第2シュー 呪いのビデオ

「サッカーは家に例えられる。選手は大工で、私は現場監督だ。いい家を建てるには、大工にも現場監督にも多くの努力と犠牲が求められるが、壊れる時は一瞬だ。大工も現場監督も人間であり、必ずミスをする。ただ、シンジは違う。彼は22世紀からやって来た大工だ。設計から施工までを一ミリの狂いもなく、たった独りでやってのける。シンジが日曜大工で建てたゴールのサグラダ・ファミリアには、ガウディも天国で舌打ちしているだろう。監督として現場に復帰したい気持ちもあったが、現場自体がなくなるかもしれないとは思ってもみなかったな。まあいい。地の底をさまよっているチームを引き上げるのが私の仕事だ。カンボジア、チベット、モンテネグロ、ジェフ……」I・O(ボスニアのマエストロ)

 

「きっかけは一本のビデオテープでした」と桑田。

「『リング』みたいな?」と僕。

「は?」と桑田。

「なんでもないです」と僕。ICレコーダー、嘘つかない。


 桑田によると、伝説の五連発の一か月前、信司は一本のビデオテープでゴールマシン症候群に感染したらしい。運命の日、1996年6月22日は、早野のちのバロンドール信司の10歳の誕生日だった。

 呪いのビデオを信司に渡した松嶋菜々子は、桑田だった。

「信司もぶっとんだでしょう」と桑田。

「僕もです」と僕。ICレコーダー、嘘つかない。


 十万人の外人。日差しを浴びた緑の芝生。青と白のユニフォーム。COCAとCOLAのコンビネーションも赤く煮えたぎる、アステカ・スタジアム。呪いのビデオの正体は、1986年6月22日、メキシコW杯、伝説のアルゼンチン対イングランドだった。

 伝説のアルゼンチン対イングランドは、奇しくも、10歳の誕生日の十年前、信司が生まれたその日に行われた。信司の誕生日は「神の手」と「五人抜き」の誕生日だった。


 桑田は信司に、誕生日プレゼントだと言ってビデオテープを渡したらしい。当時こぐまFCのキーパーだった森崎によると、誕生日の翌日にはそのビデオテープが信司から回ってきたらしい。『リング』も真っ青の呪いの連鎖。のはずが、「見る前にうちのばあちゃんに水戸黄門で上書きされちゃったんです」と森崎は語る。

 現役時代の森崎が助さん角さんのような鉄壁のディフェンダーに恵まれた黄門キーパーになれなかったのは、例の紋所(ピカッ)が目に入らなかったからかもしれない。


 余談も余談だが、桑田は独身の頃、同じ作戦で女の子を口説いていたらしい。狙っている子の誕生日に行われたW杯名勝負のビデオをラッピングし、リボンをつけ、その子の誕生日に待ち伏せするカウンター戦術である。

 桑田の生まれた年でもある74年西ドイツ大会のオランダ対ブラジル(7月3日)、オランダ対アルゼンチン(6月26日)、西ドイツ対オランダ(7月7日)で「ゴールを決めた実績もあります」と桑田は語る。

 インタビューの場所は桑田の自宅のリビングで、すぐそこのカウンタータイプのキッチンで奥さんが唐揚げを作っていたのだが。

 そんな作戦に夢中になるあまり、桑田は、同い年の6月か7月生まれの女性しか目に入らない自分に、結婚まで気付かなかったらしい。

 74年、たまたま信司と同じ6月22日生まれの奥さんには、東ドイツ対西ドイツという因縁の一戦のビデオをプレゼントし……なかったらしい。

「いくら東ドイツが歴史的勝利(1対0)を挙げようが、部外者には退屈過ぎる試合です」と桑田。

「ゴールインの秘訣ですね」と僕。ICレコーダー、嘘つかない。


 この本を書くにあたり、僕も伝説のアルゼンチン対イングランドを見返してみた。マラドーナのワンマンショーだった。次元が違った。ビスケットだけが無限に出てくるポケットと四次元ポケットくらい、次元が違った。フォークランド戦争の恨みは、たったの90分で、たった一人のちびによって晴らされた。

