9話 「鎮火」

「じゃ、ちょっと行って来るわ」

 ファイアーマンとの約束の時間、0時まであと12時間を切った所で、エリノは席を立った。

 まるでコンビニか何かに行くくらいの気軽な言葉と態度。そこに緊張感はまったく感じられない。そしてエリノと同じく、神流も仕度を始めた。

 二人の話によると、特にファイアーマンに対する決定的なプランなどはないらしい。ファイアーマンに関する情報、および約束の場所は頭に入れただけとのこと。

「士郎君。女子勢のこと、よろしく」

 神流もその言葉を残して出かけて行った。

 ロッジに残るのは、士郎、井垣、ミハル、めぐ。

 この四人を一瞥してから、二人はとっとと出発してしまう。

「はぁ」

 と二人が出かけた瞬間、めぐはため息を吐いた。

「どしたの」

 と、井垣が訊ねる。

「なんか苦手……なんだよね。士郎のお兄さん。あ、ごめんね士郎。身内なのに」

「苦手じゃない方がおかしいだろうな。銃持ってるし」

「ね、実際何やってる人なの?」

 小声でめぐが訊ねるが、士郎は首を傾げる。

「身内が知らないって……相当怪しい。だけど、とにかく何とかなるといいよね。そうだ! もしこの件が片付いたら、私、GHCに入れて欲しいんだ。ゆりちゃんがリーダーなんでしょ?」

 名目上はそうである。

「だめ。GHCは危ないから」

「ファイアーマンの問題が片付いたら、危ないことないだろう?」

 なんて士郎に反論したのは何故かめぐだった。

「なにいってんのさ! ヒーローの戦いは終わらないんだよ! この世に悪はけしてなくならないんだから」

 士郎は思わず苦笑する。気楽な彼女に呆れてしまったのが本音だが、そうして沈んだ空気を明るくするのは彼女の魅力なのかも知れない

「じゃ、私のコードネームを決めよう! 士郎がノーイヤーに、ゆりちゃんがサウンド。それで神流ちゃんは、ゾンビガールなんだよね。うーん……」

「外見とか能力とかで決める」

 そういえばノーイヤー、もしくはノアという名前をつけたのは井垣だった。もしかしたら、ゾンビガールという名前も彼女が付けたのかもしれない。

「能力と外見……勉強と運動は自信あるけど……あとは心理学を習っているから……そうだ! 『マインド』ってのはどう?」

「大層すぎる。超能力で心を操れるようになってから名乗って」

「もう、けちー」

 すっかり井垣とは仲良くなったようである。

「でもさ。私なんもないよね、いまんところ。あのファイアーマンみたいに聞く耳持たない相手には戦えないし、何か身を守る武器は必要かも」

 めぐはくつろいでいたソファーから体を起こした。

「ゆりちゃんって、音を使った武器を持ってるんだよね! なにかくれる?」

「それじゃ『サウンド』が二人になるからダメ。別に武器考えよう。地下に工具みたいのああるから、何か作れるかも」

「本当に? じゃ私は近接攻撃がいいな! やっぱりこう相手を――」

 高校生にしては大分男の子……というか子供っぽい感じはする。

 妙にGHCやノアへの反応がいいと思っていたが、彼女はヒーロー好きのようであった。

そういったコミックや映画なんかも好きで、意外と士郎と話が合う相手だった。それの影響か、あの学校での事件の時に率先して生徒たちの退避を誘導していたもんだ。あんな経験をしてまだそれを持っているのは、もしかしたらヒーローに向いているかも知れない

 本当はヒーローなんて、その程度が一番だ。暴力も死も考えず、漫画やテレビ、お遊びの一環としてあるのが一番であると。

「どうしたの? なんか楽しそうだね」

 台所からクッキーを運んできたミハルが笑顔で言う。なんだか落ち着かないらしくて料理をし続けているなんて言っていたが、大分気が楽そうである。

 今朝のやり取りのおかげだろうか。表情もずっと明るい。

「私もGHCに入れて貰おうと思って。これから武器を作るの! ファイアーとかサンダーとか、そういう名前つけてもらっちゃうからね」

「そうなんだ。あんまり危ない事しないでね」

「もちろん、先輩も一緒に入るんだよ! そうだね。先輩は……『サイエンティスト』とかかな? 基地で私たちのバックアップをするの! チームで一番の頭脳派としてね」

「……うん。いいかもね」

 当然めぐに悪気はないだろう。だが、それを言われたミハルの顔が一瞬曇ったのを士郎は気づいた。それはまるで皮肉のようだったのだ。

 ミハルもまたGHCに、そしてヒーローに憧れていた。だが、めぐの言う、頭脳派――現状の延長線上にあるような存在にミハルは憧れていない。

「とりあえず無茶するなよ。今回は……俺が守るから」

 その言葉を全員に投げかけたが、ミハルへの言葉だった。

 自分のような超人になるのはともかく、守られる、助けられる必要がなくなるような、元気を彼女に与えられるかも知れないから、士郎は『今回は』と口にした。

「ほ?」

 にやっとめぐが笑って、嬉しそうにする。

「ヒロインってのも悪くないなぁ」

「な、なんだよ」

 めぐは士郎の胸板を人差し指でくりくりしながら言う。

「めちゃくちゃ強いんでしょ? 拳一つでばばん! プロ格闘家にも勝てるって聞いたよ! ゆりちゃんから」

 どうやら単純に『強い』という事しか伝わっていないらしい。

 当然だろう。強い人といわれて、刃物を跳ね返したり、拳で岩を砕けるとまでは想像する人なんていない。

「なのに紳士だよね。私が襲った時も、ぜんぜん反撃しなかったし。私のヒーロー、なんちゃって」

『ダメ!』

 なんてミハルと井垣の声が重なる。

「士郎は私をファイアーマンから守ってくれる人だから。大体、入学したのも私のためだし」

 と井垣はいい、

「私は初島君のその……か……」

 どうやらまだ言えないようだ。恥ずかしげに語尾を窄める。

「はは。大人気だね。本当にヒーローみたい!」

 正直嬉しかった。

 力をただ隠して生きてきたせいだった。それが悪い何かを齎すか知っていたから。

 だけどその力を知って、こうして好感を持ってくれる人がいる。しかも、女の子で。

 こういう状況でなければ――

「ん?」

 ピー、という警告音が何処かから響いた。音の原因も発生源もわからなかったが、に井垣だけはすぐに動くことができた。

 井垣は全員が寛いでいたリビングの隅にある手のひら程度の大きさの、液晶画面つきののような装置を確認する。

「誰か来る」

 このロッジは井垣の私有地だ。正確には、ロッジとそこを中心とした半径数十メートルが全て私有地で、その私有地を取り囲むように柵がある。その柵には二箇所入り口があり、そこでパスコードを入れて入らなければ、こうして警告が鳴る仕組みとなっていた。パスコードは簡単な四桁の数字で、全員が既に周知している。つまりメンバー以外の侵入者がいるってことだ。

