6話 「日常」

 井垣の通う女子高。

 パソコンと、それに接続された機器がほぼ全てを占める特別教室C。

 その場にいるのは士郎と井垣、ミハルとめぐの四人。

 その四人は部屋に同時にいることはできず、ミハルだけが部屋の中に、そのほかの三人が扉の開いた外で彼女と対峙する形になっていた。

 士郎はミハルとの再会で動けなくなっていた。

 正しくは、過去の彼女のと再会を想起させ、対応する方法を見失っていたのだ。

「めぐちゃん。悪いんだけど……井垣さんと一緒に別の場所で時間を潰してくれる? 彼と二人きりで話がしたいんだ」

「あ、うん……いいけど」

 と、めぐが井垣を見下ろすが、井垣は見ず知らずの彼女からの突然の指示が気に食わないのか動こうとはしない。

 井垣の性格からみれば当然だろう。ミハルもめぐも彼女とは知り合いでもなんでもないし、そういった人と仲良くするようなタイプでもないから。

 だが、そんな井垣の性格を配慮するような余裕は士郎にはなかった。

「井垣。ミハルと……話させてくれるか?」

 なんてお願いすると、彼女はゆっくりと首を縦に振って、その場を後にした。それに続けてめぐもそこを去る。井垣も流石に士郎の態度で何かの深刻さを感じ取っていたからだ。

「入って」

 超人であれ、怖いもの知らず、ではないと自覚はしている。だが、士郎はその言葉に従い狭い部屋に足を踏み入れた。

 とても近い距離だった。

 彼女は扉を閉めると、隣に立てかけてあった折りたたみ式のパイプいすを出して士郎の席を作り、自分はパソコン前に立つ。

 結局、二人とも椅子に座る事もなかった。

 今回も先に口を開いたのはミハルだった。

「これは……叔母さんの影響かな? すっかりインドア派になっちゃってね。あ、何か食べる? 常におやつを常備してて――」

「ミハル」

 換気扇はあったが、この狭い場所は息苦しかった。だから、すぐに話して欲しかった。 

 彼女の思うところを。このけして彼女にとって気分がいいとは思えないはずの、この再会は多分、互いにとって好ましいものではないのだから。

 彼女は、小さく笑った。

「初島君。私、昔のこと気にしてない。ううん、気にする必要なんてないの知ってるから」

「え?」

「あの事故は、誰のせいでもない。あえて言うなら、急なカーブと、疲れた運転手と、無理をさせていた運送会社のせいだけど、もう全部なくなったから。悪いのは誰でもない」

「でも」

「あの事故ね。監視カメラに映ってたの」

「えっ?」

「まず、トラックと私の車がぶつかった。その後に、画面の向こうか初島君がやってきて、さらに別の車がトラックに突っ込んで、何もかも押し出されてカメラから姿を消した。それが全部」

 当然、高速道路全てを監視カメラがフォローしているわけではないが、偶然にもあの場所は収まっていたらしい。

「最初は……ビデオを見せられるまでは、あんな事言われて……うらんでた。それであの日から、初島君と事故のことを調べた。初島君の正体を暴露して、事故の真実を明らかにしたかった。超人少年が原因だったという馬鹿げた証言を真実にしたかった」

 どこか悲しそうな、だけど安堵にも見える小さな笑みを浮かべ、続ける。

「でも、悪意も犯人もなかった。私がやってたことは、無意味だったって気づいたの。最初は唖然としたけど……でも、すぐに次に考えたのは、どうして初島君がそんな嘘をついたかってこと。その答えは、すぐに出たけど」

 彼女は自分の方にゆっくり手を伸ばし、力なく垂れていた左手を両手で優しく握った。

「私を救うためだって。私のために、悪役になってくれた。怒りの矛先を作ってくれた。私を何度も救ってくれてた。それに気づいたから」

 彼女は全部知り、理解してくれていた。

「……もっと酷いことになる可能性だってあった。あんな状態のミハルを追い詰めたんだ」

「ううん。正しかった。初島君が悪党になってくれる前――アレ以上酷くことなんてなかった。初島君が何もしないでいたら、私は終わっていた。事故の時に、飛び降りた時に、その後に」

