7話 「悪のSNS」
早い眠りのせいか、士郎は朝七時ちょうどに自然と目が覚めた。皮肉にも最高の天気と最高のコンディション。
最悪の日になるかも知れない朝にしては、すっきりしてた。
「おはよう。いい朝ね」
「もぐぐ」
リビングでは二人が朝食の真っ最中だった。ベーコンエッグにサラダ、シリアルにベーグル、クロワッサンと、なんとも優雅でマニュアル通りのアメリカンな朝食だろうか。
「ん?」
どうやら井垣はシャワーまで浴びたようだ。
バスローブにぬれた髪が何とも妖艶……いや、妖艶ではないけど、なんだか僅かに見える鎖骨にさえ妙に反応してしまう。
士郎は先にトイレに向かってから、顔を洗い再び朝食に合流した。
「ふふ」
「なに?」
神流が笑い、士郎が視線を逸らし、井垣が疑問の声をあげる。
なんともな朝である。
「な、なにかあったか?」
ごまかすように士郎が訊くが、
「あったでしょう」
と神流。
「そうじゃなくて」
「ファイアーマンね。ちょっとあったわ。といっても、微妙だけど」
「なにが?」
彼女は立ち上がると、SNSの巨大モニターの画面に触れて、操作を行う。そして、GHCをフォローし、コメントを寄せる一人のアカウントに注目した。
「この子が気になるって言ったアカウントでね」
「うん」
井垣が小さく頷く。
士郎はその内容を眺めた。
●アカウント名:ファイア@マン
「ファイア@マン」様のコメント――
なんでこんなにファイアーマンが多いんだ。こんな名前しか登録できないだろう。
「ファイア@マン」様のコメント――
GHCの連中見てるか。はじめてSNSできたぜ! まだなれないけど、えーと、動画のあげかたしってる?
「お口臭い」様のコメント――
また流行りの捨てアカか。やめちまえ
「ファイア@マン」様のコメント――
何様だお前。俺は本物だっての。燃やすぞ!
「あげあげ君」様のコメント――
うわさむっ。中学生かな?
「ファイア@マン」様のコメント――
お前より頭はいいぞ。絶対に
「お口臭い」様のコメント――
かまってやるだけありがたく思え。
「なんだこれ」
士郎は思わずそうつぶやく。
それ以降にも色々やり取りはあるが、大体の流れは、この『ファイアー@マン』という奴が他の人、とくに『お口臭い』と『あげあげ君』って人としょーもない喧嘩をしているだけの、なんとも意味のないものだった。
「これがどうしたの」
「この子ね。これ、本物のファイアーマンかも知れないっていうの」
井垣は頷いた。
「まさか」
「今まで、ファイアーマンって名前のアカウントはいっぱいあった。でも、私が話した相手、これが一番近い気がする」
「どうみても子供だし、煽り耐性0じゃねぇか」
「それでも一環して『ファイアーマン』を演じているのよね。それに、この子の話によると、他の偽ファイアーマンアカウントのように気取ったり悪の親玉みたいなしゃべり方……というか書き方はしないから」
「燃やすぞ」ってコメントを追いながら、神流は言う。
「事実は分からないけどね。……とりあえず、食べながらでいいから、今日の動きを説明するわ」
彼女はココアを一口含み、語る。
「今日の足は、車と電車がある。なにかあった場合、私と士郎君が、距離によってどっちかを選択し、それに適宜対処するわ。ちなみに運転手は前みたいに私ね。免許はないけど。死人に免許は発行してくれないみたいでね」
士郎が質問するために手をあげたが、最後に彼女がそう付け加えると、手を下げた。
「私は?」
井垣の質問には、
「今日はここでサポートをして。ファイアーマンが現れたら、その周辺の音を拾って、状況を有利に動かす。ゆりの能力はバレてるし、下手したら対策か利用されるかもしれない」
「新兵器作らないと」
ぶつぶつと井垣が言う。
「士郎は現場で私と一緒に行動するわ。基本私の指示に従って。第一目標はファイアーマンを士郎君が拘束して、人目のない場所……さらに、火があっても安全な場所に連れて行く。地下駐車場、廃ビル、工事現場、屋上みたいな場所ね。ゆりはファイアーマンを見つけたら、音をとりつつ、そういった場所を定めて、そこに人が寄らないように根回しをして欲しい。井垣グループの力でも何でも使って」
士郎と井垣は頷いた。
「基本的な動きはこれ。だけど、優先すべき事項ができたら変更もありえるわ。そう単純にはいかないでしょうけど。それまでは、待機。ゆりは例のSNSの動向を監視して。士郎君はテレビを」
何かが起きる11時30分までは後3時間ちょっとあった。
神流の指示のおかげで、すぐに行動できそうだ。隣にある名ばかりのイヤホンリーダーとは違う……なんて言おうとしたが、今日は鼓膜を破られたら困るので黙ることにした。
動きがあったのは、11時丁度、予定の時間の三十分前だった。
「ねえ!」
らしくもない大声をあげたのは、井垣だった。タッチパットでSNSと睨めっこしていた井垣が、士郎と神流を呼び寄せる。
二人はそこにすぐに集まって、画面を注視した。
例のSNSである。
●アカウント名:ファイア@マン
「ファイア@マン」様のコメント――
やっと画像のあげかたがわかった!
