第3シュー オホーツク海に身を投げろ!
「世界蹴球教会の調査によれば、サッカーの王様と呼ばれているこの私が、20世紀世界第二位の選手らしい。一位はなんと、サッカーの神様らしい。手でゴールやコカインを決めたり、記者に向かって空気銃をぶっぱなす、アルゼンチン生まれの神様らしい。誤解しないように。一位は本物の神様だ。私は本物の神様に負けただけだ。神様を全知全能と言う時、シュートやパスも例外ではない。神様はわざと偽物を地に使わし、我々人間を試そうとなさったのだろう。シンジ? シンジは、あれだ、ゴールの神様……王様だ」P(ブラジルの王様)
こぐまFCの練習は「ブラジル体操」から始まる。桑田が週刊ゴールポストの袋綴じで学んだ、ラジオ体操のサッカー版である。スッキプしながら頭上で両手を叩いたり、腿上げをしたりという、78年生まれの僕世代のサッカー小僧にはお馴染みのダンスである。ちなみに、僕はスポーツライターとなってから、ブラジル体操をやっているブラジルのチームを一度も見たことがない。
こぐまFC名物の練習といえば、インタビューしたOBの誰もが「逆足マラドーナ」を挙げた。センターサークルから利き足でないほうの足一本でドリブル&シュート。簡単簡単。
「両足を使えないサッカー選手は、軸足を怪我したフラミンゴです」と、桑田はこの練習の目的を説明している。詳しくは、週刊ゴールポストの「クライフかく語りき」を参照。
ちなみに、信司の遺作となった南アフリカW杯開催中、フランス代表はドメネク監督に腹を立てて練習をボイコットした。「逆足マラドーナ」をやらされていたのかもしれない。
呪いのビデオを見た翌日の「逆足マラドーナ」で、右利きの信司は左足の殻を破った。信司はドリブルシュートのドリブルを省略し、ハーフラインから強烈な左フックを決めた。ゴールに立っていた森崎は、文字通り一歩も動けなかったそうな。「信司本人もびっくりしてましたからね。断言しますけど、あんなゴール、ルーニーでも一生に一度ですよ」
例えるなら、元横浜フリューゲルスのエドゥー。「悪魔の左足」のリングネームをもつエドゥーが決めた四十メートル級の左フックは、Jリーグの歴代ベストゴールの一つであり、ノーベルフリーキック賞に値する。まあ、利き足で、セットプレイだったけど。
「キーパーの森崎が気の毒でしたね」と桑田。「毎回シムラ後ろ状態でしたから。網の中を振り返るたびに、森崎は定置網にクジラがかかったみたいにびくっとしてましたね」
「あの日の信司は、キン肉マンじゃないけど、オナラでも決められそうな凄味がありましたね」と森崎。「あの日から、信司にとってキーパーなんて、僕なんて眼中になくなった。お子様ランチに刺さった国旗ほどの意味もなくなったんです」
「あの日」と桑田。「小四でキーパーを辞めそうになった森崎を、私は練習後にびっくりドンキーのお子様ランチで引き止めました。つまようじの日の丸をちらつかせてね」
「要するに、信司にとって僕はアルカイダだったんです」と森崎。「翼くんも言っているように、信司にとってボールは友達、僕は友達の友達ですから」
「ボールには避けられてたけど、風呂は入ってたみたいですよ、森崎」と桑田。
二人に別々にインタビューしてよかった。本当によかった。
浦和で、バルセロナで、札幌で、南アフリカでも証明したように、信司が左足から放ったボールは、古典物理学を古典にした。信司は楕円軌道と双曲線軌道と放物線軌道を足して三で割って丸めて屑かごへ放り込んだのだ。
科学の進歩がユニフォームをヌードに、スパイクを綿菓子にどれだけ近付けようとも、サッカーの魅力はボールの不確定性原理である。ボールに鉛を仕込んでも、丁半博打のバロンドールにはなれない。