 握った手を離して、彼女は言った。

「だから全部分かって。それで……気づいたの。初島君はヒーローだって。あの頃からずっと」

 一歩、彼女は近づいた。手を握っていては、そうできなかったから。

 士郎の目に一歩近づいた彼女の顔があった。髪は痛んで、顔は細く不健康にも見えた。だけど、その顔は昔の――事故に気づくまで眠っていた無垢な少女の面影がはっきりと残っていた。

 その顔が、士郎の顔にさらに近づいた。

 互いの顔は、もう鼻が触れる程に近かった。彼女は身長を合わせるために、ゆっくりとつま先を立たせて、目をつぶって――

『結局は男と女ですね』

「――――!」

 突然の声に驚いて、士郎は思わず体を離した。

『二人っきりですることはそれしかないんですか?』

「い、いったい?」

 姿なき声に驚愕し、あたりを見回して――すぐに、その声が彼女の背後にあるPCからの音声であることに気づいた。

 そこのスピーカーから、その無機質な女性の声は聞こえている。

「な、なんだよこれ」

『君より賢い存在ですよ。ま、私と比べなくてもあなたは自分の劣等さを――』

 彼女がPCを操作すると、すぐにその声は立ち消えた。

「……もう。ごめんね」

 当然知っているかのように話す彼女に士郎は訊ねた。

「どういうことなんだ? 今のは?」

「叔母さんのこと、覚えてる? 私を引き取った。会ったんだよね」

「あ、ああ」

「叔母さんね。AI研究の第一人者なの。これはその影響。今しゃべったのは、私が作ったAIのEVIL――ようは『悪』ね」

「悪?」

 AI技術は近年になって急速に発展した技術だった。状況によって例外パターンの取捨選択をマシーンが自己判断する程度のAI技術は既に確立され、公共交通機関などで既に用いられている。

 そして、その技術で「コミュニケーション」を行うAIは実用化まで後一歩のところである。対人コミュニケーションの必要なサービス業、また架空の人物とのコミュニケーションを楽しむなどの娯楽的要素での活躍が望まれる。

 彼女はその研究をしているというのだ。

「悪って……どういうことなんだ?」

「そのまま。ただ純粋に悪い奴なの。カメラで相手を把握し、相手を傷つけ、馬鹿にする。そんなAIを目指してるの」

 思わず士郎は笑ってしまった。

「どうしてそんなのを」

「難しいことだけど、必要なことだから」

「どういうことだ?」

 肩をすくめて、彼女はやっと椅子に座った。それに次ぐように、士郎も用意されたパイプ椅子に座る。

「さっき、めぐちゃんが初島君を襲ったでしょう? というか、いじめみたいなものね」

「アレは演技だったんだろう?」

「うん。ごめんなさい。試すような真似して……あんな事とは真逆にいる子だからね」

「どうしてそんな事を?」

「あの子は私の、いわば共同研究者なの。といってもまったく私とは別の専門だけど。私は技術的な方面、彼女は心理学的な……つまり『悪とは何か』という心理的な部分に興味を持って研究している。それで、この『悪のAI』の製作に協力してくれてる」

「実験の一部、だったっていうのか? あの襲撃は」

「少なくとも私は初島君とは普通に再会したかったけど。初島君のことを話したら――もちろん、能力の事以外の……その、優しいところとかを。そうしたら、なんか私が好きな男子が気に入らないみたいで……本当かどうか試すって言って。でも、止めなかった私も悪かった。会う前に、どう変わったかって、知りたかったから」

 さりげなく『好きな男子』なんて言葉が入っていたが、士郎は気づかないフリをした。

「で、どうだった? 結果は」

「変わってなかったけど、どうであれ関係なかった。どう変わってても、私にとってヒーローであることは代わりないから」

「本当に悪党になっててもか?」

「うん」

 すぐに肯定する彼女。それについて喜ぶべきだろうかどうかは分からないが、昔ほど苦しんでいない彼女がいることは間違いなく喜ばしいことである。

「でも、結局どうして『悪のAI』なんだ? さっきの言い草といい、気持ちのいいもんじゃないだろう?」

 その疑問に、彼女は短絡的に、こう答えた。

「必要だから」

「必要悪って奴か?」

「どうだろうね。それとはまた違うと思う」

「どういうことだ?」

「初島君の事を考えて作ったの」

「俺?」

 彼女は経緯を語った。

「事件の真相を知った後、叔母さんにAIについて教わった。気がまぎれると思ってね。偶然それが私に合ったってのもあるけど。それで、すぐに悪のAIを作ることを考えた」

「どうして俺とそれが関係あるんだ?」

「初島君には力がある。そして、それを使って私を救った。だけど、初島君がそういう場面に何度も遭遇するとは限らない。この世の中で、初島君の力が絶対的に必要とされる場所は、残念だけど多分そんなに多くない」

