10話 「ノー・イヤー・ヒーロー」
普段痛みを感じることがないからかも知れない。全身にわずかな痛みが、まるで警鐘のようだった。
マンション――一番最初の、GHCの基地だった場所だ。そこのベッドに自分が寝かされていることを士郎は気づいた。
「大丈夫……って聞くのも馬鹿らしいわよね。銃弾を受けて、20階ビルから落ちて生きている時点で」
「神流……ここにつれてきてくれたのか」
「ええ」
「…………」
「エリノさんは包帯を巻いた死体を埋めている途中だと思うわ。さすがというか、スコップ捌きも慣れているみたいね」
「どうして神流が。それに……包帯を取ってくれたのも……」
「分かってるわ。全部」
「え?」
「あなたが、裏切り者ってこと」
「…………」
「ファイアーマンの仲間……というより仲間になった。でしょう?」
「それは……」
これが、ファイアーマンの出した条件だった。
全身に包帯を巻き、コートをみにつけ、口を噤み……ファイアーマンの代わりに殺されることだった。
ファイアーマンは自分を『弱い』と口にした。銃に撃たれれば死ぬ。それが事実か分からないが、彼はそう吐露した。そして殺意を持ったエリノに狙われてしまえば殺されると。
だから、この街にいて活動するためには、この必要があったという。
ファイアーマンが死んだと思い込ませ、その殺意を失わせるか。
もしくは、銃で撃ったのに生きているという姿を見せて、『銃弾が効かない化け物
』であると認識させるか。
だが、そういったファイアーマンにとって『危険人物』であるエリノを、どうして名指ししたのかまでは士郎は分からなかった。
質問をする立場ではなかったのだ。ミハルの為に、士郎は他の犠牲者同様、彼の操り人形になっていたのだ。
違いは最後に燃え死んでいないだけである。
「ミハルのためだったんだ。あいつ、死ぬかもしれないって」
「責めているわけじゃないわ。誰にも言うつもりはない」
「…………」
「どうしてそんなに落ち込むの?」
「……ファイアーマンは人を殺してるんだ。その保身の手伝いをしたから」
「それじゃ、彼がエリノさんの銃で殺されることを望んだの?」
「…………」
「ごめんなさい、意地悪言って。でも、これが一番いい解決法だと思う。人殺しを殺すべきじゃない。だけど、その人殺しを助けて、また彼が人殺しをするのなら……と考えるとね。難しい問題……いいえ、答えのない問題だから、それで悩む必要はないと思う。ずっと人はそれについて考え続けなければならないことだから」
彼女なりに慰めてくれているのだろうか。
「だから、正しいか間違っているかじゃないの。選択だから。答えのない二択でも、そのどちらかを選ぶことはできる。クイズにならなくても、答えは出せる。ファイアーマンは、その答えを出しているのよ」
「……神流?」
その言葉には聞き覚えがあった。
答えのないクイズは意味がない。
「お前」
だけど選択できる――その言葉は彼女の言葉だった。
「私がファイアーマンよ」
突きつけられた事実に士郎は絶句するしかなかった。目の前の彼女は、包帯姿の男のなにもかもが違う。
「でも、正確には……『私も』よ。だから『ファイアーマン』は『ファイアーメン』ということ」
「……どういうことだよ」
「彼……包帯を巻いた彼は、確かに存在する。今、ここじゃない場所でミハルと一緒にいる。彼は実行して、私は補佐する」
「人殺しを手助けをしていたってことか?」
「ええ。士郎君と同じように」
「俺は違う! 俺は……俺は……」
言葉が出なかった。否定することのできない事実だからだ。
「ええ。私と士郎君は違う。士郎君は仕方なくファイアーマンを手伝った。そして私は、私がそう望んで手伝っている」
