第三章 じゃんけん
第13話 前から気になってたんだけど
これはまぁ、俺にとって楽しい思い出ではない。
なので、聞いて楽しめるような思い出でもない。
だが、俺と希美について説明するうえで重要なことではある。
俺が半在者として活動できるきっかけは――簡単に言うと九死に一生を得た経験ということだが、それは十年ほど前に起こった。
今は高校生である俺がまだ小学生だったときの話なのだから、大人の十年とは比べものにならないほど昔のことのように思える。
事態はそう珍しいものではない。
交通事故は年間に何万件と発生していて、俺たちが遭遇したのもその一つだ。
台風が近づいていたその日は、雨が濃霧のように強く降っていた。
そのせいで視界も悪く、道もすべった。
だから、死んだバスの運転手が全面的に悪いというわけじゃない。
車や路面の整備状況が悪かったわけでもない。
ただの不幸な事故だった。
事故があった瞬間、俺と希美は集団下校の列からほんの少しだけ離れていた。
そのほんの少しの距離によって俺とあいつは生きながらえた。
そのほんの少しの違いによって俺たち以外の生徒は引率の先生も含めてみんな死んだ。
これが九死に一生を得た経験。
たいていの並行世界で、俺と希美が死んでいる理由だ。
***
セットで存在するものにロクなものはない、というのが俺の持論だ。
良いものに付随してくるのは大抵悪いものだ。
抱き合わせ販売とかもそうだけど、もっと身近なものでも往々にして存在する。
学校生活に則したものでいえば、夏休みの前には期末試験が待っている。
そして夏休みの宿題というものもある。
高校生になると、中学校みたいな量ではないにしても課題はあったりする。
記憶に関しても同じことが言えるだろう。
良い思い出を回想すると、大抵叫びたくなるような恥ずかしい過去を思い出してしまうものである。
けれどまぁ、良いものに悪いものがくっついてくるのはまだマシなほうだ。
最悪なのは、悪い出来事と一緒にもう一つ悪い出来事がやってくること。
たとえば、並行世界の衝突の後に、修正作業が待っていることだ。
「ほら、がんばれ男の子!」
芳月先輩の力が抜けるような受けながら、俺は学校の机を持ち上げる。
最初の方は楽々とこなしていた作業だが、繰り返し階段をのぼりおりさせられるとかなりつらい。
一階の用務員室から机を四階の教室に運ぶ。
それが時には別の設備になることはあっても基本的には同じことだ。
この作業を俺はもう二時間近くやっている。
机を抱えたままよたよた歩くと、下駄箱のシールを貼り替えている希美の姿が目に入った。
あちらもまた地味な作業だ。
よく黙々とこなしているものだ。
「ほら、希美ちゃんに見とれてないで、急ぐ急ぐ! 夜明け前までにあと三つの学校を回らないといけないんだから!」
「はい、はい……!」
椅子だけを持った先輩が後ろから俺を急かした。
机を二つ、逆さまに重ねて担いでいる俺とは作業量が違いすぎる。
俺は階段をぜいぜい言ってあがりつつ、ここにはいない杉山の無事を祈った。
あいつは今、グラウンドのほうでロッカーの数の調整をしているはずだ。
あちらもあちらで重労働である。
時刻は深夜。
普段なら俺は夢の中で空中遊泳でもしている時間を、幽霊が出そうな学校で過ごしている。
それも過剰な肉体労働と共に。
遡ること数時間前、並行世界の衝突があった。
死にそうな経験を一つ増やした俺は、たとえそれがなかったことになったとはいえぐっすり眠りたかった。
希美や杉山だってそうに違いない。
しかし、そうはさせてくれないのが並行世界の始末におえないところである。
衝突の後には、必ず修正作業がある。
どれだけ変化を防ごうとしても、衝突後の影響はゼロにはならない。
そして現在おこなっているのは芳月先輩が主導していることからもわかるとおり修正作業だ。
並行世界の影響でおかしくなるのはなにも人の記憶だけではないということである。
人間の数が変わるのだ。
その経歴が変わることもある。
そうすると当然、あらゆるデータとの差が生まれてしまう。
学校でもクラスの座席数が違ったり、部活動の所属人数が違ったり、そもそも部屋の位置が違ったり、ということが起こる。
人間に影響が現れる場合よりも、施設に現れた場合のほうが修正に手間がかかる。
