第9話 並行世界へ


 並行世界の衝突にさいして、俺たちがやるべきことは二つある。


 それは修正作業といった事後処理と、ほかにもう一つ。

 今日ナユタに呼ばれたのはそちらの用件でだ。

 こちらのほうが俺や希美にとっては本業と言ってもいい。


 とはいえ、それは衝突を防ぐようなものではない。

 自然災害の発生はおさえられないのだから。


 では、なにをするのか。


 それは二つの世界における差異を小さくすることだ。

 たとえば、こちらの世界で死んでいる人間がなんらかの理由で向こうの世界では生きているとしよう。

 事故や事件が起きなかった世界と起きた世界。

 それによって生存者や死者数が変わってくるのは当たり前だ。


 その二つの世界が衝突した場合、片方の世界にとっては死んだ人間が突然よみがえるということが起こってしまう。

 一方が死んでいるのだから記憶の混濁はない。

 だがその人にとって、ある日突然自分が死んでいたことになってしまう。

 弊害にかんしては記憶の混濁と同等から、もしくはそれ以上のものになるだろう。


 それを防ぐ方法は、実に単純だ。


 衝突する前にもう一度殺す。


 そうすればどちらの世界でも死んでいることになり、死人が生き返るようなことは起こらない。

 そういう、片方の世界で死んでいる人間のことを〝半在者〟と呼ぶ。

 とんだ当て字だが〝はんざいしゃ〟を殺すといえば、まだ殺すときの罪悪感がやわらぐかもしれない。


 雨の中を再び傘で移動しながら俺は隣の希美に尋ねた。


「希美は前のときも、向こうに乗り込んだんだっけ」

「ええ。あなたが半在者じゃなかったら一人で行ってきたわ」

「それでついでに向こうの俺を撃ったわけだ」

「並行世界の〝木戸博明〟よ。間違えないで」

「はいはい、すいません」


 半在者を殺すことができる人間は、限られている。

 なにせ並行世界に乗り込まなくてはならないのだから。

 並行世界に自分と同一の存在がいれば、それはできない。


 よって、並行世界に介入することができるのはこちらの〝半在者〟だけだ。


 こちらではまだ生きているが、これから衝突する並行世界では死んでいる人間。

 たとえば前回の並行世界で、俺は生きていたが希美は死んでいた。

 だから俺は半在者ではなく、並行世界へ行くことができなかった。

 対して希美は死んでいたから、半在者として向こうに行くことができた。


 もちろん並行世界には様々な可能性があるため、どの世界にとっても半在者という人間は存在しない。

 だが、他の世界で死んでいる確率が高い人間なら存在する。

 いわゆる九死に一生を得たような、臨死体験みたいなものを経験した人間だ。


 九死に一生なら、まさしくそのまま九割の確率で並行世界に存在しない。

 もっとも有力な半在者候補ということになる。

 俺も希美も、そして杉山や芳月先輩も、その条件を満たしているからこうして少々特殊なバイトに打ち込んでいるのだ。


 雨の中を極力早足で歩き、俺たちはバイト先の喫茶店へとたどりつく。

 雨のせいかはわからないが、客の少ない喫茶店ではマスターの他に芳月先輩がバイトをしていた。

 やることがなくて二人とも暇そうだ。


「あらまぁ、仲がいいんだねぇ」


 芳月先輩が目を細めて俺たちを見る。傘のことを言われているのだろう。

 俺がなにも言わずとも、希美がなにか反論するに違いない。

 その近所のおばさんっぽいしゃべりかたはなんなんですか、とか。

 そんなんじゃない、とか。


「いえ、その……少し」


 そう思っていたが、希美が曖昧に笑うだけだったので、俺も似たような反応になってしまう。

 そのせいで、なんか妙な空気になってしまった。


「し、下、行ってきます」

「はいは~い。気をつけてね」


 ニヤニヤと生暖かい視線を向けてくる芳月先輩から逃げるように、俺たちはナユタのいる地下へと降りるエレベーターに乗り込んだ。


「お待ちしておりました」


 エレベーターに乗った瞬間、俺と希美の間にナユタが現れる。


「突入可能域に到達するまで、あと十分です」

「意外と早いな。衝突までは?」

「約三時間後の午後八時前後だと予想されます」

「急がないとな」

「今回は木戸さんと吉野さんの二人で向こうに介入してください。杉山さんにはこちらで防衛についてもらいます」

「わかった」


 並行世界との接触にさいして、俺たちの役割はさらに二つに分けられる。


 すなわち、向こうの世界に乗り込んで半在者を殺すか。

 もしくはこちらの世界で攻めてきた半在者を迎え撃つのか。


 こちらに乗り込んでこれる人間は、当然この世界には存在しない半在者なのだから殺害対象だ。

 それにこちらに残る場合は防衛もしなくてはならない。

 半在者のすべてが、俺たちのように事情を把握しているわけではない。

 そういった人はねらわれやすいし、逆にこちらもねらいやすい。


「目標は二人。詳細なデータは転移後に送信します」

「わかったわ」

「りょーかい」


 未熟な俺たちは基本的にサポートと、小さな帳尻合わせのみ。

 向こうの世界における訓練された半在者と対決するのは、年長の先輩たちがおこなうということになっているらしい。


 顔をあわせたことも言葉をかわしたことがないから、これもナユタに聞いた話だ。

 なにか事情があるようで、他のチームと連携するようなことはなく、会って交流するということもなかった。


 奥の扉から、武器を取り出す。

 それは小さくても、非常に効果的な武器。


 つまり拳銃。


 その存在を疑うべき部分もない、物騒な形をした鉄のかたまりだ。

 これは向こうの世界に乗り込む前に持参しなくてはならない。


 このずしりとした重みは、何度手にしても馴染まない。

 引き金を引いたときの手応えもまた、同じだ。

 異物として、自分の身体の外にある感触。


「準備はよろしいですか」

「なんとかな」

「では、移動してください」


 俺と希美は、来たばかりの店からまた移動する。

 忙しい話だが、これから並行世界へ乗り込む準備をしなくてはならないのだ。


 実際に向こうへ俺たちをとばすのはナユタだが、座標は俺たちが決めなくてはならない。

 つまり、こちらの世界でいたその場所にとばすのだ。


 ただし、座標には誤差が生じることがある。

 その地点に建物ができていることや、同じ高さに地面がなくなっている場合などはナユタが自動で微妙な修正する。


 そのせいで一人一人がばらつかないよう、複数で乗り込む際には工夫をこらす必要がある。


「ほら、手を出して」

「ああ……」


 人通りの少ない路地で、俺は右手を希美に差し出した。

 そこに無骨な手錠がはめられる。

 もう一方は希美自身の左手に。


 これは俺たちがはぐれないための対策なのだが、どうも慣れない。


「あのさ、これってなんとかならないもんかな」

「なんで?」

「お前に連行されている気がして、なんか嫌だ」

「悪いことしたの?」

「しごくまじめに生きているつもりだよ」

「なら、気にしないでいいわ」


 簡単に言ってくれるが、なんか居心地が悪い。

 俺は手錠をされていないほうの手で携帯電話を耳にあてる。

 通話先はナユタだ。


「こっちの準備は終わった。いつでもいいぞ」

『では、カウントダウンします』

「カウントダウンだ、希美」


 隣にならんだ希美がうなずく。

 電話から聞こえる、ナユタの声を俺が繰り返して伝える。

 五から始まったカウントが、ゆっくりとゼロへと近づいていく。


『ゼロ』


 ナユタの声が出発をつげた。

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