第13シュー V2ロケットのお返し

「僕の魂はフランスに置いてきました。ジェノバにも、ザグレブにも、シドニーにもちょっとだけ置いてきました。南アフリカにはがっつり置いてくるつもりです。岡ちゃんがいいって言ってくれたから……」K・K(フランスからとんぼ帰りしたキング)


 信司が移籍する直前のコンサドーレ札幌は、その名に恥じぬへっぽこクラブに戻っていた。山瀬や今野などの優れた若手を擁し(岡ちゃんも!)、J1で旋風を巻き起こした世紀末も今は昔。新世紀は茶髪なだけの若手を擁し、J2で中位と下位の間をさまよっていた。おまけに、メインスポンサーの人気商品がはやりの賞味期限偽装問題で「黒い恋人」呼ばわりされる始末。移り気な北海道のファンは、競技の枠も超えて「恋人」から「ハム」に乗り換えた。ハムの賞味期限がチョコより短いことは、屁のつっぱりにもならなかった。


 ゆえに、地球が公転軌道から23度も傾いてしまうほど、世界中が信司の選択に首をかしげた。バルサからコンサドーレ。リーガからJ2。なんてったってJ2。給料だっていいとこ中小企業の課長クラス。女性イレブン恒例の年俸予想では、信司はバルサ時代のおよそ二十分の一らしい。活躍した選手は高級クラブで高級取りになって高級車や高級モデルを乗り回すサッカー界では、狂気の沙汰だ。23歳の夏に高級ならぬ故郷クラブに帰るなんて、ブラジル的、あまりにもブラジル的。


 「ついにサッカー賭博も解禁に?」~週刊プレイボール

 「弥生式ナイフ、忍者、陸軍中野学校、早野信司キタああああああ」~モー

 「新型イージス艦はやの、大陸間弾道シュート、しんじ13」~青旗

 「君も自衛隊に入って、集団的自衛権を行使してみないか?」~青旗


 バルセロナの地元紙アス(英訳するとケツ)は、「世界一の刀を持つサムライ、雪国に帰る」と報じた。イタリアのスポーツ紙ガゼッタ・デロ・スポルトは、「寝ぼけてる場合か! モラッティ!」と、イタリア一の浪費家モラッティ(インテルのオーナー)が信司の移籍金を出し渋ったことを非難した。頭がカッチカチの北朝鮮女子アナも、信司に「マンセー!」と言ったとか言わないとか。


「日本は経済大国だが、Jリーグのクラブには価格交渉という概念がないのだろう。シンジ一人で、私や選手や用具係も含めて、アーセナルの全員が買える。ただし、フットボールは一人ではできない」と、アーセン・ベンゲルはBOWOWに語った。

「シンジは故郷のクラブを世界一にしたいんだろう。クラブW杯で優勝してね。決勝の相手はバルサかもしれない。冬は雪だるま作りが練習のクラブがバルサをケチョンケチョンにするなんて、最高のショーだな」と、ヨハン・クライフはバルサTVに語った。


 幸か不幸か、翌年、2010年春にヨーロッパチャンピオンに輝いたのは、クライフの天敵モウリーニョ率いるインテルだった。しかも、信司の抜けたバルサを準決勝で下して。おかげでバルサはクラブW杯でコンサドーレにケチョンケチョンにされずに済んだ。

 幸か不幸か、モウリーニョはクラブW杯の前にインテルからレアルに移籍し、リーガでバルサにケチョンケチョンにされる道を選んだ。信司が抜け、メッシが「まあまあ」のゴールマシンとして覚醒したバルサに。


 日本の一流サッカー誌週刊ゴールポスト7月7日号の表紙は、なぜか巨大なヒグマが川からキングサーモンを掬い上げる写真だった。ヒグマの口元には漫画のような吹き出しが浮かんでいた。


               おかえり、信司


 なる横断幕が、スタンドを埋め尽くした。

 2009年7月5日。夏の日差しが眩しい日曜日。夏を感じない札幌ドームは、ビールの売り子にも大入り袋が乱れ飛ぶほどの満員御礼。

 僕ははなから記者席を諦め、自由席を予約していた。この日の記者席を巡っては往時のドラクエ並みの争奪戦が繰り広げられた。J2のリーグ戦に政治家並みの裏金が飛び交った。記者席での無料観戦に慣れた記者仲間は、ローソンチケットの存在を忘れていた。

 夢にまでみたゴールマシン。世界でただ一つ、「確立1」に設定された新台の発表会。


 「出玉の嵐」~サッカー必勝法


 北のペプラーが場内スピーカーでスタメンをポジション順に吠えていく。

「……13番、フォワード、はやのー……」

 に、スタンドの野球ハムファンも「しんじー!」で応える。

 四万人が「うおおおおお!」

 数少ないクリスチャンが背番号に「ひえええええ!」


 試合前の30分練習。

 ゴールキーパーに続いてフィールドプレイヤーがピッチに続々と飛び出す。アウェイ(どこだったっけ?)のサポーターも含め、全員があの男を待っている。僕の席からは見えていた。ピッチへと続く通路の中でも右足の甲でリフティングを欠かさない、あの「練習のカブトムシ(桑田)」が。

 赤黒ストライプの13番がリフティングのままピッチに飛び出した。

 四万人が「うおおおおお!」

 クリスチャンが「ひえええええ!」

 ボールを右足で浮かせたまま、センターサークルの中心、札幌ドームの中心、世界の中心まで来た信司は、愛をさけぶこともなく、そのまま真上にズドンとボールを蹴り上げた。おはようバズーカ並みのズドンがドームにこだました。

 拍手がやみ、四万人が息を呑んだ。

 ハーフラインの向こうで練習中の相手チーム(どこだったっけ?)も、そんな四尺玉を見上げた。「たーまやー」

 ドームの屋根の骨組みすれすれで重力に負けたボールが、物理法則通りに落ちてくる。信司は既に落下地点。というより、ほぼセンタースポットから動いていなかった。信司は落ち際のボールを右足のダイレクトボレーでバチーン。五十メートルを虹のようにドライブしたボールがゴールバーをガコーン。跳ね上がったボールがそのままゴール前にいたコンサドーレキーパーの手にストン。物理法則通りに。だって右足だもの。人間だもの。


 一瞬の静寂。


 拍手がパラパラからバラバラ、やがてドドドドと洪水に。

「うおおおおおおおお!」

 飛距離およそ五十メートル。信司が現れ、キーパーがボールをキャッチするまで、ボールは一度も地面に触れなかった。男一匹、右足一本、これがおとなの「逆足マラドーナ」。

 その練習法で信司を鍛えた恩師桑田先生は、チケットが取れなかったらしい。

 アウェイ(どこだったっけ?)のサポーターも総立ちで拍手を送った。

「シ、ン、ジ! シ、ン、ジ! シ、ン、ジ! シ、ン、ジ!……」


(あと五センチ下か)という信司の心の声が聞こえた。

 そう、なんと、ミスキックだったのだ。

 ボールはゴールバーの上側に当たって上に弾んだが、森崎によれば、いつもはバーの下側に当ててゴールライン上に落としていたという。

「キックオフのとっから?」と僕。「五十メートル?」

「ですけど何か?」と森崎。「久々の日本だし、地元だし、J2だし、寿司もまだ食べてないし、さすがの信司も緊張したんでしょう。小六の頃は百発百中でゴールラインの粉を散らせてましたから」

「なあに、五十メートルなんて、ウサイン・ボルトが本気を出せば五秒の距離だ」とクライフ。


 1966年W杯イングランド大会決勝の疑惑のゴールは、白黒の映像で有名だ。イングランドのハーストのシュートが西ドイツゴールのバーの下側に当たり、ゴールライン上に弾み、判定はゴール。おかげで、偶然にも、イングランドはイングランド大会で初のW杯優勝。次に優勝するのは、次のイングランド大会か初のインド大会だろう。「V2ロケットのお返し」~ビルト