 警告音を出した壁についた液晶には、監視カメラで写った光景を写していた。そこからロッジ周辺の森を歩く一人の男性の姿が見えた。

「ファイアーマン……じゃないみたいだけど。泥棒かな」

「真昼から?」

 井垣とめぐがそんな問答をする。

「自動で連絡がいったはずだから、15分くらいで警備会社の人が来ると思う」

 だが、15分も経たずに男はここに着くはずである。

「道に迷っただけかも……」

 だが、ミハルの予想は外れた。三分程度で、男はロッジの窓から姿が見える前に近づいていた。彼の目標は間違いなく、このロッジだったのだ。

「みんな。入り口から離れて」

 士郎の言葉にめぐとミハルは頷き、ソファの後ろに身を潜めた。井垣はというと、例の鼓膜を攻撃する小型スピーカーをロッジ唯一の出入り口に向けて構えた。

「……もしかしたら、ファイアーマンのアレか?」

「タンバみたいな?」

「もっと悪いかも。あの学校のパターンかも」

 タンバは士郎の腕の中で静かに燃え尽きたものの、めぐを襲った男は学校を巻き込む大爆発を起こした。どちらもまずいが、まずさを比較したっら後者の方がおぞましい。

「このロッジ、木造建てだよな」

「火に強いコンクリートの奴に塗っただけだから。周りの森が燃えても、ここに篭っている限りは大丈夫だと思う」

 多分というのは、そいつが起こす火力を知りえないからである。

「他に出口は?」

「窓から出るしかない。窓も普通のじゃないから、中から開かない限り外からはあかないと思う」

「なんでそんな頑丈なんだ」

「井垣のお偉いさんの馬鹿が保身のために作った奴だから」

 ここに篭って警備会社の人の援護を待つのが正解だと判断した士郎は、出入り口に近づいた男をじっと待っていた。

 そこで立ち止まった男は、

「おーい!」

 ロッジ全体に響く大声で叫んでは、扉をがんがん叩いた。

「あけてくれーたのむー!」

 用事も名乗りもせず、それを繰り返す男。彼はノックをやめてはノブを捻り、開かないと思えば、また叩き続ける。

「誰だ!」

 士郎が声をあげたが、男は答えなかった。ただ「あけてくれ」という言葉を執拗に繰り返しているだけ。

 必死さは伝わったが、その必死さに反比例して開く気はまったくしなくなる。

「今更だが、警備会社の人が巻き込まれるんじゃないのか」

「今呼んだ警備会社も井垣グループの子飼いだから。巻き込まれれば井垣グループもファイアーマンを放っておけないし、退治に乗り出すかも。逆に好都合」

 もちろん人命がかかっているのだから、それでいいはずもないが……やっぱり井垣はグループが嫌いらしい。

 とりあえず、このまま様子を見て――

「!?」

 キーッ、という聞きなれた音がした。

 出入り口の電子ロックが外れたのだ。

 もちろん誰も出口近くの解除パネルには触れていない。

「え!?」

 パスコードかカードがなければ入ることのできないそれが独りでに開いたのは有り得ないことだった。

 だが、その原因を考えている場合ではなかった。士郎は一歩前に踏み出る。何があっても、自分が前にいて男に対応するべきであることは明白だったからだ。

 士郎は思わず動きを止めてしまった。

 その異様な男の外見のせいである。

「すみません! すみません!」

 男は襲ってくることもなく、ただ大声でそれを繰り返していた。

 彼の手にはわかりやすい凶器――包丁が握られてあった。だが、その包丁よりも先に、士郎は彼の頭に注目してしまう。

 彼はタクトテープを頭に巻いていた。そして、その左耳とテープの間に何かを挟み込んでいるようで、そこを抑えずとも離れないようにしている。

 凝視すると、そのテープの間にあるものが携帯電話であることを知った。男は自分の耳に携帯電話を巻きつけていたのだ。

 そして、その手の包丁の切っ先はロッジ内にいる誰かではなく、自分に首に向けられていたのである。

「僕の言葉に従ってください! でないと僕、死ぬんです!」

 その場の誰もが彼のことを知らなかった。だが、ミハル以外は彼の異常な言動と行動の現況を察することができた。

 そのやり口が『ファイアーマン』そのものであることを。

「とりあえずその包丁を放して」

「すみません! 両耳がふさがれて何も聞こえないんです! 僕はただ脅迫されて――」

 だが、そこまでいって男は口を噤んだ。

 彼は耳に集中しているようだった。おそらく耳元の携帯から何かを指示されているのだろう。

 井垣は唇を噛んだ。彼には力が通用しない――それは、これが自分の能力を知るファイアーマンの仕業であることを証左のようにも思えた。

「あの! こっちに西河ミハルさんを連れてきてください! 僕と一緒に行かないといけないんです!」

 間違いなく油断していた。ファイアーマンという人間の自ら提示したルールに従いのんきにしていた時点で、既に彼に呑まれているのと同じだったのだ。少なくとも、のんきに旅行気分で寛ぎ、クッキーを食べている状況ではなかったのだ。

「…………」

 ミハルが隠れていたソファーから立ち上がった。そして、唾を飲むと、男の下へ歩き出す。

「先輩!」

「ごめんね。でも……やらないと」

 士郎は痛感する。ファイアーマンが自分という超人をまったく脅威と思わなかったのは、こういうことだったのであることなのだ。いくらでも『やりよう』はあるのだ。

「初島君」

 ミハルが士郎の隣を通り過ぎながら、小さくつぶやいた。

「また、私の事……お願い」

 その言葉の意味を理解したのは、ミハルが男の下についた直後だった。

「っ!」

 ミハルは男が包丁を構えていた手を掴み、強引に引っ張りあげた。その細い腕からあ繰り出される全力は士郎視点でなくとも大したものではない。しかし、突然であったおかげで、まったく無意味ではなかった。

 その隙を士郎は見逃さなかった。ミハルのお陰だった。。

 士郎は走ると、男にタックルする。そうして、士郎の体は彼と一緒にロッジの外に投げ出された。痛みも衝撃も大した障害にはならなかった士郎は、すぐに態勢を建て直し、男の体を掴み、とにかくロッジから離れるように走った。