「そう、かもな」

「だから考えた。初島君に力を意味のあるものにするには。誰もが初島君の存在を認め、初島君の力が『正しい物』である事を認める方法はなにかって」

「まさか……」

「それが『悪党』の必要性。絶対的な、疑いようもない、純粋な悪党。物語に出てくるような、悪いことをするために悪いことをするような存在が必要だと思った。そんな人なんて殆どいないから。……正義のヒーローのために悪党を作るなんて、本末転倒だけど」

 士郎は真っ先にあの炎の男を浮かべてしまったが、あえて口には出さなかった。

「初島君に教えてもらったことだよ」

「俺に?」

「私のために、初島君は悪人になってくれた。そうして、私を生かしてくれた。だから私も、初島君のために、同じ事ができるかもって……そう思ったから。悪いのを作って、初島君のためになるかも知れないなんて思って。悪党がいて……それと戦えるのは初島君だけなら、きっと誰もが初島君の事を認めてくれるし」

「…………」

「なんてね。理由は嘘じゃないけど、本気でそんなものを作ろうとしたわけじゃないよ。ジョークAI……っていうべきかな。それに、ただ悪いっていっても、さっきにみたいに悪口を言う程度だから。本当にEVILを悪党にするんだったら、AIが搭載できる人間並みの動きができるロボットが開発されないとね。あと二百年は必要なんじゃないかな」

「はは」

「本当は別のAIを作ってたけど、そっちは失敗しちゃったから……しばらくは勉強ついでにね」

「それはどんな感じのなんだ」

「……大した物じゃないよ」

 彼女はそれには答えなかった。何か言いづらそうである。もしかしたら企業秘密、って奴かも知れない。

 彼女はPCに接続していた自分の携帯を手にし、めぐの元に連絡した。話は終わったから、と伝えている。

「なんか楽しくやってたみたいだよ。二人で」

「意外だな」

「めぐは心理学科の子だからね。人心掌握術とかも得意だから……なんて、そういうのを使わなくても誰とでも仲良くなれる子」

 なんていいながら、彼女は通話が終わっても携帯を操作していた。

「そういえば知ってる? GHCっていう、今ネットで話題のヒーローグループ」

「あ、ああ……」

 わかりやすい困惑を見せた士郎を見て、彼女は笑った。

「やっぱりこのノアってヒーロー。初島君なんだ」

「…………」

 沈黙でそれに答えた。

「ナイフに刺されても平気な人なんて、そんなに多くないものね」

 士郎が知る限りは二人だった。多分、彼女が知っている人より一人多い。その一人ってのはもちろん黒いあいつである。

「ね、私も入れてくれない? このチームに」

「え? いや、その……それはどうだろう。俺、下っ端だし、それに……でも、どうして?」

「初島君と一緒がいい、って理由じゃだめかな」

「多分、だめだと思う」

「今度責任者と話させてもらえないかな。何か、手伝えることがあるかも知れない」

「いや、その。本当にやめたほうがいい。その……言い方は悪いけど、遊び気分でやっていけないんだ」

「真剣だけど」

「それでも駄目だって」

「どうして」

 全てを話す事はできなかった。

 だが、れっきとした事実はある。SNSに状況を掲載するような、遊び半分の集団に思われているのかもしれない。裸で女の子を助けるヒーローが所属しているチームだ。

 だけど、多くの人が知らない事実がある。

「危ないんだ。本当に……命が狙われるかも知れない」

「それは、本当?」

「嘘じゃない」

「もしかして……ファイアーマンに?」

「どうしてそれを!?」

「どうしても何も。SNSにいっぱいあるじゃない。ファイアーマンとか、ファイアーマン2とかαとか、色んなアカウントに口撃されてるみたいだけど」

 なんて、携帯を見せてくれる。

 その全てがヒーロー集団というグループに対して悪乗りしている、または遊んでいる普通の人のコメントばかりだった。類は友を呼ぶ。遊び集団と思われるGHCに乗っかって遊んでいるのだろう。

