第2話 失格勇者2
目覚めた僕はいつものベッドではなく、私室の机の上に突っ伏していた。
「昨日は……ああ、そうか」
ゆっくりと体を起こし、閉じそうになる目をこすって強引に開く。机の上には二、三冊の本と何か書きかけの紙。窓から斜めに差し込む光によって埃っぽい印象を受ける。
昨日はなんとか敵国の勇者たちと交渉し、停戦を結んだのであった。あの後僕は部屋に戻り、これからのことを考えていた。停戦に漕ぎつけたからといって、それで終わりという訳にはいかない。
「停戦……説明か」
きちんと寝なかったからか、声がひどく掠れている。ちょうど机の上にあった水差しの水をコップに注ぎこみ、一気に仰いだ。水は一日前のものだからか温く、少し変な味で、期待していたような爽快感は得られなかった。
「今何時だ?」
呟きつつ壁に掛かった時計を見ると、時刻は午前六時の直前。僕のいつもの起床時刻とほとんど同じであった。僕は昨日死ぬものだと思っていたが、それでもいつも通り起きれるとは少し予想外だった。僕は自分が思っているよりもつまらない人物なのかもしれない。
「ゼクト様、起床のお時間です」
部屋の外からメイドの呼ぶ声が聞こえる。と、言うことは時刻は六時だ。今日はベッドを使っていないからベッドメイキングの必要は無い。水差しの水を取り替えるようにだけ言って、僕は部屋を出た。
*
やはり何も変わらない。どちらかといえば城の裏側にあたるこの廊下には戦闘の跡は無い。年季の入った灰色の壁も、廊下の床を覆う真っ赤な絨毯も、豪華すぎる天井の装飾も、いつもと変りなく目に入る。そこには何の感慨も浮かばない。昨日の出来事に現実感が持てず、それが非常に不安だ。昨日のことは全部夢で、勇者との戦いは今から始まるのではないかと思えてしまう。
そんなことを考えていたせいだろうか。僕は最も避けたい人物に直前まで気づくことができなかった。
「昨日あれだけの戦闘があったにも関わらず、いつも通りご出勤とは。良い身分だな。魔王の側近というのは」
「浮足立っていては復旧の効率が下がりますよ、将軍」
目の前に立っている首のない女性。いや、正確に言えば首と胴体が繋がっていない女性に話しかけられ、ついいつもの調子で返してしまった。
「呑気なものだな。我々はこの城に敵を住まわせているのだ。隙を見せるわけにはいかない。城の修繕は最優先事項だ。その責任者である貴様がそのような有様でどうする」
首なしの女性騎士、ホロウ将軍は身に着けた黒い甲冑を鳴らしながら言った。このデュラハンの女性は我が国の軍事の一切を引き受ける将軍だ。戦死した前将軍の穴を埋める形で着任した彼女だったが、その厳格な姿勢から人気は高い。昨日の戦闘では、魔法使いと戦って瓦礫の下敷きになっていたそうだ。彼女の魂は首にあり、胴体の損傷は彼女の生命に全く影響を与えない。たとえ体が押しつぶされようとも、首が無事ならば必ず復活するのだ。そして厳格で融通に利かない彼女は、いつも僕と意見が全く合わない。
「魔王様はゆっくり休めとおっしゃってましたし。そうすぐに休戦が破棄されることも無いと思います。休める時に休むべきです」
「貴様、あまり魔王様に甘えるな。魔王様の為を思うなら一秒でも多く働け。貴様にはあの四人を始末する方法を考える仕事もあるのだ」
彼女の左腕に抱えられた首。兜に覆われたそれから除く赤い目が、ギロリと僕を睨んだ。今すぐに彼らを殺せ。彼女の目がそう語っている気がした。このままでは先に休戦を破棄するのはこちらになりそうだ。人気のあった前将軍を含め、多くの実力者たちが勇者によって倒されている。そんな勇者との休戦を認めない国民は多く、それを納得させるのが当面の課題だった。無論、ホロウ将軍もその一人だ。
勇者との停戦。言葉にすればそれだけだが、納得のいく落としどころを探すのは簡単なことではない。
「魔王様は今のところ停戦をやめるつもりは無いと言うことですが」