SF(サイエンスのほう)小説界の巨匠、グレッグ・イーガンが書いたボーダーガードという短編では、肉体を離れて意識だけになった未来の人間が、「量子サッカー」なるもので遊ぶ場面が出てくる。存在確率の波動関数がどのシュート軌道に集束するかで……立ち読み中のあなたの悲鳴が聞こえたので、このへんで。未来のS級監督ライセンス試験には、量子力学が必須科目になるかもしれない。
「逆足マラドーナ」も、信司にかかればホールインワン・サーカス。
呪いのバースデイビデオを見た翌日、信司はプロもひれ伏すほどの確率で、一発百中で逆足ショットを決め続けた。Jリーグのどの試合でもいい、試合前のシュート練習を見ればわかる。
チームメイトからの「ナイッシュ―」も、次第に「……」に変わっていった。「ファミコンのサッカーゲームのマルドーネだって、もっと外してましたからね」と森崎は語る。
森崎によると、グラウンドの残り半分で練習していた(お互いを「グラウンド泥棒」と呼び合う仲の)少年野球のこぐまベアーズも、信司のシュートのたびに凡フライを取り損ねていたらしい。「すぐ隣で松井のライナー性のホームランみたいなシュートがサッカーゴールにバカスカ決まってるんですよ。向こうも凡フライどころじゃないですよ」
森崎は信司のシュートを諦め、凡フライのほうを花火みたいに眺めていたのかもしれない。
信司はその日、桑田に「右足をちょっと捻った」と言い残し、練習終了五分前に早退した。信司が何度か放った地を這うスネイクショットの跡が、グラウンドの土に残されたジグザグの跡が、信司が本当に「右足をちょっと捻った」のかどうかの答えだと、森崎は言う。「最上段から見ていたサッカーの神様はお見通しです。あれは神様向けの、嘘発見器のグラフです」
帰り道の信司を、当時札幌市内の交番勤務だった北海道警察の警部補も覚えていた。幼き信司は、交番の目の前にある赤信号の横断歩道を堂々ととぼとぼ渡ったそうだ。
左足の運動機能は、右大脳と対応している。ねずみの右大脳に電気や光で刺激を与えると左足が動くことも、実験で確認済みらしい。ねずみにできて人間にできないわけがない。
ただし、左足の動力源が右大脳への「ピカッ」(神の手)だとしても、左足がボールに与えた一発百中の説明にはならない。ねずみに「ピカッ」とやって、ねずみが左足の一撃で猫をKOする実写版トムとジェリーが生まれるなら別だが。
「エネルギーの起源は空間ではなく、空間を越えた過程に探さなければならない」と、ティエリ・アンリ・ベルクソン博士もネイチャーかなんかに語っている。
「空間を越えた過程」とは、ズバリ、十年の風雪に耐えた呪いのビデオだろう。
どっこい、呪いのビデオから伝説の五連発までの一カ月、信司は己の左足を封印した。桑田がハーフタイムに注意するまで、右足一本で生活したのだ。
それか、友達の友達、守護神森崎くんへの配慮かもしれない。僕が小四のキーパーだったなら、練習だろうとなんだろうと、最初の一発でキーパーを引退していただろう。
他の練習メニューは右足一本でもなんとかこなせるが、問題は「逆足マラドーナ」だった。
信司「実は左利きみたいなんです。親も、今まで黙ってて悪かったって。だから、今日からこの練習は右足でやります」
桑田「やっぱりそうか」
近くにいたこぐまたちはせーのでずっこけた。
「まるで吉本新喜劇でした」と森崎。
信司は使い慣れた右足で、またシュートミスのある日常に戻った。
札幌取材の途中、すすきので出会った占い師は、インチキじゃなかった。たまにはお金を払って突撃インタビューもしてみるものだ。僕が見せた信司の顔写真に、「この子、交番の前で堂々と信号無視をしてるわね」とすすきのの母は断言した。「この子、何年か前に、サッカーの試合で22点決めてるわね」には、僕は驚きのあまり、噛んでいたガムを吹き出して母の水晶玉にくっつけてしまった。
これを書いている今から遡ること五年前、2008年12月13日、エル・クラシコの伝説となった22連発のことを、すすきのの母が知るはずもない。BOWOWに加入しているはずもない。
こぐまFCは、札幌のどこにでもある市立小学校のどこにでもあるサッカー少年団だった。お兄さんのコンサドーレ同様、あまり天皇杯では優勝してほしくない名前と、名前に見合った実力を兼ね備えていた。こぐまの一人が開眼するまでは。
こぐまはその左足でこぐまFCをあっという間に世界一のサッカー少年団にした。「先生(桑田)が出場登録さえしていれば、天皇杯も夢じゃなかった」とOBは口を揃えた。
信司が五連発で左足を解禁したこぐまFCは、手始めに、全日本少年サッカー大会北海道予選を突破し、よみうりランドへの切符を手に入れた。コンサドーレジュニアを打ちのめし、近くて遠い島の、金髪碧眼のジュニアをもねじ伏せた。国後島の大きな子供が日本の少年大会に出ることは、日本代表が南米選手権に出ることほど荒唐無稽じゃない。参考までに、日に日にお祭りと化していった北海道予選のスコアボードをどうぞ。
「5‐4」対屯田東小
「7‐4」対KFCサンダース
「9‐6」対襟裳岬小
「11‐9」対コンサドーレジュニア
「15‐14」対KGBフルシチョフ(密入国ロシア人特別枠)
「19‐18」対FC国後(北方四島特別枠)
勝ち上がるほど相手も強くなり、強い相手には失点が増え、失点以上に得点しなくては勝てない。森崎博士の分析によると、こぐまFCの得失点差の「相対度数」は、試合を重ねるごとにイタリア人の好きな「1」に集束していくという。ちょっとよくわからないが。
信司以外のチームメイトは、会社員か公務員としての将来を約束された、ただの小僧だった。森崎の前では言わなかったが、失点を防ぐ魔法がない以上、チームの勝利は信司の魔法の杖が握っていた。
北海道予選決勝、こぐまFC対FC国後は、大人の都合で国の名誉を懸けた一戦となった。桑田によると、日章旗の街宣車もマライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス」をがなりながら応援に駆け付けたという。「北海道は渡さん!」
試合前の整列では、左右の子供たち(日本対ロシア)のあまりの身長差に、街宣車も思わずスピーカーで「ぷっ」と吹き出したとか。「あれだけの小学生に見下ろされたのは初めてですよ」と桑田も言っている。桑田の身長は自称170センチだが、たぶんマラドーナと同じくらいだろう。
のちに女性イレブンがすっぱ抜いたスクープによると、FC国後で最も小柄な二人は、実は偽造パスポート。二人が大人の(妻子持ちの)ロシア代表選手であることは、歴史の闇に葬られた。国後島のでかいロシアっ子よりも背が低いからという理由でプロを少年大会に送り込む馬鹿馬鹿しさも、クレムリンにとっては大真面目。女性イレブンによると、二人とも当時、リーガ・エスパニョーラのセルタというクラブで大活躍していた「ちょっとした小学生」だったらしい。
「負けたらオホーツク海に身を投げろ!」なる街宣車のスピーカーの頼もしい声援の中、こぐまFCは「バルチック・タワー」の異名を持つFC国後のヘディング攻勢をわずか18点に抑えた。信司の左足はたまたま19回火を噴いた。「北海道は渡さん!」
その後、FC国後が冷戦以来のシベリア送りになったという噂が絶えなかったが、カルピン、モストボイのちびコンビは無事にスペインへ戻っている。
つわものどもの夢のあと。
消し忘れたスコアボード(19‐18)の前でキーパーグローブを脱いだ小四の森崎少年は、たまたま自転車で横を通りかかった近所のおじさんに、こう言われたらしい。「それキャッチャーミット? 随分薄くなったもんだね」
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