 その最中だった――ズズン、という気味の悪い大きな音が、男から響いた。その音は、炎の爆発を想起させた。

 士郎は男と共に体を投げ、彼に被り去るように体を屈めた。爆発が起きるのなら、その被害がロッジに届かないように体で受けるつもりだったのだ。

 しかし。

「…………」

 一分が経過した時点で、何もおこりやしなかったのだ。

 恐る恐る士郎は立ち上がり、男の様子を見下ろす。

 男は頭部から出血していた。乱暴に体を扱ったせいなのだろうか――先ほどまで大声を上げていた口は開かれ、そこから泡を吹いていた。


 さらに五分ほど経っても発火は起きなかった。すると、ロッジから井垣とめぐがそれを知り、こちらにやってくる。

「まだ来るなって」

「でも、この人怪我してるよ。いいの? 放っておいて」

 めぐの言葉に士郎は少し考え「わかった」と返事をする。

「私、救急セットもってくる! ゆりちゃん、どこにあるの?」

「多分……手当てはできないと思う」

 井垣には気づいたことがあった。彼女だからこそ、気づけたことである。

 井垣は乱暴に男の顔に巻いてあるテープをはがした。すると、その出血が東部からではないことに気づいた。

「これって……」

 出血は、顔に粘着してあった携帯と耳の間からだった。出血は耳腔からだったのである。

「鼓膜が破れてる。多分、この携帯のせい。すごい大きい音がしたのは、多分この携帯から。それで彼は気を失ったと思う。音のせいで携帯も壊れたぽいし」

「どうして……こんなことを」

 めぐの疑問に、士郎が答える。

「ファイアーマンだろう。ミハルを連れて行こうとしたんだ。いつものマインドコントロールとはやり方が乱暴な気がするけど……」

「――すみませーん! 大丈夫ですか!」

 そんな声をあげてやってきたのは、紫の防護服を着た男三人だった。腰にピストルを挿し、腕に『セキュリティー』と書いてあるのを見ると、先ほど井垣が言った人たちのようだ。

「みなさん。この男がビデオに映ってた……」

「返り討ちにした」

 セキュリティーの質問にそう井垣が答える。その男は井垣の顔を確認すると、頭を下げた。どうやら井垣のことを知っているようだ。

「この人、怪我してるみたいだから、病院に運んだほうがいいと思う」

「わかりました。お前、彼を運んで、病院に行ってくれ」

 背後に控えていた二人の男のうち一人が頷くと、彼を肩に担ぎ、向こうにある二台のうちの一台に彼を乗せていた。

「こちらは、ご友人の方々ですね?」

「うん。そうだ。この後時間ある?」

「時間? そりゃ……お嬢さんのの命令でしたら」

「こんなことがあって、ここで遊ぶのはやめたい。別の別荘に運んでほしい。こっから三時間くらいのとこ」

「…………わかりました」

 不服そうにつぶやく男。やはりお嬢さんとはいえ、小さな女の子の傍若無人ぶりは不服なのだろう。

 だが、それを抜きにして彼女の判断は正解だと思い、士郎は声をあげなかった。この場所がファイアーマンに気づかれているのは間違いないからだ。

 勝手に玄関口が開くような場所にいられるわけもない。

「じゃ、行こ」

 井垣の言葉に「あーっ」と何かを気づいたようにめぐが叫ぶ。

「ちょっとまって。携帯とか置きっ放しだから!」

 なんてめぐがぴゅーっとロッジの方に走っていく。

「ミハルは大丈夫か? 忘れ物」

「うん。あ、ちょっと待って。私も」

 なんて彼女もロッジに向かう。めぐが超速で携帯と焼きたてのクッキーを手に戻ってきたのをしばらく呆れていると、続けてミハルがある物を抱えてやってきた。

「はい、士郎。これ」

「あ……」

 そうして彼女が手渡してくれたのは、ノア用のヘルメットだった。確かに、携帯以外で唯一あの場所においていた私物だった。

 正確には私物ではなくGHCの備品かも知れないが。

 彼女がそのヘルメットの存在に士郎より先に気づけたのは、彼女がヒーローに強い思い入れを持っていた性かもしれない。

「ありがとう」

 士郎はそれを受け取り、車に乗りこんだ。

 


 全員が乗り込んだ車は、セキュリティー会社のロゴが入ったバンだった。運転席と助手席に職員が一人ずつ、そして後部座席に士郎とミハル、井垣とめぐ。その六人がいても空席ができるほどの余裕はあった。

 車で移動中、井垣はまず、神流に電話をし、移動の旨を告げた。ついでに向こうの情報を聞いたが、まだ時間まで大分あるので、暢気にご飯を食べているらしい。

「お嬢さんって言うから、もっとこう大人だと思ってましたよ」

 警備会社の二人のせいで、士郎らは先ほどの件をなかなか話すことができなかった。その代わりというか、真っ先に口を開いたのは助手席に乗った若い男性職員だった。

「平日なのに、みんなでサボってお遊びですか? 学校あるでしょ?」

「おい」

 運転手の男はそう口にするが、

「いいじゃないですか。お嬢さん、ありがとうございます。お陰でこうしてゆっくりドライブできますよ。会社にいても書類作りばっかですからね。今日はこれで退社です」

「すいません。お嬢さん」

「別に」

 井垣はお嬢さんという呼び方が気に食わないようである。

「おい、笹原。それより本社に連絡いれとけ」

「もう入れてますよ。お嬢さんの運転手という大事な役目を仰せつかっているから、今日は帰りませんってね」

 運転手のリーダー各の名札には熊野の名前。若い青年の名札には笹原という名前が書かれている。

「本当にそう言ったんじゃないだろうな」

「え?」

「『え?』じゃねぇよ馬鹿……ちっ、ほら、俺の携帯に電話がかかってきたじゃねぇか。怒られるのは俺だからな。この野郎」

 運転中にリーダー、熊野は悪態をつき、その電話を耳に当てた。

「はい、熊野です――はい」

 電話をする熊野をよそに、笹原は暢気な態度を続ける。

「なぁ一つ気になることがあるんだけどさ。お嬢さんたちの友達ってのは分かるけど、その男もそうなのか?」

「…………」

「ちょっとスキャンダラスじゃないか? 男子一人に女子三人で別荘だなんて、もう何と言うかさ……って、あれ? 熊野さん。どうしたんすか」

 熊野と呼ばれた男は携帯を切ると、すぐにカーナビの設定を変更する。

「あれ、ルート変更ですか? 遠回りですけど」

「あ、ああ。本社から連絡があってだな。お嬢さんが別の別荘に向かうんだったら、もっといい所に連れて行くようにってな」

「うわ、すごいっすね。そんな命令が飛ぶなんて……井垣グループってやべぇっすわ」

「ああ、そうだ。やべぇだ。ということで……よろしいですか? お嬢さん」

「…………」

「お嬢さん?」

 井垣は男から視線を外し、窓の外を見た。そして要求する。

「車止めて」

「どうしたんですか、いきなり」

「おしっこしたい」

 窓の外に移る駐車場つきのファミレスを指差して井垣は言ったが、

「すみません。もう少しで付きますから、我慢してもらえますか?」

 その言葉で、場の空気は一変した。

 その返答は今までのやり取りを見ると、ありえなかったのだ。

「……おろして。漏れそうだから――」

「我慢しろって言ってんだろう!」

 声をあげたのは、助手席の、あの飄々とした若い男性だった。そして、彼の手には彼の仕事用のピストルが握られていて、まっすぐに井垣の額に向けられていた。

「え、ど、どうして……?」

 ミハルが狼狽し声をあげる。

「おっと、動くな。特にそこの男。お前がヤバイってのは知ってる。格闘技の達人か何かか知らないが、銃には勝てないだろう? 実弾じゃないけど、密着して食らったら額に穴開くぜ」

 笹原は銃口を井垣の額に直接当てて笑った。

「なんなんだよ、お前ら」

 士郎の質問に、

「熊野さんは知らん。俺は頼まれた。井垣のお嬢さんの誘拐なんてアホみたいなことができるかと思ったけど、俺もお坊ちゃまになれるくらいの、とんでもない額を先払いで貰ったからな。悪いね」

「すみません。俺もこいつのことは知りません。今さっき電話で脅迫されて……娘が……」

 後悔しても遅かった。再び士郎らは選択を誤っていたのだ。車に乗り込んだ時点で。

 全員が乗った車は高速に乗り、かなりの速度を出していた。この状態で車の中でひと悶着を起こしたら、自分以外の誰もが無事ではすまないだろう。井垣もそれを称しているようで、特に動きを見せようとはしない。

「ああ……もうどうして……私の運勢の馬鹿……」

 めぐが呪いの言葉を吐きながら脚を抱えて、その肩をミハルが軽く抱いていた。

 特に会話もなく、15分ほど車は走り、速度を落としては高速を降りた。そして、なんども車道をくねくねと曲がり、車の量が少ない場所に入ってゆく。

 そしてバンは十階以上はあるであろう、巨大な廃ビルの駐車場でタイヤを止めた。

「熊野さん。ちょっと誰でもいいから銃向けてて」

「……笹原、お前」

「安い給料で命かけるのも嫌でしょ! 俺の金分けてやるから、言う事聞いてください! それとも娘さん死んじゃっていいんですか?」

「…………」

 熊野はピストルを取り出しては、めぐの方に力なく向けた。

「いざという時は撃ってくださいよ。マジで」

 笹原は銃口を車内に向けながら、すばやく車の外にでると、後部座席のドアを開いた。そして、自分の胸ポケットから携帯電話を取り出し、それを耳に当てる。

「もしもし。お嬢さんつれてきたけど……なに? なんだよそれ……まあ、いいか」

 なんて短く会話を済ませては、携帯をしまう。そして、

「ミハルって誰だ? 出て来い」

 ミハルはおとなしく車から外に出た。笹原は乱暴にミハルの腕を取り、銃を突きつけたまま廃ビルの方へとひっぱってゆく。士郎はずっと機会をうかがっていたが、熊野の手は震えていつそれを引くか分からず、動きを躊躇してしまっていた。

 笹原はしまっていたシャッターを開いて、真っ暗闇のそこに、ミハルと共に入っていった。

「本当にすまない……本当に……」

 熊野は呪文のようにその言葉を繰り返していたが、1分ほど経った後、彼の携帯が胸ポケットで震えた。

 彼は銃を構えたまま、それを取り出して耳に当てる。

「もし――」

 彼が言葉を言い終わるよりもはやく、弾けるよな音が車内に響いた。思わず井垣やめぐも耳を押さえるほどのそれは、彼の持つ携帯から聞こえたものであった。

 先ほどの男同様、彼は片耳から出血し、シートの上で気を失った。

「さっきと同じ……」

「士郎! 先輩が」

「警察に連絡してくれ。俺が行く」

「何言ってるの! いくら強いって言っても、銃持ってるんだよ!?」

「大丈夫だって。あの銃本物じゃないんだから」

「そういう問題じゃ――」

『待ってください』

 めぐの言葉を遮る第三者の声に、気を失った彼以外の全員の視線が注がれる。

 その言葉を発したのは、士郎のヘルメットだった。



「ったく、前がみえねぇ。おい、さっさと歩けよ!」

 笹原は暗闇の中を携帯電話の画面のライトで照らしながら、どうにか歩いていた。そこはアスファルトに四方を囲まれた地下駐車場のようで、長い間使われていないように思えた。

「離して!」

「本当に撃つぞ。殺すなとは言われているけど、怪我させるなとは言われてないから。両腕ぶっ潰してもいいんだぞ」

「本当に……悪い人」

「言われなれてるから気にしないぜ。お前くらいの時に、散々気に入らない奴をぶっとばしてきたからな。そのお陰で今の会社に入れたけどな。腕っ節の強い奴が必要だからね」

「あなたみたいな悪党は死んじゃえばいい」

「多分死ぬのはお前だけどな。多分一人ずつ片付けるんじゃないか? お嬢さんを残してさ」

「それはないと思う」

「へぇ? どうして」

「あなたを操ってるのは、お金目当ての誘拐犯じゃない……」

「どうして分かるんだよ」

「……耳から血を噴いて死んじゃうから」

「わけがわかんねぇ。いいから――」

 ガララという派手な音に、彼は一瞬たじろいで、そして音の発生源であるシャッターに目を向けた。

 駐車場への入り口であるシャッターが開いた瞬間、一瞬光が射して、そこに入ってくる人影が見えた。だが、すぐにシャッターは閉められて、再び暗闇が駐車場を覆う。

「熊野さん? ちゃんと見張って――誰だ?」

 人影は答えない。ただ、コツコツと足音を音を鳴らしているだけだった。

「おい、来るんじゃねぇぞ!」

 携帯でそちらを照らしてみたが、その光は音の元まで届くことはなかった。

 音は彼を刺激した。余裕ぶっていた笹原だったが、成人して明確に『犯罪』と認識する行為はコレが始めてだったのだ。

 過剰に優位に立つため大きな態度を見せたに過ぎなかった。

 だからこそ、闇の中に響く、臆する事すらない、表情も見えない『やってくる音』は、彼にとって確かな恐怖であった。

 彼は唯一の武器の銃を構えた。心構えはなく、恐怖に立ち向かう勇気は欠如していた。彼の武器は、わかりやすいその物理的な暴力だけ。気構えも勇気も狂気もなく、それだけが彼の唯一の物だった。

「来るな!」

 携帯のライトが届く範囲に、そいつは現れた。

 彼は最初、何もできなかった。

 そいつは顔を隠していたのだ。妙なヘルメットを被り――だけど、こちらをにらみつけていることだけはなんとなく分かった。

 彼の恐怖が引き金を引いた。

 確かにピストルは本物ではない。だが、そのゴム弾は簡単に人を苦しめ、体を吹き飛ばすことさえできる。こう教えられた。「人が死なないだけの銃」であると。

 だが、ヘルメットの男は止まらなかった。

 そこは暗い。その弾丸が一発たりともあたらなかったのかも知れない。だが、そうであったとしても、自分が放つ弾丸、轟音、銃という分かりやすい脅威が、彼に一切の影響も与えないでいることが、信じられなかった。その火花も音も弾丸さえも、そいつは全てを無視していた。