 若きマラドーナは、例えるなら、イニエスタとメッシを足して二を「掛けた」選手だった。ボールの動きを滑らかにする「ラ・ジエイター」イニエスタと、ボールと一緒にスラロームをする「ラ・ボンバ」メッシのフュージョンだった。


 10歳になりたての信司も、大人の僕と同じように、青組の10番がボールを持つまで早送りボタンを押したに違いない。もしくは、マリオカートでもしながら見たに違いない。


 白組のイングランドには、あのリネカーもいた。一矢報いた選手に言うのもなんだが、いてもいなくても同じだった。10番つながりでマラドーナとリネカーを無理矢理比べようとした実況の山本さんと解説の岡野さんも、すぐにリネカーを引っ込めた。むしろ前半で引っ込めるべきだった。たとえ後半に決めた一点が彼をメキシコW杯の得点王に導いたとしてもだ。

 その後、93年のJリーグ開幕に合わせて鳴り物入りで来日した白髪まじりのリネカーは、鳴り物抜きで帰国した。名古屋グランパスエイトがどれだけの年俸をドブに捨てたのかを知りたければ、お近くのトヨタの販売店で。


 信司が子供ながらに「残酷だな、時間ってやつは」とテレビに呟いたかどうかはさておき、ブラウン管からもルールブックからもはみ出した貞子が、いよいよ信司に襲いかかる。


 後半6分、マラドーナがまたもイングランド陣内にスラロームし、右にいたバルダーノにパス。バルダーノはコントロールをミス。が、クリアしようとしたイングランド人もキックミスで応じ、ボールを自陣ゴール前にふわりと上げてしまう。マイナス×マイナス=プラス。ミス×ミス=チャンス。慌てて落下地点へ駆けだすキーパーのシルトン。そこにぶっとんでくるジャンキー。間に落ちてくるボール。


                ピカッ


 イングランドゴールの定置網に吸い込まれるボール。

 歓喜の青組。

 歓喜のマラドーナ。

 主審を囲んで抗議の拍手をする白組。「拍手じゃねえよ! ハンドだっつの!」

 生涯カードゼロ記録死守のため抗議の輪に加わらないリネカー。

「英語ができれば二十億人と話せるぜ!」とスペイン語で吠える駅前留学なマラドーナ。「チュニジア以外のな!」

 失点にも拍手をくれる英国紳士に礼を言うチュニジア人の主審。「メルシー」


 驚くなかれ、「ピカッ」の正体は、桑田が苦肉のビデオ編集で挟み込んだビキニ環礁での原爆実験の記録映像だった。桑田は神の左手スパイクの瞬間を第三のピカドンで消したのだ。よりによって、神が一番嫌いなアメリカ産のピカドンで。

「NHKのドキュメンタリーかなんかです」と桑田。

「かなんか?」と僕。

「教育的観点からです」と桑田。

 僕は斜めにうなずいた。ICレコーダーのカラータイマーが点滅していた。


 道スポによると、その時、主審の母国チュニジアでは、とある村の男たちが村に一つしかないトースター付きテレビを囲み、こんな会話を交わしていたという。

村人A「見ろ! キーパーとキーパーの一対一! やっぱワールドカップは違うな。明日からキーパージャンケンはなしだ。俺、キーパーでいいよ」

村人B「あのちび、お前よりドリブルうまいんじゃねえの? あいつはキーパー史上最高のちびで、最高のドリブラーだ」


 試合再開から数十秒後、解説の岡野さんが、とんでもないことをおっしゃった。

「まあ、手で入れたかもしれないが……主審が判定したらそりゃもう決定ですからね。それとね、その前の……あれだけアルゼンチンがきちっとパスをつなぎ、いいプレイを組み立てているとですね、もう、一点入ってもいいよという気が、私なんかはしましたね」


 岡野さんのパンチも、ゴングが鳴ったあとの一撃に比すべき反則だった。

 10歳になったばかりの信司は、特大のキノコ雲と大人の言い訳というワンツーをくらって、何を思ったのだろう。

 第五福竜丸も失点して当然だとでも? 

