第19話 閃光とともに現れる


 ナユタから連絡があったのは、翌日のことだった。


 暗くなって、明るくなるまでの時間は自室で無為なことを考えていれば、それほど長いとは思わなかった。

 結論は出ず、幻もまた消えない。

 定期的に現れる彼女の幻影は、俺に毅然とした後ろ姿だけを見せつづけた。


「どうした?」

『すいません、木戸さん……』


 その申し訳なさそうな声音だけで、大体の事態を察することができた。


「並行世界か」

『……はい』

「だろうな」


 なにをしていても時間は進む。

 進行は止まらない。

 取るに足らない一人ひとりの行動で生まれるという並行世界は、そんな一人ひとりのことを考えはしない。


『けれど、今回はあなたに協力してもらおうとは思いません。ただ、木戸さんは半在者なので身辺に気をつけてもらうために――』

「いや、いい。できるよ」

『大丈夫、なんですか?』

「ああ」


 これまでたくさんの半在者を手にかけてきた。

 その罪悪感を忘れたことはない。


 倫理観も道徳心もすべて殺した。

 たくさんの半在者も殺した。

 そんな俺が、今さら自分の心を殺せないと言うことはできない。


「すぐ、そっちに向かう。詳しい話はそれから頼む」

『……わかりました。よろしくお願いします』


 ナユタの声は納得していない響きだったが、一応承服させた。

 家を出る前に、最低限心配されない程度の身だしなみを整える。


 これ以上誰かに心配させるのは嫌だった。

 誰にどれだけ、なにを言われたって意味はない。

 なにもかも頭ではわかっているのだから。


 ナユタのいる待機室へ向かう。

 エレベーターに乗るなり、彼女は現れ機械的に作戦を説明した。


「今回は向こうへ介入することはなく、杉山さんと共にこちらの防衛についてください」


 それはあいつがいなくなったからか?

 危うく口から出そうになった疑問を飲み込んで「わかった」とだけうなずいた。


 控え室の奥にある武器庫から自分の拳銃を引き抜く。

 この銃はいつも誰も殺したことがなく、なにも守れなかったことになっている。


 そんな拳銃を握ったとき、今まで殺してきた半在者のことが思い出された。

 記憶としてではなく、感触として。

 やがて到着した杉山と共に俺は町へ出た。


「なぁ、木戸。ホント大丈夫なのか?」

「大丈夫だよ。それより、今は警戒中だろ。俺じゃなくて周りに気をつけろ」


 杉山はまだなにか言いたげではあったが、結局黙った。

 ズボンにさした銃をいつでも抜けるように準備しながら、もう一方の手で携帯電話を耳に当てておく。

 そこから聞こえるナユタの声に意識を集中した。


『いいですか、木戸さん。護衛対象はここから……』


 そこで不自然に声が途切れる。

 ノイズのようなものは走っていないが、嫌な記憶がよみがえった。


「おい、どうした、ナユタ」

『木戸さん、すぐにそこから離れてください。お願いします』


 とりあえず、無事に声が聞こえたのは安心した。

 しかし、いつになく切迫した声だ。


「なにかあったのか?」

『事情は後で説明します。とにかく真っ先にあなたがここを離れないと――』


 なにかが転がる、軽い音がした。

 続けて、まぶたの上からでも目を焦がすような激しい光と、甲高い音があたりに響く。

 その音でナユタの声がかき消された。


 スタングレネード。


 いつか、ナユタがそんな武器について話していたのを思い出す。

 それを理解する頃には目と耳の機能が吹き飛んでいた。


 なにも見えず、なにも聞こえない。

 耳鳴りだけが汽笛のように脳をゆさぶる。

 あまりに唐突のことでその現状を把握することもできない。


 そのとき、誰かが乱暴に俺の腕をひいた。

 敵がそんなことをする理由がないため、これはきっと杉山だろう。


 そのわりには手が小さいような気もしたが、その程度の違和感を尊重できるほどの余裕がない。

 それになんとなく見知った感覚だった。


 腕をひかれるまま走る。

 やがて弛緩した鼓膜がだんだんと音を取り戻し始めた。

 かすかに周囲の声や音が聞こえる。


 まだ閃光の余韻を残す視界がおぼろげにとらえたのは砂場や滑り台、シーソーといった遊具。

 光と音に干渉されない触覚だけはたしかで、俺をつかんでいた手がはなれるのがはっきりとわかった。


 ぼんやりとした人影が正面に立つ。

 俺の頭が無意識にその人影が誰かを判別する。


 ――そんなはずはない。


 思い描いた相手であるはずがない。

 そいつはもう存在しないのだから。

 ずっと前から存在しないことになったのだから。


 また幻覚かとも思った。

 しかし、相手はさっきまで俺の手を掴んでいた。

 目も耳も機能しない状態の俺を、この場所まで連れてきた。


「ヒロ」


 そいつは――彼女は、聞き覚えのある懐かしい声で俺をそう呼んだ。

 麻痺していたはずの鼓膜はその声を懐かしく、また愛おしいものだと受け止める。


 そんな呼び方をする人間は、この世に一人しかいない。

 一人しかいなかった。


 くらんでいた視界がよみがえり、少女の姿をはっきりととらえる。

 長く黒い髪。

 はっきりとした大きな瞳が、俺を真っ正面から見据える。

 すらりとした長身も、毅然とした立ち姿も。

 なにもかもが、俺の知っている彼女で。



 吉野希美、その人のように見えた。


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