第17話 告白


 何度繰り返しても慣れることはない。


 全身のすみずみまで遠心分離機にかけられたかのような、自分がバラバラに引き裂かれるような、そんな感覚。


 めまいと吐き気を伴いながら、俺はゆっくりと立ち上がる。

 見た目にはまったく変わらない。

 しかし実際には異なる景色の中に立つ。

 変わらないのは携帯電話がつながる先と、手錠でつながった希美の存在だけだ。


「大丈夫?」


 気分の悪さをこらえて、俺は片手をあげてその声に答えた。


「ナユタ、着いたぞ」


 電話の先にそう呼びかけるが帰ってくるのは乱れたノイズ音だけだった。

 繋がってはいるが、声が聴こえない。


「あれ……? 携帯が壊れたかな」

「なら、私がかけてみましょうか?」

「そうしてみてくれ」


 俺と入れ替わりに希美が電話を取り出す。

 すると、同じストラップのぶらさがったその携帯にメールが届いたようだった。


「ナユタからだわ。対象の位置情報が載ってる」

「じゃあやっぱり俺の携帯がおかしいのか」

「いえ、普段はあるはずの対象の顔写真やデータはノイズで消えているわ。位置情報だけみたい」

「なんかおかしいよな……ま、でもデータがあれば、とりあえずはいけるな」

「ええ、そうね。とりあえずやるべきことを終えてから携帯のことは考えましょう」

「そうだな」


 しかし、いまいち釈然としない。

 今まで転移したあとにナユタと連絡がとれなくなったことは一度もなかった。

 単に携帯の故障かもしれないが、小さなひっかかりがあった。


 いや、とりあえずやるべきことを終わらせてから考えよう。

 別世界といっても、こちらと大きな違いのない並行世界である。

 地図に載っている地形も建物も俺たちの暮らしている町のものと変わらない。


 ターゲットは廃校になった小学校の近くにいると、ナユタからのメールでは表示されていた。

 もちろん、勝手知ったる町であるため地図がなくともそこへは迷うことなく向かうことができた。


「いた」


 しばらく歩くと目標が見えた。

 希美が指差す先に、たしかに男が立っている。


 廃校になった学校の門は開いている。

 その門にもたれるようにして、高校生ぐらいの男が立っていた。


「あの男かしら?」

「あれ、でも三人って言ってなかったか?」

「残りの情報は後から来るのかもしれないわね」

「じゃあまずは確実に一人だな」


 俺たちは慎重に接近する。

 あくまでただの通行人に見えるように並んで歩く。

 だが、向こうはそれよりも先に門をくぐって校舎の中へと入っていく。

 その目が俺たちのほうをたしかに見たような気がした。


「気づかれたか?」

「そんなはずないわ。ナユタが私たちに教える相手はいつも並行世界のことを知らない。だから、命を狙われてるなんて考えてないはずだもの」

「けど」

「ええ。たしかに、あの動きは妙だった」


 銃を抜いて、安全装置を外す。

 そうして準備をしてから俺たちは校舎に飛び込んだ。


 相手は一人だ。

 たとえこちらを知っている半在者だとしても有利に動ける。


 手入れのされていない汚れた廊下に割れた窓ガラスが落ちている。

 砕けた蛍光灯も混ざっているかもしれない。

 木製の古い校舎は老朽化が激しく、一歩踏みしめるたびにガラスと共に木がきしんだ。


 変だ。

 あまりに静かすぎる。

 これは――


「罠だ!」


 そう叫ぶと同時にいくつもの銃声が窓の外から響いた。

 無数の弾丸が頬をえぐり、腹をかすめ、腕をつらぬく。

 飛んできたガラス片が足を引き裂く。


 とっさに撃ってきた方向に発砲しながら身をかがめる。

 腕を誰かが掴んだ。

 それが希美だとすぐに気づく。


 血でぬめりすべった。

 それが俺の血なのか、それとも希美の血なのかはわからない。

 だが、どちらもまだ死んでいない。


 希美は敵へ応戦しながら、俺を階段へ引っ張った。