「ファイア@マン」様が添付画像をあげました――
「ここって……!」
士郎は思わず声をあげた。
彼が添付したとする画像は、学校――士郎と井垣が通う女子高のものだったのだ。どうやらどこかのホームページで引っ張ってきただけのようではあったが。
そこが次のファイアーマンのターゲットであったのだ。
「ファイア@マン」様から「GHC」様へのコメント――
ここね。ここを今日の11時30分に燃やすからな。ボーボー
「嘘だろう」
士郎は絶句する。
その『時間指定』は、偶然でなければ――誰もが知らない情報であったはずだ。
GHCと、彼本人以外は
「警察署同様、建物を燃やすっていうのね……芸がない気もするけど」
そんな神流に、士郎は声をあげる。
「冷静に言ってる場合か。こいつ、本物のファイアーマンだ!」
「待って」
次々とリアルタイムでコメントが更新され続ける。
「お口臭い」様のコメント――
でたー犯罪予告キター! 通報しました! 逮捕ータイホー
「ファイア@マン」様から「GHC」様へのコメント――
ごめん。やっぱタンマ。30分遅れで12時丁度な。ちょっとやることができた。
そこで更新はとまった。というより、とまってしまった。
すぐに「このアカウントは凍結されました」と表示されてしまったのだ。
SNSでの犯罪予告は違反である。というより当然犯罪だ。こういう事例は何度も過去に無数にあって、そのことごとく逮捕されている。
しかし、それですむような軽犯罪ではない事を、この場の三人は予見できていた。
すぐに士郎と神流は外にでた。学校に向かうためである。
「学校までは電車で行きましょう。渋滞があったら間に合わない。急げば五十分ってところね……ギリギリ」
「いや、もっと早い方法がある」
「え? ちょっと――きゃあっ!」
士郎はロッジの前で彼女をお姫様だっこすると、そのまま全力で走った。トップアスリートのそれを少しばかり上回る速度。だが、疲労がない分、高速に保たれたそれの速度は優に全速力の自転車程度は超えていた。
「ちょ、ちょっと……こういうのは得意じゃない……」
「我慢しろ。一時を争うんだよ」
「昨日のお返し?」
「…………ちょっとだけ」
予定の倍早く、二人は人目のない駅までたどり着くことができた。
幸いにもすぐに電車はやっていて、十五分間それに乗り、学校の近くの駅まで二人はやってきた。十五分といっても電車の運転速度は年々上がっているためで、単純距離では学校とロッジは大分遠いのだ。
11時20分。学校までは徒歩で15分。彼の指定した11時30分改め12時までには学校前には余裕で間に合う時間であった。
士郎は言う。
「念のために言っておくけど、あいつが悪事を働いたら、それを止めるのが先決だからな。話すのはその次だ」
「ええ。分かってる……って。あれを見て」
なんて彼女が指差すところに、数台のパトカーがパトランプを光らせているのが見えた。有名チェーン店の弁当屋の前である。
「対応が早いわね。犯罪予告に敏感だからかしら。この前警察署を燃やされたのがよっぽど来てるのかもね」
「でも学校じゃないだろう、あそこ。ほら、からあげがおいしいとこだ」
「じゃ無関係みたいね。とりあえず、急ぎましょ。もしかしたら学校にも既に警察が来てるかも」
既に移動中に井垣に連絡しており、学校から生徒や教師を退避させるよう対応は済んでいるはずだった。井垣の傘下の学校であることもそうだし、ああいった犯罪予告があっては、授業も正常には行われないはずだ。当然、ガセならいい迷惑だろうが。
「あ、ああ……」
「おちついてください。ここの店長さんですか」
走る最中、士郎の耳に弁当屋の前での警察と店員のやり取りが聞こえた。
「変な男が来たんです! 突然バイトの大原君を、から揚げの油に……おええええ」
店長と思わしき男は嘔吐しながら警察に訴えていた。
皺寄せするほどに猟奇的な事件――足が竦んでしまうような、そんな――
「神流。今の聞いたか。もしかして」
「待って。街の様子がおかしいわ」
12時より30分早く、本来の犯行時刻に二人は学校の前に到着した。
士郎は驚愕した。
そこはいたって平穏だった。
警察の姿はなく、あったのは今まで目にした、平和な学校の様子。窓からは行きかう生徒の姿が見え、グラウンドでは体育が行われている昼休み直前の様子である。
「士郎君。電話が使えないわ。警察にも、誰にも連絡が通じない。ネットも駄目」
「そんな事……」
「待って」
神流はすぐに、最寄の店である近くの旅行代理店に入った。そして中の人と話すと、すぐに戻ってくる。
「やっぱりそうよ。このあたり、一切の通信手段が使えなくなってる。私たちの移動中くらいの時みたい」
「これも全部ファイアーマンの仕業か?」
「分からないけど。でもそのせいで、あの子が学校に連絡できなかったのだわ。私たちに連絡がこないのも、そのせいかもね」
「どうすれば……そうだ! さっきの弁当屋に警察がいたから、彼らに言えば」