 それは信じがたい恐怖だった。

「うわああああああ!」

 

 罪を裁こうなんて事は考えていない。

 単純な話だ。こいつはむかつくのだ。

 ゆっくりと、銃口を掴んで、そして、握りつぶした。自分の手に握られた金属が、人間が携帯できる中でも最強のそれを、ビスケットのように握りつぶされて彼はもう、正常な思考を失っていた。

 だが、その乱れた思考は彼の片手で遮断された。

 『ヘルメット』の指示通りに、士郎は男の首の後ろの付け根をぐいっと強く押すと、彼の意識は一瞬で吹っ飛きとんでるのである。

『これでしばらく起きないでしょう。それでは私はしばらく沈黙しますので……ミハルに聞かれてはいけないから』

「ああ」

「士郎……?」

「独り言だよ。大丈夫か?」

「…………」

 ミハルが士郎の胸に飛び込んで、士郎はそれを素直に受け止めた。自分が彼氏という事を強く認識しては、その頭を撫でてやる。

「……怖かった」

「大丈夫だって」

「士郎も……怖かった」

 なんていいながら、彼女は笑う。

「演出だよ。こうわざとらしく音を立てるとか、銃を壊すとか……」

 それは全て、ヘルメットの着用をアドバイスした――彼女の両親のAIだった。通信やインターネットに接続された場所に侵入できるそいつは、このヘルメットでアドバイスをくれたのである。

 AIは、この暗闇でも視界を保てる方法として、このヘルメットの装着を薦め、さらに演出――笹原という男をできるだけ非暴力的に静める方法を実行できたのは、その声のお陰だったのだ。

「ミハル。とりあえず、さっさと出よう」

「うん。わかった」

 ぐっとミハルは腕を掴む。その腕はまだ震えているようで、余った腕で彼女の背中を摩り落ち着かせようとしたが……

「ねえ、士郎。この人たちがここに来たのって……」

「多分な。ここに――」

『ここは私の家だよ』

「……!?」

 いくら何となく予見できたといえ、その声は二人を驚愕させるには十分だった。

 そしてすぐに駐車場の薄暗い電灯が全て灯り、寂れたアスファルトの壁面が姿を現した。

 そして、そのアスファルトに大きな影を作る人影をも。

 包帯の男――ファイアーマンだった。

「なんだ、エリノをつれて来たわけでもないか」

「お前……」

「どうしてここにいるんだ? 約束の時間も違うし、場所も違うじゃないか」

「お前がこいつらを使ってミハルを連れ去ろうとしたからだろうが」

「そうか。なるほど。そういうことね」

 彼は何度も首を小さく縦に振って、肯定する。自分で仕掛けておいて、なんと腹の立つ言葉であったが……彼にそういった文句を言う必要性はないだろう。

 だが、少し違和感があった。地下駐車場の暗さとは関係なく、彼の表情が見えるはずもなかったが、どうしてかいつもと様子が少し違うような気がした。まるで自分たちがここに来ることをまるで予見していなかったようである。

 ファイアーマンとしては少し間の抜けたような、そんな感じだ。

「来て貰って悪いけど、今は『オフ』だからね。0時になったらまた会おう。もちろんお兄さんと一緒に」

「…………」

「どうした? 別に帰っていいぞ。そこの天才少女も連れてってかまわない。別にここにいなくたって人質にはなるからな」

「まってくれ」

 士郎は切り出した。

 この出会いはある意味幸運であった。当初の目的は、兄に後から追いつくつもりだった。兄とファイアーマンの邂逅の場で、どうにか彼と接触しようと考えていたのだ。

 もちろん具体的な方法は考えられていなかったが――

「なんだ?」

「頼みがある」

「頼み……? ぷっ」

 士郎の言葉にファイアーマンは噴出した。

「まってくれ耳なし君。それはこういうことか? 既にお兄さんと天才少女の件で弱みを握られているのに、またそちらからお願いがしたい、ということか? はじめて君に興味が持てそうだ。わかった、話してみろ」

 彼は笑いながらアスファルトの地面に胡坐をかいた。

 士郎は全てを話した。 


 彼の笑い声は既に失せていた。

 ミハルの体の事、そして『可能性の』こと

 士郎が知っていたそれ吐露している最中、意外にもファイアーマンはそれに耳を傾けているように思えた。 

 そして話が終わると、重苦しい沈黙だけが残っていた。

 士郎は答えの無いファイアーマンに催促した。

「……可能なのか。本当に」

 自分の力でミハルを助けられる確証。それが、ほしかった。

「…………」

 ファイアーマンは立ち上がると、しりを払っては、大きく息を吐くように答えた。

「もしできると仮定して……どうして私がそれをやる必要がある?」

 当然の疑問だった。彼が倫理や常識を欠く存在であったとしてもだ。

「君たちはヒーロー、もしくはヒーローごっこをしていて、私はその敵だ。経緯を覚えているか。最初に君たちは私を挑発したんだぞ」

「別に、俺はアンタをどうにかするつもりはない」

 それは今になっては嘘になっていた。今晩、エリノはピストルを携えて彼に会うのだ。もちろん、射殺してしまう事が確定しているわけではないが、間違いなく敵意による行動だった。

「本当か? 私は人を殺して、建物を燃やして、けしかけて。それなのにか?」

「俺は別にヒーローじゃない。ただ、巻き込まれただけだ。アンタから身を守るために、ミハルを助けるためにやってたことで、別にそっちが何もしなければ」

「じゃ、私が君とは関係ないところで何人殺しても、どうでもいいって事か?」

「…………」

「都合がいい奴だな。それは良くないんだよな?」

「ふざけないでよ。人殺しがいいわけないでしょ!」

 ミハルが言葉を挟む。

「天才少女さん。それは小学生でも分かることじゃないか。私はその小学生でも分かる答えを、こちらのヒーローもどきに聞きたいんだ。どうなんだ? 耳なし君」

「俺は、最初から止めようなんて思ってない」

「士郎……」

 士郎はミハルの手をぐっと握る。正しさを説く場合ではなかったのだ。

「なるほど、君はそっちのタイプって事だな?」

 ファイアーマンは両手の人差し指を立てて、続ける。

「人間は二つのタイプがある。一つは、目的の為に手段を選ばない人間。もう一つは目的のための手段を選ぶ人間だ。前者は妥協の人間。後者は普通じゃない人間だ。たいていの人間は前者だ。だが、そいつらも後者を目指している。だから妥協の人間は妥協することをできるだけ妥協して、目的の為の手段を妥協することを妥協するわけだ。わかるか?」

