも大喜び!」~読切新聞号外

 「やっぱり岡ちゃん! 采配ズバリ! 阪神五連勝!」~日中スポーツ号外


 テレビも信司一色だった。テロップの一番人気は「神のループシュート」だった。ワイドショーまでもが蹴球と宗教の新統一理論に首を突っ込み、とっちらかし、「次の試合も期待したいです」でしめた。

 渋谷のスポーツバーから飛び出したサムライブルーたちが早朝のスクランブル交差点に殺到したが、日曜の朝なので迷惑する車もおまわりさんも思ったほど集まらなかった。

 既に名誉区民、名誉市民、道民栄誉賞の早野信司は、道スポによれば「ノーベル賞も夢じゃない」らしい。平和賞なら、オバマ以来のおっちょこちょいとなる。

 ドイツの水族館在住、「占いダコ」で一躍有名になったパウル君は、スペイン勝利を予想していた。パウル君は「このタコ」に戻り、のちにネオナチの手で「ゆでダコ」にされた。女性イレブン、嘘つかない。 

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