第19シュー やればできるじゃない
「地球は青かったし、白かったし、オレンジだった」U・F・O(未確認飛行物体)
2010年6月25日。再び肌寒い高地のルステンブルク。ロイヤル・バフォケン・スタジアム(キーボードがもつれそうだ)。日本対デンマーク。
信司はまた初戦と同じベンチの右ウィングに戻った。中村俊輔は逆サイドの左ウィングにいた。その名も、アフリカ番外地。ベンチで一番寒そうだった。
日本時間午前3時47分、本田がデンマークゴールに無回転ボールをぶちこんだ。試合開始の笛(3時30分)で寝ていた信司の父親は、テレビの騒音で目を覚ました。
父「(ソファから飛び起きて)おお! やったぞ母さん! 信司のナックルボールだ!」
母「寝言は布団で言いなさい。本田さんよ本田さん。ほら、信司は岡ちゃんの隣でしょ」
父「(リプレイを見て)なんか、いつかの信司のゴールに似てないか?」
母「あれよあれ、中体連の時のゴールにそっくり」
15分後、お次は遠藤がカーブでぶちこんだ。
父「(ソファに寝そべったまま)信司……やった……ぞ……母さ……信司が……」
母「布団で寝なさい」
岡崎がダメ押しの三点目を決めた時、信司の父親は布団から飛び起きなかった。
信司の母親はテレビにこう言った。「やればできるじゃない」
3対1。日本はオランダに次ぐグループ二位で決勝トーナメント進出を決めた。
カメルーン戦で世界中を眠らせた日本が? あの日本が?
今度は業界の垣根を超える賞賛が待っていた。
「W杯史上初のワンツー! 左も右もKO級!」~週刊コーナーポスト
「W杯史上初のワンツー! 左も右もKO級!」~拳闘現代
「日本、デンマークにワンツーの手荒い授業!」~学拳
「歴史上最高の布陣!」~歴史陣
たしかに、この日はいつになく中盤の選手も前に出た。長谷部や遠藤が最前線の本田を追い越してゴールに迫る姿を、千年ぶりに見た気がする。
この日も温存された信司は、試合後、チームメイトの歓喜の輪を離れ(入れてもらえず?)、ゴールポストの肩を抱いて満月を眺めていた。軍用双眼鏡のこちら側の僕には、「恋人はゴールポスト」というニューシングルのPVに見えた。ユーミンかなんかの。いつの間にか、反対側のゴールポストを本田が口説いていた。
そこまではいいとして、ブブゼラのブーブーがやまない中で、女性イレブンはどうやってあの二大巨頭の会話を録音したのだろう? またモスクワのベネズエラ大使館に頼んだのか? ゴールポスト、おまえもか?
本田「もっと喜べると思ったけど……信司、優勝したらもっと喜べると思うか?」
信司「監督はベスト4って言ってたけど」
本田「俺の目標は優勝だ」
信司「あそっか、優勝もベスト4のうちだもんね」
2010年6月29日。首都プレトリア。ロフタス・ヴァースフェルド・スタジアム(キーボードで舌を噛みそうだ)。日本時間午後23時、ベスト16の日本対パラグアイ、キックオフ。
ちなみに、パラグアイと同グループのイタリアは一勝もできずに南アフリカを去った。教訓。予想はよそう。信司にとってはバロンドールの先輩、世界最小最強センターバックの呼び声高いカンナバーロは、ガゼッタ・デロ・スポルトにも「ただのちび」に格下げされた。フリーターだらけのニュージーランドにすら勝てなかったことに、イタリア中がプンプンだった。
日本対パラグアイは、カメルーン戦のVTRだった。アジアのイタリア対南米のイタリア。アウトボクシング対アウトボクシング。地対空ミサイルの応酬でゼロゼロのまま延長戦に突入した時、僕は思わず「まだやんのか」と呟いた。非国民? 南アじゃ誰もが非国民では?