「でも、その様子だと、何か本当に良くない事情があるみたいね」

 士郎は頷いた。

「それでも私、手伝いたい」

「なあ、本当に嘘じゃないんだよ。命が狙われているって話は」

「それでもいいの」

「まだそんな事を言ってるのか。自分の命を」

「ううん。そうじゃなくて。私――」

「ただいま!」

 彼女の言葉を遮って、めぐと井垣が部屋にやってきた。何かおやつを山ほど抱えためぐと、その後ろでポリポリと棒状のチョコ菓子を小動物のように齧っている井垣がいる。

 どうやら仲良くなって遊んだのは嘘じゃないようだ。

 ミハルは笑って、席を立った。

「食堂にでもいきましょう。いろいろお互い聞きたいもあるだろうし。今日は、楽しくやりましょう? ね? 初島君」

「あ、ああ」

 狭苦しいミハルの特別教室を後にし、四人は食堂へと向かった。

 士郎は最後の言葉がしばらく気にかかっていたが、それ以降、ミハルがGHCの話題を口にすることもなく、その後が楽しかったせいか、すっかりそのことを忘れてしまっていた。

 そして、その「楽しさ」は五日程続くことになる。


 校内で自然とそのグループはできていた。

 メンバー構成は、学校唯一の男である士郎。そして、井垣。めぐに、滅多に自分の部屋から出てこないミハルが合流した。人とまったく付き合わない井垣とミハルの二人がいるグループに生徒たちは驚いていた。

 さらに、そこに二人の女子――入院している高野の友達二人――士郎が気をかけた二人が時々合流しては、あたかも親友グループのように盛り上がっていた。

 すぐに士郎は奇異の目で見られることは少なくなっていた。溶け込んだ、まではいかないが、仲良い生徒が大っぴらに登場したことによって、暗黙に男子生徒である彼を認める形となっていた。

 少しばかりのトラブルはあった。大勢の女子の中で一人男子という状況に、ちょっとした色恋沙汰のような事やハプニングはあったものの、士郎にとっては間違いなくいい思い出となっていた。本来の目的――井垣のボディガードという任務を忘れるくらいには。

 そしてそれをはっきりと思い出したのは、彼が予告した11時30分が明日に迫った夕方の頃だった。


 ゾロゾロと『いつもの四人』で放課後の寄り道をしていた途中のこと、士郎の携帯に神流からの呼び出しがあった。GHCメンバー、つまりは士郎と井垣への呼び出しである。

「今日カラオケいくのに……」

 井垣が文句を垂れて、ミハルとめぐに別れを告げた。

 士郎と井垣が二人きりになると、露骨にさびしそうな顔をする井垣。少し変わるものだ。

 井垣のヒーロー依存症は殆ど治っていた。特にめぐとの付き合いの中で、彼女が良くしてくれたのか非常にリラックスできていたようで、自然と士郎が遠くに離れていても、普通の学生のように、もしくはそれ以上に楽しく過ごせていたようである。

「仕方ないだろう」

「でも、ファイアーマンって約束、守るんだ。一度も、何もしてこなかった」

「そういう『人間』はいるからな。何があっても自分のルールを守るって」

「ええ。誠実に見えるけど『何があっても』それを実行できる。怖いのはその行動力と意思」

 合流したばかりの神流がそう言った。

 三人が合流したのは、神流の指定した、いつものマンションから離れた人通りの多い駅の近くである。

「前に言った通り、今日から三日休むって学校に伝えておいたわ」

「それはいいんだけど……何かをする、って予告があったのは明日だろう? どうしてぎりぎり今日なんだ?」

「相手がどう出るか分からない以上、二人が何か準備することなんてないから。妙に緊張してもらうよりは普通に過ごした方がマシよ。私抜きで楽しかったでしょう?」

「お前も混じりたかったのか?」

「ぜんぜん」

「……ごめん。神流」

 井垣が謝る。

「いいの。私そういうタイプじゃないから」

 井垣の肩を神流は軽く叩き、続ける。

「でも、戦闘訓練とか身を守る方法くらいは覚えて貰ってもよかったけど、残念ながら、うちのチームに戦闘のプロフェッショナルはいないから」

「エリノなら教えられるかも名」

「そうね。今度打診してみましょう。といっても、それが役に立つ可能性は微妙だけど。それに、また彼は部外者だから」

 電車に乗った三人は、利用者数の少ない線路の電車に乗り、ある場所へと向かっていた。十五分程電車を乗って降りた場所は、田舎に片足を突っ込んだような、遠くに野が見える場所である。駅から降りて十分歩くと、駅近くにあったなじみのある様々なファーストフードを中心にした店は消え、木々と舗装されていない道が唯一の場所になった。