「通信が全部駄目になった今、彼らが犯罪予告のために動いてくれるとも限らないけど……どこもかしこも混乱してるし。でも、私が行って来るわ。何もしないよりマシだから。その後は何とかゆりと連絡が取れるかやってみる。あの子との連携は必須だから」
「俺歯学校の人をどうにか退避させておく」
「分かったわ」
そうやって二人は解散した。
士郎はすぐにヘルメットを被った。単純表示機能を停止し、視界を裸眼と同じような状態にする。状況を把握しやすいようにするためだ。
そして閉じた校門を飛び越えて学校内に入った。都合のいいことに、校門を飛び越えた瞬間、緊急ベルが鳴り、グラウンドの視線がこちらに集まる。
「全員逃げろ!」
そうやって叫びながら学校に入った士郎は、すぐに目に付いた消防ベルを押した。
すぐに学校中にけたたましいベルの音が鳴り響いた。
当然、廊下や教室にいる生徒たちは焦りを見せていたが、一向に逃げ出そうとはしない。突然のことにただ困惑しているだけのようだった。
士郎はとっさに叫ぶ。。
「火事だぞ! 外に出ろ!」
だが、
「……火事だって。本当?」
「でも火なんてどこにも」
「あ、あのヘルメットって、ノアと同じ奴じゃない!? もしかして本人?」
本当にもどかしかった。視線は集まるものの、一人二人が渋々外に出るだけ……しかも、誰も外に逃げていないのを見て、戻ってくる者さえいた。
ヘルメットの隅に時間が表示されていた。
11時40分。あと20分しかない。
焦る士郎。
それに追い討ちするように、館内放送が鳴り響いた。
『テストテスト。たった今の放送は誤報です。現在、学校中のどこにも火災は確認できておりません。高い火災センサーが壊れてなければね』
なんと軽々しい放送に、どっと笑いさえ漏れていた。これで完全に生徒たちは危機感を失っている。もう誰も逃亡なんてしようと思わないはずだ。
「……くそ、どうすれば」
火事が嘘だとバレても、ヘルメットを被った男が乱入する事態は、なかなかに鬼気迫るもののはずだった。
しかし、このヘルメットが例のノアのものであったせいか、警戒はそこそこしていたものの、誰も脅威を感じてはいないようだった。ただ女子たちの注目を集めるだけだった。
「なになに、どうしたの? わ、ノアだ!」
聞き覚えのある声に、思わず士郎は振り向く。
そこには体操服姿のめぐがいた。どうやら外で体育を終えてやってきたらしい。
「めぐ……」
おもわず名前を呼んでしまうと、彼女は早足で士郎の元に近づく。そして、外から見えるはずのない顔をじっとにらんでは、
「その声……もしかして、士郎なの? というか士郎だよね?」
「……うん」
思わず肯定してしまう。
「すごい! 本物そっくりのヘルメット! って今日休むんじゃなかったけ」
どうやらコスプレまがいと勘違いしているらしい。
「どうしたの? さっき火災報知機が鳴ったけど」
これはチャンスだった。
「めぐ。聞いてくれ。ここにファイアーマンが来る」
「え?」
「信じてくれ。あと数分で来るんだよ。全部燃やしに。このままじゃみんな死ぬ」
「ファイアーマンなんているわけない……って言いたいけど」
「…………」
一変、声を潜め、真剣なまなざしになった彼女は言う。
「どうすればいいの」
「誰も学校から逃げてくれないんだ。だから力を貸してくれ」
「わかった。集団心理のコントロールだね。得意だから」
すると彼女は、勢いよく、「くるっ」と体を回して、背中を士郎の前面にくっつけた。そして、他の人に見えないように、体の後ろで両腕を組み、まるで士郎に拘束されているかのように振舞った。
そして叫んだ。
「きゃああああ! 殺される! やめて! 殺さないでええええ!」
その絶叫に辺りは静まり返った。
「この人ナイフを持ってるの!」
(……おい、いったい)
(早く声をあげてよ! このままだと私の演技が無駄になるじゃん!)
(そういうことか……)
士郎は遅々と彼女の意図を汲み取り、声をあげた。
「てめぇら、とっとと学校から出て行け! 出ないと、こいつを殺すぞ! おらぁ!」
いつか見たヤクザ映画を思い出しながら声をあげて、士郎は思いっきり、消防設備の入った赤い扉を思いっきり蹴り飛ばした。当然それは一撃で破壊され、その金属の破壊音が学校全体に響き、やっと望む阿鼻叫喚が学校に訪れた。
女の子たちは金切り声をあげて、いっせいに教室から飛び出していく。
めぐは振り向いて、
「嘘だったら停学確定かも」
「そっちのがまだマシだって。燃えまくるより」
「……ねぇ。もしかして、士郎って……本物のノア?」
破壊された消防設備いれを見て、彼女が勘ぐると、
「そうだよ。無敵のヒーロー。心配ないからお前も逃げろ。もう時間がない。あと17分で――」
「そんなにあれば、上の階まで行って叫び倒して来れるよ。いってくる」
「おい!」
なんていいながらめぐはぱーっと走っていく。途中一度足を止め、
「ノア隊長! GHCの一員として、私は民間人を助ける義務があります」
「おい、ふざけている場合じゃ」
だが彼女はパーッと上に登ってしまった。
「隊長じゃないっての……」
その後を追うようにして、士郎も走った。
「おい、どうなってるんだ! いったいこれは」
