神のピカッと五人抜き
林雪
第1シュー 伝説の五連発
「シンジが俺の後継者? あんたおつむは大丈夫か? シンジは俺がいつも踏ん付けてる地球の裏側で生まれたんだ。そうだな……この子に通訳してくれ。俺の後継者になりたかったら、アルゼンチンのどこにでもあるトタン屋根の家に行って、そこのママのお腹からやり直すんだ。それと、薬で左足を買うような真似はするな。俺みたいに日本に入れなくなっちゃうぞ。日本の役人どもはてめえのポコチンでもな……」D・M(サッカーの神様)
ピッピピピッピ、ピッピ♪
前半終了の笛は、そんなスリーアウトチェンジ風だった。日めくりタイプのスコアボードは「0‐4」。前半で? そう、前半で。サッカーにコールドゲームがあるのなら、この日は前半でコールドだったはずだ。もちろん、この物語の翼くん、早野信司擁するこぐまFCは0のほうだった。本物の翼くんなら「ちょうどいいハンデだね」とでもほざくところだ。漫画だから? そう、漫画だから。
「信司は前半の40分間、右足一本でプレイしました。右足で止め、右足で蹴り、右足で転びました。まるで左足がスランプのマラドーナみたいに」と、当時も今もこぐまFC監督、桑田は語る。僕のICレコーダーに、口をつけて。
「もちょっと離してください」と僕は語る。ICレコーダー、嘘つかない。
時刻はちょうどお昼時。15分のハーフタイム、まさかのゼロヨンで折り返したハーフタイムも、ベンチ組には早弁タイムとなる。俺らのせいじゃねえしってわけだ。「ベンチに座る向きでわかりますから」と桑田は言う。前を向いて水を飲む子はスタメン組。後ろを向いてこっそりお母さんの手作りおにぎりにパクつく子はベンチ組。つまり、後半に五得点を挙げて翼くんばりのスーパーヒーローとなる可能性を自ら閉ざした、にぎやかし。
「まあ、大目に見てやってください」と桑田。「こぐまFCはまだ小学生です。どのみち、小学校のサッカー少年団ですらベンチの子がサッカーでメシを食っていけるわけがない。メシを食ってサッカーをすればいいんです」
そんなハーフタイムに、こぐまFCの翼くんこと早野信司は、ゴールポストにもたれて座禅を組み、前を向いてバナナを齧っていたという。
10歳にしてバナナ?
「そんなバナナ!」と僕。「バナナはお昼に入りません」と桑田。ICレコーダー、嘘つかない。
スタメン組におざなりに「ドンマイ」と声をかけていたベンチ組も、信司にはまったく声をかけなかった。みな禁断のおにぎり片手に「0‐4」の日めくりスコアボードと無得点の信司を交互に見ていた。
「てめ寝ぼけてんじゃねえぞ、練習であんなバカスカ決めてるくせによう」と桑田「っていう視線のレーザービームです」
舞台は全日本少年サッカー大会、札幌予選一回戦。今では「伝説の五連発」の聖地として巡礼者や殉教者で溢れかえっている前田森林公園サッカー場で、「ハーフタイムの信司は、むしろ針のむしろでした」と桑田は語る。
信司は当時四年生ながら、五年生と六年生を差し置いてこぐまFCのレギュラーだった。ソ連とバブルが崩壊したばかりの90年代では、市立小学校のサッカー少年団では、信司のような飛び級はまだまだ特例だった。
ポジションは右ウィング。街宣車も震え上がるほどの右ウィング。タッチライン沿いをドリブルで駆け抜けるスピードは、チーム一、小学生一、「ひょっとするとなでしこジャパン一かも」と桑田は語る。フラッシュ・バックならぬフラッシュ・フォワードで。
小四の信司の身長はまだジェットコースターにも乗れないほどだったらしいが、ペレ、ジーコ、マラドーナ、メッシなど、南米のレジェンドはちびが相場だ。
ハーフタイムに信司にかけた言葉を、桑田はかなり正確に記憶していた。
「気になってたんだけどな、お前、最近練習でも左足を使ってないだろ。右利きなのは知ってるし、右手でお箸を持つなとは言わない。けど足は別だ。前半、お前は一度も左足でボールに触れなかった。サッカーの神様に誓ってゼロだ。今日は恋人みたいにお前だけ見てたんだから、間違いない。両手がいまいちのゴールキーパーが両足で蹴る時代もすぐそこだぞ。どうした? 怪我でもしてるのか?」
小四の信司は、(恋人みたいに?)胸の中で「まずい」を十回繰り返したに違いない。「ピザ」以来に違いない。アホな六年生に十回言わされ、オチでもわざと「ひざ」と答えてやったに違いない。六年生は喜んだに違いない。四年生の信司はそいつを「ガキだな」と思ったに違いない。
桑田「前は左で蹴ってたろ。お前の左は辰吉より強烈だぞ。ここだけの話、利き足じゃないほうが力まずに素直なパン、ボールが蹴れるんだ。素直になれ、信司」
信司「スランプなんです」
桑田「なぬっ? あれか、ドクターのほうか? んちゃ?」
信司「左がスランプなんです!」
「私の指導者経験の中で、小学四年生でスランプになる子も、スランプと言う子も、信司が初めてでした」と桑田は語る。「信司のおでこには、大人にしか見えない嘘という字が書いてありました。あ真っ赤な字で。あマッキーの赤で。あ極太で。信司の年頃なら、肉が普通なんですけどね」
「僕はやっぱり中ですね」と僕は言ってみた。僕はラーメンマン派だった。
「はっ?」と桑田は語る。
「なんでもないです」と僕は語る。
「あの時期の子供には、こっちが押し付けるよりも、自由にプレイさせてあげたほうがいいんです」と桑田は語る。週刊ゴールポストからパクった持論を。「それに、信司はチーム一のスピードスターでした。自転車の群れにヤマハ一台、ブスの群れにオカマ一人ですよ。わかるかなあ、わかんねえだろうなあ」
信司「怪我はないです」
桑田「それはそうと、あのスコアボード(0‐4)は、ギャグかなんかか?」
信司「はい、あ、いいえ」
桑田「どっちだ?」
信司「かなんか、のほうです」
桑田「念のため聞くけど、うちがゼロか?」
信司「はい」
桑田「こっそりめくっちゃダメなのか?」
信司「ルールなので」
桑田「まだ前半だよな?」
信司「はい」
桑田「……」
信司「あの……五点……取ろうかなあ……なんちゃって」
桑田「こっちが無失点ならな」
信司はそうした。
こっそり二個目のおにぎりにパクついていたベンチのにぎやかしも米粒とおかかを吹き出すほどの、伝説の五連発。内訳は、左のインサイド、左のつま先、左のインステップ、左のくるぶし、左の小指。人生いろいろ、左もいろいろ。
桑田によると、終了間際の信司の五点目には、相手チームの監督も口からポテトチップス・コンソメパンチを吹き出したらしい。
信司はその時、自陣のゴール前にいた。こぐまFCの守護神、森崎くんが手で転がしたボールを、左足一閃、反対側の相手ゴールに突き刺したのだ。飛距離はおよそ八十メートル。
「それも左足の小指で。サッカーボールでレーザービームです。イチローが利き手でやったことを、小学生が逆の足で一蹴りですよ!」と桑田の声はフォルティッシモ。「なんて素直な奴なんだ!」
信司が左足を振り抜いた時、相手チームのぽっちゃりキーパーは対岸のゴールポストにいた。網に引っかけたタオルで手袋についた鳥のフンを拭いていた。既に信司に漫画のような四連発をくらっていたぽっちゃりは、鳥にもなめられていたのだ。オチの五発目は、あまりにも残酷だった。タオルをかけ直して定位置のゴール中央に戻ったぽっちゃりは、既にボールを背にしていたのだ。
「全員で、シムラ、後ろ! 後ろ! の大合唱ですよ」と桑田。「芸名が?」と僕。「いや、本名です」と桑田。ICレコーダー、嘘つかない。
サッカー小僧のバイブル、キャプテン翼のSGGK(スーパー・グレイト・ゴール・キーパー)若林君は、吹き出しの中でいつもこう語る。「ペナルティエリア外からのシュートは、全部止めてみせる!」
「ただし」と桑田は語る。「向こうのペナルティエリアは含まないものとする」
公式戦初のアシストを手で転がして決めたこぐまFCのSGGK(小・学生・ゴール・キーパー)森崎君は、自分の目の前から敵のゴールにレーザービームを決めたイチローもどきに、当たり前といえば当たり前の質問をした。
森崎「信司、今の……狙ったの?」
信司「だったら? こっちから向こうに決めちゃいけないルールでもあんの?」
森崎「そうゆう言い方ないだろ」
この第1シューのラストを埋めている僕は今、2013年4月1日にいる。あなたが本屋の新刊コーナーで本書を立ち読みしているのは、出版社が潰れていなければ、一年後、2014年ブラジルW杯の直前のはずだ。
タイムマシンのある未来の本屋で本書を立ち読みしているそこのあなた、今すぐこの本をお腹に隠して、万引きGメンをサイドステップでかわして、ぜひとも2013年4月1日にお越しください。書く手間が省けます。「W杯の直前はサッカー本が売れる」というごもっともなプレッシャーをかけてきた担当編集者にも、装丁付きの原稿を突きつけられます。僕は遅くとも年末には脱稿しなければならなりません。こういう愚痴で文字数を水増ししている理由が、他にあるでしょうか。
早野信司本人がインタビュー嫌いだったことは、執筆に障害となるどころか、かえって多くのユニークな「早野組」との出会いの機会を僕に与えてくれた。僕の拙いインタビューに答えてくれた方は百人を超え、ICレコーダーも満腹になったが、紙幅の関係で(内容的にも)カットせざるをえなかった方には、この場を借りてお詫びを言っておきたい。
偉大なる黒澤先生の映画に習って、先に主要キャストを紹介しておこう。もうご存じと思うが、こぐまFC時代の桑田佳輔先生には、ICレコーダーもゲップをするほど長時間のインタビューに答えていただいた(お茶を五回おかわりしても帰してくれなかった)。こぐまFCのメンバーにも感謝している。中でも、信司の友達の友達、こぐまFCの守護神、森崎和弘さんなしでは、この本は完成しなかっただろう(完成していれば)。もちろん、信司のご両親を忘れるわけにはいかない。事故の悲しみを乗り越えたお二人は現在、ともに札幌郊外のクラーク像の指の先にある早野信司記念館の副館長を務めている(館長は文科省からの天下りらしい)。サッカー界からも数々のレジェンドにご協力をいただいた。思い出した順に、ヨハン・クライフ、ペレ、イビチャ・オシム、ソクラテス、キャビン・アテンダント(旧姓スチュワーデス)、そして、忘れるところだったマラドーナ、マラドーナ、マラドーナああああああ!
さて、今日はもう寝よう。明日、4月2日は第2シューの執筆だ。一日一シュー。目指せ六千字。このペースなら、4月22日に脱稿も夢じゃない。うそうそ。ついたちだけに。
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