第12話 混ざって消える
護衛対象だった子どもは、もう助からないだろう。
銃弾をくらったのは小さな体の中心部分だ。
血だって止まっていなかった。
仇討ちというわけじゃない。
そんなことをしても今さらどうしようもないことだ。
死んでしまえば、生まれなかったことになる。
ああして涙していた母親だって我が子のことを忘れてしまう。
仇討ちに意味なんかない。
ただ、こちらに来ているということは向こうも半在者だ。
それだけで、俺が相手を討たなくちゃいけない理由になる。
取り出した銃の安全装置を外し、ロクに狙いをつけずに襲撃者の背中を目がけて発砲した。
銃弾は狙いをはずれて電柱に刺さり、相手はなおも逃走する。
俺はその姿を追いかけた。
襲撃者が逃げ込んだのは、テナント募集の張り紙がされたビルの中。
鍵を銃で撃ち抜き、中へと逃げこんでいく。
あんな閉鎖された場所へ逃げ込むということは、つまり向こうも俺との決着をつけるつもりなのだろう。
鍵を壊している様子から中に仲間がいるとも考えにくい。
増援を呼ばれるとまた話も変わってくるが俺一人に人員を割けるような余裕があれば、もっとマシな方法で杉山さえも殺せていただろう。
色々と理屈を並べたが簡単に言うと、俺はここで引くつもりは毛頭なかった。
こわされた扉を通り抜ける。
が、すぐに階段から発砲された。
それを壁に隠れてやりすごす。
向こうの狙いも甘い。
威嚇射撃だとしても。
『電話ですよー、電話ですよー』
俺の携帯電話がナユタの声で鳴く。
誰からであろうとそれに出ている余裕はない。
電源を落としてから、ポケットに突っ込んだ。
油断はできない。
一対一だが、俺はそれほどこういう正面からの戦闘が得意じゃなかった。
定期的にナユタがすすめてくる射撃訓練もサボりがちだ。
汗が流れる。
運動した熱によるものではない、冷たい汗が背中を濡らす。
荒くなった呼吸をできるだけ殺して、壁から顔を出した。
ビルはパッと見ただけだが、およそ三階建て。
最上階まで追い詰めれば、地の利はなくなる。
フロアに遮蔽物は柱しかない。
あとは階段はギリギリそのカテゴリだろうか。
なんにしても、俺がまともに銃撃戦なんかできるわけがない。
慎重に、相手を狙おう。
耳をすませ、感覚を研ぎ澄ませる。
全身をアンテナとして、ほんの些細な情報すら取り逃さないように注意する。
かすかに階段をあがる足音が聞こえた。
恐る恐る扉から中をのぞく。
注意深く観察してみるが、人の気配はない。
上へ移動したのだろう。
身を乗り出しかけた刹那、言葉にできない悪寒が全身を駆け巡る。
その本能的な情動に身を任せて、すぐに首を引っ込めた。
激しい銃声が聞こえたのは、ほぼそれと同時。
いくらかの弾丸が壁に穴をあける。
そのうち一発が俺の前髪をかすめて、何本かの毛が目の前を舞った。
血の気が引く。
危なかった。
心臓が暴れまくる。
今の一瞬で呼吸も乱れた。
あわてちゃいけない、あせってもいけない。
今は相手のほうが有利だが、弾だって無限にあるわけじゃないだろう。
ゆっくりと深呼吸を繰り返す。
こちらも手だけ壁から出して引き金をひく。
照準もなにもあったもんじゃないが、二発の銃弾がコンクリートのどこかに突き刺さったのは間違いない。
今度ははっきりと階段をのぼる荒っぽい足音が聞こえた。
素早く身を乗り出し、柱に身を隠しながら階段に駆け寄る。
すると、階上から発砲。
再び退き、柱の影へ。
段差に弾痕がいくらかできた。
予想通りだ。
相手はそれほど慣れていない。
銃の扱いだって俺と大差ない。
つまり、お世辞にもうまいとは言えないということだ。
勝機は十分にあった。
今度こそ二階へ。
階段から柱の影に転がり込むと、そのすぐ後ろを銃弾がかすめとんだ。
こちらもすかさず一発。
人影が柱に隠れるのが見えた。
二階で勝負をつけるつもりなのかもしれない。
震える手を押さえて柱に向けて威嚇射撃をする。
乾いた音が引き金に合わせてなにもない空間に二回分響く。
銃を扱う基本として、装弾数は頭に入れておくこと。
これは訓練をサボりがちな俺に、ナユタが繰り返し繰り返し教えてくれたことだ。
「最低限、あと何発撃てるのかは把握しておいてください。木戸さんが直接戦闘をする機会はまだないでしょうから、今はそれでいいです」
脳裏によみがえるナユタの言葉にしたがって、俺は今まで撃った弾数を思い出す。
ここまでの道中で一発の威嚇射撃、ビルに入ったときに三発を撃った。
それから今までに五発。
この銃には総計十二発入るから、残り三発だ。
そこまで確認して、俺が柱から身をおどらせる。
すると、同時に相手がこちらに猛然と突進してくるのが見えた。
正気か、それは。
俺はまだ銃を持っているのに。
動揺して照準をつけそこねる。
あらぬ方向に弾がとんでいった。
くそったれ。
すぐに狙いをつけなおそうとする。
だが、そのときすでに相手は目前まで迫っていた。
身構える暇もない。
腕を蹴り上げられる。
どこに放たれるかわからないままに銃が声をあげて弾をはなつ。
手から蹴り飛ばされた銃が宙を舞った。
手首の痛みに耐え、必死で相手の動きから目を離さないようにする。
光が目をわずかにさす。
窓から差し込む街灯の光が相手の手元で不自然に反射している。
危ない――!
