3話 「音」
どこよりも正常な場所だからこそ、物騒なことが許されるものである。その部屋の存在もまさにそれだった。
いうなれば、人を追い詰めるための場所。警察署の取調室にタンバはいた。
殺人事件の容疑者の彼はもう長いこと待たされている。
彼はけして可愛がられることのなかった末っ子で――ネットで話題の謎のヒーロー「ノア」に顔面を殴られたあげく、爆音によって鼓膜を損傷し、兄弟の中でもっとも長く医者の世話になった不幸な男である。
顔はまだ腫れあがっていたが喋ることはできるうえ、兄弟の中で尤も大人しかったので彼が真っ先に取調室に行くことになったのだ。
彼は長い時間、頭を垂れてやってくるはずの人を待っていた。それは罪への反省への気持ちの表れとは少し違う。ナイフを跳ね返したヘルメット男への疑問ですらない。
続いていた日常(一般人にとっては犯行)が一瞬で崩れ去ったことへの困惑が大部分を占めていた。その思考の優先度が普遍的かどうかは、彼の言動や行動が示している。
「すまない。待たせたな――うお、酷い顔だな」
「刑事さん。そういうあんた も……いや、いいや」
「どうして黙るんだ。発言の自由くらいある」
「悪いことをしたんだ。け 刑事さんとうまくやったほうが、あとで楽」
「先の事を考えられるくせに、殺人なんてやってたんだな」
ツバの長い帽子を深々かぶり、草臥れたビジネススーツを着込んだ刑事は、その帽子を取る事もなく、彼の向かい側にテーブルを挟んでは座った。
「えーとだな。君には黙秘権がある。国選弁護士をつける権利もある……まあ、これは日本の文句だったっけ? まあ、いいや。そういう事は今度にしよう。普通に話すから、普通に応えてくれ。いいか?」
タンバは頷く。
すると刑事はすぐに、こう訊ねた。
「悔しくないか」
「え?」
彼は饒舌に、まるで舞台役者のように感情を込めて続けた。
「今まで自由に、何も考えないで生きてきた。それなのに、あっさりと邪魔されて頬を砕かれ鼓膜を破られ、こーんな二十年前から変わらないことをやってる部屋にいる。もしかしたらもっと最悪の部屋――たとえば、ビリビリーとする椅子だけがある部屋に送られるかも知れない。そうした相手に対して、怒りがこみ上げてこないか?」
迫る刑事だったが、タンバは感情の変化を見せなかった。ただ顔を少しあげて、
「別に……」
「どうしてだ」
「悪い事をしたら、死ぬか捕まるかのどちらかだから。分かってた」
「死ぬ? どうして」
「ずーっと捕まらなかったら、じじいになって」
「それは未来過ぎるな。面白い回答だけど」
刑事はちっちっと残念そうに舌を鳴らす。
「それじゃ、気にならないんだな。きっと。軍隊仕込みの戦闘術があるにも関わらず、あっさり負けてしまった理由についても」
「な、刑事さん。トイレにいってもいいか?」
「まま、待てよ。出しちゃっても構わないさ。よし、改めて理由についてだけど」
「いや、その……うーん。すごい暑い……暖房弱めてほしい」
「てめぇ! さっきから話を逸らしてばっかじゃねぇか! ちゃーんと聞け!」
刑事がテーブルを強く叩くと、タンバは萎縮し、押し黙ってしまう。
「お前さっき言いかけたよな。くく、『刑事さんは臭い』って」
「いや、あ、まあ……でも糞みたいな匂いじゃない」
「じゃあどういう匂いだ?」
刑事は大層楽しそうだった。楽しんでいたのだ。
彼の口から放たれる言葉一つ一つにその笑い声が混じり、口から放たれる言葉が歪む。
「刑事さん……?」
「わかんない? じゃ、ヒント。君の、もしくは君の兄貴たちの犯罪。お前ら色々やったけどさ、一回しかやってない奴、あるよね?」
「あ……」
タンバは失禁した。そうしてしまうだけの理由があった。
「違うよ。立ちションじゃない。それはさすがに数えてない」
彼の顔が、見えたからだ。
そして、その『温度』に気付き、『答え』を思い出した。
「ひ、ひひぃ……」
「そう。『放火』だったよ。臭いだろう? 燃えカスってさ」
男の悲鳴は警察署中に届いたが、警察署の誰にも聞こえちゃいなかった。
火の海と化した警察署で、悲鳴は先ほどから何度も続いていたから。
彼女は誰よりも「音」を知っている。
科学的な意味でも、また芸術的な意味でもそうである。伊達やにわかで『サウンド』となど自称したりはしない。
名前は井垣 ゆり。高校一年の女子。平均身長より低い背と意外と健康的な体を持つ、愛想の悪い子である。
井垣は音楽には力があることを知っていた。だが、それは人の持つ物を揺さぶるだけで、それを変化させることは出来ない。感情の増幅、または減退――もしくは気休め。