「なんで。なんであんな奴の手伝いなんてするんだよ! 確かにお前は変な奴だけど、あの殺人鬼を望んで手伝うだなんて、ありえないだろう!」
士郎はベッドから立ち上がった。
「全部嘘なのか? こうして俺や井垣やみんなと仲良くしてたのは、全部嘘なのか! 本当は人を遊び半分で殺して……それで……」
「選択なの」
「なんだよそれ」
「ねぇ、はじめに私と士郎君が会った時のこと、覚えてる? あの会場で、私は士郎くんをGHCに誘った。何のためにって言ったか、まだ覚えてる?」
……すぐに言葉は出た。
「正義のために……悪と戦うために」
「ええ。それは嘘じゃないの。本当よ。GHCは仮初だったかも知れないけど……私はファイアーマンとして、そうしてきた」
「それって……」
「士郎くんは戦うことの意味を聞き、呆れた。だけど事実だったの。私たちは悪を決める。そして、その悪を倒す……殺す。それがファイアーマン」
「…………」
「ファイアーマンが今まで殺したのは、とても善人とは思えない人たちばかりだった。そういった人間がのうのうと生きている。たとえば、ファイアーマンに口喧嘩を仕掛けた太った男は、まだ未成年の少女を拉致して強姦したわ。少女は行方不明。その臭い口で、まだ小さい女の子を貪った。弁当屋に働いていた男は未成年の時に老人を撲殺した。タンバもそう。そしてエリノさん。彼もまた……悪人よ。罪の意識もなく人を殺す。だから、ファイアーマンは彼の身柄を要求した」
「そんなの……信じられるかよ」
「……井垣をいじめていた女の子たちに痛い目を合わせたのもそう。殺しはしなかった。だけど恐怖を与えた。個人的な恨みもあったわ。あの子を孤立させ、苛めたあの子達にも罰が必要だった」
士郎は始めてみた気がした。彼女の怒りの感情を。
「だけど、けして子供を殺しはしない。子供の罪は罪じゃないと考えているから。だけどそれが大人になって、その人を殺めるほどの幼稚な悪戯心がそのままあったら、私たちは実行する。あの弁当屋の男のように」
直接彼女が手を下したわけではないかも知れない。
だけど彼女の言葉には確かな殺意があった。
「そして、十年前のファイアーマン事件。会合で見たでしょう? 被害に遭った人間は、全員悪人だった。意図的にあの場所に彼らを誘導したの。ねえ士郎くん。痛ましい事件にしては大きく取り扱われないと思わなかった? あれは超能力という馬鹿げた原因があったからじゃない。多くの人が、その死を悲劇だと思わなかったの。そしてその事件をメディアが掘り下げるほど、被害者を取り上げるべきでないことを分かったわけ。よくあるでしょう? 殺人事件の被害者が悲劇のヒロインとして、過去の『いい人』っぷりを垂れ流し視聴者の同情を得る寸法。あれができなかったから、メディアも取りあげにくかった。その死は親族以外には大きな不幸ではなかったのよ」
彼女の言葉は事実だった。
「だけど、一人だけ例外があった。あの十年前の事件、唯一の子供の目標があった」
それは。
「初島士郎。人より強い力を持ち、後に大きな危険になるであろう人間」
「…………」
「私は反対した。私とそう変わらない、まだ悪いこともしていない子供を殺すなんて間違っていると。でも結局失敗して……一時期は殺す方法を彼は考えていたようだけど、すぐにやめた。あなたは何年経っても表には出てこなかった。その力を誇示することもなく、静かに暮らしていたから。士郎くんは悪人ではなかったから」
「わかった。もうやめてくれ。お前らは……最悪だ」
「ええ。なら、私を倒す? ヒーローを名乗って、私と彼を制裁して、二度と罪を起こせないようにすればいい。それが士郎くんの選択なら。だけど、士郎くんがそれを選ぶなら、私は死んでも戦う。私はヒーローだから。私は最悪の方法を選んだだけにすぎないから」
