第18シュー 全米が寝た!
「サッカーは娯楽のはずなのに、W杯が来るたびに戦争に変わる。メディアが変える。おかげで四年ごとに、にわか愛国者がゾンビのようにぞろぞろ湧いてきて、水色と白の国旗を引っ張り出し、四年分のホコリをまき散らす。だからアルゼンチン代表のサッカーはいつまでたってもカビ臭い。いまだに二十四年も前の神の左手にすがっている始末だ」C・L・M(78年王者の指揮官)
2010年6月11日。南アフリカがメキシコと1対1で引き分け、W杯が開幕した。チャバララのゴールは美しかった。それに水を差したマルケスのプロレタリア同点ゴールも。
信司が日本代表に合流した頃、キャンプ地ジョージの練習グラウンド(18番ホール)では、「引いてドカン!」なる監督の声がこだましていた。練習は非公開だが、アフリカの空に壁はない。歴史好きとはいえない僕も、武田の騎馬隊と織田の鉄砲隊を思い浮かべた。もちろんカメルーンが武田という想定だが、結果的には織田対織田になった。合戦前に慌ててチームに待ち伏せ殺法を伝授することにかけては、岡ちゃんの右に出る者はいない。
僕は「夏休みの絵日記を8月31日にまとめて書くような練習」なる原稿をEメールで日本に送ったが、週刊ゴールポスト以外の日本中の雑誌にシカトされた。
必然、大本営発表は「新エース本田、W杯優勝宣言!」なる野球じみたもの一色になった。
信司はゴルフ場に到着早々、コーチに13番ホールを散歩させられた。「移動の疲れを考慮して全体練習を免除」なる定型文の真の意味は、「ゴールマシンは守備練習の邪魔」。
信司自身は「CAさんとゴムでやったウォームアップ」のおかげで発射準備万端だったと、森崎は証言している。
「信司はさっさとW杯にぶちこんでしまいたかったんだと思います」と森崎。
「タイガー・ウッズもね」と僕。
ゴルフ場の木に登ったイエローモンキーな僕の軍用双眼鏡3D短編が、こちら。
信司はトボトボ、友達はコロコロとラフを歩く。
信司の散歩は、友達との散歩。
丸顔の友達はライバルであり、なかなか別れを切り出せない恋人でもあった。
刈り揃えられた13番ホールを囲むレバノン杉が、風に揺れている。
13番ホールの右サイド、林に沿った深いラフをグリーン方向に進む信司。
信司は突然足を止めた。
自分を置いてコロコロ逃げようとした友達も右足で止めた。
林の奥からこだまする「ウウウウウ……」
18番ホールの木に登っていた僕にもはっきり聞こえた。
信司は首だけを回し、僕じゃないほうの林を見た。
キラリと光る二つの目。
僕じゃないほうの木と木の間をスラロームしながら、百獣の王がこんにちは。
固まる信司。固まる軍用双眼鏡。
信司は王の四つの膝を凝視。「抜けるかーい」
言いながら、信司はその時、漫画の吹き出しのような走馬灯を浮かべていた。
すべてが左足の乱痴気ゴールだった。
百獣の王は、口にくわえていたゴルフボールを信司の足元に落とした。
それも飛行機の絵柄の。お子様向けの。
王はくるりと反転し、僕じゃないほうの林の奥に戻って行った。
信司がその新しい友達、友達の友達をどうしたかは、書くまでもないだろう。
ま書いとこう。信司は残り二百ヤードをもろともしなかった。それも右足で。
練習は右足。これ必定。
2010年6月14日。南アフリカの中央、海抜千四百メートルの街ブルームフォンテーンはフリーステートスタジアムにて、日本時間午後23時、日本対カメルーン、キックオフ。
信司はベンチの(信司から見て)右サイドに座っていた。右隣が岡ちゃん、左隣が中村俊輔だった。中村は舌打ちしていた。嘘じゃない。軍用双眼鏡、嘘つかない。たぶん、中村は信司の席(選手最右翼)がお気に入りだったのだろう。席割り番長のカズはあばらを三本折って帰国し、代わりに来たのは代表初召集のバロンドール。代表初召集のバロンドールに、席割りなんて言うだけ野暮。
左隣りの中村を見た信司の吹き出しは、「彼の左足もまあまあ」に違いない。
そうこうしているうちに、同じくまあまあの左足を持つ本田が先制点を決めた。松井の右サイドからのクロスを、ぼけっとしていたカメルーン人が後ろの本田にスルーしたのだ。
日本に帰ってから録画で見直すと、実況はこう言っていた。「岡田監督は試合前、ロースコアのゲームで勝ちたい、1対0や2対1で、と語っていたそうです」
W杯の名勝負は3対2が相場。
つまり、お里が知れていたわけだ。
「不屈のライオン」と呼ばれる(日本と同じ海外組だらけの)カメルーン代表は、久々のアフリカ料理で腹を壊したかのような出来だった。技術なし。アイデアなし。スピードなし。旧宗主国おフランスの宣教師ルグエン監督に至っては、その自覚もなしときていた。
道スポによれば、エトーが中盤でピンクレディ並みに手を振り回してリーダーを気取っている姿には、札幌将棋クラブの年寄りも大爆笑したそうだ。「飛車は黙って走っとけ」
そんな檻の中のライオン相手に、日本は……蹴った。
蹴るわ蹴るわ。引いてドカン! 引いてドカン! 練習通り! 練習通り!