「ふん、魔王様を心変わりさせるのが貴様の仕事だ。あのような連中を生かしておいて碌なことがあるはずも無い。殺すなら早めにしておけ」
ホロウ将軍は、そう告げると甲冑の音を響かせながら、廊下の向こうへと去っていった。彼女の姿が見えなくなってから、僕は大きくため息をついた。
魔王様は本気で勇者たちとの休戦を望んでいると考えている。魔王様の望みを叶えるためにはホロウ将軍をはじめとする反対派、そして勇者たちとも話す必要がある。おそらく時間はあまり無い。このままでは確実に戦闘が起こるだろう。結局はそれが多数派の意思だからだ。しかし、僕は魔王様を悲しませるわけにはいかない
魔王様の望みを叶えるのは僕の義務だ。
*
「おはようございます、ゼクト様。魔王様がお待ちです」
二人のメイドが両開きの扉を開ける。扉の先には巨大な長テーブルが置かれ、城の他の部屋よりも数段きれいな空気が流れている。僕はいつも通り、長テーブルの手前側に座る。テーブルの上には朝食が、そしてテーブルをずっとたどった先に魔王様が座っていた。
「おはようございます、魔王様」
「おはようゼクト。遅かったな」
魔王様を手に持ったグラスを揺らしながら答えた。
仕事中のような豪奢な服装でも無いし、昼間はきっちりと結われている髪も長く垂れさがっている。それでも変わらない威厳に自然と謝罪の言葉が漏れた。
「申し訳ありません。先ほどホロウ将軍と会いまして……」
「で、また言い争いをしたわけか。お前たちは国の要だ。仲良くしろ」
「はい」
僕の返答をを聞いた魔王様は満足げに笑うと、グラスの中身を一気に飲み干した。酒ではない。吸血鬼を親に持つ彼女の魔力源。血液である。人間のものではない。魔王様の為に血を提供する吸血鬼が用意されている。
そう。彼女は食事中であり、ここは魔王様専用の食堂だ。立ち入れる者は魔王様を含めてごく少数、シェフ、給仕のメイド、掃除係。そして彼女たちもここ専属であり、一般兵や騎士、貴族の食事は担当していない。僕が入れるのは魔王様が特別に許可したからだ。
「お前たちはもう下がれ」
魔王様は僕の飲み物が届いたことを確認するとメイドを下げさせた。メイドたちは全員、全く同じ速さで一礼すると速やかに退室していった。
部屋に残されたのは魔王様と僕の二人だけ。退出するメイドを見送り、振り向いた彼女の表情はすでに魔王のものでは無くなっていた。
「改めて、おはよう、ゼクト君」
彼女が、いつものように柔らかく微笑んだ。それだけのことで、僕は一言も話せなくなった。
朝起きた時も、廊下を歩いているときも、ホロウ将軍と話しているときも感じなかった感情が沸き上がってくる。言葉が自然と溢れてくる。
「生きていてよかった」
彼女が生きていて、本当によかった。
今まで何も感じられなかったのは、僕が僕自身の生存を重要視していなかったからだ。僕は彼女が生きていればよかった。だから今、こんなにも感動しているのだった。
「ゼクト君、なにか言った?」
彼女が首をかしげる。長い黒髪が合わせて揺れる。その仕草に思わず昔の、幼いころの日々を思い出し……。
「あ……いえ、おはようございます、魔王様」
そして、僕は正気にかえった。
無意識につぶやいた言葉を、慌ててごまかした。自分の生存には心が動かず、彼女の生存でしか安心できない。彼女がこの気持ちを知ったら、きっと悲しむだろう。それではだめだ。
「魔王様、やはり勇者一行との停戦は反対派が多いようです」
仕事の話をを振って気を逸らす。彼女を騙しているような罪悪感が浮かぶが、僕はそれを押し殺した。
「また仕事の話?食事時ぐらい、昔みたいに話をしましょう」
「いえ、一刻も早く解決すべき懸案です」
「そう……、わかったわ」
彼女は不機嫌そうに頬を膨らませたが、それ以上話を引っ張ることはしなかった。彼女が何かにつけて僕と話したがるのは毎日の事だ。別に今日が特別なわけでは無い。だからきっと、いつもより不機嫌に見えるのも気のせいだろう。
*
魔王様と別れて仕事部屋に向かう。彼女と別れてしまえば、やはりいつも通りの日々だ。
側近だからといって、僕と魔王様は別に四六時中一緒にいるわけではないのだ。魔王様の仕事は儀礼的なものが多く、それは毎日あるわけでもない。簡単な書類仕事は僕たちが片付けるし、彼女はその中でも重大な案件の決定を行うだけである。僕の側近としての仕事はそれと、もう一つ戦闘の補助くらいだ。それ以外は専属のメイドの仕事だ。
僕が今から行う仕事はその手前。城中、いや国中から集まる報告を処理し、魔王様の確認が必要な書類を選ぶ。そしてそれ以外は他の部署に回すというものだ。
長い廊下の真ん中近く。魔王様の謁見の間の傍にある扉を開ける。すでに数人の部下が仕事を始めているのが見える。しかし、いつもの整った仕事風景は見られなかった。
一番目を引くのは誰も座っていない空席。私物などが置いてあるが、その持ち主が見当たらない。彼らはサボっているのではなく、昨日の戦闘で戦死したのだろう。そしてその代わりに部下が座っているところには山の様に書類が積み重なっている。
僕は部下たちと挨拶を交わしながら部屋の最奥にある自分の席へ向かった。僕の机は、巨大な書類の山に埋もれていた。部下の机の上にあるものとは比べ物にならない。
「昨日死んでいればよかった」
「縁起でもないことを言うのはやめてください」
気分を変えるために言った冗談だったのだが、部下に真顔で返された。彼曰く、本気で言っているのか冗談なのかわからないらしい。そして部下が持ってきた書類によって山がさらに成長した。
「それに、こんなに人手が減ったのに、リーダーがいなくなったら大変じゃないですか」
そう言うと部下は自分の机へと帰って行った。その彼の横顔にも疲労の色が見える。つまらないことで悩んでいる暇など無かった。仕事は済ませる。魔王様の望みは叶える。全てやればいい。全て僕の仕事だ。
*
書類の山の減りは遅い。処理しなければいけない書類が時間とともに増えていくのが原因だ。一日では終わらない。周りを見渡してみても書類が減っている机は見当たらない。
「あの、ゼクト様」
「何か?」
今日何度も書類を持ってきた部下が、今は何も持たずに立っている。彼がチラチラと入り口の方を見ていることから何か来客であることが分かった。僕は入り口に視線を向け、そして目に入った人物を認識した瞬間、急いで視線を戻した。
「ドアン様が外でお待ちです」
入り口に立っているのは真っ黒いローブに身を包んだ男性。顔に張り付いた白く、無表情な仮面が不気味さを数倍に引き上げている。彼は数代前からこの国に仕えているリッチであり、この国で最上級の魔法使いだ。
僕は渋々ながら立ち上がり、彼の元へと向かった。ホロウ将軍が僕の苦手な人物だとしたら、ドアンは僕の嫌いな人物だ。さらに正確に言うと、彼を見ていると自分のことが嫌いになる。そんな理由で会いたくない人物であった。
「ヒヒッ……、苦虫を噛み潰したような顔をしておるぞ。傷つくのう」
「何のご用でしょうか」
「冷たい反応じゃのう。氷結魔法の様じゃ」
「何のご用でしょうか」
一向に本題に入ろうとしないドアンにいらつきながら繰り返す。僕は暇じゃない。彼のお喋りに付き合っている暇は無い。
「気の短いやつじゃ。ワシの工房に妙な小娘が入ってきて困ってるんじゃ」
「何かと思えばそんなこと……、ご自分で対処してください」
僕の管轄じゃない。ドアンの要求はバッサリ切り捨て、僕は回れ右をした。どう考えても関係のない仕事だ。
「まあ待て、おぬしも無関係では無いぞ」
ドアンの骨ばった指が僕の腕をつかんだ。それほど強い力では無かったが僕は振り払う気になれなかった。頭の奥で、何か心当たりがある気がした。
「それは……、誰なんです?」
ドアンの方へ向き直ると、彼は満足そうに頷いて言った。
「あの小娘は勇者のところの魔法使いじゃよ」
失格勇者の飼い主 8号機 @tamotamo1996
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