 森崎によると、信司は小四の頃からその疑惑のゴールの再現練習をしていたという。徐々に飛距離を伸ばしながら、もちろん右足で。

 23歳となったSHINJI13は、弾を白線に落とす角度を計算に入れてバーの下側を狙い撃ちできる。それも五十メートル先から。それも「ピカッ」とならない右足で。そりゃ「信司の背中に立つな」と言いたくもなる。

 森崎によると、「バー・リフティング」なる練習も圧巻だという。PKをバーの真ん中やや上寄りに当て、山なりに跳ね返ってきたボールをダイレクトボレーでまたバーに当て、ボレー、バー、ボレー、バー、ボレー、バー……信司はペナルティエリアの外からでも、ボールを地面に落とさず、分度器のような虹をかけ続けたらしい。高橋陽一先生も若林くんも脱帽の、超絶レインボー・リフティング。

 森崎によると、全盛期のロナウジーニョもバルサの練習グラウンドで同じ練習をやっていたらしい。そりゃ「前歯とバーで」と言いたくもなる。


 練習は右足という方針を小四から貫いたヒト科の生き物は、信司くらいだろう。

 右足の進化には、天国のダーウィンも舌打ちしているだろう。

 僕の前に座っていた二人の道産子は、信司と森崎のような幼なじみらしかった。


道産子A「信司って左利きじゃなかったの?」

道産子B「だったらどうだっての?」

道産子A「そうゆう言い方ないだろ」


 そうそう、忘れていた。ゴールバーに跳ね返ったボールをダイレクトキャッチし、ナノ単位のミスキックに花を添えることになったコンサドーレのキーパーは、幼なじみの森崎だった。偶然なくして必然なし。バルサは不要となった日本語通訳を信司とセットで札幌に売ったのだ。


「同じ便なら友割(友達割引)ですから」と森崎。

「友友割(友達の友達割引)じゃなく?」と僕。ICレコーダー、嘘つかない。


 コンサドーレの空きポジションが第一キーパーしかなかったことで、森崎は中学以来の現役復帰を果たした。第二、第三キーパーは夏休みの学生バイトくんらしい。たしかに、遠目にはただの茶髪だった。信司の移籍金の足しにするため、コンサドーレはまともなキーパーを三人まとめて売ってしまったのだ。


「ナイスパス!」と言って森崎はセンタースポットの信司にボールを蹴り返した。

「ごめん! カズ君! もう一回!」と信司は言った。

 信司はそのあと、センタースポットからハーストの疑惑のゴールを五連発で再現し、札幌ドームの四万人を喜ばせ、ドイツの年寄りを怒らせた。もちろん右足で。「V2ロケットのお返し」~ビルト


 余談だが、試合は温泉の町、草津からやって来たザスパ草津(温泉って書いたところでようやく思い出した)を信司が七蹴(7対4)した。もちろん左足で。シュート七本、ゴールも七つ、失点四つはご愛敬。

 以上、2009年、初夏の陽気を感じさせない、7月5日の札幌ドームからお送りしました。


 「十割打者。もしくは、全球ストライクの完全試合投手」~週刊プレイボール

 「ホール・イン・ワン・ゴルファー」~ゴルフプラウダ

 「卓球ばばあヨネちゃん」~温泉卓球マガジン

 「出足払いでオール一本」~月刊ヤワラ

 「ビル・ゲイツ邸クラスのマグロ御殿を建てるマグロ漁師」~クロマグリスタ

 「パチンコで韓流パチンコグループを買収するパチプロ」~サッカー必勝法

 「北朝鮮の核施設を殲滅する新型イージス艦はやの」~青旗


 そんな一発百中のXメンだらけの未来が、もうすぐやってくる。

 

 「早過ぎた男、早野信司」~週刊ゴールポスト 

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