最前線の本田は、常に不屈のライオンの群れに囲まれて孤立していた。せっかく敵陣深くでボールを足元に収めても、長谷部や遠藤は遥か自陣。松井や大久保の両ウィングも滅多にパスをもらいに来ない。先制点は、まさに虎の子だった。
そのあとは練習通りに試合を殺した日本が、1対0で勝利。
「九頭立てのレースで九枚の単勝を買うような手堅さ」~蹴球エイト
星の数ほどの勝利も、教科書ならたったの二文字である。イラクに勝利したアメリカ。チベットに勝利した中国。パレスチナに勝利したイスラエル。アルゼンチンに勝利したイングランド。イングランド代表に勝利したアルゼンチン代表。勝利は万国共通のエフェドリンなのだ。
四度目の挑戦でW杯の初戦初勝利。海外の大会で初勝利。指揮官の不支持率八割を跳ね返す初勝利。七歳以下のちびっ子にとっても、「にっぽん、はつしょーり」
そんな初勝利の波は、喜望峰からインド洋を渡り、マラッカ海峡を抜けてようやく日本に上陸し……たわけじゃない。タンカーなら二、三週間の距離を、電波は数秒でお茶の間へ。日付が変わった6月15日、午前1時。日本列島は数秒で電波の洞窟と化した。洞窟の中で一億人が勝利の雄叫びを上げた。渋谷のスクランブル交差点がスクランブルになった。
まあ、わからなくもない。カメルーン戦に至る道のりは山あり谷ありで、直前は誰が見てもマリアナ海溝の底だった。マリアナ海溝の底から見上げる地上は、地上から見上げるエベレストの頂よりも(約二千メートル)高い。
「不屈のライオン」は日本に屈し、「洞窟のライオン」は勝利に屈した。
僕がテレビマンなら、スタジオゲストは森本レオで決まりだ。カメラに向かって糸で吊るした五円玉を揺らすレオのセリフは、「勝利以外は忘れなさい」
八百長は試合だけでなく、ロールシャッハテストでもできる。
ソクラテス(元祖)「この洞窟の壁に映る影はなーんだ?」
ちびっ子「にっぽん、はつしょーり」
世界蹴球教会は、放映権料値上げのためにW杯のテレビ観戦者数を誇張しているふしがある。もう金星人や火星人もカウントしているに違いない。2006年ドイツ大会のチュニジア対サウジアラビアのテレビ観戦者数を、教会は「十六億人」と言い張っている。たまたまだろうが、地球に住むイスラム教徒もそれくらいだ。
まあ、日本対カメルーンを見た北朝鮮のテレビ観戦者は、ポイント十倍でもいい。当局の監視に怯まず、禁制のコーヒーでエフェドリンを飲み下してホームラン競争を見届けた人民は、サッカーファンの鏡だ。ニュージーランド対スロバキアもポイント十倍に認定。
テレビ観戦にはポテトチップスやコーラという逃げ道もあるが、ベンチでの生観戦に逃げ道はない。ピッチに出ればどのみち試合を殺していたはずの信司は、ベンチでやたら欠伸をかみ殺していた。軍用双眼鏡、嘘つかない。
「カメルーン戦を見て、アイマックスシアターの最前列で見た『タイタニック』を思い出しました」と森崎。「中一の時、信司と二人でサッポロファクトリー(工場ではなくシネコン)まで見に行ったんです。何かが沈んでしまいそうな予感も、そっくりでした」
「一言で言えば」と僕。「苦行?」
「だから」と森崎。「一言で言わなかったんです」
カメルーン戦終了の笛が鳴った時、信司はさんざん欠伸を隠した手で拍手していた。サッカー教会に洗礼を受けた数万人の落選者も、小学生も中学生も、きっと。
元西ドイツ代表の天才、ギュンター・ネッツァーは、日本対カメルーンのスタジアムの解説席にいた。苦悶の90分を寄り切ったあとで、手刀で十字を切ってドイツ国営放送から褒賞金を受け取る前に、ネッツァーはこう言った。
「今のところ、今大会最低のゲームだ。W杯史上最低のゲームと言ってもいい。彼らは自分たちの能力不足をまったく恥じていないようだけど」
どういたしまして。
ちなみに、とある元日本代表のテレビ解説者は、番組側がアルジェリア対スロベニアに「オシム絶賛のスロベニア」というキャッチコピーをつけたので、スロベニアを絶賛した。