生徒たちを逃がす為に走るめぐ。その進行を妨げるように対峙したのは、学校でも数少ない男性教師の一人だった。強面で男としての人気はないが、どこか間の抜けた感じが受けている教師である。
「ヘルメットを被った男が暴れてるんです! 早く放送でもなんでも入れて、みんな逃がしてください!」
「ヘルメットって……あそこのか?」
教師が士郎を指す。
「知らないんですか? あれはみんなのヒーロー! 悪党は別のヘルメットなんです!」
「本当なのか!」
「いいですか。先生がここでみんな逃がさないと、みんな死ぬんですよ! そうすれば先生全員の人生オワリです! だったら放送したほうがマシでしょう! 誤報であるリスクと生徒全員が死ぬリスク、どっちとります?」
「お、おう。そうだな。わかった」
すぐに彼による学校に『緊急避難』の放送が入り、学校中の生徒たちが外への逃げ出していった。
成功だった。
そうして十分程度で、学校全体は、まるで今までの喧騒が嘘であるかのように静かになったのだ。
避難完了時刻は11時53分。一校舎の出入り口付近で、めぐと士郎は合流した。
「はぁ……はぁ……第二校舎とか体育館とか、別館も全員避難したと思う。トイレも全部」
めぐが肩で息をしながら士郎に告げた。
「だといいけど」
「正直わかんないけど。でもやるだけはやった。あとは……本当にファイアーマンが襲ってくればいいけど」
「縁起でもないこというなよ」
「でも……本当にくるでしょう?」
「多分、な」
「私、どうすればいい?」
「校門の前に結構生徒たちがいるみたいだから、事情説明しておいてくれ。何もなかったら、全部俺のせいにすればいいから。脅迫されてやったって」
「……ヒーローじゃなくなるね」
「どうでもいいって。それより、ほら、早く逃げろ。本当にヤバイぞ」
「ヤバイって言われても」
『ヤバクはないよ。同じやり方だかんな。前と』
「……!?」
「な、なに? この声は」
そうめぐが声をあげる。
それは、火災警報の後に聞こえた声と同じだった。『心配ない』と冗談を飛ばしたアレである。
飄々とした、だけど特徴のない――教師の声だと士郎が勘違いしたそれだった。
『わるいな、耳なし。12時まで何もしない約束だったけど、こうやってしゃべっちゃって。でも本当は11時30分だったし、いいよな。しゃべるくらい。まだなーんもしてないから』
「ファイアーマン……か?」
『そうだ! もう一つ謝るよ。電話とか全部止めちゃったろう? 通信会社には悪いことをしちゃったよ。でもあれは俺がやったわけじゃないから、勘弁してくれよ。見ただろう? 俺はSNSに画像を一個載せるだけでも苦労してんだぜ。通信妨害なんでできるわきゃない』
「なんなの、この人……」
『めぐちゃんめぐちゃん。元気かい? 君の事は良く知ってるよー』
「めぐ。今すぐ出て行け。こいつの言葉を聞くな」
『いや、聞いてもらうさ。ヒーローに憧れてるんだろう? 君は、人の命を助けることができるからな……さっきみたいに、みんなを逃がしたようにね。「言葉の力で」』
館内放送の向こうにある彼の鼻息が共鳴し、学校中に気味の悪い音を立てる。
『さて、12時まであと……5分ちょっだ。今日の主役を紹介するぜ。勘違いするなよ、耳なし。お前はヒーロー気取りかも知れないが、主役じゃないんだよ。主役は、ヒーローが超人ではあまりにも面白くないだろう? 俺はヒーロー嫌いなんだ。殺したいほど嫌いなんじゃない。あくまで無関心なのさ。強大な力に興味はない。あるのは……あくまで人の内面の強ささ。それこそが、ヒーローの証だろう?』
彼の言葉の途中から、足音が聞こえていた。
そして、校舎の中から、一人の男が――生徒であるはずのない中年太りの男が、姿を見せた。汚れたシャツ。黒縁のめがね。顔のにきびとそり残しのひげが目立つ、あまりお洒落とは見えない。
『そしてもう一つ、私が最悪だと思っているのが「言葉」だ。汚い言葉、人を傷つける言葉、そして……人を操る言葉。何が最悪かって、いわば心理学ってやつだよ。大して知らない人に「言葉」をパズルのようにうまーく組み立ててけしかけて、相手を意のままに操る。コレはよくないよね』
彼の心理学の定義は滅茶苦茶だったが、それは問題ではなかった。
「お前だって同じ事を……」
『ノンノン。それは違う。私がやっていたのは、心の会話だ。心理を利用したトリックではない。めぐちゃん、君の武器のトリックと、私の心の篭った言葉。この違い、分かるか?』
太った男は震えていた。だが何も口にすることなく、ただその場に涙を流し、立ち尽くしている。その口には、トイレの小便器に入っているような消臭剤が何個もぶちこまれており、その口はガムテープで乱暴に閉ざされていた。
『こいつは俺ほどじゃないけど、悪いやつだよ。なにせ、人の悪口をすぐ言っちゃう。最悪の口の持ち主だ。ま、主に指で人の悪口をするけどな。本当は全部切り落としてやろうと思ったけど、痛かったら主役はできないからね』
「う、うううう」
『でも、こいつの最大の罪は、口が臭いことだ! なんて酷い臭さだ! 人の悪口ばっか言ってるせいか? それとも食生活の乱れか? とりあえず臭いんだよ』
「……な、なんなの」」
『さて、ヒロインはめぐちゃんだ。百年前の映画ならともかく、時にヒロインはヒーローを助ける為に体を張るもんだ。違うか? だから、ここはめぐちゃんに、この豚と……あとこの校舎を助けてもらうよ』
「いい加減にしろ! めぐは関係ない!」
『黙ってろ脇役! 殺すぞ!』
その叫びに、士郎は気圧されて黙ってしまった。
『いや、すまない。君のことは殺せないよな。無敵だからな。だから殺すっていうのは撤回する。殺すのは君じゃなくて、第二校舎の最上階の彼女だよ』
「それって……先輩のこと!?」
『そうだ! 天才少女だ! 私が知る中では二番目の天才だがな。不運にも、あの狭い部屋の電子ロックが壊れちまったようでね。出れないみたいなんだよ』
「やめて! どうしてそんな酷いこと」
『それは君の命題だろう? 犯罪心理学……悪とはなにか……めぐちゃんの十八番のはずだ』
「…いや。私、そんなの」
『さてと! はいヘルメット君。君の任務は、第二校舎の彼女を助けることだ。この場にはいなくて結構。扉をぶちやぶって、天才少女を助けてやるがいい。その間、俺はめぐちゃんと遊ぶさ。ほらいけ。天才少女が死ぬぞ?』
「くっ……」
士郎は動けなかった。この場にめぐを一人置いていけ、ということであるのだ。
『おい、耳なし。はやく。めぐちゃんは確実に死ぬわけじゃない。だけどほっとくと、天才少女は百パーセント死ぬぞ? 信じてやれないのか? めぐちゃんという友達を。だってめぐちゃんは君のこと、信じただろう? ファイアーマンがくるってさ』
「士郎……行って!」
「めぐ」
「いいの。怖いけど……なんとか、なんとかするから!」
「だけど」
「先輩を助けてえええ!」
「うっ、うう……」
士郎が去り、一人なった瞬間、めぐは泣き出した。
恐怖と絶望。机の上で、研究の中では出会えなかったタイプの人間。
考えもしなかった、想像を絶する状況と、常軌を逸する人物の声。
そこにいるだけで精一杯だった。
『さて、めぐちゃん。泣かないで。別に私は、めぐちゃんを殺そうとしているわけじゃないよ。ただ一つだけやって欲しいことがあるんだ』
「な、なにを……すれば……」
『簡単だよ。目の前の、口臭い豚を助けてあげるんだ』
「え?」
この場にファイアーマンの姿はない。ただ、その『口臭い君』は、口に消臭剤を突っ込まれて立っているだけである。
『こいつはね。歩く時限爆弾みたいなもんだ。あと3分くらいで、12時丁度で、体が燃えて、死ぬ。学校も燃える。まあ、人命に比べればたいしたものじゃないさ』
「…………」
『できることは二つある。一つはそのまま逃げる事だ。そうすれば見ず知らずの豚君は死ぬ。校舎は燃える。めぐちゃんは助かる。それで終わりだ。まあ、豚の夢を見ることになるかも知れないけど』
一拍おいて、続ける。
『二つ目は、彼を助けることだ。実はね。彼を学校の外に出せば、その爆発装置は解除される仕組みになってる。だから彼を外に出せば、二人とも助かって終わりだ。どうだ、簡単だろう?』
「それで……いいの……?」
『ああ、それでいい。ついでに一つヒントだ。これに君を選んだのは理由がある。君が学んできた心理学の、その邪悪な言葉の力を使う必要がある』
彼女は自分に言い聞かせるように頷いて、ゆっくりと男の下に近づいた。
『ああ、そういえば。正義のために働きたいのが夢なんだよね。でも警察なんかの法に基づくんじゃなくて、言葉と心で、人を正しくしたいと。傲慢だけど正義だ。間違いない。君はヒーローで、ヒロインだ』
「ね、ねえ……一緒に逃げましょう?」
めぐは男に声をかける。
『だけどね……限界は、あるんだよ。言葉には』
「どうして動かないの。ね――っぁ」
めぐは、男に近づいた。本当に近く、彼が手に触れるところまで。強引にでも彼を引っ張ってここから出そうとしたのだ。
だが、それはできなかった。彼の腕が動いたから。
その腕が、その太い指が、少女首を掴み、締め上げたから。
『私は嘘はつかない。確かに「私は君を殺さない」。だけど、豚はお前を殺すんだ。言ってあるんだ。「この場所でめぐちゃんを殺せば、君を助ける」ってね』
「あ、ががっ……あ」
『そういう事もあるんだよ。めぐちゃん。どうしようもないことって、あるんだよ。外に出れば助かる。だけど出れば死ぬ。そういうありえない事が、平然と同時に起きる。それが悪ってものだ』
「あぐぐぐぐぐぐ!」
『めぐちゃん、言ったでしょう。限界はあるって。説得してごらんよ。自分を殺さないで欲しいってさ。女の子の命を自分の為に奪っちゃ駄目だよって』
「あ……っ……ああ」
『できないよね。しゃべれないもん』
そう時間はかからなかった。
地形をものともしない士郎の走り。歩きで数分はある第二校舎に、一分足らずで到着することができた。階段を登り、神流の特別教室までたどり着く。
鍵かかかっていたが、なんの躊躇いもなく士郎はノブを強引に回しては破壊して、扉を開けた。
「よう」
そこには、彼がいた。ミハルもいた。
ねずみ色のトレンチコート、ツバの長い帽子。そして、露出する肌を全て包帯に巻いた男。唯一といっていいほど露出した場所は、その赤い瞳で、瞳周辺の数センチの隙間から、黒く焦げた肌が見えている。
怪人。その言葉がぴったりだった。
彼はいつも神流が座る椅子に腰を下ろし、気を失った神流を足元においていた。彼女の白衣は脱がされていて、上着がずらされ、肩と胸が胸部の少し上までが露出している。
「お前――」
「ま、まま。待て待て。別に犯そうとしてわけじゃないって。あそこまで包帯巻きだから、ぜんぜん無理だよ。それに、そういうのはあんまり趣味じゃない」
「今すぐ立て。出てくるんだ」
「待て耳なし君。落ち着けって。そんな事やってたら、大事な物を見落としちゃうだろう?」
「なに言ってんだよ」
「ほら、ここは特等席なんだよ。高いところから、第一校舎が良く見える。そして」
彼はパチッと指を小さく鳴らし、
「どかーん」
彼の言葉と同じタイミングだった。
彼の言うとおり、窓から見渡せる第一校舎が、轟音と共に大爆発を起こした。
「…………あああ」
窓という窓が火柱に押し出され破壊され、炎はアスファルトを溶融しながら黒い煙を上げていた。生物のように炎は少しずつ勢いを増してゆく。
第一校舎は、既にその全貌が分からなくなるほどの赤に包まれていた。
それが何を意味しているのか。
「め……ぐ……」
「古典的な手は使いたくないが、おとなしくしないと天才少女をどうにかするからな? って……おーい」
士郎には何も考えられなかった。
膝をつき、炎の中に消えた女の子がいる。
自分がついていなかったから独りにさせたから。
「あーあ。これだから……ヒーロー気取りってのは嫌いなんだよ。悪党が目の目にいるだろう? あの子を殺した俺がいるのに、脱力してる場合か? 目の前にもう一人助けた必要な女の子がいるんだよ。それなのに、そうしているのか?」
「…………」
「まあ、いいや。そのヘルメット録音とかできるか? わかんねぇから、言いたいことは、あとでSNSに書くよ。じゃーなヘタレ」
彼は倒れていたミハルを乗り越え、士郎の肩を叩き、歩き去ってしまった。
「……大丈夫だから……大丈夫」
「…………」
目は開いていたと思う。だが、何を見ていたかは覚えていない。
揺らぐ炎。窓から見える炎が視界と思考を燃やしていた。
ヘルメットが転がっていた。外した覚えのないヘルメットがかなり遠くの床に転がっていた。無意識にか、意味などないのに、今更なにを気取るつもりなのか――手が届くはずもないそれに手を伸ばそうとしたが……できなかった。
誰かが、自分を抱きしめていたからだ。
「初島君……大丈夫……」
助けるはずだった彼女。ミハルは、自分を助けていた。
硬直する体を抱きしめ、頭を撫で、何度も耳元で囁いてくれている。
やめて欲しかった。抱きしめるのは。自分を案じるのは。
あの校舎であったことだけが頭の中にあったから。
彼女のたった一人の親友が――だから、やめて欲しい――
「めぐが……」
「……え?」
「めぐが……あの中に……燃えて……」
「なに言ってるの」
「俺が……めぐを見殺しに――」
「馬鹿なこと言わないで。そんなのあるわけないでしょ。めぐ」
「どうしたの? ミハル。士郎大丈夫だった?」
「めぐ……」
間違いなかった。顔と服は黒ずみ、髪は少し焦げていたが、それは間違いなくめぐだった。思わずミハルから離れ、彼女を抱きしめてしまう。
「や、やだ。やめてよー。そういう関係じゃないでしょー」
「死んだかと……」
「……うん。死にかけた。ギリギリだった」
「よかった。本当に……」
脱力し、倒れこむ士郎を見て、なぜかめぐは照れくさそうに笑った。
「先輩も大丈夫?」
「うん。急に鍵が開かなくなって焦ってたら、いきなり気を失って。気づいたら……初島君がいたんだ。このヘルメットつけた。めぐちゃんは大丈夫」
「ちょっと結構怖かったよ。へへ」
よく笑える。士郎はちょっとした苛立ちすらしてしまったが、それでも彼女が無事である喜びに勝るわけもない。
「でも……あの人は多分死んじゃったと思う。太った男の人」
「どういうこと?」
ミハルが訊ねるが、彼女は答えず、
「とりあえず、みんな出よう? 警察にも話した方がいいと思うし。」
なんてめぐが先導して歩くと、ミハルも立ち上がる。だが、その後は追わなかった。
「どしたの? 先輩」
「ここのバックアップ、取ってから行こうと思って」
ミハルは自分の特別教室を指差して言う。
「もしかしたら暫く閉校になるかも知れないでしょ。それに……今日みたいに通信が駄目になることだってあるかも知れないから、物理バックアップ取っておこうかなと思って」
「よくわかんないけど、どのくらいかかるの?」
「10分くらいあれば」
「分かった。じゃ、待ってるね」
なんて彼女は特別教室前の廊下で座りこむ。ミハルは「ごめんね」と言い、教室で作業をはじめた。
士郎はというと
「どうしたの? 士郎」
「ヘルメットが……知らないか?」
向こうに落ちていたヘルメットが消えている事に気づき、士郎は辺りを見回した。だが、あたりに、あの頭くらいの大きさのそれは見当たらない。特別教室に転がったわけでもないようだ。
「さっき向こうにあった奴だよね。そこの屋上階段の所に転がってたんじゃない? ここから見えないとこ」
めぐが廊下の向こうの角を指して言う。士郎は頷き、そこに歩いて向かおうとした時、
「ね、士郎がファイアーマンをやっつけて、ミハルのこと助けたんでしょう? そうだよね。だから、ここにあの嫌な奴がいないのよね」
「うん、そう。初島君が助けてくれた」
ミハルはすぐに嘘を口にした。
多分そう言う方がめぐも安心するだろうと考えたからであろう。だが、それは士郎にとって、ただただ空しいだけだった。
「……めぐは大丈夫なのか? 本当に」
士郎が訊ねると、彼女は煤のついた頬を掻きながら力なく笑う。
「まあ本当は……結構ね。殺されかけたとはいえ、人が死んじゃったから」
「まさか、ファイアーマンのことか?」
「ううん。あの男の人」
「じゃあ、殺されかけたって……」
「ファイアーマンに命令されたみたい。私を殺せって。でも……結局無事だった。助けてくれたから」
「助けてくれた? 誰が」
「ファイアーマンが」
「…………は?」
思わずバックアップ作業中のミハルもめぐを見た。
「どういうことなの?」
「その男の人に首を絞められて、殺されかけた」
彼女は赤くなった自分の首を指差した。
「でもね。そのファイアーマンの人がやめさせたの。で、自由になってすぐに外に走って……その後、学校が燃えたんだ」
「ねぇ、ファイアーマンって、あの……怪人よね。学校を燃やしたのって彼なの?」
「ファイアーマンが先輩を人質にしてたって言ってたけど、会ってないの?」
「私は気を失ってただけだから……」
「そうなんだ。そっちのがラッキーかもね」
笑うめぐに、士郎が質問する。
「どうしてファイアーマンは、めぐを逃がしたんだ?」
「わかんないけど……でもさ」
座り込んでいためぐは膝を抱えて、その疑問を口にした。
「本当にあの人、悪い人なのかな」
「学校を燃やして、人を殺して、高野を刺したのもアイツだ。どこをどう見ても」
「分かってるよ。でもさ……でも、彼がいたから助かったから」
「何言ってんだよ! そもそもあいつが原因なんだろう、死に掛けたのは! ちゃんと思い出せよ! 井垣だってあいつに――」
「初島君」
思わずめぐに詰め寄った士郎。その迫真の表情にめぐは萎縮したが、ミハルの嗜めで士郎は感情的な自分に気づき、詫びながら体を引いた。
「悪い。めぐ」
「こちらこそごめん。やっぱり私、混乱してるみたい。変なこと言ってごめん……」
「代わりに、私がヘルメット取ってくるね」
「いいよ。俺が取ってくる」
「えー! 被ってみたいと思ったのに。強くなるんでしょ?」
めぐに無理をさせてしまったことを申し訳なく思いながら、士郎はヘルメットが転がっていったと思われる場所に向かった。
最高の結果とはいえないが、少なくとも見知りの二人がなんともなくて良かった。そう考えると少しばかり気分が良くなった気がする。
何もできずにいた自分なんだ。少しは明るく振舞っておかないと――そう考え、士郎はヘルメットを被って二人の前に登場し、少しふざけてやろうと思った。
「ヘルメットはどこに――あれ?」
屋上へと続く短い階段。ヘルメットは何故か、その階段の『上』にあった。
当然ありえない。球体であるアレが転がって、上に登るわけがないのにだ。怪訝に思いながらも、階段を登り、それを手にする。
『――――君。士郎君、聞こえる?』
ヘルメットがしゃべっていた。付属のヘッドフォンから神流の声がする。
士郎はそれを被り、すぐに返事をした。
「聞こえる。神流?」
『やっぱり通信直ったみないね。どこにいるの?』
「第二校舎の最上階。ミハルとめぐと一緒にいる」
『何かあったのね』
「ファイアーマンと会った」
『本当に!? 彼、どこにいるの?』
「俺の心配はないのか」
『いる? 心配なんて。無敵の癖に』
「……そうだったな」
そうでない自分を痛感した今それを言われると辛い。だが、
『冗談よ。もちろん心配に決まってるでしょう。好きなんだから』
「取り繕っても遅いぞ」
彼女は笑う。
『ま、それはともかく、私もあの子も特に問題はないわ。今アジトであの子と合流して、そっちに向かってるところ。ニュースでやってるけど、酷い状態ね』
「生徒は無事だと思う」
『無事の確認が取れていないのは二人ってテレビは言ってるわ。士郎君は出席していないから、めぐとミハルね。捜索中と出てるから……多分すぐに第二校舎にも誰かが行くと思う。すぐにそこから出て。見つかると困るでしょ? ヘルメットの男が女子生徒を人質にとり……って下りを見ると士郎君が何をしたか想像はつくけど……でも、あんなやり方じゃヒーロー形無しだわ』
「人が助かればなんでもいいだろう」
『そういう考え方もあるわね』
「そうだ。神流。SNS、見たか?」
『いいえ。まだ見てないけど』
「何かファイアーマンのSNSにないか? 次のというか……」
『確認するも何も、あのアカウント――』
「っ…………」
『どうしたの?』
「…………」
『士郎君?』
「悪い。切る」