 こちらの銃火によって一瞬弱まった弾幕をかいくぐるように、階段をのぼる。


 二階へ転がり込み、下からの追手に向けてさらに発砲。

 階段を挟んで、籠城するような形に持ち込んだ。


 壁にもたれる。

 全身の傷から血が出ているせいで、頭から足先まで雨に濡れたような感触に包まれている。

 指先がピリピリとしびれた。


「ヒロ、無事?」


 階下から撃ってくる相手に向かって撃ち返しながら、希美は言った。


「そっちこそ」


 希美も弾を浴びている。

 白いワンピースがところどころ赤く染まっていることでそれはよくわかった。


「こんなことならワンピースなんか着てくるんじゃなかったわ」


 動きやすくするために、すそをやぶきながら冗談めかして希美は笑った。

 しかし、その顔には疲労の色がにじんでいる。


「代われ」


 希美を奥へやり、今度は俺が階下とのにらみあいをする。

 不用意に頭を出さないために携帯電話のカメラ機能を起動させ、その上部分だけを壁から出す。


 液晶画面を覗きこむ前に、銃弾が携帯電話を粉々に砕いた。

 どうせ使えないものだったが、それだけでこちらが劣勢なのがわかる。

 ストラップのついた下半分の携帯電話をポケットにしまう。


「ダメね。ナユタに通じない」


 自分の携帯を耳に当てた希美が険しい顔で言った。


「なんらかの電波妨害がはたらいているのかもしれないわ」

「ああ、かもな。それならここに誘い込まれたのもわかる」


 あのメールの差出人は、俺たちの知っているナユタではなかった。

 そうではなくこちらの――つまり並行世界の〝那由他〟だったとすれば、納得がいく。


 このあたりに介入してきた半在者に対して、偽の対象をデータとして送信する。

 受け持ちは必ず一人以上なのだから、違和感を覚えたとしてもここへ来るだろう。


 そうしたところを、複数人で確実に仕留める。

 俺たちの知るナユタと連絡がつかない以上、元の世界へ緊急避難することもできない。


「だけど、生き残れば元の世界には戻れるよな」


 携帯電話は通じない。

 ナユタの声が聞こえない。

 それでも、世界が衝突すれば元の世界に戻ることはできるはずだ。


 生きていれば。

 そして、俺たちの世界が残っていれば。


 希美は黙ってうなずいた。


 状況はとてもかんばしくない。

 相手はこちらより大人数だ。

 最低でも外に三人はいた。

 俺たちを誘い込んだ人間を加えて四人。


 今はなんとか均衡を保っているが、これは向こうが慎重に来ているだけだ。

 こちらの弾切れを誘っているのかもしれない。

 どちらにしても、いつまでもこうしてはいられない。


 別の階段から二階へ上がってくるやつがいるかもしれないのだ。

 それに対する警戒は怠っていないが、今からずっとこのまま衝突まで戦線を維持することはできない。


 打開策を考えなくてはいけない。

 最低でもこの弾が尽きる前に。


 荒い呼吸が二つ。

 一つは俺で、もう一つは希美のものだ。

 緊張状態に置かれているせいで、自然と呼吸が乱れる。


 銃弾が壁に穴をうがつ。

 相手がのぼってきそうな気配を感じたときに、一発だけ撃つ。

 弾の節約にはなるが、裏を返せば予備の弾がないということを相手に伝えることにもなっていた。


「聞いて、ヒロ」

「なんだ?」

「一つ、案があるの」


 希美はそれから早口で、計画の概要を説明した。


 二人は役割分担をする。

 一人が囮となり、もう一人が敵を強襲する。

 とても基本的で、逆に言えば劇的な打開策にはほど遠い案だった。


 でも、現実問題としてそれしかない。

 俺たちにヒーローはいない。

 こんなところに誰かが颯爽と現れて敵を一掃してくれるわけもない。

 突然、なにもかもうまくいくようなアイデアだって落ちてこない。


 このままだ。