 彼の言葉遊びはただ不快なだけだったが、それについて押し問答する気などになるはずもない。

「簡単に言うと、今の耳なし君だよ。天才少女を助けるためにできることはする。だけど、身内であるエリノを差し出すことはできない。その狭間で、この私と取引をしようとしているわけだ。そこでさらに、自分の能力を彼女に分け与えるというもう一つの目的が生まれた。そうなった君は、さらに妥協を妥協しなければならない。つまり、さらに手段を選ばないようになった。これを繰り返すと君はいつか……」

 彼は指を立てたままゆっくりと士郎の目の前まで近づいて、肩を叩く。

「人さえ殺せるようになるだろうな」

「……士郎はそんなことしない」

「ま、いいだろう」

 彼は士郎を一度通り過ぎ、くるっと回って、士郎の背中を見た。

「よし……じゃあ、条件を増やそう」

「それって――」

「ねぇ、待って。私が条件を飲む。私のことだから」

 ミハルが口にするが、その言葉を彼は聞き入れなかった。

「いや、それはいらない。私が必要なのは、その無敵の体だ。好きじゃないけど有用である事実を否定はできない」

 彼は笑い混じりに言う。まるで、何かをたくらんでいるかのように。

「安心しな。私は誰かに『不可能なこと』を頼んだりはしない。答えのないクイズなど、何も面白くないだろう? といっても、人はたいていのことはできるわけだ。地を這いつくばって泥水を啜れるのなら、たいていのことはな。なあ、どうして私が『ミハルを助ける代わりにエリノを殺せ』という条件を出さなかったと思う?」

 当然答えなど出るはずもない。

「そう。それだからだよ。答えなんてないんだよ。自分を育ててくれた兄。自分を慕う親しい女。どちらかを殺せ、だなんて問答は馬鹿らしいと思わないか? どちらを殺めても正解ではない。葛藤して、葛藤して、答えは『なし』だ。それだけなのさ。君にとって、その命の優劣はない。なのにその優劣を決めろというクイズは『答えのないクイズ』になるわけだ。だから私はあえて、『差し出せ』といったんだ」

 彼の饒舌は続く。

「これは正解が見えている。そう、正解は『エリノを差し出す』だ。そうすれば約束を守り天才少女は生きられるし、エリノはエリノ自身で差し出された後に問題を解決することになる。だが、ネタバラシをすると、これは誘導……めぐちゃんが得意な心理的なアレだ。絶望的な二択ではなく、明らかに選びやすい一つを用意する。そうすることで、人はコントロールできるわけだ。簡単な心理学さ。詐欺師もよくつかうアレだ」

 彼の言葉の意味をまだ掴むことはできない。

「だが、君にはそれさえも早い。耳なし君は選択なんて早い。だから、私が一つだけ課題をあげよう。一つ目の課題だ。それを含めていくつかを完了したら、君の希望が叶うだろう」

「何をすればいい」

「安心しろ。私は理不尽は言わない。何度も言うが、君が出来ないことはさせない。ここにいる彼女を殺せ、だなんていわない。もっと現実的な問題に対処してもらう。私の抱えている問題で、大変恐縮だけどね」

 この『選択』は果たして正しいのだろうか。

 士郎はただ、その場で彼の言葉を聞くことしかできなかった。



 士郎たちとファイアーマンが会った少し後のこと。

「それで、シロウとはどうだ?」

「『どう』ってどういうことですか?」

「違うのか?」

「何をおっしゃっているのか」

 お洒落なカフェテリアで、エリノと神流はテーブルを挟んでパンケーキなどを摘んでいた。神流の黒い姿が少し目立つことを除けば、二人の様子は、昼過ぎのおやつタイムを楽しんでいるペアにしか見えない。

「エリノさん。もしかして、彼と私の仲を取り持ってくれるんですか?」

「悪いが、逆だ」

「あら」

「こういう言い方は語弊があるが、それでも言わせて貰う。あいつの相手は普通の奴がいい」

「能力者同士、じゃダメってことですか?」

「能力者って……何を馬鹿言ってんだ。シロウはああ言ってたけど、俺は正直信じていない。シロウの他に妙な力を持つ奴がいるなんて。ゾンビガールもファイアーマンも」

「じゃどうしてダメなんですか?」

「最初から思ってた。腹の底が見えないからだよ。柏木神流という人間の」

「見せてないのに問題がありますか?」

「それはシロウにもか」

「ええ。全てを知り合う仲が最良とは私は思わないですから」

「……シロウは素人童貞だ。体が強いだけに、自分の体に回る毒に気づかない。だから毒蛇は俺が遠ざける必要があるんだよ。今はまだ。黒いメス蛇をな」

「ふふ。蛇ね。そこまでがっつりした女じゃないですよ。エリノさんが考えるよりずっと清楚で可憐な女ですから」

「確かに毒蛇が常に味方としてそばにいるなら、それは心強いかも知れない。だけど……そういった打算で女を選ぶような歳じゃない。まだ十七そこそこのガキだ」

 彼はまずそうにコーヒーを口に含む。

「あいつは心の赴くままに恋をして、失恋して……そうしてないといけない奴なんだ。そこにお前という『女』がいるのは困るんだよ。少年に必要なのは少女だ。大人の女じゃない。俺もアイツの引きこもりを良しとしたせいだろうから、お前みたいな積極的なタイプには弱いだろうけど」

「私、そんなに老けて見えますか?」

「そういう意味じゃないのは分かってるだろう。お前は老獪なんだよ。純粋な恋愛感情だけで恋愛をするタイプではない。もしお前がアイツと恋仲になりたいと思うなら、また別の腹があるはずだから」

「ブラコンなんですね」

「全力で愛を注いだのはアイツしかいないんだ。集中しているだけだ」

「そうですか……」

 神流はベーグルを一口齧り、上目遣いで彼の顔を見る。

「少しお兄様に気に入られるようにならないといけませんね。彼と仲良くなるには」

「ああ。俺は過保護だからな」

「じゃ……少しだけ腹の中を見せます」

 彼女はココアをぐるぐると掻き混ぜながら、吐露した。

「私はファイアーマンと話すつもりはありません」

「そのために来たんじゃないのか」

「私はただ、見届けるだけ。あなたが、彼を殺すのを」

 少しその強烈な言葉に言葉を失ったが、平然とした神流の顔を見て、続けた。

「…………まだそう決まったわけじゃない」

「きっと、あなたはそうせざるを得ない。きっと彼はあなたを殺すと思います。もしくは利用しようとするか」

「確かにそちらから聞いた話だと、そういうことをしそうな人間ではあるな。だけどミハルの件があるだろう。人質に取られているというか、爆弾を仕掛けられているから、そのカラクリをどうにかするか、それが嘘だという言質をとらないとな」