『ちょっと待って一体――』
「そうだよな? 他の人と話すとき電話なんて論外だよな? マナーはできているね。耳なし君」
「…………」
士郎のヘルメットの隣には、顔があった。
その包帯の顔が、近く。ヘルメットの強化カーボン製のガラス板を隔てた、すぐ隣に。
「向こうの娘たちに聞こえないようにしよう。私が登場すると全員、びっくらこいちゃうからな。特にめぐちゃんは」
「何が……目的だ」
「とりあえず、屋上あけてくんね? 当たり前だけど鍵、かかってんだよ。俺だと時間かかるから。ほら」
士郎はおとなしく彼に従う事にした。
もしかしたら、彼に『勝つ』ことは容易かも知れない。しかし、彼の怖いところは、そういうところじゃないことは身に染みる程知っている。
士郎は屋上への頑丈な鍵をノブを捻ることで破壊し、扉を開いた。
「すっげー。ちょっと感心」
開けた屋上に士郎が出ると、それから数歩遅れる形で彼も姿を見せた。
晴天がこれほど似合わない男がいるだろうか。
「ちゃーんと話すのは始めてだよね。人質とかなくさ。ああ、ヘルメットは取らなくていい。私も顔隠しているだし、フェアじゃないと」
「一体なんなんだよ。お前は」
「気の利いた台詞は出ないのか? 包帯を赤く染めてやるぜ、とかさ」
「…………」
「『あいにく何も聞こえないんだよね。耳がないから』ってのが模範解答だ。そんくらい成長して欲しいもんだよ。ま、これは映画じゃないからな。気取った台詞なんて言えるわけもないよな」
「…………」
「いやさ。あんな事言って去ったけど、アカウント凍結されてんだよなー。だから直接言っとかないといけなくてさ」
「何を」
「次だよ」
「……また、燃やすのか?」
「いや? 正直……今回のもやりたくてやったわけじゃない――なんだその顔、嘘を言うなってことか?」
当然士郎の顔が彼から見えるはずもない。
「この前は警察署を燃やした。今度は学校を燃やす。なんとつまらないやり方だ。できる限り楽しんでやれるようにするのが心情で信条なわけでさ」
「……やめてくれ」
「やめさせればいいじゃないか。ここで私を殴れば終わりでしょうに。その力で。誰も死ぬことはなくなる。それとも、漫画と同じか? 人殺しは絶対にしない……ってか?」
「俺はヒーローじゃない。漫画とは違う」
「だから適当ってことね。それでいいよ。別に君と私は因縁のライバルでも何でもないから」
「俺らに付きまとうのはやめてくれ」
「それは違うな。付きまとったのはお前らだ。GHCだよ。グレイテストヒーロークラブ……ってヒーローじゃねーか」
「やめる。全部やめさせる」
「できるか?」
「絶対できる。だから……」
「ふん」
彼は鼻を鳴らす。
「私には目的がある。何も私はカオスの権化ではない。それを達成するまではやめないさ」
「達成すればやめるのか?」
「もちろん。付け火もしないし、人も殺さない。もちろん君たちに付きまとったりも。保障するよ。私は約束は破らない。30分時間を変えることはあってもさ。知ってるだろう?」
「目的って、なんだ」
「手伝ってくれるのか? なんてことだ。最強の味方ができたな」
わざとらしく彼は両腕をあげてバンザイする。
「なんて、別に手伝いなんていらない。それとも、私と一緒にマッチ片手に夜の街を繰り出せるってのか? あのな。目的のために手段を選ばないというのは、プロがやることだ。私みたいな。君のことなーんも知らないし興味はないけど、子供だろう? きっと。学校にいるし」
「…………」
「子供が大人のやる事に手をだすんじゃない……といいたいところだけど、メッセンジャーくらいはできるだろう? できるか?」
「言えよ」
「最終目的ではない。当面の目的のために、欲しい物があるんだ」
彼は一歩近づいて、囁くように言った。
けして士郎にできるはずもない……一つの条件を。
「どうしたの? ずいぶん長かったね」
ミハルが屋上からやってきた士郎を迎える。当然、深刻な表情を見せていた士郎だが、あんな事があったあとは当然、と思ったのはミハルは特に追求しなかった。
その手にはしっかりとヘルメットが握られている。
「二人は、普通に出てってくれ。俺は窓から逃げる」
めぐがポンと手のひらを叩く
「そっか。士郎、犯罪者だもんね。か弱い女子を人質に……って。でも、まあ全部ファイアーマンの仕業になるだろうし、心配しなくていいんじゃない? ま、なんとかなるっしょ。いざとなれば、士郎君がふざけてただけですーっ言えば済むと思うから」
「いこう。めぐちゃん。初島君。あとで、ね」
士郎が頷くと、二人は軽く別れのしぐさを見せて、階段を下り去った。
「…………」
開かれた屋上に、もう人の姿はない。士郎はそこから跳び校舎裏に着地して、そのまま人ごみに紛れた。ヘルメットを片手に歩く少年を誰も気にしてはいなかった。誰も、彼のことを知らないから。だけど、
「いた」
「士郎君!」
視線を惹く黒い彼女とヘッドフォンの二人は、まっすぐに士郎を見つけ、駆け寄ってくれていた。
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