第10シュー FCワームホール

「シンジがノーベル・フットボール賞の初代受賞者としてスウェーデンに招かれる日も近い。身も蓋もない結論を抱えてね」J・W(遺伝子の身も蓋もない秘密を暴いた男)


 リーガで唯一キーパーラインシステムを採用していないバルサが、後半途中まで0対3というまさかの敗戦の危機を迎えたアウェイのバレンシア戦で、その事件は起きた。残り15分から登場した信司が、いつものように怒涛の四連発でバルサに大逆転フィーバーをもたらすと、満員のバレンシアファンはついに怒りのダムを決壊させた。


 ベチャッ、ベチャベチャッ、ベチャベチャベチャベチャベチャ……


 試合終了を待たずに、メスタージャ・スタジアムのスタンドから雨粒のようなトマトが降り注いだ。一足早いトマト祭りで、緑の芝はまっかっか。


「ピノチェト時代のチリのスタジアムそっくりだな」と、隣りにいた亡命チリ人のバレンシアファンは、日本人の僕に言った。僕はその日、メスタージャのスタンドにいたのだ。


 女装趣味のなさそうなバレンシアのむさくるしい男どもがトマトを両胸に忍ばせて(一人二個でも八万個!)スタジアム入りした理由は、もちろん、「カミカゼシンジ」。

 試合終盤までバルサを苦しめたリーガのクラブは、みなことごとくキャプツバ的な負け方をしてきた。三点リードで今日こそは、という希望が打ち砕かれた時、メスタージャの四万人が一斉に胸から「シャイロックの心臓」を引っこ抜いた。必然といえば必然だった。

「血のメスタージャ」は、早くもバレンシアの神話となった。足早にピッチを去る信司の左足に見事命中したトマトも、ただベチャッと鳴いた。


 チャンピオンズリーグで当たる強豪クラブも、バルサシンジとのドンパチをはなから放棄した。色男モウリーニョ率いるイタリアチャンピオン、インテルは、急遽身長二メートルを超えるバレーボールのイタリア代表を二人獲得し、絶対に手を伸ばすなと言い聞かせてキーパーの両脇に立たせた。イタリアではバレーボールのリーグも「セリエA」と呼ぶため、モウリーニョは「セリエA」のチームから獲得したことをやたら強調した。

 ドイツの名門、バイエルン・ミュンヘンは、信司に三人のマンマークをつけ、誰が一番背番号13のシャツを引き伸ばせるかを競わせた。一位はオランダ人のファン・ボメルで、記録は十五センチ。そのせいか、信司はたったの五発に終わった。

 決勝で当たったイングランドの名門マンチェスター・ユナイテッドは、韓国の英雄パク・チソンに信司の周りをくるくる回らせた。名付けて「信司の月」作戦。驚異の運動量を誇るパク・チソンは90分間衛星役を演じきった。「90分間一度もボールに触れなかったプレイヤー」としてギネスブックにまで載った。それが名誉かどうかは、女性イレブンの記者ですら怖くて本人に聞けなかったという。

 作戦は成功し、信司も一度もボールに触れなかったが、ペドロ、メッシ、ビジャが普通に得点を奪ったバルサが、普通にヨーロッパチャンピオンになった。シャツの長さや衛星は、屁のつっぱりにもならなかった。

 ゆでたまご先生の漫画が読めるのは、ジャンプだけ?


 ペップことグアルディオラ監督は、勝利の波に呑まれた。

 まるでリーガが学級崩壊した責任が彼にあるかのように、好意的だった地元記者までもが手のひらを返し、足の裏を見せた。

 バルサ大逆転勝利の記者会見が、むしろ針のむしろと化した。


記者「ペップ、リーガの得点王が全試合ベンチスタートという珍記録で、ギネスブックに載りたいのか?」

記者「マルクスの資本論のカタルーニャ語新訳版では、ゴールはアヘン、料理は愛情、だそうです。ペップ、あなたもシンジでラリッているのでは?」

記者「リーガのバルサ以外の全チームが、シンジのドーピング検査で、尿だけでなく左足のアキレス腱を提出するよう要求している。応じたほうがいいのでは?」

記者「バスク祖国と自由の過激派が、次のビルバオ戦で、バルサベンチのどこかにブーブークッションを仕掛けるという予告を出した。座ったほうがいいのでは?」

P「うるさい!」

 グアルディオラは生まれて初めて、束になったマイクのブナシメジに怒鳴った。

P「バルサがいいプレイをして負ければいいんだね? そういうことだね?」

全員「NO!」


 過密日程でチームもくたくたのシーズン後半戦。もちろん信司の小便からは小便以外に何も出なかったが、電光掲示板の得点者は「SHINJI」オン・パレード。メッシもイニエスタもシャビも、疲れには勝てず、ようやく「世界一の余事象」になることを受け入れた。

 シャビがタバコを吸っている写真をスクープしたのも女性イレブンだったが、なにゆえセブンスター?


 左足を使わず、チームメイトと仲良くボールを分け合ってのゼロか。

 左足を振り、チームメイトを十把一絡げにした挙句の勝利か。

 あなたが信司なら、どっちを選ぶ?


 こぐまFCからFCバルセロナまでのFCワームホールでも、信司が抱える矛盾は変わらなかった。得点して勝っても得点せずに負けても、傍から見れば八百長は八百長なのだ。

 DNAの二重螺旋構造を発見したノーベル賞受賞者のジェイムズ・ワトソンは、長年研究者だけでなく一般人をも楽しませてきた遺伝の秘密が「タンパク質のぐるぐる」という物理化学の問題になってしまったことを、「身も蓋もない結論」と自著に書いている。

 ワトソンは、「シンジがノーベル・フットボール賞の初代受賞者としてスウェーデンに招かれる日も近い。身も蓋もない結論を抱えてね」と女性イレブンに語ったとか語っていないとか。「それに、たいしたラッキーボーイだ!」


 増え続けるトロフィーを肴に、グアルディオラはやけ酒を呷るようになった。監督という仕事を愛していたグアルディオラは、自分がただの書記になり下がったことが許せなかったのだ。当時出たとこ通訳の森崎によると、ホワイトボードの十一人目に「SHINJI」と書いたあとで、グアルディオラがカンプノウを出て映画館に行ってしまったこともあるという。試合終了後にカンプノウに戻ったグアルディオラは、記者会見場でこう言った。「今日のシンジは、クロサワが監督したミフネのようでした。最後にすべてをもっていくのは、ミフネです」

 森崎は、映画館の「ノーチェ・デ・クロサワ」(クロサワ・ナイト)の上映時間と内容を考え、『七人の侍』よりも『椿三十郎』をグアルディオラに薦めた自分を責めたという。「一緒に見ちゃいましたけど」


 信司はFCシルク・ド・ソレイユに移籍するべきだったのかもしれない。


 2008~2009シーズン、歴史は流れを変えることなく、バルサにリーガ、国王杯、チャンピオンズリーグの三冠をもたらした。

 ただし、ダムは信司だった。バルサの年間総得点の四分の三を信司が叩き出した。リーガ83、国王杯20、チャンピオンズリーグ34得点。こちらも三冠。新記録。それでも、しつこいようだが、信司は控え目だった。信司がもしもデポルティーボ・ラコールニャに入団していれば、デポルティーボは二部落ちどころかリーガで優勝していただろう。バルサもケチョンケチョンにしていただろう。


 青と赤の背番号13、SHINJIのユニフォームは、北朝鮮でさえ売れ始めた。商魂逞しいメディアや広告代理店が信司を放っておくわけがない。新聞、週刊誌、ファッション誌の特集は軒並み信司。ゲイ雑誌の「蹴られたい男ランキング」第一位も信司。スポーツニュースの「すぱるた」が選ぶ年間ゴール・ベストテンも信司、信司、信司、信司、信司、信司、信司、信司、信司、信司。「じゃあこれは?」「ひじ!」「残念」と女子アナ。「信司です」


 CM出演依頼も殺到した。信司が携帯を持っていないため、森崎の携帯に。「僕が携帯の番号を変えたら、僕の実家にまでデンツーやらスリーやらから電話がきました。うちの母が化粧品ならって答えたら、向こうが電話を切ったらしいです」

 パンツ業界から引っ張りだこのベッカムとは違い、賭博業界から引っ張りだこの信司。競馬、競艇、競輪、宝くじ、パチンコ、証券会社など、無知な人々を手っ取り早くカモりたい業界は、信司のような真のゆるキャラを待っていた。

 CMは芸能人の夢。カメラの前で馬鹿になるだけで、そのへんのJリーガーの年俸分を一日で稼げる。誰とは言わないが、マスコミ嫌いで有名な金髪のスター選手も、CMにはだいたい出ずっぱり。

 どっこい、信司は中&本田とは違い、CMどころか、ゲイ雑誌のインタビューさえ断っていた。マネージメント事務所との契約など、別の惑星の話だった。


 信司にオフなんてない。暇さえあれば右足でボールを蹴っていたのだ。「ピカッ」のビデオを見た10歳の誕生日から、信司は毎日毎日右足を磨き続けていた。信司の日記を単行本にするなら、僕ならどの日も「練習」の二文字でまとめてみせる。単行本をビラにしてみせる。


「物理法則を超越した左足に勝つためには、右足の精度を上げるしかないんです」と森崎。「練習は信司にとっての冷戦なんです」は、ちょっとよくわからない。


 信司の散歩は翼くん方式だった。いつも「友達」と一緒。バルセロナ市内の自宅を出て石畳をドリブルしながら西へ向かい、信号を渡り、足の甲にボールを乗せたまま消火栓を飛び越え、野良犬を股抜きし、モンジュイックの丘の途中にあるミロ美術館のシュールなオブジェをシュールに抜き去り、丘の頂上にあるオリンピックスタジアムの前でライバルのエスパニョールファンに(わざと?)見つかり、追いかけられ、それでも右足一本で来た道を戻る。オレンジ色に染まるサグラダ・ファミリアを眺めながら。パンツ一丁で下着ショップの壁に貼り付く、ぴょんきちのようなベッカムを眺めながら。

「練習で忙しくて服を買う暇もないんだろうな」と森崎。「って、信司はベッカムに同情してましたね」


「同じ設計図で百年以上仕事をしているなんて羨ましい。サグラダ・ファミリアに比べれば、サッカーチームの設計図なんて歯ブラシくらいの寿命だ。もしもガウディが今のレアルの監督になったら、五分でクビだね。設計図すら描かせてくれないんだから」という信司の(架空の)インタビュー記事がまたも日出ずる処の女性イレブンにすっぱ抜かれた日、日没する処の信司は、またもバルサの美しい設計図と対戦相手をずたずたにした。


 2009年の春。岡田ジャパンが南アフリカW杯アジア予選の真っ最中だったにもかかわらず、週刊ゴールポストはこれ見よがしに信司の写真を表紙に使い続けた。編集長が岡田解任派の急先鋒だったからだ。頑固な岡ちゃんが一度も代表に呼ばない信司がバロンドールとゴールデンブーツの二冠に輝いたことは、岡田解任派にはたまらない皮肉だった。


 ブラジルW杯直前、2014年の春。新こぐまFC監督に就任した桑田(公立校の先生は学校を移籍するが、チーム名は不滅です!)は、信司が表紙を飾ったすべての週刊ゴールポストのバックナンバーを子供たちに回し読みさせている。

 僕も断り切れずに練習を見学させてもらった。利き足禁止の名物メニュー「逆足マラドーナ」も健在だった。あの早野信司を発掘した桑田先生を、最近の子供たちはこっそり「歩くバックナンバー」と呼んでいた。それは僕と子供たちと、立ち読み中のあなただけの秘密だ。


「信司は炭酸なんて飲まなかったぞ。平日のコーラは禁止! 土日もなるべく!」

「もっと打て! そこは打っとけ! 信司はグラウンドの隅っこの自転車置き場からだってシュートを決めたんだぞ。一台も倒さずにな」

「努力すれば、お前らも必ず信司みたいに週刊ゴールポストの表紙になれる」


 は、ちょっと言い過ぎ。シーズンオフはグラビアアイドルが表紙なのだから。同じ青と赤のシャツを着てメッシやシャビと肩を組む先輩の写真は、もはや心霊写真。せめて、子供たちの目標はカフーやエメルソンと肩を組んだ中田英寿だろう。スタメンの都合でトッティとの写真がないのが悔やまれる。


 今ではメッシやシャビのほうが、カンプノウの通路にある信司のポスターの左足に手でキスし、ピッチに飛び出していくという。フットボール界のゴジラは、世界一の信者数を誇る「クラブを超えたクラブ」をも、その左足でふんづけたのだ。


 南アフリカW杯を一年後に控えたシーズンオフ。2009年6月22日。バルサのテクニカル・ディレクター、ベギリスタインは、一年で五つのチームタイトル、数えきれないほどの個人タイトル(ベストジーニスト、ベストジュエリスト、ベストソリスト、ベストマルキスト、ベストアナーキストなどなど)を手にした信司に、浦和時代に覚えた日本語でこう言った。

「シンジ、タンジョビ、オメデト。それと、サヨナーラ」

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