第14話 必要なのは思い切り


 喫茶店の地下、そのすみで俺は精神統一をしていた。

 両手で頭を抱えて壁にひたいをくっつける。

 ひんやりとした感触が頭と、トゲが刺さって熱を帯びた傷口を冷やしてくれるはずだった。


「また吉野さんとケンカしたんですか?」


 壁よりも冷たい声で、背後からナユタが声をかけてきた。


「よくあきませんね」

「違う。ケンカなんかしてない」

「いいえ。木戸さんがそんな風になるのは吉野さんが原因です。データを出せば九割近くがそうでしょう。なんでしたら今ここで算出して見せましょうか?」

「うるさい。そんなデータはいらん」


 図星なだけに腹立たしい。

 でも、今回は本当にケンカしたわけじゃない。

 原因なんかどこにもない。

 ……強いて言えば俺にある。


「それにしても、お二人は本当によくケンカなさいますね」


 だから、今日はケンカではない。

 けど、俺は黙っていた。

 訂正するのも面倒だ。


「ケンカするほど仲がいいというやつなのでしょうか」

「知るかよ」

「知りませんか? これはですね、ケンカをできるということは――」

「言葉の意味なら知ってるよ。なんか気に入らないだけだ」

「吉野さんと仲がいいと思われるのがイヤなんですか?」

「そんなことは……ないけれど」


 ないけれど。

 それだけだっていうのは、なんだか嫌だ。

 くそ、そんな風に思わないようこれまで努力してきたのに。


 芳月先輩のせいだ。

 急に俺を脅すようなことを言うから。


 杉山のせいだ。

 あいつが俺に不用意な発言をするから。


 そして、それ以上に俺のせいでもあるからどうしようもない。


「それで、今回のケンカの原因はなんですか?」

「だから、今日は本当にケンカしてない。ただ……その、なんだ、俺が妙にあいつを意識してしまうんだよ」

「どうしてですか?」

「お前……そこまで言わせるのか」


 今の告白だってそこそこがんばったのに。

 これ以上あからさまなことはたとえ本人が相手じゃなくとも口にはできない。


「いえ、本当にわかりません。お二人は幼なじみなんでしょう。それならお互いの存在を今さら過剰に意識することなんてことは考えにくいです」

「仕方ないだろ、意識しちゃうものは。俺だって、好きでこんなわけのわからない苦しみ方してるわけじゃねぇよ」


 そうだ、今さらそんなこと気にする道理なんかない。

 けど、気になるんだから仕方ない。


 目に入るんだ。

 希美の姿が、そのすべてが。

 ただの視覚情報として認識されない。


「難しいですね、人は」


 しみじみとつぶやいたナユタは、俺の目にはふつうの女の子に見える。

 けれどその姿は、実際にはホログラムでしかない。

 ナユタ自身はコンピュータだ。


 しかし、ナユタはどこか悲しそうに見えた。

 理解ができないことを悲しんでいるように見えた。

 俺が無意識に放った言葉のトゲが、彼女に突き刺さった。

 そう思うとなんだか申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


「なんてことはないさ。これは発作みたいなもんで、すぐに収まる。そういうもんだ」

「そうなんですか?」

「ああ。そんなもんだ」


 これまで何年とそうしてきた。

 初めて自覚したのは小学生の頃なのだから、この感情との付き合いも長いものだ。

 にもかかわらず、未だに舵が取れないのは不思議で仕方ない。


「そうだ、木戸さん。あとで連絡しようと思ってたのですが、今のうちに言っておきますね。明日の夕方頃、並行世界と衝突予定です」

「え~……またかよ。昨日の今日じゃねぇか」

「並行世界は無限に存在するのです。連戦もありますし、一ヶ月音沙汰なしということもありえます」

「そうか。わかった。じゃあな、また来る」

「はい。さようなら。お気をつけて」


 つとめて平静をよそおいながら、俺はその場を離れることにした。

 ナユタまで滅入らせるわけにはいかない。


 けど、問題はなにも解決してはいなかった。

 明日、希美にどんな顔をしてあえばいいかがわからない。

 しばらくで元に戻るだろうけど、そのしばらくを乗り切る方法が知りたかった。


 そして、そんな方法が簡単に見つかれば、苦労はなかった。


「どーすっかなぁー……」


 いつもはバイトをしている喫茶店に、客として居座る。

 今日は芳月先輩も希美もバイトをしていない日で、寡黙なマスターが一人で営業をしている。

 そして、客も俺一人。