 今この手にあるだけのものでなんとか生きて、殺さなくてならない。

 自分がどちらをやるべきなのかなんて考えるまでもなく決まっている。


「じゃあ俺が囮だ。階段を駆け下りながら、撃つ」

「いいえ、囮は私がやるわ。あなたのケガじゃ、素早い動きは無理よ」

「そんなことあるか」

「あるわよ」


 俺たちは互いに譲り合わなかった。

 わかっているのだ。

 どちらのほうが生存率が低いかを。


 そして俺はその役割を希美にさせるわけにはいかないと思っている。

 希美も似たようなことを考えているのかもしれない。


 階段をあがってくる足音が聞こえて、俺たちは同時に壁から身を乗り出して撃った。

 相手が一度引く。


「時間がないんだ」

「わかってるわ、そんなの」

「だったら……!」

「じゃんけん、しましょう」


 希美は拳を作って見せた。

 それは俺たちが子どもの頃からやってきた、暗黙の了解。

 時間がないときに、二人の意見が別れたら、じゃんけんで決める。


「それで勝った方の意見に従う。それでいいでしょ」

「……わかった」


 バカげた提案だった。

 けど、それがもっとも公平だった。

 少なくとも俺と希美にとっては。


「じゃんけん……」

「ぽん」


 命のかかった場で、お遊びのような掛け声を出す。


 俺がグーを出して。

 希美はパーを出した。


 たったこれだけだ。


 これだけのやりとりで、命が失われるかもしれないような役割を決める。

 不条理だ。


「弾、あるわね」


 希美がカーディガンを脱いで、俺に押し付ける。


「希美、やっぱり俺が……」

「じゃんけんで勝ったのは私。すぐに行くわよ、準備して」

「……わかった」


 俺も上着を脱ぐ。

 そうして希美のカーディガンのそでと上着のそでを結んでつなげた。

 長くなったそれらをロープの代わりとして窓枠にくくりつける。


「行くわよ」

「……ああ」


 希美が階段を駆け下りながら、引き金を引く。

 俺はそれと同時に窓の外へ身をおどらせた。

 上着のそでを片手で持ったままだが、下の階までの長さには足りない。


 もういい。

 手を放す。

 勢いをそのままに一階の窓へと突っ込む。

 窓枠に残ったガラスがももを切り裂いたが、そのまま廊下に飛び込む。


 絶対に失敗できない。

 狂いそうなほどの緊迫感と内からこみ上げる焦燥感をねじふせ、冷静にすばやく銃を構える。


 全体を把握するよりも先に、もっとも近かった男に狙いをつけて、撃った。

 胸を弾丸がつらぬく。


 その末路を悠長に眺めることはしない。

 続くもう一人が向けた銃を左腕で振り払う。

 銃口から出た弾が手のひらをいくらか削りとったが、そのときには相手の胸に密着させた銃を撃っていた。


 視線をあげる。

 あと二人。


 階段のところに二人、倒れていた。

 一人は知らない女だ。

 もう一人は、希美だった。


 真っ白なワンピースが赤に染まって、階段の下にその身を投げ出している。


 階段の上に男が一人。

 俺たちをここに誘い込んできたやつだ。

 銃を持っている。

 憎悪のこもった目で俺を見る。


「てめぇええええええええ!」


 絶叫と共に相手が引き金を引く。

 俺の口からも獣じみたわめき声がもれる。


 引き金を引く。

 相手の弾が外れて、足元に突き刺さる。

 腕が震えたせいか、俺の弾は相手の肩に刺さった。


 まだ生きている。


 次の瞬間、俺は走り出していた。

 吹き出す血液も、ちぎれそうなほど痛む足も、なにもかも気にならない。


 階段をかけのぼり、よろめく敵にとびかかった。

 銃を鈍器に変えて、相手の顔面を殴りつける。

 生ぬるく、やわらかい感触がつぶれる。


 顔から血を流す男。


 まだ生きている。


 もう一度殴った。

 倒れたが、まだ生きている。

 何度も殴った。


 堅い銃身を振りかぶって、叩きつける。

 相手の抵抗がなくなるまで、俺はずっとそうしていた。


 顔がつぶれて、もはやどんな顔をしていたのかわからなくなったあたりで、ようやく俺の手が止まった。

 全身から流れ続けた血のせいか、感覚が希薄になっている。

 感触がわからなくて、手から銃をとりこぼした。


 死んだ。

 相手は全員、死んだ。


 俺はすぐに希美のもとにかけよる。

 倒れたままの彼女はまだあたたかい。

 よかった。

 まだ生きている。


「希美!」


 抱き起こして、声をかけた。

 すると希美はかすかに目をひらいて、優しくほほえんだ。


「大丈夫だ、大丈夫……! すぐに衝突が起こる。そしたら、なにもかも元通りだ。お前のケガだって」


 すぐに治る。

 銃撃戦なんてなかったことになる。


 大丈夫だ。

 希美が死ぬわけない。

 そんなこと、あるわけがない。

 あるわけがないんだ。


 希美の口元がかすかに言葉を形どった。

 弱々しくのばされた手が頬にふれる。


 今にも力が抜けそうなその手を俺はしっかり握りしめる。

 希美の体温を色濃く残す血がほおをあたためた。


「なにか言いたいのか?」


 小さな声を聞き逃さないように、希美の口元に顔をよせる。

 その瞬間、希美のもう一方の手が俺の頬をはさみこむようにおさえた。


 最後の力をふりしぼるように希美は上半身をわずかに起こす。


 そして、その唇を俺の唇に重ねた。


 力が抜けたように、俺の顔にそえられていた手が落ちる。

 驚いて目を見開く俺に、希美は笑いながら本当に小さな声で「ごめんね」と言った。


 その瞬間、支えていた腕に急に重さが増す。

 それでもなお軽い希美の体からはとめどなく血が流れていく。


「希美」


 名前を呼んだ。

 でも、目を閉じたまま動かない。


「なぁ、おい」


 血が止まらない。

 彼女の体から熱が流れていく。

 足下に真っ赤な彼女の体温が流れ続けている。


「返事してくれよ、希美。でないと俺……どうしたらいいかわからねぇよ」


 動かない。

 だんだん冷たくなる。

 肌の色がどんどん青白くなっていく。

 甘くいとおしい彼女のにおいが、すべて蒸せかえるような血のにおいにかき消されていく。


「希美、希美……」


 繰り返し名前を呼んだ。

 俺は何度も、何度も、希美の体をかかえたまま名前を呼んだ。


 そうしていれば、いつか希美が目を開けてくれるような気がして。

 世界が衝突すればすべて元通りになるような気がして。

 ずっと、そう繰り返した。


 やがて、世界が衝突する。


 その瞬間に、消えてしまった。

 敵の亡骸も、くだけた窓ガラスも、消えた。

 彼女の重みも、感触も、においも消えてしまった。


 吉野希美の存在さえも、消えてしまった。


 電子音が聞こえる。

 俺の携帯電話は、銃弾にくだかれることなく元に戻ったのだろう。


 きっと銃弾も、血にまみれた銃身も、元に戻った。

 流れた俺の血も、えぐれた皮膚も、元に戻った。


 けど、すべて元には戻らなかった。

 誰もいない、なにもない場所に俺はいた。



 この世界から吉野希美はいなくなった。



 それが二つの世界が衝突して、出された結論なのだろう。

 死人は死人だ。


 頭の片隅に、十年前の事故で生き残ったのは自分一人だという記憶が生まれる。

 それと矛盾する、おそろいのストラップをつけて微笑む高校生の希美の姿が思い浮かぶ。


 なにもわからない。

 口の中に残る血の味がかみしめた唇が出血したせいなのか、それともキスが残した余韻なのか。

 それすらわからない。


 教えて欲しくて、俺はもう一度彼女の名前を口の中でつぶやく。


 涙はまったく流れてこなかった。

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