延長後半、お寒い内容のせいか、岡ちゃんはベンチコートを羽織った。両ポケットに手を突っ込み、左ポケットから左手で何かを取り出した。僕はすかさず軍用双眼鏡をズームイン。悪魔が監督にあっかんべえ。トランプのジョーカーだった。
岡ちゃんはババを引いていた。機内ババ抜きをぶち壊した(まさかの引き分け)のは監督の出来心、W杯をぶち壊したのは真冬の南アの寒さだった。
交代ボードのレッドシグナルが「18」に光る。信司の父親が「日本で二位のナックルボーラー」と絶賛する本田が、グリーンシグナルの「13」に向かって走ってくる。本田は13番が挙げた右手に渾身の右ストレートを浴びせ、ベンチに引っ込んだ。13番は右手をふーふーしながら、白線の内側へ、母なる大地の刈り揃えられたジャングルへと分け入っていった。
ここでナレーション。「その時、歴史が動き過ぎた」
父親「母さん……本田……本……また決め……」
母親「あれは信司! うちの子を金髪に育てた覚えはありません! 布団で寝なさい!」
父親「プ……プロレス?……バトルロワイヤルってやつか?」
母親「ああ……酷過ぎる……信司が……でもあれ、決まったのよね」
そう、決まった。1対0で日本の勝ち。
パラグアイの三選手に同時に軸足(右足)を蹴られながらも、蹴り足(左足)はどこ吹く風。またまた途中出場から得点し、担架でピッチを去るバロンドールを、観客はまたまた「
呪術師にも勝利ボーナスを払うアフリカでは、信司の魔法の杖さえごくごく日常のひとコマなのかもしれない。
信司は担架に乗せられたまま、自分がマン・オブ・ザ・マッチに選ばれたことを知った。副賞はスポンサーの大盤振る舞いで、飲みもしないコーラ一年分。
「ふんだりけったり」~蹴刊プロレス
なんだかんだでベスト8。次の獲物は、ポルトガルを下したスペイン。無敵艦隊の名が皮肉でなくなるほど無敵のスペイン。いいカモだ。
日本対スペインの直前、クライフはバルセロナにある広大な邸宅にバルサTVのスタッフを招いた。カメラマンのポジショニングを指示するのに半時間を費やし、カメラマンが録画ボタンを押す前から話し始めた。クライフはクライフだった。
クライフ「パラグアイ戦の結果に驚きはない。むしろ、グループリーグで日本がオランダに負けたことが驚きだった。もちろん嬉しい驚きだ。ミステル・オカダ(岡ちゃん)は美しいフットボールの守護聖人なのだと感じたものだ。だが、彼はついに封印を解いてしまった。パラグアイは三人まとめて退場になるほどのタックルでプライドをかなぐり捨てたが、結果は? 失点した。三人のプロフットボーラーに囲まれてめった蹴りにされた選手が、ノックアウトされながらゴールを決めたんだ。それもセンターサークルの中からね。退場した三人に同情するつもりはない。フットボールライセンスを剥奪してもいい。だが、シンジのゴールライセンスを奪うことは誰にもできない。彼はルールに則って○チガイ沙汰のゴールを量産しているだけだ。スペイン対日本の結果はもう見えている。彼は右足を負傷したらしいが、松葉杖でも野球の要領でゴールできるだろう。パラグアイと違ってプライドの高いスペインは、いつものようにボールだけを蹴り続けるだろう。教会はもうカップのネームプレートにJAPANの刺青を彫ってもいいんじゃないか? 彫り師だって結果を気にせずゆっくり決勝を見たいだろうからね。日本はもうルビコンを渡ってしまったんだからね」
レポーター「スペインは日本に勝てないと?」
クライフ「なぜ負けると言わない? 勝てないは負けるに等しいが、君らメディアは負けると言うべきだ。飲むが乗らないに等しく、乗るが飲まないに等しいようにね。もうシンジは容赦しない。シンジが飲んで乗っても、それを止められるおまわりはいない」
レポーター「……まあ、車の話は置いといて、今大会、あなたは母国オランダ代表よりも、ほとんどバルサのスペイン代表を応援しているそうですね。シンジがまだバルサの選手だったなら、スペインと日本、どちらを応援していましたか?」
クライフ「ははははっ! こりゃ参った! ラファ・マルケスのメキシコ、ヤヤ・トゥーレのコートジボワール、ダニ・アウベスのブラジル、レオ・メッシのアルゼンチン、ティエリ・アンリのフランス……フランスは前日練習をボイコットした選手が、試合に出てあのざまだ。君はあのフランスを愛せるのか? それだけのチームを等しく愛するのは、もはや神のなせる業だ」