僕も日本に帰ってから早送りで見てみたが、スロベニアのスピードは異次元だった。パススピード、ランスピード、シュートミスに頭を抱える監督の腕スピードまでもが異次元だった。欠伸のせいで涙が止まらなかった。
※ギャラの振込先は巻末の著者プロフィールに記載しておきます。
どっこい、大日本メディアは見事にネッツァーをシカトした。大日本のイチゼロ大勝利に水を差すようなナチの寝言はいらないのだ(もしくは、あの日だけドイツと国交を断絶していたのかもしれない)。ヴォルフスブルクの長谷部を褒める際はドイツの新聞を引用しまくり、カメルーン戦の長谷部を褒める際はドイツ国営放送をシカトする。これぞ大本営発表。
翌日の大日本テレビは、予想通り本田のゴールをヘビーローテーション。夕方の報道番組のグルメコーナーは、まさかのカメルーン料理だった。
レポーター「今、日本がカメルーンを食べましたね!」
おっさん「これ唐揚げっつったって、イモムシはイモムシだべ」
「全米が寝た!」~ニューアムステルダム・タイムズ
2010年6月19日。港町ダーバンのモーゼス・マヒダ・スタジアム。日本対オランダ。スタジアムも試合内容もスカスカだった初戦から一転、六万二千人収容のスタジアムに、六万二千人が詰めかけた。上から青い空、白い屋根、オレンジのスタンドの逆サンドウィッチ。要するにオランダの国旗だ。この試合は、日本人にとっては日本の、宇宙人にとってはオランダの試合だった。
後半8分、オランダのスナイデルが蹴った無回転スパイクを、日本の守護神川島が自分の真後ろにレシーブ。オランダが先制。
この日、信司は中村俊輔に最右翼の席を譲っていた。予感的中。後半19分、岡ちゃんはガス欠となった松井をピットに入れ、満タンの中村俊輔を送り出した。オランダ相手に、一点を追う展開。ここでフリーキックでもぶちこめば、直近の不振の名誉挽回にお釣りがくる。
「彼の左足もまあまあですからね」と森崎。
「信司と中村俊輔を足して二をかけたのが、マラドーナです」と桑田。
まあまあだったが、試合はそのまま0対1で終了。一足お先に中村俊輔のW杯が終わった。
前監督のイビチャ・オシムは、この日の中村俊輔を「ピッチの上でソファに座って葉巻を燻らしていた」と評した。
特に何もしなかった中村がそこまで傲慢なら、レアル・マドリー相手に22得点し、シャビのラストパスのおかげだとほざいた男はどうなる?
川島と中村と岡崎以外のサムライたちは、敗戦にもそれほど落ち込んでいなかった。「川島がバックトスせず、中村がシガーカッターを忘れ、岡崎が決めていれば勝てたのに」と森崎も言っている。さすがクライフ大学マドリー校中退。
女性イレブンによると、中村同様オランダ戦で途中出場し、終了間際の絶好機を外した岡崎は、次のデンマーク戦で終了間際の絶好機を決めるまで、シャンプーの時も頭を抱えていたという。本田がくれた「ごっつあんパス」を、岡崎は一生忘れないだろう。
オランダ戦とデンマーク戦のちょうど真ん中、6月22日に、信司は24歳になった。「ピカッ」も「五人抜き」も、24歳になった。
ゴルフ場ホテルの支配人によると、その夜、夕食ジャパンの食堂の電気が突然消えた。キャプテン長谷部が巨大なバースデーケーキを持って登場……せずに、「また停電?」と言った。入口近くの闘莉王が「のわっ」と驚いて椅子から転げ落ちた。暗闇からぬっと現れた炎のせいだ。なんのことはない、支配人が非常用キャンドルをトレイで運んできただけだった。絶対に吹き消せないキャンドルサービスをしに来ただけだった。
「彼だけはそれを吹き消しましたけどね。ほら、あの、遅れて来た、かわいいゴムのボールで占うチーム呪術師が」と支配人は語る。ICレコーダー、嘘つかない。
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