当然音にも精通している。だからこそ、彼女自身、自分が誰より音楽に影響されることを知っていた。だからこそ、自分のメンタルを理想の形に近づけるため、音楽を選び、常備しているヘッドフォンから自分の生活のBGMとして流している。
だからこそ、今、彼女の風呂以外には常時着用しているヘッドフォンから、何の音楽も鳴らしちゃいなかった。
立ち入り禁止の学校の屋上で、彼女はしばらく晴天の空を見上げていた。
いつも無表情な彼女だったが、今日はいつもより少しだけ険しい。
サウンド、改め井垣は、昨晩の出会いを思い返す。
本物の超能力者である少年、初島士郎のことである。
刃物を跳ね返し、一撃で男を病院送りに出来る存在がいたということ。そして彼が、神流のお気に入りであることを。
気に食わないほどではない。だが、焦りはあった。
女子でありながら殺人犯を一方的に倒せる力を持っていた自分の価値は、あの少年の登場と共に薄らいでいくように見えたのだ。
彼女の為なら薄れ消え行くのも本望。だが、何の力添えも出来ずに薄れ消えるのは我慢することなどできやしない。
ちなみに彼女は超能力者ではない。あのタンバたちを倒したのは『音』による攻撃。その音は、彼女の携帯する機器から人工的に作られた物である。
もちろん相応の金額はかかっている。
彼女はやっと今日のBGMをスタートさせた。かの少年がタンバを殴り倒した時に聞いていた曲の同じものである。
その音とともに、彼女は屋上のもっとも高いところ、使われなくなった給水塔に登り、用意していたノートPCと、入力部分がこぶし大はある特製の集音マイクを固定した。さらに、いつあるか分からない雨対策としてパラソルを立てて、そのPCとマイクを保護する。
この装置を神流は『集音機』と呼んでいる。マイクから半径1km程度の全ての音を回収することができる装置である。
そしてその回収した音の中から、接続されたPCは二つの要素を分析する。
一つは人の言葉だ。この辺りで話された全ての人間の言葉を取り出しで文章化し、さらにその言葉の中で『核心的』な単語をピックアップして随時携帯に送信する。ファイアーマンとか、超能力とか、そういった類だ。
そしてもう一つ。『ファイアーマン事件』で拾えた動画の音をサンプリングし、それを比較情報として端末に搭載して回収した音と比べる。そして、彼を見つける手助けとする。
「…………」
彼女にとって、この作業は快感だった。殆ど表情を見せることのない彼女は、思わず笑顔を作ってしまう。
これを設置することによって、この一帯の音は全て彼女が把握、いや支配しているといっても過言ではないのだ。その優越感が彼女を愉快にさせる。
ゆくゆくは日本全国にこれを配置できれば――なんて夢想も抱いているが、少なくとも当面は東京を完璧に抑えることができるだけで十分だろう。
ちなみにこれは、現代における警察の超法規的な盗聴システムの応用である。このシステムのおかげでタンバを見つけることも出来ていた。
任務を果たした彼女は給水塔から飛び降りて、屋上を後にした。
くたびれた彼女の制服姿を誰も目撃してはいなかったが、見たところで、きっと、誰も彼女を止められやしない。彼女の顔の半分はあるヘッドフォンの着用も、乱暴に身に着けた制服も、学生としての義務を果たさない態度もだ。
それは彼女がサウンドだからじゃない。
彼女が、『井垣ゆり』だからである。
彼女が通う女子高は長い歴史を持つ保守的な名門だ。
お嬢様学校というレッテルはあるものの、そこに通い振舞う女子が全員テンプレートな『お嬢様』であるとは限らない。経済的なことを言えば、娘の将来と自分の面子の為に無理して入学費を払っている家庭もいれば、人前で大またを開き下品な話で大笑いする女もいる。
そして当然、絵に描いたようなお嬢様もいる。
人より上に立ち優越感に浸り、その為に徒党を組み気弱な他の人物を虐げることで優越感に浸るようなお嬢様。
その『お嬢様』というのが、高野良子だった。そんなお嬢様のターゲットは、サウンド――改め、井垣ゆりであった。
「久々に登校したと思ったら、午後過ぎに顔だけ出して授業にも出ずに終わり?」
放課後になって廊下に屯していた高野と取り巻きの女子が彼女に吐き捨てた。
「本当に疲れたなぁ。進級するには授業に出て試験を受けないといけないからねぇ。私も誰かさんみたいに、入学式だけ出て卒業できるようになればいいんだけど」
学校が名門であることへの重圧は入学前より、むしろこうした学校生活に大きな負担となる。この場所に限らない話だが、それと同じように、成績、進路、将来といった朧げな現実への苦労や恐怖が彼女たちのストレスを増大させていた。
そのはけ口として井垣は恰好の存在だったのだ。