とっさに身をひねる。
しかし避けきれず、脇腹を制服ごと薄く切り裂かれた。
ナイフだ。
相手の手に銃はもうない。
弾が切れたのか。
こちらはもっと状況が悪い。
ナイフすら持っていない。
銃を落とした以上、今の俺は丸腰だ。
迫るナイフ。
どうにかしてかわし、攻勢に転じようとするができない。
致命傷を受けないようにするので精一杯だ。
浅い傷が腕や肩にたくさん刻まれる。
身体をつたうのが汗なのか、それとも裂けた皮膚から流れる血なのかわからない。
だが、どうやら相手もその獲物は使い慣れていないようだ。
乱雑に振り回すばかりの軌道に、隙が生まれる。
俺はその腕を横からつかみ、すばやく肘を落とす。
ナイフが手からはがれ、地面に落ちた。
あれを手にすれば、形勢は逆転する。
俺がそれを拾おうとかがむと、相手をナイフの柄を蹴り飛ばした。
それは故意か偶然か銃と同じ方向へすべっていく。
一度、相手と視線をからみあった。
このまま素手での戦いに持ち込むか。
それとも、武器を手にするために動くか。
一瞬の逡巡。
しかし、俺と相手はほぼ同時に武器のもとへと飛んだ。
だが、ほんのわずかに相手のほうが早い。
一発だけ残っているはずの銃。
そいつを拾った相手は、俺に馬乗りになって銃口を額に押し付けた。
「許してくれとは言わない」
襲撃者がつぶやく。
まだ年若い男の声だった。
あの銃にはまだ一発入っている。
この距離なら確実に銃弾は俺の頭をつらぬくだろう。
だが、相手がまだ油断しているなら、せめて相打ちにできるかもしれない。
俺の手が落ちていたもう一つの武器、ナイフに届く。
それと同時に、男が引き金を引いた。
――だが、弾は出ない。
引き金を引いた相手はおろか、俺すらも驚く。
三発の残弾を確認してから、まだ二発しか撃っていないのになぜだ。
「あ……」
そうか、俺は一発、数え間違えていた。
俺は並行世界で目標を仕留めるために一発使っていた。
相手も弾のない銃を自信満々に構えていた俺を見て、そこに弾がまだ残っていると判断したのだろう。
バカみたいな話だ。
だが、命拾いした。
手にしたナイフを握り締める。
許してくれとは言わない、か。
「俺もだ」
驚愕に見開かれた男の胸に向かって俺はナイフを突き立てた。
生ぬるい感触がして、刃が肉に沈み込む。
男の顔は見ない。
見れない。
額に押しつけられていた拳銃が、相手の手からこぼれ落ちる。
顔の横に落ちたそれが軽い音を立てた。
ナイフを引き抜く。
真っ赤な血がシャワーのように降り注いで俺とコンクリートをぬらした。
力の抜けた男の体が上からのしかかってくる。
「く、そっ……」
俺はその下からなんとか這い出す。
もう戦う気はない。
そんな気力も体力もない。
だが、他の半在者に撃たれても困る。
這いずるように、窓からの死角に入り込んだ。
持ったままだったナイフを手放して、目をつむる。
乱れた呼吸をととのえるのも、刺し殺した罪悪感を沈めるのも、必要なのは時間だった。
どれくらいそうしていただろうか。
それほど長い間ではなかったと思う。
やがて二つの世界が衝突した。
その感覚は地震に似ているかもしれない。
だが、たとえば床においたコップの水が揺れることはない。
あくまでそのように感じるのは俺だけなのだ。
あるいは生き残った半在者だけ、と言い換えるべきか。
それでも、目に見える変化がないわけじゃない。
先ほど俺が撃ち殺した死体と血痕が跡形もなく消え去った。
俺の手元にあったナイフも同じだ。
あとは、あそこに落ちている銃だって安全装置がかかったまま、一発も撃っていないことになっている。
俺の体からはナイフによる切り傷がなくなった。
全身を濡らした、相手の血液もすっかりない。
どちらも、最初から存在しなかったのだ。
さっきまで戦っていた襲撃者も、俺がそいつ目がけて銃を撃ったことも。
そんなやつはいないし、そんなことは起きなかった。
衝突したことで、そういう風になった。
勝利したのかどうかは、わからない。
人を殺した罪悪感もなかったことにはならない。
それでも、今はもう襲われることはないとわかっただけで、安心することができた。
いつの間にか電源が元に戻っている携帯電話を取り出す。
そして希美に電話をかけた。
するとすぐにつながった。
まるでナユタにかけたみたいだ。
『ヒロ、無事なの!?』
「ああ。元気にしてるよ。そっちは?」
『大丈夫よ。杉山のケガもなくなったから。子どものほうは……』
「いいよ。言わなくても」
今の衝突で子どもの母親は、子どもがいなかったと認識しているに違いない。
並行世界の記憶が勝ったのだ。
そういう点で、俺たちは負けた。
それでも。
「生きててよかった」
まだ俺は生きている。
希美も杉山も生きている。
身近な人間の記憶が俺の知らないものになっていないかぎり、せめて負けてはいないとは言ってもいいだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます