第8話

 僕が今までしてきたことは、無駄な足掻きだったのだろうか。Y温泉から家に帰ってくると、何故だか非常に空しさが体中を覆い尽くしてしまった。確かに七年前までの足取りは掴めたかも知れない。でもそれは飽くまでも、二人が残した足跡を記憶していてくれた人が居たからだ。でも、七年前から現在に至る足跡を知る人は、僕の周りには存在しない。もし、継母の友達である美智子さんが、S館に現れなかったら、今頃僕は二人と再会できていたはずだ。しかし、世の中には『はず』とか『たら』、『れば』は存在しない。あるのは事実だけなのだ。


「どうしようか・・・。振り出しに戻ってしまった・・・」


 僕は部屋の真ん中に大の字になって、天井を見つめ乍ら今までの事を思い返してみた。果たして、二人はY温泉を離れた後、他の温泉に行ったのだろうか。県外に出ることはないと言っていた。父との約束とは一体何なのか・・・。一人でいると、色んな思いが次から次へと浮かんでくる。でも、今の状態ではどんなに考えても、休むに似たりだ。


 兎に角、今の僕にできることは、強く思うこと。希望を失わないこと。それしかないんだ。先ずは一眠りして、今後の動きをどうするか作戦を立て直さなければ。恐らく大きな温泉地に行けば、探すのはそう簡単なことではないだろう。そうだ、酒井先生に相談してみようか。僕は携帯で先生に電話をした。


「もしもし」

《酒井です》

「あ、安田武志です」

《あら、どうですか。といっても電話してきたってことは、あんまり上手くいってないのね》


 流石、継母の事を育てた人だ。僕が話をする前に、もうこちらの気持ちを察しているみたいだ。僕は、なんとなく祖母と話をしているような錯覚さえ覚えた。いや、継母の母親代わりだったのだから、僕からすれば祖母代わりには間違いないのだ。


「明日なんですけど、伺っても良いですか?」

《いらっしゃい。千鶴ちゃんの息子さんなんだから。私の孫だと思って、お婆ちゃんの所にいつでも気兼ねなく来ればいいのよ。私はいつでもこの家にいますから》


 先生の声を聞いていて、僕の目から涙が一筋零れ落ちた。


「有り難うございます。じゃあ、明日伺います」


 なんとなくではあるが、電話をしたことで気分が落ち着いた。先生の存在は今の僕にとって一番の心の支えなんだ。彼女は僕の事を孫のように思ってくれている。だったら、僕もお婆ちゃんだと思って接しさせて貰おう。それによって、また新たな希望が生まれるかもしれない。そう期待したいものだ。


 電話をして気持ちが落ち着いたお蔭で、夜はしっかりと眠る事ができた。朝起きて、早速車を飛ばし、酒井先生の家へと向かう。なんだか分からないけど、気持ちが高揚している。二十四歳にして孤児になってしまった僕の、母親のような存在になっているのかも知れない。きっと、ひまわり園を卒業していった人たちにとって、先生の存在はこの様な感じなのだろうと思う。家に着くと、僕はすぐにインターホンを鳴らした。中から先生の声が聞こえる。


「いらっしゃい。さあ、中に入って」


 もう先生も自分の息子か孫が来たかのような、嬉しそうな顔で僕を家の中に導いた。応接間には、茶菓子が用意されていて、如何にも待ち焦がれていたという感じだ。


「相談したいことはなに?」


 彼女は微笑みながら、僕に訊ねてきた。でも、何故だろう。そんな彼女の顔を見ているだけで、心がドンドン落ち着いてきて、悩んでいたことが些細なことのような気がしてきた。


「先生、会えただけで充分です。何だか今まで上手くいってなかったことも、先生の顔を見たら全部吹っ飛んでしまいました」


 そう言うと先生の顔が綻んだ。


「そうなの?。でも疑問に思うことや、納得できない事があったら、私に言ってちょうだい。一緒に考えましょう」


 そう、まるで身内のように、一緒に悩んでくれる人が居る。それだけの事なのに何とも心強い。父が生前、安田の家には武士が居るからそれでいいんだと言っていた意味が今、何となくわかった気がする。家に拘ったのではなく、身内が一人でも居るということが心強かったのだ。恐らく、僕が継母と雛を探したいと思った理由も、自分では今まで感じていなかったが、身内が居ることの安心感が欲しかったというのが、本音のところなのかもしれない。そして、そのことに気付かせてくれた酒井先生に、僕は口には出さなかったけど、感謝の想いで一杯になった。


「ありがとうございます。実は、七年前までY温泉のS館に居たという事まで突き止めたのですが、その後の足取りが全く掴めなくなってるんです。でも、確率的には低いですが、事情を話したら一緒に探してくれるって言ってくれた人はいます」

「そう・・・。でも、藁一本でも可能性があるなら、それは収穫よね」

「そうですかね・・・?」

「全く可能性ゼロよりも、いいじゃない」

「先生はポジティブですね」

「そうよ。マイナス思考からは何も生まれないもの」


 そうだよな。物事は捉え方ひとつで、良い方にも悪い方にも変わるものだ。先生のプラス思考は、僕の意識をどんどん良い方へと導いてくれている。


「あと、もう一つ心に引っかかっていることが有るんですけど・・・」

「何かしら?」

「父と継母の約束です」

「うーん。これだけは千鶴ちゃんに会って聞かないと分からないわね」

「ですよね・・・。」

「でも、心に引っかかってる謎が有るということは、それを解決したいという意欲が涌くから、二人を探す原動力にはなるわね」


 彼女はニッコリと笑いながら、ゆっくりとお茶を啜る。確かに二人を見つけさえすれば、父と継母の間に交わされた約束の謎が解ける。そして、一気に僕の心の中にある小骨が取れるのだ。その時、どんなにか気持ちがスッキリすることだろうか。そう思うと確かに希望が広がっていく感じがする。


 先生は、折角来たのだからと、出前で蕎麦を注文してくれた。父が死んでから数か月。僕は一人の食事になれてしまっていたが、こうして誰かと食べる食事というのは、本当に同じ食材でも一味違う。これが、継母と雛と三人だったらどうなんだろうか。もっと美味しく感じるんだろうか。いや、ここに来て四人で食べたならもっともっとおいしくなるに違いない。


「先生、僕は必ずここで、四人で食事できるように、母と雛を見つけ出しますよ」

「あら、随分と元気が出てきたわね。今までのマイナス思考は空腹から来てたのかしら?」

「いやあ・・・」


 僕が頭を掻いていると、彼女はとても楽しそうな顔をした。そして、二人が見つかった後の彼女の顔は、もっとにこやかに楽しそうになる事は想像に難くは無かった。そうだ、僕は幼い時にはできなかった、継母の笑顔を見たい。その為にも諦めるわけにはいかないんだ。

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