単純な話、彼女らは定期試験直前でイライラしていたというだけである。
「ねぇ、ちょっと聞いてるの?」
ゆっくりとした歩みのまま、井垣は彼女たちを一切無視して通り過ぎていった。だが、高野たち四人は、そんな彼女を追い取り囲む。
さすがに井垣も足を止めた。
「頑張ってるのに、一人だけ好き勝手やって許されるなんて迷惑なんだよ! アンタなんて学校に来なければいいのよ!」
そんな高野の言及にも、井垣は眉一つ動かさずにいた。
高野がやっている事は絶対悪だが、それを止める生徒がいなかったのは、彼女が豪胆であると共に少なからず、その言葉に共感を持っていたから。
井垣の名を冠する会社グループが存在する。
彼女はその子息であり、この私立学園の構造も上へと辿っていくと、頂点に井垣の苗字が存在する。だから、井垣の横暴は誰も止められないのである。
高野たちは、その絶対的な影響力を持つ井垣へ突っかかる唯一のグループであり、そのリーダー格の高野の評価はむしろ生徒たちの中で高いくらいだった。
高野は幼く感情的な女子だった。善悪の判断よりも先に体が動く。高野を突き動かしていたのは悪意ではなく苛立ちであったのだ。
高野が話している間にも、井垣のヘッドフォンからはわずかにベース音が漏れていた。当然それが高野の苛立ちを増長した。
「ちょっと! 人が話をしてるのよ! そんなもの外しなさい!」
「…………」
「アンタ――!? ――の――――に!」
井垣は皺を寄せた。初めて見せた表情の変化に当然高野は更なる苛立ちを見せるが、これは短なる反射的なものでしかなかった。
ヘッドフォンを乱暴に外したからではなく、井垣には彼女の声が聞こえなかったのだ。
井垣が鼓膜を損傷しており、そのせいで聴力が極端に低い。まったく聞こえないわけじゃないが、大抵の場合ノイズのようなものが聞こえるだけである。なので集音マイクで音を拾い、ヘッドフォン越しにそれを聞かなければ日常生活に支障をきたすほどのものであった。
もちろん通常は目立たない補聴器――最新式の、鼓膜近くに埋め込むタイプの物を利用すれば問題ないのだが、井垣はそうはしていない。日常の音や他人の声よりも音楽に包まれることを好む彼女にとっては弱い聴力は体のいい言い訳だった。
ようは周りに無関心で態度の改善を微塵も考えない井垣にもある程度の非があるということ。
そして説明もなく再び高野の声を聞くためにヘッドフォンを着用してしまうのが井垣という少女である。
「この――」
高野が手を上げたのは初めてだった。
しかし、上げただけだった。
実行されなかったのだ。外部からの物理的な阻止で。
高野が振り上げた右腕を拘束するのは、彼女より頭ひとつ高い男子の手――女子高にいるはずのない男子の士郎だった。
突然の登場に井垣は少しばかり驚き、いるはずのない私服の男子に女子たちは驚愕と嫌悪に近い表情を見せている。
「何しにきたの」
ヘッドフォンをつけながら井垣が訊ねると、
「神流に言われて」
「携帯じゃなくて直接来た理由は」
「ちょっと、はなして!」
「この……固っ! 男子ってこんな固いの!?」
拘束され片腕のまま吊りあがった高野と、それを取り巻く女子が、士郎を必死に足蹴にしていたが、残念ながら彼女らの脚力はナイフより鋭くはなく全くダメージはない。
悪い空気が払拭されたものの、士郎の表情は神妙なものだった。
「こっち来て」
井垣に誘われ、士郎は高野をその場に置いて早足で行ってしまった。
「高野さん。男まで連れ込んでますよ。あいつ。彼氏かな……あんな奴に彼氏なんて」
「そりゃお金持ちだから男くらい簡単に――」
高野はしばらく呆然と去ってゆく二人を眺めることしか出来なかった。
「井垣さん、だよな」
「井垣でいい」
校舎裏の暗がりで二人は密談を始める。
「高校生だったんだな」
「世間話からはじめる気? それとも『気難しいタイプだから仲良くしてね』といわれた?」
「別にそんな事言われちゃいないけど、ただ『不機嫌だと鼓膜を潰してくる』と言われた」
「間違いじゃない」
「さっきのイジメっ子の耳は今後無事じゃないだろうな」
「ヒーローはイジメっ子の鼓膜を破ったりしない」
「そらそうだ。心が広いんだな」
「狭すぎて周りが見えないだけ」
彼女は肩を竦めては、土の上に腰を下ろした。
本日最後の始業チャイムが鳴ったが、井垣はその場から動こうとしなかった。
「授業は?」
「どうでもいい。それに大事な話があるんでしょう」
「まあ、そのなんだ。神流に言われて来たんだよ」
「すっかり一員。それとも部下? GHCへようこそ。『ノア』」
「別に名前の件はどうでもいいけど……ただ」
「暇だからでしょう」
「話をきけよ。ったく……お前があんまり学校で上手く行ってない理由が分かったよ」
士郎は改めて用件を伝えた。
「一緒に帰るんだ。俺と、今すぐ」
「帰りにスーパーでも寄って、とか」
「笑えない話があった」
士郎は自分の携帯を取り出し、あるニュースを取り出して彼女に見せた。それは、先ほど神流が士郎に見せたものと同じで、井垣を連れ帰るように依頼した理由でもあった。
「うん……『警察署が火事……タンバ容疑者が一時拘留されている場所――』。火事?」
「神流はファイアーマンかも知れないと言ってた。確かに不気味だけど、本当にファイアーマンがやっただなんて証拠はないけど」
士郎の懸念を彼女は即座に否定した。
「現代的建物……しかも、警察署。どこよりも頑丈なはずのそこが、しかも警察がウヨウヨいる時間帯に一大火事に『する』なんて、普通じゃ考えられない。綿密な下準備――計画的な犯行。もしくは、無尽蔵の圧倒的な火力を内側から発したか」
「確かに……いわれてみれば」
彼女の推理に士郎は頷く。
「それに、この事件によって容疑者の行方がまだ不明――ということは、タンバが逃げだした可能性は十分にある。ファイアーマンが無関係でも危険なのは変わりない」
なんて言って、彼女は士郎に背を向けて、とっとと歩いてしまった。
「おい、どこ行くんだ? 家に帰れって言われてるんだぞ。家って本部だろう?」
「どうして。命令?」
「神流に言われたんだ。お前を『守れ』って」
人と人の間柄、言葉の交わしあいは難しいものだ。
それも井垣みたいな偏屈なら、なお更だ。
どんな言葉が琴線に触れるか分かったものではない。経験しかないのだ。
「だれが――」
井垣は自分のヘッドフォンを外す。
「誰を」
ヘッドフォンを外して聴力を失ったせいか、それとも感情のせいか、彼女の発する言葉はだんだん大きくなる。
彼女は、その手にあるヘッドフォンを軽くジャンプして士郎の耳に強制着用させた。そして、
「守るってぇ!?」
「っ!?」
ほんの1秒のデスメタルだった。ま、デスメタルでもクラシックでも、その音量ではあまり関係はなかったが――ともかく、ライブ会場の音全てを一箇所に集めて放ったような集中的爆音が彼の鼓膜を直接攻撃した。
脳天を揺さぶれるいい攻撃に、士郎はそのまま前のめりに倒れうずくまる。
「……鼓膜も頑丈みたいね。でも外皮ほど無敵じゃない。弱点発見」
再びヘッドフォンをつけるが、どうやらこの大音量の為にイカレたらしく、すでにそれはただの耳当てと同じものになってしまっていた。、
「伊達にサウンドと名乗ってない。フォルテでも、クレッシェンドでも、メタルでもない。見たでしょう。音響機器だけで殺人犯を何人も同時に倒せる。生意気言わないで」
なんて一方的……いや、もしかしたら何か返事をしたかも知れないが、どう彼女には何も聞こえない。
そのまま、彼女は士郎を放って置いて、とっとと行ってしまった。
彼女はやっぱり気に食わなかったのだ――大きな顔して神流の隣にいる、この無敵男が。
まず彼女が最初に向かったのは、校舎の屋上だった。自分で設置した給水塔の上の集音機と端末がある場所だ。
彼女はすぐに給水塔に登ると、端末を操作して設定を変更する。
より限定的な場所――あの火事の警察署がある場所を端末の地図で範囲設定する。
そして端末にヘッドフォンのケーブルを差して音を聞こうとしたが、それが壊れていることを思い出しては悪態をつき、集音された声を文字に変換するモードにして画面を睨んだ。
ピックアップされる会話の中には、やはり「火」や「炎」といった単語が多く、なかなかめぼしい会話がなかった。
しかし、一瞬の文字の流れで、彼女はある単語を見逃さなかった。
『タンバ』。
この火災の中で、特定の犯人の名前を挙げる言葉。
その文字を彼女は追う。内容はこうだった。
――タンバ、タンバ。※解読不能 あの火災は、生意気な仮装集団への警告 ※解読不能 んで、やることやったからSNSにあげたいんだけど、使い方知らないか? ※笑い声 パソコンは苦手 ※解読不能 熱くない? ※解読不能(12秒)
「タンバと……もしかしてファイアーマン……」
耳を済ませられないことを悔やみつつ、彼女は更に声を目で追う。
――※解読不能 まいいか。あんまり必要なさそうだ。よし、まけよ。準備はできた。あとはだな――
――聞いてるんだろ。お嬢ちゃん?
「……っ!!?」
思わず彼女は叩きつけるように折りたたみの端末を閉じてしまった。
「ファイアーマン……」
閉じてしまった端末を蓋越しに見下ろしながら、彼女は恐怖を感じ取っていた。
たった一言で、炎なんて浴びせられなくたって、ここまで自分をおびえさせて。
しかも見られている事を彼は気づいていたというのか?
しかし、機械が教えてくれた事実がある。言葉でしか、動画でしか見たことのない人物がそこにいる。そして、彼は――神流が望む者である。
「…………」
固唾を呑んで、彼女は給水塔から飛び降りた。
あの声のあった場所は先ほど確認した。ヘッドフォンが壊れているが、逆に好都合だ。ファイアーマンの言葉で心乱されることなく、聴くことなく、遠慮なくとっ捕まえることができるから。
「んーいや、まて。『聞こえてるぞ? お嬢ちゃん』ってのはどうだ?」
「…………」
「おい、タンバ。なんなんだよ、お前。SNS一つできんのか。はやくなんかログイン、だっけ? するんだよ」
「だ、だて……」
「体が燃えたくらいでガタガタゆーんじゃねぇよ。ええか? ググレカスって言葉が昔あってだなぁ。てか、私と会話しろ」
「あ、あい」
「殺人犯の癖になんなんだ? ヘタレ。お前に殺された女子供はな。どんだけ苦しかったと思ってるんだ? 体が燃える程度じゃねぇぞ? たった一人の、もしくは三人か四人か。まあ、そいつらの糞みたいな性欲を満たすために殺されるんだぞ。ここまで酷い死に方、ないよ。ほーんとうにないよ」
「ご、ごべんなさい」
「謝ったって、誰も帰ってこないんだぞ! だったら指を……いや、もういいや。準備しよう。ほら、出てけ」
「…………」
「あ~もう。いいや、お嬢ちゃんと話すわ。いいか、お嬢ちゃん。どうして分かったって思うよな? 私はね、敏感なんだよ。なんというか、視線にね。誰が何人が、どんな人が私を見ているのかわかるんだ。たとえカメラ越しでも、私を見ているって感覚がビリビリ伝わってくる。これが私の超能力さ。すごいだろう? もしかしてきいてない?」
「ひ……」
「あ、そっちはおまけみたいなもんだよ。ぼーぼーってさ。ちっ、そもそもさ。何だよ火って。なーんの意味もありゃしない。現代社会でどこに火なんて使うんだ? ま、派手だから好きだけど」
「…………」
「よし、雑談終わり。いくぞ~」
井垣は記憶の中にある、ファイアーマンの声の発生地を示した地図に従い走った。
その発生地は都心のうち、浅ましくもわざとらしい、自然を残す……というより作り置いた川沿いの土手で、廃線となった旧式電鉄の橋が臨める人通りのない場所だった。
夕方前。少し赤の入り混じった陽光が目に染みる。
彼女は目を細めながら、それを背にしてから辺りを見回す。
音のない世界への恐怖を井垣は感じてはいなかった。
感覚の鋭さには自信があり、人以上に目も良い。しかし、ここにやってくることを後悔するほどに彼女は緊張していた。
自分らしくない浅はかな判断だと後悔――する間もなく、事態は動いた。
複数の人の気配に感づき、彼女は振り向いてはすぐに腕を伸ばした。
その袖の下にある音の弾丸を発射する出力装置、彼女にとっての銃口。
だが、
「――――」
肩の力が抜けてしまった。
そこにいたのは、女子だった。
なんてことない、あの女子四人。あの意地悪な、だけど鼓膜をぶち抜くほどじゃない馬鹿共だったのだ。
「へぇ、いい所知ってるじゃん。彼氏と過ごすにはぴったりね」
高野が笑う。なぜか勝ち誇ってる。
「やだ、高野さんってばえろーい」
「……は?」と、高野。
「え?」
と発言に疑問をつけられた取り巻きが首を傾げる。
「いや、だって、こういうとこの外で彼氏とって」
「夕焼けが綺麗だしデートにいいな、って素直に褒めたのよ」
「……あ、そうすか」
目の前でアホみたいなコントを見せられる。もちろん音は聞こえないが、その表情と動きはまさにそれだ。はじめて彼女らにいっぱい食わされたような――腹だたしいほどにむかつく。
少し大きい音でも出して害鳥のごとく追っ払ってしまおう。
そう考えていた時だった。
『寄り道しちゃいけないな! 女子共!』
さくっ、と。
高野は今まで感じたことのない不愉快な感覚に悲鳴をあげようとした。だが、そうできなかった。
苦痛ではない。汚れた氷のようなものが肩の奥にするっ、と抵抗なく入ってゆく感覚は、外側の皮膚を裂いただけではない。
筋肉を包む皮膚の内側から、その皮膚を突き破り、あらゆる液体が外に飛び散り破裂するようだった。
「逃げて!」
井垣の叫び。しかし、
『駄目』
男はいた。
その手に、ナイフがある。
タンバが持っていた小型ナイフとは違う。凹凸の刻まれた刃渡り20CMはあるサバイバルナイフが、高野の左肩を貫き、そして抜き出されていた。
顔に、体に赤く汚れた包帯を巻き、茶のトレンチコートを羽織っては、黒い目で笑う。
その姿は、まるで同じだった。あの動画でみた『ファイアーマン』。
井垣、そしてうつぶせに倒れた高野を除く少女たちの悲鳴が一面に木霊する。
『お嬢ちゃんたち。逃げないでって。動くと、この子の頭取るよ?』
なんて肩越しに取り巻きたちへ声をかけたが、彼女らは脚を止めることもなく、全速力でその場から逃げ出してしまっていた。
『友情ってなんだろうな』
男は出血し倒れた高野にナイフを向けていたが、それをやめて、叫んだ。
『ながみねさーん!』
逃げていた女子の一人が、足を止めた。
逃げるつもりだった。だが、彼女は突然名前を呼ばれて、足を止めてしまったのだ。
まるで超能力にでもかかったように。
長嶺。彼女はとことん不運な女子だった。
『もーし、一歩以上歩いたら、この高野さんの首を切って、ながみねさんちのベランダのサボテンの隣においておくね? でも私の言うことを聞いたら、助けてあげる。高野さんも君も、誰もかも。もし逃げたら、君を殺すまで一生付きまとうからね。一生つっても今日中に終わるよ?』
ながみねと呼ばれた女子は動けなかった。その言葉に含まれた希望という蜜に捕らわれたのだ。
『よし。じゃあ、高野さんの隣に立って。そうそう。んで、これを咥えて』
ゆっくりと近づいた彼女に。その彼女に、彼は懐からタバコを取り出しては、そのうちの一本にライターで火をつけ、彼女に咥えさせた。既に涙でタバコの咥えた場所は塗れてしまっている。
『イエスかノーかで答えてね? あ、答えられないか。正直に顔を動かして答えてね』
「…………」
彼女はゆっくりと首を縦に振る。
『ながみねさん……たばこ、吸ってるでしょ? こっそり。未成年なのに』
少しだけタメを作って、彼女は首を縦に振って。
『なーんてことだ。未成年なのにタバコを吸うなんて! しかも女の子だ。いや、別に私は男女差別をするつもりはない。だけど、タバコを吸うと将来お腹の赤ちゃんに悪い影響が出るって、知ってた? よくないよね』
彼女は頷く。
『知ってるのにどうして? ストレス発散? イジメもその一つね。でもさ、タバコなんてすったことないのに、どうしてタバコでストレス発散が出来るってわかるの?』
彼女は少し困惑したが首を横に振った。
『背伸びだよね。全てにおいての反逆。目立ちたい! うーん若さだね。体に悪いのはともかく。……あ、そうだ。お嬢ちゃん? どうして私の声が聞こえるって気になってない? サウ……いや、正体をバラしては駄目か』
「…………」
『君の耳は壊れてて、通常の耳で聞こえるデシベルの音を捉えられないようになっている。だから、それが聞こえるような低いデシベルで声を加工しているんだ。全部君の為に。ヘッドフォン、壊しちゃってさあ』
彼がしゃべっている間にも倒れている高野の出血は増していた。
井垣の取るべき行為は、一秒でも早く彼女の持つ武器で彼を倒すことだったが、彼の謎の行動と言葉に翻弄され、ただただ様子を伺うことしかできなかったのだ。
彼女は戦士でも兵士でも、そして戦いができるヒーローでもない。
力はある。だが、ただの少女なのだ。少し蛮勇なだけの。
『ながみねちゃん。今日で最後だよ? たばこは。今日でやめるね?』
力強く彼女は泣きながら頷く。
『じゃこれ、ほら。この包帯……綺麗な部分だから大丈夫だ。これを、高野ちゃんの肩の傷に強く押し付けるんだ。別に追い討ちじゃないぞ。それで止血になるの。この出血量だと、これをしないと2分くらいで死ぬんじゃない?』
彼女は言われるがまま、包帯を手に取り、それを塊にして、彼女の傷口を言われるがまま強く押し付けた。正しい処置ではある。
『よし、そのままでいろよ。絶対離すなよ』
腕の先まで血で汚しながら、彼女は何度も頷く。
『ながみねちゃん。たばこを吸ってて良かったことってある? 私はタバコと酒はやらないからわからないから、分からないなぁ。よし、どっちもやってみようか! 君が』
なんて彼は懐から500mlの酒瓶を取り出しては、その蓋を開き、倒れている高野にドクドクとその中身をぶちまけた。
『消毒じゃないよ? そもそも傷にぶっかける酒も選ばないと。カルーアミルクかけても駄目な気がするしねぇ』
やっと、この狂った男が何をしたいのか、井垣は理解できた。
ファイアーマンの隣にはながみねと高野。高野は倒れ動けず、その体にはアルコール。そしてながみねの口には、火のついたたばこ。
『さて、お嬢ちゃん。思いっきり鼓膜を破るのも結構だけど、ここに二人の人質がいます。一人はいじめっ子、一人は喫煙者。なんて悪い奴らなんだぁ』
彼はタバコを咥えたながみねの頭を撫でながら、彼は笑う。当然ながみねの嗚咽は激しくなるだけだが。
『まあ、ファイアーマンを倒すのと引き換えに人質二人の鼓膜を破るのは悪くない選択だよ。今じゃ再生医療も発達しているし、鼓膜なんて直せる。おっと、君は補聴器便りだったね。ともかく、それをすれば口からながみねちゃんの口からタバコがぽろり。そして二人はファイアーガールになるわけだ。まあ、彼女の忍耐力にかけてやってみるのもいいかもね。ただし、私は耳を塞ぐから、うまくやってね』
「何がしたいの」
井垣が訊ねると、
『なにって、挑発したでしょう? 乗ってやったの。むかつくから』
「話したいだけ」
『うそこけ。ユーチューブの動画見たぞ。倒すって言ってた』
「状況が変わった。その子たちのために」
『違う。彼女の為にだろう。神流のために。全ては』
「…………」
『大丈夫。彼女が一度死んだのは、君のせいじゃない』
「黙って!」
『ごめんな』
男は走った。ナイフを構え、横一直線に彼女を切り裂く、いや、切断するためにだ。
井垣の小さな体は、もしかしたらその刃渡りに引っかかれば文字通りまっ二つになりかねないものだった。
繰り返しになるが、彼女はただの少女だ。特別な機器を持っているが、戦い方を知っているナイフを持つ男を倒すどころか逃げることすら出来ない。
そのナイフの一撃を避けることなんて不可能なのだ。
――キーッ
背後に倒れこみながら、彼女は武器を使った。
音だ。目の前に、顎に手が触れるほどの距離で、彼女はひきつける形で鼓膜を攻撃する、その機器を反射的に使ってしまったのだ。
自分にヘッドフォンがないことなど忘れている。音が聞こえなくとも、その空気の振動は彼女の耳にも大きいダメージを与えていた。
だが、もっとも大きいのは、彼へのダメージだった。もっとも手から距離の近かった男の体が突進した勢いのままで井垣の体からルートを反れ、勢いよく前方――井垣の背後に叩きつけられる。
すぐに井垣は人質の二人を見た。
「う……ううう」
耐えていた。
耳から少しばかり血をたらしながら、ながみねはタバコを咥え続けていたのである。
そのまま何もせず動かないことに意味はない――それを学んでいた井垣は、全速力で人質二人の下に走る。
本当はながみねを逃がすべきだろう。しかし、高野の止血も必要であった。
あの逃げた二人がこの場所に救急車を向かわせていたらよいのだが、冷静でなくなった彼女らに期待するのは分の悪い賭けだろう。
井垣はながみねが噛み切らんばかりに咥えているタバコを無理やり口を開かせて取り除き、自分の服に押し付けて完全に消火しては、遠くに投げ捨てた。
そして井垣は懐から携帯を出して、すばやく救急にかける。
「私は耳が聞こえないからちゃんとできないかも知れない。携帯を耳に当てるから」
「ごめんなさい。もう吸わないから」
長嶺は震えながら、それだけを繰り返しているだけだった。
「ちゃんとして。いい。連絡するの」
「すわないから」
ながみねはもうダメだった。もしかしたら耳もダメに鳴っているのかもしれない。
井垣は画面で電話が通じたのを確認してから、一方的にまくしたてた。
「ここはカドビルに面した土手。耳が聞こえないの。人が刺されて、殺人犯がいる! 早く来て!」
「――――」
電話から人の声があることを確認した。内容は分からないが通じている気がする。多分これで来てくれるはずだ――
「あああ、あああ」
だが、声が聞こえなくとも分かることがある。
「たばこたばこたばこたばこ」
ながみねの口がせわしく動く。
その口はたばこを探していたが、視線はまっすぐある場所に向けられていた。
そこは――ファイアーマンのいる場所。
そこで男は、苦しんでいた。
「うわああああああああ! やだよぉおおお! もうやだぁあああああああ! 耳が痛いよぉおおおお! 痒いよぉおお! 何も聞こえないよう! おにいちゃんおにいちゃん!」
『馬鹿、何しゃべってんだよ……あ、こいつらには聞こえないのか。って、やっちまった。俺がしゃべんなきゃばれなかったじゃん!』
立ち上がったファイアーマンからは二つの声があった――だが、一つは聞こえない。それは、その男の肉声だったから。
もう一つの声だ。井垣に聞こえるように加工された声が別に存在していたのである。
そして、その声の発生源であった携帯は、彼の胸ポケットから落ちた。
『はーい。ネタバレ。私がファイアーマンです。といっても、消防じゃないよ。まあ、もうすぐ必要になると思うけど。携帯でこの男を遠くから操ってたわけです』
叫ぶ男は顔を掻き毟り、その体中の包帯を破る。すると、そこから黒く隆起した醜い肌が露出した。
井垣には見覚えがあった。それは、神流の黒い手袋の下にあるのと同じ――火傷だった。 男は――タンバの体は生命活動がぎりぎり可能なほどに焼かれていたのだ。
それが誰の仕業なのか考えるまでもなかった。
『お別れだねぇ。すぐに会うと思うけど。でも、今回は君たちの勝ち。だから、二つ褒美をあげる。一つ目の褒美は、今日から一週間放っておいてやるってこと。正確には一週間後の朝11時30分までね。びくびくしながら生活したり準備するの大変でしょ? んで、もう一つは…………まって、あと5秒。4、3、2、1、1、1……まだか1,1ぜろ――ファイアー』
彼の威勢のいい掛け声と同時だった。
一気に、暑さが、熱さがやってきた。
目の前で絶望し、怒鳴っていた男が突如発火したのだ。兆しもなく、突然、まるでマッチの頭のように一瞬で全身が燃え上がったのだ。
もうタンバからの声はなかった。
その炎は『発火』ではない。『着火』だった。
『タンバ。ファイアーマンからのトピックだ。体に炎が付いたときには、他の人に抱きつけば火が移って和らぐぞ!』
男は――イカレタ男の言葉は、炎と共に揺らぐ愉快な笑い声だった。
耳を潰された男に聞こえていただろうか……だが、タンバはまっすぐに井垣たちの方へと走る。アルコールのぶちまけられた女の子の、その場所に。
携帯は叫ぶ。
