第14シュー ガコーン

「早野信司? 蹴球教会に洗礼を受けた数万人の落選者の名前を一人一人挙げて、選ばれなかった理由を説明しろということでしょうか? 中学生や小学生もですか? 日本には、当選者の発表は発送をもって代えさせていただきます、ということわざもありま」O・T(サムライブルーメガネ)


 光陰矢の如く2010年5月10日。

 南アフリカW杯開幕まであと一カ月。運命の日本代表発表記者会見。

 僕もその日、一流ホテルのなんとかの間の一番後ろの一番左にいた。選ばれれば、長友の位置に。舞台下手から現れた岡ちゃんを、フラッシュの雨あられが襲う。監督がトム・クルーズ風のサングラスをしていなければ、原稿を読めないという理由で会見は初戦のカメルーン戦当日あたりに延期されていただろう。

 中央のロッキングチェアに座り、メガネを地味な読書用に代えるやいなや、監督は「23人のサムライ」の朗読を開始。その朗読劇には、二つのドラマがあった。


「……岡崎、カズ、三浦カズ」

 のところで会場が「おおおお」とどよめいた。

「……矢野、以上、あいうえお順でした」

 以上。以上は以上。は行のあいつはお呼びでなかった。


記者「惜しくもメンバーから外れた当落線上の選手に、一言いただけますか?」

監督「惜しかったですね。以上です」

女性イレブン「……早野信司選手については?」

監督「早野信司? 蹴球教会に洗礼を受けた数万人の落選者の名前を一人一人挙げて、選ばれなかった理由を説明しろということでしょうか? 中学生や小学生もですか? 日本には、当選者の発表は発送をもって代えさせていただきます、ということわざもありま」

僕「フランスから?」

監督「以上です」

女性イレブン「バロンドールを、世界一のストライカーを南アフリカに連れて行かないということについて、おばちゃん向けのサッカー誌なんぞには理由を説明する気はない、ということですか?」

監督「競馬新聞にも、釣り新聞にもです。以」

僕「では、選ばれた選手に対しては?」

監督「家に帰るまでがワールドカップです。以上です」


 お呼びでなかった信司は、「武史の情け(道スポ)」で、南アフリカW杯予備登録選手に名を連ねた。ただ、本番前に正選手が骨折か銀行強盗でもしない限り、やっぱりお呼びでない。

 本番前の親善試合で闘莉王が親善の意を込めて腕を骨折させたアフリカの星、ディディエ・ドログバは、ヨーロッパ最高の外科医とアフリカ最高の呪術師がタッグを組み、予選リーグに間に合わせた。もちろんコートジボワールの予備登録選手はがっかりしたが、別の呪術師にドログバの髪の毛で藁人形を作らせたのが彼自身という疑惑が浮上し、予備登録からも外されたらしい。

 ちなみに、愛するセレソンがコートジボワールと同じHグループのブラジル人は、ブラジル生まれの闘莉王の「カポエラキック(道スポ)」を絶賛したらしい。


 女性イレブンによれば、世界中を駆け巡った信司落選のニュースは、車椅子の天才物理学者、ホーキング博士をも悩ませたという。「ブラックホールより謎」

 クライフがなんと言おうと、第四審判が何度スパイクを確認しようと、信司は生身のプロサッカー選手だった。信司が八百長なら、トッティの退場はどうなる?


 2009年7月から魔術師を加えたコンサドーレ札幌は、言うまでもなく、残りのJ2をぶっちぎってらくらくJ1昇格を決めた。出場28試合で177ゴール。週刊ガルシア・マルケスも「魔術的無神経」と評するほど、無神経だった。

 2010年元旦、W杯イヤーの幕開けとなる天皇杯も、信司が空に掲げた。空の向こう、津軽海峡の向こうの、小学校時代の校長先生に捧げたのかもしれない。

 三月に開幕したJ1リーグでも、魔法の杖が控え目に火を噴くこと37回。コンサドーレ札幌は全勝でW杯中断期間に入った。僕がチェアマンなら、もう優勝カップにそのこっぱずかしい名前を彫らせていただろう。


 信司のワンマンショーにうんざりしたコンサドーレの第二キーパーは、なんと、競技の枠を超えて「恋人」から「ハム」に移籍し、第二キャッチャーとなった。どっこい、ファンは「ハム」から「恋人」によりを戻した。週末の札幌ドームの使用権も「恋人」優先になった。札幌市民はそれだけ勝利に飢えていたのだ。

 道スポこと道産子スポーツのサッカー担当記者は、早くも来年のACL(アメリカン・キャンプ・リーグではなく、アジア・チャンピオンズ・リーグのほう)、再来年のクラブW杯優勝の記事を書き始めた。鬼も笑いが止まらない。


 「バルサよ、出てこいやあああ!」~道産子スポーツ


 なのに、早野信司はその間、一度も代表の青いユニフォームに袖を通していなかった。五年連続Jリーグ得点王、Jとリーガのダブル得点王、ペレやロマーリオがうそぶいた千ゴールもDVDの袋綴じ証拠付きでもうすぐ達成しちゃいそうな、ニッポニア日本人の信司が。

 もはや、日本代表の七不思議の七つが信司を選ばないことだった。信司がプロデビューした2003年以降も、ジーコ、オシム、二度目の代打岡田と、三学期に亘ってシカトは続いた。信司があのFCバルセロナの、みんなのシンジになってからもだ。


 信司派の週刊ゴールポストは「のび太くーん!」と岡ちゃんのメガネを批判した。もうやけっぱちだった。そんなやけっぱちな祈りが通じたのか、オランダ遠征、南アフリカ遠征、アフリカにちなんだキリンカップなど、いずれも信司抜きで負け続け、迷走を始めた岡田ジャパンは、W杯イヤーの幕開けとなった2010年東アジア選手権でも一勝一敗一分け。韓国にも完敗。ついに阪神ファンにも見放された。本番直前の国勢調査で80%に膨れ上がった代打岡田解任派にとって、理由の100%が信司を代表に呼ばないことだった。


 信司派の週刊ゴールポストは(いまどき?)電話調査という強硬手段に出た。


「決定力不足? 目の前に、じゃなくて津軽海峡の向こうに、三次元のゴルゴサーティーンがいるじゃないか」

「人もボールも動くサッカー? 90分間走り続けるサッカー? そりゃ結構だが、サッカーはいつから判定制になった? 頑張ってるチームが勝つんなら、南アフリカじゃニュージーランドが優勝だな。代表選手のほとんどが昼間はバイトしてるっつうし」

「日本人初のバロンドール。国民栄誉賞だって時間の問題だ。アルゼンチン代表じゃぱっとしないメッシだって、代表に呼ばない代表監督はいない。バロンドールがいないW杯なんて、牛肉のないすき焼き、豚肉のない生姜焼き、鶏肉のないバンバン……」

「もうFIFAはカンカンだ。プンプンだ。プリプリでもいい。日本がW杯をペロペロしてると思われても当然だろう。次回のブラジルW杯はアジア枠がゴリゴリされかねないな。たしかに、椅子取りゲームは椅子が少ないほどワクワクだけど」

「もしもし? えっ? わーる、ど、カップ? Aだけど……ってなに言わせんのよ!(ガチャン)」 

「うちはそういうのは間に合ってます!(ガチャン)」


 こぐまFC監督兼信司の小学生時代の担任、桑田佳輔は、南アフリカW杯日本代表メンバー発表の翌日、2010年5月11日、地元北海道は道産子テレビのインタビューに答えた。瞼を腫らせたまま。

「こんなに悔しいのは、こぐまFCが優勝したのにMVPに選ばれたのが信司ではなくカダフィの息子だったリビアのジュニア大会以来です。ちなみに、カダフィの養女を殺したのは信司ではなく、CIAです。信司は初めてのラクダ移動、慣れないテント暮らし、砂丘のピッチを乗り越えてゴールを量産したのに……日本代表監督の判断は尊重します。選ばれた選手も相応しい選手ばかりだと思います。ただ、ちょっとよくわからないのが、(ピー)なんてクソが選ばれて、なぜ信司が……」


 教師生活初の「クソ」に、桑田の悔しさが表れていた。代表選手をピーに変えておきながら「クソ」をそのまま放送した道産子テレビだが、道民からの抗議はなし。コンサドーレを水戸黄門ばりの常勝軍団に変えた信司以外のどの選手も、道民にとっては「クソ」だった。


 早野バロンドール信司落選を受け、コンサドーレの練習グラウンドに隣接されたクラブハウスには、ネイチャーやタイムズやナショナル・ジオグラフィックを含む世界中のメディアが殺到した。僕もその有象無象の一象だ。


「北海道知事選で大本命のヒグマが落選しても、あんな取材陣は組めませんよ」と桑田は語る。ICレコーダー、嘘つかない。


 練習場と隣接したクラブハウスのすぐ横には、ドイツの古城を新築したようなメルヘンハウスがあった。コンサドーレのメインスポンサーのお菓子工場である。今や日本全国どこの空港でも買える「恋人」は、そのメルヘンハウス一か所で作られているらしい。待ちきれずに新千歳空港で「恋人」をおとな買いした新華社通信のクルーが頭を抱えていたので、僕は「それ焼き菓子なので、どこで買っても賞味期限は同じですよ」と英語で教えてあげた。中国語で駅前留学しなくてよかった。十億人に嘘をつくところだった。


 練習終了予定の午後二時を狙い、取材人はクラブハウスの入口で取材陣を組んだ。僕はまたも左後方、選ばれたほうの長友のポジションにいた。

 三時、四時、五時……日が傾きだした五月の空の下、待ち人はいまだ来ず。

 クラブハウスから出てくるたびに信司と間違えられてフラッシュを浴びる「はなからテレビ観戦組」のコンサドーレメイトも、いつしか途絶えた。


音声「マスクとサングラスでとっくに逃げたんじゃね?」

記者「マスクとサングラスほど目立つ組み合わせはねえよ」

音声「裏口ってどこ?」

記者「裏だよ」


……ガコーン……ガコーン……ガコーン……ガコーン……


 いつからだろう、クラブハウスの裏から、そんなメトロノームが始まったのは。


……ガコーン……ガコーン……ガコーン……ガコーン……


 裏には練習グラウンドがあった。僕はすぐにその意味を察した。察しの悪い音声さんは察していなかった。

 そのメトロノームなガコーンは、ゴールバーにボールが当たる音だった。常識では、そこまで連続してシュートを正確に「ミス」し続けることは不可能だ。が、銀河系にたった一人だけ、そんな不可能から不を削る男がいる。

「クッキーでチョコを挟む音?」と、毛皮つきのガンマイクを持った音声さん。


……ガコーン……ガコーン……ガコーン……ガコーン……


記者「なあ、お前が早野なら、どうする?」

音声「えっ?(とガンマイクを記者の口にむける)」

記者「あんだけゴールをバカスカ決めて、バロンドールになった挙句、W杯のポジションはテレビの前。お前ならどうする?」

音声「まあ、3Dテレビでも買うさ。ロナウジーニョが出るならだけど」

記者「前歯が、だろ。お前に聞いた俺が馬鹿だった。俺ならああするよ」


……ガコーン……ガコーン……ガコーン……ガコーン……


音声「クッキーでチョコを挟むってのも、楽じゃないよな」

記者「腐ってんのはチョコじゃない。お前の耳だ。そいつ(ガンマイク)はただの飾りか? イタチかなんかか?」

音声「かなんかだよ」


 そんな腐った耳の音声さんに続き、一人、二人と、クラブハウスの向こう、練習グラウンドに向かって放水するかのような角度でガンマイクを構える音声さんが増えていった。女子アナやなにアナも、インタビュー用マイクの電源を入れ直し、五月の空に向けた。さながら「ハイル! シンジ!」の取材陣。

 日は沈み、辺りは闇に包まれた。クラブハウスの向こう、照明のつかない暗闇のグラウンドで、ゴールバーのメトロノームだけが同じリズムを刻み続けた。

 僕は何も言わなかった。誰も何も言わなかった。

 魔術師が魔法をかけたのは、時間なのか、足なのか。


 「時間は発明であり、そうでなければ何物でもない」~ティエリ・アンリ・ベルクソン


……ガコーン……ガコーン……ガコーン……ガコーン……


 数百本のイタチかスポンジかなんかが慣れない五月の札幌の寒さに震えていた。

「腕が痺れただけだよ」と呟いた音声さんは、空いた手で目頭を押さえた。

 腹をすかせた新華社通信のクルーだけが、ほやほやの「恋人」でポリリズム。


……ガコーン……ポリポリ……ガコーン……ポリポリ……

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