ミハルの身柄を捕らえられているからではない。
士郎は彼女の言うように正義を振り翳すことなどできなかった。
彼女は恥ずることもなく、自分をヒーローと言い切った。
だけど士郎はできなかったから。
人を殺せる拳を無責任に、感情のままに振り上げてはいけない。
そう、『感情』のままには。
「その包帯の姿をして貰ったのは、ただ彼の身代わりになって欲しかったわけじゃないわ。士郎君には象徴になってほしい。『ノア』のようなパフォーマンスではなく、本物のヒーローになるために」
「それって……」
「代わりになるだけじゃない。士郎君には、ファイアーマンになってほしい。それが……ミハルを助ける条件よ」
「!」
その言葉の意味は、もう分かっていた。
「それって、お前らと同じ事をしろっていうのか!」
「ええ。私と彼と士郎くんで『悪』を決める。そして、その悪を倒すの」
「殺す、だろう」
「時にはそう」
「そんなことできるわけないだろう!」
「できる。その力があるから。実際、できたでしょう? 士郎君は燃やされる寸前のあの子を守り、そして、タンバを倒した。もしあの場で彼を倒せなかった、何人もの無実の少女たちが犯され、殺されてた」
「悪を決める! 何様なんだよ!」
「いつだって『悪』を決めてたのは人間様でしょう。ただ法律が、組織が、倫理が作っただけ。それを作ったのは人間よ」
「それは人が長い時間をかけて、それこそ何度も間違いを行って作ったものだろう! 頭つき合わせて数分で決めるような物じゃない! 頭がおかしいんじゃないか!」
「その間にも人は死ぬの! その無意味な死を遂げる人を、一人でも救いたいの! それがおかしいこと!?」
「…………」
「士郎くんと何が正しいかを話すつもりはない。選択だって言ったでしょう。私は、彼は、ファイアーマンは、その方法を選んだの。力があるから、その力を正しいと思う選択に向けた。そしてそれが私は間違っているとは思わない」
「俺は間違っていると思う」
「そう。だけど……ミハルを救いたいんでしょう」
「脅迫じゃないか。悪党と同じだよ」
「分かってるわ。こうなることも考えていた。心から私たちと同じ選択をしなければ、ファイアーマンにはなれない。彼だって『ああなって』しまうほどの事よ。死を軽んじ、狂人になった。人を殺すために自分を殺した。ファイアーマンになることは、人生を捨てることだから」
「そこまで分かってて……」
「彼は近く死ぬわ。あの包帯は私の洋服のようなキャラクターじゃない。彼の体はボロボロ。いつ死んでもおかしくない。そして……彼が死んだら私の番。今度は私が手を汚す」
「……止める。お前も、あいつも」
「ええ。最後の仕事が終わったら……ミハルを助けたら、好きにして。きっと士郎くんならできると思うから」
彼女は立ち上がった。
「今、深夜の2時よ。朝の6時まで、やってもらいたい事がある。それをやったら、ミハルの命は保障する」
「…………」
「どうする」
「……何をやればいいんだ」
「そのヘルメットを被ってもいいわ。どんな手を使ってもいい」
彼女は冷たく、言った。
「誰でもいいから、一人殺して」
「……なに……言ってるんだ?」
「人を殺すの。士郎くんの手で、人を」
「最初からミハルを助ける気なんてなかったんだな! お前と、あいつは……」
「いいえ。最初からそのつもりだった。士郎くんを『ファイアーマン』にするために」
「なにを……そんなの……くそ……」
「ヒントはたくさんあげたわ」
「クイズをやってるつもりなのかよ。人の命をなんだと……」
「一人を殺さなければいけない。なら、誰を殺す? どんな人間を殺す?」
「俺は――」
「答えまで教えてあげる。答えは『ファイアーマン』になることよ」