「なんだよ、ここ」

 士郎が怪訝な表情を見せる。

 木々で囲まれた、まるで森のような道を歩きながら、彼女は教えてくれた。

「木が多かったのはちょっとまずいかも知れないけど……仕方ないわ」

「どういうことだ?」

「そこよ」

 鬱蒼とした木々が突然消え、不自然に開けた空間が姿を見せた。

 そこは森の中に隠れるように佇んだ生い茂るロッジだった。十数人は余裕で入れるであろう、なかなか立派なものである。

「ここも……井垣のか?」

「うん」

 井垣が頷く。疑問の声をあげなかったのは、この場所を知っていたからだろう。

「駅からも割りと近く、だけど、このロッジに用事がない限り誰もやってこない場所よ。ここが、あのマンションの代わりに新しいGHCの拠点になるわ」

「できれば普通に遊びに来たかった。空気もいいし」

「秘密の要塞。周りには監視カメラもあるし、なにかあればセキュリティーもくるわ。それこそ森の火事とかね」

 ロッジの周りにいくつかある木々に供えられたカメラを指して、彼女は言う。

 神流に先導され、そこに入る。

 内装は士郎の想像通り立派だった。高級な基本的な家具が配置されているが、所々にノートパソコンといった端末が無造作においてあったりするのを見ると、神流はしばらくこの場所にいたのだろう。

 一番目立つのはリビングにある百インチはあろう、巨大なモニターだ。それが三台も並んでいる。

「地下室には食料や水もかなりあるし、そこそこ安全だわ。電気も水道もネットも万全だし、世界大戦になっても平気だと思う」

「完全にフラグだな」

 ソファーに腰を下ろして、士郎は半笑いする。

「それだけ余裕があれば大丈夫そうね」

 神流が言うと、士郎が首を傾げる。

「大丈夫って?」

「あのね。いくら普通に過ごしていいって言っても、腑抜けすぎてない? もしあの男が何かやりだしたら、それを直接的に防ぐことができるは、士郎君だけなのよ?」

「そう、かもな」

「大丈夫なの?」

「…………」

 そういわれると少し緊張してきた。

「だからギリギリで召集したのよ」

 彼の存在は井垣の伝えでしか知らないが、残酷な男であることに違いはないからだ。

「しっかりしてよ?」

 なんて言いながら、彼女は三台の巨大なテレビをつけた。いや、一台はどうやらパソコン用のモニターのようで、テレビはニュース、もう一つはSNSの画面を写していた。SNSはGHCの物で、寄せられたコメントが次々と流れている。

 もう一つの方は巨大掲示板だ。もちろん、掲示板といっても電子掲示板であるが。

 彼女はファイアーマン対策の本題に入った。

「前にも言った通り、十年前の犯行を見る限り、彼は目立ちがりやよ。だけど、ゆりが襲われたのは人気のない場所だった。つまり、彼の目的は『私たち』。『私たちを襲う』、もしくは『私たちに見せる』ことで満足している。つまり、彼にとっての観客は私たちだと思う。明日の11時30分という予告も私たちに向けられたものだった。そして、彼は再び『予告』を行うはずだわ。大々的ではなくとも……少なくとも私たちに向けて。そうしないと、彼と私たちは会えないから。ただ最悪なのは、11時30分になった瞬間、私たちが襲われる事ね。または11時30分に大勢を巻き込んだ事件をメッセージにして、こちらが後手をうつしかなくなること」

「声を拾えなかったか? 常に音を監視してるんだろう? 井垣の装置で」

「なかったわ。もしかしたら約束を守っているのでしょうね。『明日まで何もしない』っていうことを」

「それは逆に不気味だな」

「ええ。とりあえずできることは、ここで情報を監視すること。そして、例のヘルメットの充電くらいかしら。あとはゆっくり休むこと。おいしい物をたくさん用意したわ。程ほどに食べて、早めに寝ましょう。明日は早いから」