 英国紳士に祝福の拍手を浴びる主審も、自分と同じ誕生日だとでも?


 まだエロビデオも知らないサッカー小僧のサッカー広辞苑には、スローイン以外で「手で入れる」という語句はない。

 このあと、信司が何度巻き戻しボタンを押したのか、何度マラドーナとシルトンの背比べの瞬間(ビキニ環礁がふっとぶ瞬間)で一時停止ボタンを押したのか、何年後にそのテクニックをエロビデオで実践したのかは、神のみぞ知る。


 イングランドのキックオフで試合が再開されてから3分後、世界中が、いや少なくとも僕がカップヌードルのお湯を捨てようとしたその時、チリチリパーマの貞子が「五人抜き」で「神の手」をチャラにした。カップヌードルをもチャラにした。


 イングランド戦後、若きマラドーナは取材陣の前で自ら「神の手」と口を滑らせた。おかげで、今では阪神ファンでさえ「神=マラドーナ」の公式を知っている。


 あのチュニジア人の主審は今、どうしているのだろう?

 残りの人生で何度、あの世界一有名なインチキのVTRを見たのだろう?

 残りの人生で何度、惑星探査機に乗らずに惑星規模の孤独を味わったのだろう?


「その呪いのビデオは今どこに?」という僕の質問に、桑田は「ノーコメント」の一点張り。「神の手」を「ピカッ」に差し替えて教え子を騙したことや、「家事は西ドイツと東ドイツのように平等に分担しよう」と言って結婚前の奥さんを騙したことを、後ろめたく思ったのかもしれない(桑田がトイレに行った隙に奥さんがこっそり教えてくれた)。

「ラベルに書いたタイトルだけでも」と食い下がる僕に、桑田はしぶしぶ「神のピカッと五人抜き」と答えた。桑田は教育的観点から、「手」ではなく「ピカッ」を選んだ。僕も教育的観点から、そのラベルのタイトルをこの21世紀のサッカー小僧のバイブルのタイトルに選んだ。


 余談も余談だが、1996年6月22日、地上から遥か上空六百キロメートルをぐるぐる周回するNASAのハッブル宇宙望遠鏡は、上から目線で驚きの観測結果を伝えてきた。

「遠くの銀河ほど光のスペクトルが青方偏移している。あらゆる銀河の離散速度は距離に反比例し始めた。中卒にもわかるように言おう。宇宙は縮み始めたぞ!」


桑田「見たか?」

信司「凄かったです」

桑田「どこが凄かった?」

信司「そうですね……えーと……最初の……」

桑田「そう! 最初に二人を置き去りにしたターン、それにあの加速力、ゴールキーパーをかわす冷静さ、しかも左足一本だ。あのゴールはまさにドリブラーのバイブルだ。バイブルっていうのは聖書って意味でな、聖書っていうのは……」


……旧約と新約がある。旧約の神は、ちょくちょく「ソドムとゴモラ」や「洪水と箱舟」のようなデレツン&ツンデレカウンター殺法で人間を抹殺する。ゆえに、キリスト教徒は旧約を棚に上げ、新約で神の愛を説く。ゆえに、「キリスト教徒=マラドーナ教徒」の法則が成り立つ。マラドーナ教徒も旧約(神の手)を棚に上げ、新約(五人抜き)でサッカーの神の愛を説くからだ。


 森崎によると、信司の誕生日の翌日、練習前のジョギングで、日本マラドーナ教会大司教の桑田は信司と並走しながらグラウンド五周分も「五人抜き」を語り続けたらしい。信司はバイブルが聖書のことだと知っていたらしい。


「先生ご自身は神の手をゴールだと認めているんですか?」という僕の質問に、桑田はまたも「ノーコメント」。「唐揚げにレモンってかけます?」という奥さんの質問に、僕は「ノーコメント」。ICレコーダー、嘘つかない。


 まあ、桑田も教師のはしくれ。「神の手」はゴールが認められたルール違反。

気に入った信号無視について夜通し語るおまわりさんはいない。

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