深夜三時。
いつだって仮面を被るのは、気取るためじゃない。
その下を隠すためだ。
それが華やかな装飾品となるのは、舞台やテレビの中だ。フィクションの世界だけだ。
士郎は『耳なし』になっていた。
士郎は気づいた。
助けることは、簡単だったのだ。
車の扉をひっぺかし、少女を体を張って守る。
落ちていく彼女の体を捕まえる。
悪党になり、恨まれ、相手の心を守る。
些細なことだった。誰もがそうする。力があれば、相手を思い遣りたいなら、そうすることができるのだ。
だけど違う。
倒すのはヒーローだけの仕事じゃない。側面がある行為だ。人を殴り、血を噴出させ、生まれでた全てを無くしてしまう行為。それは『意図』によって意味は変わる。殺人にも、正義にも、スポーツにもなる。
複雑で重く、そして目の前の物は消え、そして経験は一生泥のように張り付くのだ。
このヘルメットを被り、タンバを殴った。
ヘルメットは人を色にし、血を色で隠し、悲鳴と嗚咽を音楽にした。
ゲームだったのだ。残酷な。現実ではなくさせる。
ノー・イヤー・ヒーロー。
聞く耳など持つ必要はなかった。
もってはいけなかったのだ。
包帯の男もも狂った。自分をごまかして相手を倒した。
鋼の心を持つヒーロー。その鋼はきっと鋭く冷たい。
朝五時。
声がした
「や、やめて……おねがい」
「おとなしくしろ! 殺されたいのか!」
朝帰りの若い女性。
そして、絵に描いたような、まるで準備されたような、顔に傷を持つ悪党。
誰も見ていないであろう路地の裏に、いた。
女性は肌を露出させている。
男はナイフで女の服を切り、そして自分のズボンに手をかける。
怒りがあった。
それが、悪党への怒りなのか、それとも悪党に出会ってしまったことへの怒りなのか。
「助けて! そこの……お願い……」
「……あ? おい、こっちみんじゃねぇぞ! 通報したら殺すからな!」
自分は善人だと信じて生きてきた。
幼い頃、あったじゃないか。
酔っ払った男を蹴散らし、女の人に感謝された。
タンバを倒して、みんなに感謝された。
痛みを覚えた悪人のことを考えるべきだろうか?
人権はある。
じゃ、死刑は正しいのか?
分からないけど……だけど、自分にとっては単純な選択だった。
保身という概念がないのなら。自分の身を投げ出しても傷一つつかないなら。
俺はロッジから体を張って友達を守った。
その時、突き飛ばした男の安全を考えるべきだったのだろうか?
違うのだ。
「おい、てめぇ! くるんじゃねぇぞ!」
ナイフがヘルメットに向けられた。
選ぶしかないじゃないか。
正当化するしかないじゃないか。
虐げられる人は、可哀想なんだ。
「――――!?」
腕を突き出した。
手の甲が当たったのは、顎だった。
兄と分けるために砕いたお菓子と、そう変わらない音と感触だ。
こり、ぼり、と音。固形物が粉塵を撒き散らすよう。
砕いた先には柔らかな感触があった。熟れたザクロのように、ぱしゅっと汁を散らして弾ける。拳は障害物を感じなかった。どこまで、突き抜けるようだったのだ。
音がした。赤が見えた。その赤が、ヘルメットに飛び散った。
「…………」
怖かった。
男の体が数メートル跳び、その頭が階段の角にぶつかり血を吐き出すこと。そして微動足りもしないこと。彼が死んだこと。
それに――まるで過激な映画を見ている程度のショックしかなかった自分が、怖かった。
「あ、ありがとう……本当に……」
「…………」
彼女は泣いていた。泣きながら、全身全霊で感謝の言葉を口にしていた。
「どうして……俺……あの人……」
「あんな奴……っ……ああなって当然よ!」
悪党だからか? どうしようもない屑だっから、ああなっても、怖くないのか。
むしろ、すっきりしているのか?
タンバを殴った時のように。
「死んで……?」
「…………」
女性は恐る恐る男に近づいた。そして……その様子を少し覗き見して、すぐに戻ってくる。
「……ありがとう。誰だか知らないけど、早く行って」
「…………え?」
「私、弁護士なの。私がアイツをああしたっていえば、そんなに大事にはならないはずだから、安心して。あなたが介入して殴って死んだとなれば話はややこしくなるから。あなたの事は秘密にする。顔も見えないし」
「…………」
「どうしてボケッとしてるの? 早くいって!」
「俺、人を……」
「事故だったのよ! これでいいから。早く行って!」
背中を思いっきり押され、士郎は路地裏から突き出された。
士郎は振り向きもしなかった。
ヘルメットを脱ぎ、それを脇に抱えて、そして歩きはじめた。
これでいいから――彼女は言った。
良い訳がない。人を殺したんだ。
いいわけが――
「……………」
足が勝手に動いていた。いつの間にか、士郎はマンションに到着していた。
自分自身が今まで放心状態だと思っていたが、きっと利己的な人間なのだろうと自分を皮肉る。
せっかく人を殺したんだ。ミハルが助かる為に行こうじゃないか。
きっと自分は、そう考えているのだ。
既に朝の六時半を回っていた。
期限は終わり。
既に新しい日はスタートし、人々の生活が始まっている。
「…………」
出勤前に、よくある気分の悪い殺人事件を目にするだけだ。
神流がいた。自分が出かけた時と同じように感情を見せず、だがどこか疲労したような瞳で、彼女はテレビを見つめていた。
血のついたヘルメットを落とし、それが地面を転がって神流の足にぶつかって、神流は眉一つ動かさず、テレビを見ていた。
『速報をお伝えします』
『今朝、市内で暴行事件がありました』
『容疑者は――田中マル、42歳無職』
「…………えっ?」
士郎は声をあげた。
『男は朝五時前後、通りがかりの女性を暴行目的で襲いましたが、抵抗に遭い倒れ、階段で頭部を強打し、そのあと被害者の女性の通報により緊急搬送されました。女性に怪我などはありません』
『東者である弁護士の女性は駆けつけた報道陣に自らインタビューを申し出て、このように話をしました』
『男に襲われ、思いっきり顔を殴り、突き飛ばしました。男が頭をぶつけ動かなくなって……本当はそのまま逃げ出そうと思ったんです。こんな男なんて、死んでしまえばいいって、そう思ったんです。怖かったですし。でも、私がやったことですし……なにより、どんな人でも死んでいいはずがないと思って、すぐに救急車を呼んだんです。だから……その人が死んでいないと聞いて、ほっとしています。だから今回の件で、私も彼も、誰も命を落とさなくて、本当に良かったと思います。誰も罪の意識を背負わずにいられ――』
士郎は膝を折った。男は助かった。
約束は、守られなかった。
「……簡単じゃないから。人を殺すことは」
「じゃ……馬乗りにして、あいつの頭を砕けばよかったのかよ!」
「…………」
「なあ、神流。頼む。ミハルのことを……」
「できないわ」
「ただの約束だろう! できるなら、やってくれ……頼む……」
「……ごめんなさい。士郎くん。『できないの』」
「…………どうして」
「してあげたい。士郎くんの力を使って、ミハルの救いたい。でも……不可能なの」
「不可能? だって……」
『そうです。不可能なんです』
篭った声は、電子音混じりのそれは、ヘルメットから聞こえていた。
『信じました? 力の移植? それで命が救える? 漫画の見すぎじゃないんですか? 存在するものを写せる、という常識を当たり前のように感じるなんて、本当に子供なんですね』
「……な、なんだよ。お前……誰だよ……」
『ずっと話してたじゃないですか? 私ですよ。ミハルの両親でーす。ミハルの作ってプログラムですよ?』
「……あ……ああ」