レポーター「あなたは神です。少なくともこのリビングでは」
クライフ閣下のおおせの通り。僕も立ち読み中のあなたに請け合おう。スペインは日本に負ける。もう非国民は卒業だ。富国強兵。八紘一宇。欲しがりません、優勝するまでは。
一方、グループリーグを全勝で突破したマラドーナ率いるアルゼンチンは、メキシコを3対1、ドイツを4対0で蹴散らし、一足お先にベスト4を決めていた。幸か不幸か、日本と同じトーナメント山の隣のルートの八合目にいた。
歴史はここでも、都合のいいほうに動き過ぎた。
アルゼンチンの試合の舞台はピッチではなく、サイドラインとベンチの間のコーチングボックスだった。主役は監督。ノリノリドーナ。メッシのシュートに合わせて左足を振り過ぎ、チームドクターに治療を受けていたほどノリノリドーナ。またゴール以外の何かを決めていたのかもしれないが、監督に試合後の尿検査はない。
ベスト16でイングランドを4対1とコテンパンにしたドイツと、同じくメキシコを3対1とコテンパンにしたアルゼンチンの準々決勝は、ドイツがその勢いのままバナナの皮を踏むような一戦となった。「眠れるレオ」ことメッシが突如目を覚まし、ドイツを一人カウンターでマットに沈めたのだ。
南アフリカでのドイツは、小気味いいショートパスが光るモダンなフスバルで、W杯の歴史上初めてフスバルの中身で世界中を虜にしていた。もうゲルマン魂なんて言わせない。対照的に、アルゼンチンは『メッシとその仲間たち』だった。86年の舞台の再演であり、題名がマラドーナからメッシに変わっただけ。『ジュリアス・シーザー』のジュリアス・シーザーより過激なメッシは、怒涛の四連発でドイツを葬った。メッシがドイツ人だったなら、8対0でドイツが勝っていただろう。
それまでの四試合でレオをかぶっていたメッシは、ドイツのモダン・フスバルを打ち砕くため、エンジンとギアを入れ替え、飛行機能まで備えた未来のデロリアンに変身した。キーパーの頭上を抜く得意のループシュートを三度も決め、ロスタイムの四点目でルビコンを跳び越えた。「三段跳び」は、早くも師の「五人抜き」に匹敵する伝説となった。光速ドリブルから突如アロンアルファのCMのようにボールを左足の甲にくっつけ、ラームとメルテザッカーのスライディングを連続で跳び越えたメッシは、二ドリブルあることは三ドリブル方式でドイツの若き守護神ノイヤーも跳び越え、そのままボールとともに無人のドイツゴールの見えないテープを切った。定置網さえなければ、喜望峰までドリブルし続けただろう。
試合後のインタビューでメッシについて聞かれたドイツ代表監督ヨアヒム・レーブは、得意の英語でこう答えた。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」
気の早いメディアは、マラドーナの「五人抜き」か、メッシの「三段跳び」か、どっちがW杯史上最高のゴールかで喧喧諤諤。「五引く三でマラドーナ」という桑田先生のような単純な引き算ではないからこその、喧喧諤諤だった。
試合の解説を担当していた元名古屋のアーセン・ベンゲルは、W杯の直前に行われたチャンピオンズリーグのベスト8で自身のアーセナルがメッシに一足お先に四連発を浴びたことを引き合いに出し、こう言った。
「あの時、私は、メッシをプレイステーションのような選手と言ったが、メッシはもうプレイステーションを超えている。コントローラには三連続で敵を跳び越えるボタンなんてない。ウイイレと桃鉄が合体して、うんちカードが使えるようになるなら別だけどね。メッシに匹敵するのは、カミカゼゴールのシンジくらいだろう」
週刊ゴールポストは、もちろんそのカミカゼゴールこそW杯史上最高のゴールだと言い切った。「我らが信司はメッシのようにタックルから逃げたりしない。パラグアイの三匹のヒールから三発ものヒールキックを右足に受けながら、左足で五十メートルのループシュートを決めたのだ」
「集合的無意識=自己犠牲的精神+自己中心的精神」~ユング・ベリ
「位置と運動量の相補性」~ニルスBoA
「魔術的リアリズム」~週刊ガルシア・マルケス
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