「そうですね」

「でも、あいつらには話す為といっていただろう? そのGHCというグループも、彼を追う理由も」

「ファイアーマンを殺すために協力して欲しい、といって手伝ってくれるような子たちだったら分かりますけど」

「そうだな……もしシロウがそういう奴だったらって考えると怖い。じゃ最初からファイアーマンを探している目的は、話すことじゃなかった、ということか? 殺すため」

「ええ」

「じゃ、どうして殺したいと思ってる?」

「つまらない答えで申し訳ありませんけど、復讐です」

「……もっともな理由だな」

「これは士郎君にも話したことですが……彼に両親を殺されました。焼かれて。この腕の火傷も、その時の傷です」

「悲劇のわりには随分あっさりだな。まるで出任せみたいだ」

「怒りは腹の中に貯め、口の中に毒牙を忍ばせているだけですから」

「……はぁ。マジでシロウに関わらせたくないな、お前」

「ふふ」

「復讐のために動く女。今はそういう風に考えておいてやる。そういう女に会ったことがないわけでもないし」

「波乱万丈なんですね。その女の人って?」

「もう死んだよ。復讐の末路なんてそんなもんさ」

「私は死にませんけどね。というより、もう死んでいますから」

「…………」


 そんなでティータイムが終わり、二人は予定通りにファイアーマンの指定場所へと向かった。

「『お見通し』って言いたいのか? ったく意味深にも程があるな。この場所」

 ファイアーマンが指定した場所は、あるマンションの屋上だった。高速道路に隣接し、士郎が嘗て遊んでいた山林が位置する場所――過去に士郎とエリノが嘗て暮らしていた場所の屋上である。

 夜も更けていたが、明かりの点く窓数はそう多くなかった。

「ここに住んでいたんですよね?」

「そうだな。アクセスも悪いし……安くて広いのが取り得のマンションだ。入居者が少ないのは昔からだ」

 二人はマンションから数百メートル離れた場所にあるキャンプ場にいた。

「昔、シロウがこっそりと夜抜け出して、ここで遊んでたんだ」

「そうなんですか……確かに子供が遊べそうな場所ではありますけど」

「多分、ヒーローごっこをしてたみたいだ。大人のトラブルを子供のあいつが力づくで解決していたみたいだ」

「……ふふ」

「あいつも普通の子ってことだよ。人より優れている筋力を誇示したいわけだ」

 そこのベンチからは、そのマンションの屋上が見えた。人がいるなら、小指の爪程度の大きさで人影が見える距離である。

「時間に正確な奴というのが正しければ、時間丁度に現れるだろう。本当は屋上への出入り口は一つだから、先に行ってその近くに陣取って待つのが正しいだろうけど……相手が『ファイアーマン』となれば、残念だけど後手に回るしかないか」

「彼の能力を信じてないのでは?」

「超能力はなかったとしても、奴が炎の造詣が深いのは間違いないからな。何をするか分からない相手に下手な準備は却って自分の首を絞めることになる。その場で対応していく。なにも殺し合いをするわけじゃないしな」

「理想は捕らえて尋問できればいいのですが……もし、『時限爆弾』が技術なら、その仕組みを何かしらの資料で彼が持っていてもおかしくはありませんね。たとえ彼が死んでも、それを見つけられればいいのかも知れません」

「何もかも分からない相手……普通は相手にしないもんだが」

「ところで、私にはくれないんですか?」

「何の話だ?」

「護身用の銃です」

「やだね。身を守る必要のない奴には貸してやらん。お前死なないだろう」

「信じてないのでは?」

「撃ったことあるのか?」

「引き金を引くだけでしょ?」

「絶対に貸さない」

 どちらにせよ、信用できない相手に銃を貸す気は毛頭なかった。

「じゃ、予定通り……私はここで待っていますから」

「本当にいいのか。俺が一人で勝手にやって」

「ええ。私は彼が死ぬところだけ見れればそれでいいですから。別に特等席でそれを見る趣味はありません。ここでも屋上は見えますし」

「外野で見ようとするのも趣味がいいとはいえないけどな。それに捕まえて話を聞くだけだ」

「そう簡単にいくとは思えませんけど。とりあえず、一度待機組に連絡しておきます」

 神流は電話を取り出すと、士郎の携帯にそれをかけた。すぐに士郎は出た。

「士郎君?」

『……ああ』

「うーん、少し声が聞き取りづらいな……どう?」

『分かってる。ミハルは病院に運んでる。もし何かあったら、すぐに火を消せる用意もできてる』

「病院の人、信じてくれてる? もしかしたら突然『燃えるかもしれない』なんて」

『井垣がいるからゴリ押しでなんとかなった』

「そう。おそらく大丈夫だと思うけどね。身体検査でも問題なかったでしょ?」

『うん』

「わかった。じゃあ、終わったら」

 そうやって士郎への連絡を済ませたことを確認するとエリノは立ち上がった。

「…………」

「なんですか?」

 一度振り返ったエリノだったが、特に彼女の言葉に返事することもなく、待ち合わせ場所へと向かった。



 包帯の男は時間丁度に屋上にたどり着いていた。

 一方は高速道路と森、一方は街。彼は街を背にし、その森を眺めていた。

 そして、その姿をしばらくエリノは見てしまっていた。

 懐のピストルに手は触れていたが、それを背後から撃つことは考えなかった。もちろん彼が真に油断した敵で話す必要性すらないのならば攻撃を行ったかも知れない。

 だが、彼の包帯巻きの外見と似合わない、その黄昏た姿は、伝え聞く狂人とは異なっているような気がした。

「おい」

 エリノは声をかけた。するとファイアーマンはゆっくりと立ち上がり、エリノに振り向いた。

 それだけだった。

「これは、はじめましてだよな。ファイアーマンとやらさ」

 場慣れしているというべきか。怖気づくことはなかった。

 エリノは現実主義者である。士郎もその影響を大いに受けているものだ。士郎の超人的能力は彼の認めた数少ない非現実的要素のうちの一つであった。

 だがファイアーマンの能力を、彼はまだ目にしてはいない。

 もちろん、彼が突然炎を巻き起こす可能性を否定しているわけはなかった。だからエリノはここに来る前に、十年前の――士郎が巻き込まれた事件の映像を見てきた。

 動画の中で彼は左腕をあげた。そして炎が巻き起こり、多くの犠牲者を出した。腕をあげるだけでなくとも、何かしらのポージングが能力の引き金になるであろう。

 エリノはファイアーマンをこう分析する。

 ファイアーマンは倒錯者であり、目立ちがりや。そして、彼の視線の運び方、そして立ち振る舞いを見ると、彼はおそらく『戦い』に身を置く立場ではないこ。

 エリノはそれが当然であると納得した。

 彼と『戦う』者などいないのだ。彼の炎に対峙するのは、いつだって犠牲者であった。だから『戦い』は起こらない。戦いは対等に近いものの間で発生する。その差が広がれば、それはあるいは虐殺になり、あるいはイジメになる。