『秘密基地を開いたのも、人を使って耳にスマホつけて「ぼん」したのも私なんですよ。それにしても大した物です。本当は「ミハルは助かる」という嘘の希望を与えて、あなたとファイアーマンを合わせるだけのつもりでした。そこでファイアーマンから事実を聞いてミハルと共に絶望させるつもりだした。だけど、さすがファイアーマンってところですかね。そのまま乗っかって、さらなる絶望をあたえました。あなたが殺そうとした人が生きてたのは残念ですが、それでも十分――』
「くそおおおおおおおお!!!!」
士郎はヘルメットを砕いた。強化アクリルでできたそれに、何度も何度も拳を叩きつけて、周辺の家具と床までを巻き込んで。
「くそ! くそ! あああああああ!」
「…………」
「お前らも……同じだ。こいつと一緒に、お前らも……」
「……士郎君。分かったでしょう」
士郎に首筋を掴まれ、人の頭蓋骨とヘルメットを砕いた拳を向けられても、彼女は淡々とし彼をにらみつけ、言い放った。
彼女は士郎に教えようとしたのだ。
「これが……『悪』なのよ。殺しても殺しきれない、殺したりない、憎むべき……『最悪』。分かってもらえた?」
「…………!?」
「……ミハルはもう知ってるわ。嘘だってこと。既にファイアーマンの元からは離れてる。学校に向かってる。私を殺したら会いに行ってあげて。あなたが必要だから。絶対に」
「…………」
「大丈夫。私はちゃんと死ぬわ。ゾンビでも頭を潰せば死ぬもの。それに……私はもう死んでるから。身元不明の死体が一つ増えるだけだから後のことは。さあ、殺して。それで気が済むなら」
「できると思うのかよ」
「…………」
「俺ができると思うかよ!」
「……ごめん……なさい」
「……絶対、お前らのことは許さないから」
彼は拳を下ろし、去った。
彼女は自分を卑怯だと考えていた。最後まで『悪』でいるべきだった。
自分を殺せるわけのない彼にそれを懇願し、追い詰めた。
少年に『殺人』をさせること。それが彼女の『最悪』の目的だった。
それなのに、自分は泣いていたのだ。
悲しくて、申し訳なくて。
『神流。私だ。ファイアーマン一号だ。きこえるかー』
「はい……ファイアーマン二号……です」
『どうした。泣いてるのか? だらしないな。それでファイアーマンになれると思うのか?』
「…………すみません」
『まあ、いい。「爆弾」はある。あと三十分で爆発だ。わかったか?』
「…………はい」
『無駄にするなよ。でかい花火だからな?』
「……なによこれ」
「なにって、学校だけど?」
いじめっ子……いや、『元』いじめっ子の高野は松葉杖をトントン鳴らしながら皺を寄せる。
「私が入院している間に、学校が『ハイ』になっているっていうから、てっきり意地悪な私がいなくなって皆がテンションあがりまくり、って意味だと思ったわよ」
立ち入り禁止の学校の前で高野は仲良し二人といた。普通に登校するつもりだったのだ。
「それ面白いね」
「面白くない。人が殺人鬼に刺されたのに……でも、どうしましょう」
「なんかホール借りて来週からそこで授業やるらしいけど?」
「それまで待てないわ。そうだ。退院祝いしないと。私の」
「うん。そのつもりだけど」
「で、ながみねは?」
「まだ病院」
「じゃ……井垣……さんは?」
「どして。嫌いなんでしょ? はは」
「あんたたち、言っておくけど、もうあの子の事イジメるのは――」
「ふふーん。そんなこと言わなくても、もう仲良しだもんね」
「……そうなの?」
「うん。初島君のお陰でね」
「誰……?」
「男子」
「どこの」
「うちの」
「女子高よ?」
「うん」
「…………イケメン?」
「なかなか」
「なにそれ漫画?」
「……退院祝い誘う? 井垣の友達だし」
「露骨過ぎない?」
「まあ――きゃあっ!?」
突然、突風が三人を襲い、姿勢を崩す。思わず高野が松葉杖を手放し倒れそうになるが、彼女の体を左右の友人が掴み、転倒を防いだ。
「なんの今の? すっごい風」
友人の一人がぼやくと