 コーヒーカップを磨くマスターは苦悩する俺をそっとしておいてくれるナイスガイだった。

 俺は半分ほど飲んだクリームソーダを、ストローで突っつき回していた。


 店のベルが鳴る。

 バイトをしているときの情景反射で思わず、入口の方を見てしまう。

 入ってきたのは二人とも知ってる顔だった。


「ほらね、やっぱりここにいた」


 芳月先輩は背後にいる希美にそう言いながら俺を指さした。

 先輩の背中から控えめに希美がこちらをうかがう。

 ダメだ、やっぱり傷がうずく。

 カウンターに勢い良く突っ伏したら、ゴンと頭を打つ音がした。


「木戸くんの行く場所なんてここか、もしくはこの下しかないよねぇ」

「俺に用事ですか?」

「まぁね。働き者の木戸くんに、今日はプレゼントをあげようと思って」


 近づいてくる足音に顔をあげると、先輩は怪しげな笑みを浮かべていた。

 化け猫の笑顔ってこんな感じかもしれない。

 手招きされるが、あまりにもきなくさく、応じる気にはとてもなれない。

 よし、無視しよう。


 だが、すぐに先輩のほうから近づいてきて、背後から腕をつかって俺の首をしめた。

 本当にしめているわけではなので苦しくないが、ちょっと怒らせたのかもしれない。


「先輩が手招きしたら素直にこっちに来なさい」


 耳元でささやかれる。

 首をしめられている関係上、とても距離が近い。

 なのに、希美に感じるような気恥ずかしさはなかった。


「次からはぜひそうします」

「よろしい。それで本題」


 腕をくびにからめたまま、先輩は空いた手で二枚のチケットを取り出して俺に見せた。

 男女の後ろ姿の写真が載っているそれは、どうやら映画のチケットのようだ。


「ここに二枚のチケットがあります」

「それを手品で倍にしてくれるんですか?」

「二枚で十分でしょ。これ、木戸くんにあげる。普段、手伝ってもらってるお礼にね」

「どうも、ありがとうございます」

「二枚ともあげるから」

「はい、ありがとうございます」

「…………」

「…………」


 沈黙。

 首から腕ははずされない。


「それで、木戸くん。あなたはそれをどうしないといけないのかしら」

「あ、ぜひ行きます。映画館の雰囲気が好きなんで」

「そうじゃないでしょ」

「ぐえっ」


 首がしめられる。

 きつくではないが、目が覚めるような衝撃ではあった。


「二枚あるんだよ?」

「二回行けってことですか。いや、でもさすがに同じ映画を二回観るのは……」

「二人で行けるってことだと普通は思わないのかなぁ?」

「あ、なら先輩と一緒に行くんですか?」

「だったら普通、一枚しか渡さないわ。脈なしだね」

「あ~、残念だなぁ」

「あら、不思議。全然そう見えなーい。あと、あんまりふざけてるとお姉さん怒って、今度は木戸くんが失禁するくらいしめちゃうかもしれないなー」

「勘弁してください」


 本当はわかってる。

 俺だってそこまでバカじゃない。

 先輩はこのチケットを使って、希美を誘えと言っているのだ。


「昨日、あたしが忠告してあげたこと覚えてないの?」

「わかってますけど、妙に色々と意識しちゃって……それに、ほら明日は並行世界が衝突するっていうし、ね?」

「ねぇ、木戸くん」

「なんでしょう」

「ヘタレでもいいけど、決めれるところはばしっと決めれるヘタレでいてね?」


 語尾にハートマークでも付きそうな口調で無茶を言う。

 そのまま腕で首を引っ張るようにして無理矢理イスからひきはがされると、背中をどんと突き飛ばされた。


 その先にいたのは希美。

 どこか不安そうな顔で俺を見上げている。


 ダメだ、ただそれだけのことなのにこんなに緊張している。

 しかし、逃げ場はない。

 なにかを言わねば不自然に思われるだろう。


「あ~、その、なんだ」

「うん」


 適当にとぼけて、お茶をにごそうか。

 けど、それは背中に感じる穴があきそうな視線のせいでできそうもない。

 ……いっそ覚悟を決めようか。


「え、映画、行くか。一緒に。あ、明日」


 チケットを俺と希美の間にへだてる。

 これで直接視線を感じずにいられる。


「ええ、行きましょう」


 二枚のチケットのうち、一枚が細くきれいな指先でつままれ引き抜かれる。

 そうして再び見えるようになった希美の表情は、どこか照れくさそうにはにかんでいた。


 俺はよくわからない衝撃で死にそうになった。

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