で、俺たちは目下その後始末に追われているわけだ。
同じ学校にいてもそれぞれの作業内容は異なる。
具体的には俺はクラスの座席数や構成人員の変化をごまかすために机を運ばされている。希美は下駄箱の名札と上履きの位置を修正しており、杉山は各部室の設備の帳尻合わせに奔走している。
中心となる芳月先輩は学校に関連する書類の差し替えを終えた上で、もっとも作業が遅れていた俺の手伝いをしているという状況だ。
ちなみに、今四校目である。
そろそろ新聞配達のアルバイトをしている同級生が目を覚ますような時間だ。
「よ、芳月先輩……」
「ん? どしたの?」
「修正専門の人たちって、芳月先輩の他にもいるんですよね……!」
「うん。知り合いに結構いるよ」
「じゃあなんで俺たちまでこんな……」
わざわざ言いたくはないが、俺たちは衝突のさいに一度働いているのである。
それが終わって「やれやれ帰って寝るかー」となったところでもう一度呼び出されては正直ぼやきたくもなるというものだ。
「そういう人たちは、根本的な建物の建て替えとかしてるの。もちろん一晩でどうこうすることは無理だからごまかす方向だけどね。木戸くん、あっちのほうがはるかに大変なんだよ? 大工さんと引越屋さんと詐欺師を同時にやるようなものだからね」
「これは序の口ってことですか」
「そのとーり!」
「はぁ……」
これ以上口を開いても墓穴を掘る以外の結果は見込めそうにない。
俺は従順に作業を続け、教室の机の数を整える。
「うん、これで全部だね」
「はぁ……疲れた……」
「ちょっと休憩しようか?」
「ぜひお願いします」
まだまだ作業があるだから、体力の回復は急務だ。
どうせ次も俺と杉山は肉体労働なのだから、休憩は正直ありがたい。
「いいよ、じゃあお話ししよう。ねぇ、木戸くん。前々から気になってたんだけどさ」
「なんですか?」
「いつになったら希美ちゃんに告白するの?」
「ぐはぁッ!」
思いもしない不意打ち。
つばが気管に入り、俺は咳き込んだ。
「お、俺は、別に、なんか、そういう、アレじゃ……」
「あ~、ダイジョブ、ダイジョブ。もうその反応だけでよくわかったから」
「いや、その、だから、勘違いしないでくださいよ……俺は、ほら、えっと……」
「じゃあなに、希美ちゃんのこと好きじゃないの?」
芳月先輩の言葉は直球だった。
希美のことが好きかどうか。
好きか嫌いかでいえば、当然好きだ。
だいたいそのような問いかけであれば知り合いの多くが「好き」のほうに分類されるだろう。
そうじゃない。
そうではないことはわかってる。
「俺は、希美のことが大切だっていう……ただ、それだけのことです」
「好きってことだよね?」
「そうじゃなくて……」
「隠すようなことじゃないと思うよ? あたしも別に茶化したいだけってわけでもないし」
だけじゃないってことは、茶化してはいるのかよ。
「あたしから見たら、希美ちゃんも木戸くんのことを大切にしてると思うよ。だからこそ、見ててじれったいんだけど」
もしかしたら、そうなのかもしれない。
先輩の言うように、希美も俺のことを同じように大切だと思ってくれているかもしれない。
けど、それは違うんだ。
「それはきっと事故のせいであって、一種の勘違いなんですよ。吊り橋効果とかなんかそういうあれで……」
小学生のときに、同じ事故を体験して、俺たちは同じように生き残った。
俺たちを結んでいるのは元をたどればそこに落ち着く。
あれがなければ、ふつうの幼なじみとして中学あたりで疎遠になっていたかもしれない。
つまり、今のような近い距離を保てているのはあの事故を共有している感覚が大きいに違いない。
だとしたら、そこに付け入るようなことをするのはずるいだろう。
そこにある偽りの好意を利用するのは、卑怯だ。
「勘違いじゃいけないの?」
「そりゃ良くないでしょう」
「まぁ、木戸くんの気持ちもわからないわけじゃないけどさー」
でもね、と芳月先輩は続けた。
「今日みたいな関係が、明日も明後日も続いていくとは限らないでしょう? 昨日の存在だって不安定な世界なんだからさ」
並行世界。
たしかなことはなにもない、危うげな世界。
「そのことだけは、忘れないようにしたほうがいいよ」
「……わかってますよ、そんなこと」