「……ねえ、今の人じゃなかった?」
高野はそんな事を口にする。
「人? なにいってんの。確かに何か通って気がするけど車か何かでしょ? ウサインってレベルじゃなかったし」
「なにそれ」
友人二人がカラカラ笑う中で、高野はただ一人、その風が去った方向を見つめていた。
その風の先。
数百メートル先の繁華街に士郎はいた。
遅い朝、人々が通勤通学のために歩いている時間には少し遅く、人の姿は疎らだった。だが、それでも確かに人はいて、『それ』は注目を集めていた。
白衣の少女。そして、それを取り囲む男三人。
だが、通りすがる人のそれは傍観だけだった。
「ほら、たてよ。ホテル行くぞ」
「細いね。大丈夫か? 折れるぞ」
「まあ、優しくしてやろうや。な?」
「二号……目標を確認しまいた」
『えーと、名前は――』
「名前はいいです。もう決まってますから」
『なら、AとBとCだ』
「ABCの三人は既に解決したミッションの『タンバ事件』に関わっています」
「おい」
「ああ?」
「……ミハルから離れろ。殺すぞ」
「なーにいってんだお前。俺らはお願いされてるんだよ」
「誰に」
「さあな。なんか電話でよう。この辺に、白衣を着た女がいるからスキにしてくれって。相当恨まれてるみたいだな」
「電話。どんなやつだった」
「女だよ。なんかつめてー声の奴でさ。まるで死人みたいな。多分男でも取られたんじゃないのか? この女に恨みがあって」
「その電話一本でミハルに乱暴するのか? お前ら人間か?」
「てめぇはヒーロー気取りかよ! アイツが逮捕されたせいで、俺らウズウズしてんだよ! 金もつきたし、現地調達するしかないだろう? 合意なんだからさ。なあ、ミハルちゃん、っていうの?」
男の一人がごつごつとした手で、ミハルの頬を撫でた。だが、ミハルはただうつむき、動こうとはしない。
「タンバの事件で二件、タンバ兄弟の物とは違う体液が確認されています。それぞれ、ABCのものであると確認できています」
『うん』
「爆発はいつでも大丈夫です」
『わかった』
「警告したぞ。殺すって。二度と触れずにどっかいけ。なら助けてやる」
「なあ、あいつぶっ殺していいか? なんか気持ち悪いぞ」
「……どうして、そんな事をしたんですか?」
『お前のためだよ』
「え?」
『私もな。色々考えるんだよ。私がいなくなった後とか』
「大丈夫ですから。わたしは……ちゃんとやれます。ファイアーマンを」
『違うよ』
「……え?」
『お前、一人になるからな。この前までは一人じゃなかったのにな』
「…………」
『不器用な所だけ似やがって。馬鹿が』
「……だって、私たち――」
『sが到着した。爆発させる』
「…………」
「士郎――」
彼女は初めて士郎に顔を見せた。だが、士郎にはそれがどんな表情か確認することすらできなかった。
あのクソプログラムが、『最悪』のうそつきが、彼女に巨大な絶望を与えた。いや、与えたのは自分だ。自分のおろかさゆえに、都合のよいフィクションを信じ込み、彼女に偽物の希望を与えてしまった。
償う方法はない。
無意味だと思った。
――人が爆ぜた。
彼女が。ミハルが。
それが何を意味しているのか、分かっていた。
ミハルは死ぬ。
だけど……偽りの希望でもよかった。
死を阻止し、ノー・イヤー・ヒーローが、初島士郎が自分を助けるという嘘の希望を与えたかった。
本物のヒーローにはなれないから。
だから士郎は、炎の柱の中の彼女を抱きしめた。
炎に包まれたと思われる、他の三人の馬鹿がどうなったかは知らない。
だが、この体は炎を通さない。
この強大な力で彼女の炎を消し去ってやれる。
そう信じさせたかった。
周辺の全てを燃やし溶かす炎を耐える自分がここにいる。誰もが彼と彼女を見ている。
だけど、士郎には聞こえなかった。
聞く耳など持たなかった――
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