「神流は大丈夫か? 俺は常に万全だから問題ない」

「本当に?」

「腹も減らないし、緊張でお腹を壊すこともない。寝なくたって……」

 なんて言いながら井垣をふと見たが、彼女はすっかりソファーで眠っていた。神流は笑っては、彼女に近くのブランケットをかけてやる。

 そして二階に上がりながら、士郎を手招きした。

「下のアレ、見てなくていいのか? SNSとかの動向」

「あの音声監視装置と同じよ。それらしき情報があればピックアップされて携帯に届くわ。いくらゾンビでもずっと画面を見続けるのは死ぬより辛いから」

「そうだな。それは俺も同じだ。映画やドラマならまだしも。それも辛い時もあるのにな」

 二人は二階にあるベッドルームに向かった。そこには体を埋めれば心地よさそうな、真新しいシーツのダブルベッドがあって、思わず士郎はそこに横になる。

「もう寝るの?」

「まだ早いけどな。でも……寝ようと思えば寝れる」

「器用ね」

「寝る必要がないから困った時期もあったけど、慣れだよ。夜寝ないと森を走る事になるからな」

「……よく分からないけど、いろいろと苦労はあるわね。超人って」

「どうだろうな。俺だって、俺だからある苦労だけじゃないぞ。誰もが経験する辛いことも経験してるんだ」

「たとえば?」

「抜歯とか」

「抜歯……それは気になるわね。生まれてから大人ってわけじゃないでしょ? 乳歯は抜けるわけ?」

「結構大変だった。新しい歯は生えようとしているのに乳歯が抜けないんだ。全部の歯が親知らず状態になったんだ」

「それ……えぐいわね」

「だけどどうにか抜いたよ。エリノがゴツイ器具を持ってきてな。一本一本工事現場みたいな音を立てて抜いたよ。痛くなかったから問題ないけど……むしろエリノの手と機械がボロボロになってけど」

「ふふふ」

「わらえねーぞ。本当に」

「無敵じゃないのね、割と。歯が抜ける、ってことは」

「体の内部までは固くないらしい。井垣の音攻撃も割りと効いたからな」

「あら、弱点、教えちゃっていいの?」

「弱点なんていくらでもあるよ」

 なんて言う士郎の隣に、神流も寝転んだ。

「なら、私も弱点を教えないとね。私にも、いろいろ体の問題があるの」

「ゾンビガールなんだろう? 問題だらけじゃないか」

「それだけじゃないの。一つ、致命的な」

「なんだ?」

「何ヶ月かの周期で、すごくお腹が痛くなるの」

「うん」

「それでね? トイレに行くと、血がどばどば」

「まて。それ……アレじゃないのか?」

「ふふ」

「エグイ話題するなよな。女子高でも結構話題にはなってて、嫌でも耳に入ってたよ」

「そんな顔しないの。健康な女の子なら皆あるんだから」

「健康……?」

「健康なゾンビってなにかしらね」

 彼女は体を起こして、微笑んだ。

「でも、嬉しいことなのよ」

「痛いのにか?」

「ちゃんと普通の女ってことだから。それがあるって事は、子供も作れる、って事。こんな体だけど、嬉しい痛み」

「それは赤ちゃんを産むときの台詞だろう」

「そうかもね。でも……多分、子供は生まないかな」

「どうしてだ?」

「私と同じにしたくないから」

 まだ笑みは残っていたけど、どこか寂しそうだった。

「もし、私みたいに痛みを感じない子供が生まれたらって考えるとね。転んでも、病気になっても、足が折れても、泣き声一つあげない……そんな子供がどうなると思う?」

「…………」

「ゾンビが子供を持つ話なんてないでしょ? ゾンビは人間じゃないから。ゾンビは人が死んだあと、人が終わった後の、結果。腐食した後にうまれる物よ。出産とは真逆にいるものだから」

「そんなことないだろう。そういう話だってあっていい。別にお前は墓から腐ったからだで起き上がったわけじゃないだろう? 一度死んだ、ってのも物のたとえだ。あくまで死んだ事になっている、だけ。神流っていう人間だ」