『逃げるか? あー! 一人でなら、高野さんを見捨ててなら二人は助かるな! それとも井垣一人で行くか? でも、どんな選択肢をしても後悔だらけだろうなぁ! だから強制してやる! ありがたいだろう! 悪いのはぜーんぶファイアーマンのせいにできるぞ! お嬢ちゃん! お前は悪くない!』
最高潮に達したファイアーマンは、告げた。
『ながみねちゃんー! 井垣ちゃんを抱きしめて! 強くね! 動けないように!』
声は、届いていた。
音を発して男を倒したとき、心なしか配慮はあった。タバコを落とさないように、音量を下げて放った。だから、ながみねの鼓膜は傷はついたが無事だった。――おかげで、その呪詛の言葉が彼女には聞こえていた。
ほんの数分での心の支配。
「ながみね……聞こえて――」
長嶺は高野を抑えていた手を離し、井垣を抱きしめ、拘束した。
焦点の合わない瞳が、誰かを見つめている。見えない支配者を見つめている。
その先になにが待つかは、彼女には理解できない。簡単な、最悪の結末のはずなのに。
「…………」
どこで、間違えたのだろう。
分からない。
だが、燃えて死ぬのが一番いいと思う。多分それが、神流が一番喜ぶ。
私が彼女を燃やしたように。
私も燃えて、塵になって詫びることができるのが救いなんだ。
でも、できるなら生きたい。
生きて死ぬまで、神流の為に――
「…………」
(え、えーと。くそ。ばれたらヤバイだろう)
声を張り上げる。
「ノーエア参上! いや、ノーイヤーだった!」
「ノア……」
声が聞こえた。どうしてか、既に機械なしでは使い物にならないそれを、井垣の耳は聞こうとしていた。
まるで望んでいた物のように。
それにしても、ヘルメットの男は滑稽だった。
その体で炎の男を包み込む少年。服はもう燃え始めていて、もう体前面の衣服が焼け落ち、筋肉控えめのお腹と脹脛が露になっている。
炎の男は喜んだ。確かにこの男に抱きついた時、体の痛みが少しずつ和らいでいたのだ。息が出来ないことすら忘れ、ただただ消滅し無痛になる快感に身を任せていた。
そして男は灰となった。それがただの火じゃないことを証明するように、だがその場に存在を許さないかのように、その灰も風に乗って散った。
「――――――――」
ノアがヘルメット越しに三人を見下ろし声をあげた。
下着姿ではあった。かっこわるいったらありやしない。
「――――――――」
「私は、大丈夫……高野さんたちを早く……」
「――――――――」
土手の上でサイレンの色が見える。すぐに彼らはやってくるだろう。
ノアも、サウンドの出番は終わった。高野を救えるヒーローは、もうすぐやってくる救急隊員である。
「――――――――」
「アンタはヒーローじゃない。空飛べないから」
「――――――――」
井垣の体は持ち上がった。彼が、持ち上げてくれた。
緊張の糸が解れ、意識の遠のく中、怪力の少年が自分の体を軽々と持ち上げている。
ふわっ、としたそれはまるで空を――
ファイアーマンと『それ』は語る。
「悪くなかった。なかなかじゃないかな。でも、仮面のヒーローが出てくるなんて興ざめ。ガキの遊びをするつもりじゃないんだよ……って、ノアだっけ? ノーイヤー?」
『でも、そこをお願いします』
「そこ? そこってどこさ」
『悪役です。もっと悪役をして欲しい』
「悪役? だーかーら。正義と悪の戦いとはちゃうっての」
『……それでいいと思います。なにか手伝いはいりますか?』
「お前には無理だ。何もかも」
『だが、私は不死身です。何かが出来るはず。あなたにさえ、私は殺せない』
「それは認めるよ。今日分かった。お前は不死身だ。そもそもお前には――」
『一つだけお願いがあります。次の予定は』
「一週間後の11時30分。それまでは絶対何もしないからな」
『その日で構いません。プランを変えて欲しいのです』
「やだよ。全部決まってる」
『メモ帳に書いてあった奴ですか? あんな安っぽいやり方でいいのですか?』
「安いも何も、お約束ってものがあるんだよ。俺は火だ。気まぐれだ。燃えないと俺じゃないみたいだろう」
『わかりました。やり方はお任せします。だが、場所を変えてください。そして』
「ん?」
『彼女だけは殺さないでください。何があっても。もし彼女が死んだら、本当につまらないことになりますよ。むしろ殺さないほうが面白いことになります』
「彼女って……その写真の……こいつ? 知らない子だね。いいよ別に。お前には勝てないしな。逆らったらなにするか分からない」
『感謝します』
「その代わり、何かよこせ」
『お金はどうですか』
「金はかけない主義なんだ。いや、私生活は贅沢したいけど、これは別だ。廃材アートにお金かけるなんて陳腐だろう? 俺が一番欲しい物は」
『人』
「正解! 友達いないからね。いても顔覚えて貰えないし。あ、そもそも隠してるから」
『今のジョークは面白いですね』
「……お前はつまんねぇやつだな。あ、それともう一つ」
『なんなりと』
「ツイッターできる?」
PCの前で、ファイアーマンは苦笑した。
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