 彼を成敗するヒーローも、この世界にはいない。

 そして、エリノもまた、そんなヒーローになろうとは思わない。士郎以上に、自分にそれはないと思っていたのだ。

「さあ、こうして来たんだから、あのミハルという少女への……こう、何かしらを解除してくれ。その後、話をしよう。正直俺は訳がわからないんだ。どうしてお前が俺を会いたかったのか。俺をどうしたいのか」

「…………」

 彼は饒舌と聞いている。だが、まだ一度も口を開かなかった。

 ただ、こちらをじっと見据えているだけ。

「んだよ……」

 エリノは自分の感覚を疑った。

 エリノは『場慣れ』していた。だからこそ、冷静であったし、人より緊張をした。その緊張の糸を張ったまま長く保たせることができる。だからこそ、エリノは今まで生きてこられたという自信があった。

 だが、どうしてか。まったくその緊張が生まれないのだ。

 まるで空気か何かを相手にしているような。あの包帯の中には何も入っていないような、そのような気さえある。そしてそれを、不気味と思わない自分がいる。

 しかし、エリノはプロだった。少なくとも、ピストルを持ち歩き、それを使うことも多々ある人間だった。そうした環境で生き延びてこられたのは、そういった『想定外の状況』、それこそか弱い子供と対峙する時でも、緊張を作り保つことができる人間だったからである。

「解除する方法を教えてくれ。そうしたら電話で知り合いにそれを伝える。その後、そちらが『何をやりたいか』じっくり聞かせてもらう。それでどうだ?」

「…………」

 ファイアーマンは一歩、前に出た。

「おい。止まれ。いきなり交渉もなくやるのはダメだ」

 エリノはサイレンサーつきのピストルを取り出し、銃口をまっすぐ彼に向けた。伝え聞いたファイアーマンのように気取った台詞や言葉を交わすつもりは毛頭なかった。

 この状況で有利なのは自分だと考えている。だが、もし彼の能力が瞬時に何かを燃やすものである可能性もある。

 エリノは覚悟した。火傷を負ったことはある。その記憶を思い出し、全身に着火するイメージを瞬時に行った。体中が燃えて、息ができなくなるはずだ。だけど前もって念頭にいれておけば、その瞬間に引き金を一度くらいなら引ける自信があった。その後は地面を全力で転がってそれを消す。屋上の入り口の隣に旧式の消火器がある。期限切れかもしれないが、それを使えばどうにかなるかも知れない。

 様々な『後手』を考えながら、彼はファイアーマンを見据えていると、

 ファイアーマンの一歩。

「警告だ。最後だぞ」

 さらに一歩――

 エリノは引き金を引いた。発砲音はサイレンサーによってかき消され、弾丸が風を切る音だけが響いた。

 ゲームではない。銃弾が一度当たったら最後。それが銃の強みである。

 防弾ジョッキがあっても、あれは銃弾をものともせず戦うためのアーマーではない。命を守るためのものである。

 だから、当たれば勝ちなのだ。

 そして、勝ったはずだった。

 ファイアーマンは少し体をよろけさせたが、それだけだったの。

「…………そうかよ」

 考えられる可能性の一つだった。

 一発じゃ、死なないという可能性だ。

「っ……!」

 いくら撃っても死なない、という可能性は考えてなかった。というかそれだったら、もう最初から終わっている。

 エリノは何度も銃弾を放った。命中に次ぐ命中。だが、間違いなくそれは効いてはいるようだった。当然だ。鉛玉が体に食い込んでいるのに、それが何の影響を及ぼさないなんて感得られない。

 そいつは撃たれる度に少しずつ体をよろめかせては、後ずさりする。

 ピストル一つに装弾した15発を撃ちつくした後、さらに彼は神流に渡すかも知れなかった二丁めを取り出しては、続けて放ち続けた。

 そして早足でファイアーマンとの距離を自ら縮めていく。

 二丁めのピストルが残し、6発のところで、『本命』の射程距離に入った。

「らぁ!」

 エリノはファイアーマンを思いっきり蹴り飛ばした。

 ずっしりと、それこそ銃弾が効かなそうなほど重さを一瞬足に感じたが、それもかまわず押し込んだ。

 そして――ファイアーマンの体は屋上から舞った。

「…………」

 彼は屋上から姿を消した。普通の人なら即死であろう高さから、確かに転落したのだ。

 すぐに彼はファイアーマンの落下したであろう場所を見下ろした。だが、落下したであろう、その場所は木で死角になっていた。

 落ちるとき、バサッという木を擦る音は聞こえた。空を飛んで逃げたわけではなさそうだが、悲鳴一つなく落ちたのは流石に不気味だった。

「……はぁ、ちっ」

 ため息と舌打ちをセットで一つし、エリノは神流に電話を入れた。恐らく、神流は今の状況を確認しているはずである。

「おい。まじかよ……」

 だが、いつまでもコール音だけが響き、神流は電話に出ることはなかった。

「出ないのか?」

 エリノは怪訝に思い、士郎の携帯に電話をする。だが、こちらも何故かコール音が続くだけだった。

 残念ながら、自分の携帯に、今回の関係者の番号は、その二人以外はなかった。

 ――エリノは多くの事を知らないでいた。

 昼ごろ――ロッジに襲撃があり、残りのメンバーが場所を移したこと。その事実の連絡は、井垣から神流の携帯にのみに伝えられていたから――神流の口から、それはエリノに伝わってはいない。

 そしてもう一つ。

 井垣と連絡を取った神流の携帯が――エリノと神流を繋ぐ唯一の連絡手段が、キャンプ場のゴミ箱に捨てられていた事もだ。



 衝撃と落下。

 確かに銃弾は彼の体中を突き刺した。

 強烈な痛みがあった。体にいくつも穴が開いたように感じた。

 20数メートルの高さ。地面に頭から落ちていた。さすがに、というべきか、ぐわんと視界が歪み、体が動いていくれない。

 視界には木の葉だけ。頭の数メートル上には木の幹。

 だが、それでも確信できた。

 無事だった。そして、この痛みもまた直に引いて、無くなっていくのだという確信があった。

「……お疲れ様」

 月光を隠す黒い影があった。その影は自分の前で屈み、顔に触れる。

 理解できなかった。

 どうして彼女がここにいるのか。

 どうして自分を優しい目で見ているのか。

 どうして神流がいるのだ、と。

「眠っていて。私が連れて行ってあげるから」

 彼女は顔の包帯をゆっくりと剥がしてくれた。

 底冷えするような風が露出した肌を撫でてくれている。それはいつも肌寒い夜に感じる

ものと同じだったが、開放された肌はそれを快感として覚え、全身に休まるように命令をする。

 そして、現れた少年の顔に、神流はキスをし……彼は眠った。

「いきましょう、士郎君」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る