「でも、普通じゃない。刺されても平気な人間だもの」

「平気じゃなかっただろう。俺が包帯を巻いてあげた。そういえば、ちゃんと治療、受けたんだろうな」

「安心して。知り合いに治療のプロフェッショナルがいるの。問題ないわ」

「ともかく、自分が人間じゃないって言うなよ。俺だって……同じだ。俺のが、ずっとマシだけど」

「無敵、だものね。多分誰もがあこがれるわ。その体には。人とは違う苦悩はあるかも知れないけど……それでも」

「誰もが憧れる……か。本当に、そうかな」

「ええ。少なくとも私は憧れる」

 横になったままの彼女は、少しだけ横になったままの士郎に近づいた。士郎は彼女のスペースをあけようと少し横にずれるが、彼女はさらに士郎へと距離をつめた。

「な、なんだよ」

「ねぇ、士郎君。もし……私が士郎君の子供を妊娠できたら、どんな子になるのかしらね」

 その発言に士郎の顔は真っ赤になった。思わず彼女に背中を向けてしまう。

「からかうなよ。耐性ないんだから」

「無敵でしょ?」

「最弱だよ。そういう話は」

「ふふ」

「…………」

「でも……士郎の子供がもし、士郎と同じなら、きっと私の遺伝子の悪いところなんて、すぐ倒してしまって……元気な子が生まれるかおm」

「元気すぎるだろう」

「仲間が、欲しくない?」

「仲間ってなんだよ」

「無敵仲間。増やせるかも」

「いらないよ。俺が我慢すればいいんだ」

「それでいいの?」

「いいに決まってるだろう。別に俺は、この力を自由に使いとは思ってねーよ。無くなって欲しいとも思わないけど……ただ生まれてからずっと一緒だから付き合ってるだけだ」

「そっか」

「…………」

「でもね。私は……子供が欲しいわ。元気な。すぐにボロボロになる子供より、どんなことでも傷つかない子の方がいいでしょ?」

「そりゃ、そうだけど……」

「…………」

「…………」

「ね、士郎君」

「なんだよ」

「お願いできないかな」

「………………なにいってんだよ。馬鹿か」

「結構本気」

「…………」

「キスしたでしょ。前に」

「どしてしたんだよ。一目ぼれか」

「アレは緊張を和らげるためだった。はじめてのヒーローだったから。いろいろ考えると頭が混乱するから」

 そういって、彼女は思いっきり体を近づけると、士郎の唇に自分のそれを合わせた。

 濃厚なそれではなかったが、それでも士郎を混乱させるには十分だった。

「やめろよ、マジで……そんなんじゃないだろう」

「無敵なら、突き飛ばせばいいじゃない。本当は……」

「そんなんじゃない」

「それとも、こんな体が嫌? 私なんかと」

「いい加減にしてくれって」

「…………ええ」

 彼女は少し残念そうに笑うと、あっさり体を引いた。

「…………」

「ふう」

「あのな。からかうのもいい加減にしろよ」

「本気よ。やる気なら」

「ねーよ」

「そう」

 彼女は乱れた服を正して、ベッドから立ち上がった。

 残念、という気持ちがまったくなかったわけじゃない。だが、子供を作る為に、という飛躍した思想での行為を士郎は納得ができなかったのだ。

 もし、彼女を本気に愛していたならば、もしかしたら……

「まずは、恋人じゃだめかしら」

「え?」

「いきなりは、さすがに私もやりすぎたと思うから」

「……断るよ」

「あら、私ふられた?」

「そうだよ」

「どうして」

「動機が不純だから」

「別にセックスしたいからってわけじゃないわよ。子供が欲しいから。それって不純?」

「好きじゃないんだろ」

「好きよ」

「……口だけならなんとも言えるだろう」

 士郎はまだ、彼女のことをよく知らない。ただ、さきほど彼女が吐露した言葉は、願望は嘘には思えなかったが。

「悪かったわ。明日大事なことがあるのに、こういう事言っちゃいけないわね」

「むしろ呆れて緊張が解れたよ」

「そう? 良かったわね。もっと解して――」

「いいから」

「かわいいのね」

 士郎は布団を被って、蹲る。

「今日はもう寝る。一人でな」

「ええ。別に夜這いなんてしないわよ。一人の方がいいでしょ?」

「あたりめーだろう」

「ティッシュ切らしてないわよね。興奮してるだろうし」

「あのな」

「……おやすみ。明日は大変になるから。がんばってね」

 彼女は部屋に電気を落として、部屋を出て行ってしまった。

「…………」

 信じられないくらい、ふかふかのベッド。暖かな布団。

 空調がないのに、部屋の温度は適度で、なんとも心地がいい。

 そして何より、

「ああ、くそっ!」

 ティッシュがいっぱいあった。

 

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