そう答えはしたが、本当にわかっているのかどうかは自分でもわからなかった。
結局その日の修正作業は明け方まで続けられた。
それでも学校はある。
誰がどんな風に過ごそうと、時間は勝手に流れていく。
授業は受けられるときに受けておかねばならない。
寝不足の身体を引きずるように俺たちは先生の話を聞いていたが、俺の頭を占めていたのは芳月先輩の言葉と希美のことだった。
今日みたいな関係が、明日も続くわけじゃない。
昨日さえ不安定な世界なのだから。
「う~ん……」
「どうした、木戸?」
「いや、大した話じゃないんだ。昨日ほら、寝るのが遅かったからさ」
「そうだな、眠いよな」
その日の昼休み。
俺は杉山と一緒に昼食をとっていた。
やや上の空だったが、ここまでは特に問題なく進んでいた。
次に杉山が口を開くまでは。
「あ、そういえばさ、木戸」
「なんだ?」
「木戸って吉野と付き合ってんの?」
そのときの杉山は天気の話でもするかのような口調だった。
完全に油断していた。
芳月先輩はともかく、杉山からそんな話題が出るとはまるで予想していなかった。
「はぁ? いやいや、いやいやいや。なんだよ、突然」
「いや、なんとなく思いついてさ。で、実際のところどうなんだ、付き合ってんの?」
嫌な汗が吹き出してきた。
いつもならなんてことのない話題だ。
中学生の頃から幼なじみというだけでそういう扱いは何度も受けた。
いなすのだって慣れてる。
動揺することなく「ただの幼なじみだよ」なんて台詞は何回も繰り返してきた。
寝言でも言えるくらいに。
だが、今はタイミングが悪い。
昨日、厳密には本日未明に芳月先輩と交わした言葉が未だにトゲのように俺の胸に食い込んでいた。
そこにこれだ。
この愛すべき単純な友人は悪気なく、そして容赦なく、そのトゲを押しこむようなマネをしてくる。
「み、見ればわかるだろ」
苦し紛れに出たのはそんな言葉だった。
「見てわからないから訊いてるんだよ」
「見てわからないなら聞いてもわからん。そういうものだ」
「なんだそれ?」
「とにかく、もういいだろ。俺は便所だ!」
空になった弁当箱を片付けて、教室を飛び出す。
落ち着け。
とりあえず頭を冷やそう、物理的に。
トイレにでも行って顔を洗えば、少しは冷静さを取り戻せるはずだ。
「あ、ヒロ」
その声を受けて、刺さったトゲがまた食い込みはじめる。
廊下を歩く俺に希美が声をかけてきたのだ。
言ってしまえばそれだけだ。
普段ならなんということのない、普通のこと。
平気な顔で「なんだ?」と返してそれで済むような場面である。
しかし、今はトゲがあった。
うっかりすると、それによって空いた穴から長年隠してきた本音がこぼれてしまいそうになる。
そこにもっとも与えてはならない刺激が吉野希美である。
今、この状況で俺は希美と目を合わせることができなかった。
なぜなら、赤面してしまうから。
「ななな、なんだ?」
「……どうしたの? 少し変よ。具合でも悪いの?」
顔をのぞきこもうとするな。
ああ、近い。
身長差のせいで自然と希美が上目遣いに見える。
この角度はやばい。
距離も近い。
希美の長い髪にふれたらどうなるだろう、とか考えてしまう。
目が、まつげの一本一本まで見える。
普段なら、普段であればそんなところを注視しないのに。
「なにも、変じゃ、ない!」
つっかえながらもなんとか言って、数歩後ろに下がる。
両手で自分の視界と熱くなる顔をさえぎった。
「変じゃないから。変じゃないからな!」
そんな情けない言葉を残して俺は逃亡した。
ダメだ、まともに顔が見れない。
意識しないようにしていたのに、封印していたものが少しあふれただけでこのザマだ。
俺の中にあるトゲの刺さったなにか。
これはきっと、希美への諸々な感情の詰め合わせで出来ている。
……有り体に言えば、好意というやつなのだろう。
それも、友人や家族に向けるものではないほうのものだ。
「あれ、便所にしても早いおかえりだな」
「杉山……お前、とんでもないことをしてくれたな」
「え、なんだ? オレなんかしたか?」
悪気がないというのがなおさら悪い。
俺は自分の席に倒れこむように、腰を下ろした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます