[完結]1-A 第2話 なんでミカンなんだ
「目は覚めたかしら?」
彼女は目を細めながら、どこか満足気な顔をしてみせる。
予想外の来訪に彼はうまく対応することが出来ない。まずは自分に向かって問いかけられたのだろうと判断し、なんとか返答しようとするも
「えっあっ、……え?」
理解が追いつかない。なにをどこから言えばいいのか、彼の混乱は悪化するばかり。まずおかしいのは頭の上にあるミカンだろうか。いや人違いかどうか聞くべきか。
眼前の彼女はといえば。こちらの反応をうかがっている内に、どうやら何かに気がついたようだ。ぽん、と自らの手を叩くと
「ミカンよ」
「いやそうじゃなくて!」
(見りゃ分かるよどう見てもミカンだろうさ!)
「いやあの、人違いじゃない……かな?」
「合ってるわ。あなた
確かに彼の名前は
だがハジメの記憶の中には、目の前にいる彼女が見当たらない。
思っていた反応と違ったのだろうか、彼女はつかつかと近づいてきた。腰を曲げ、首を傾げながら怪訝そうな顔で下から覗き込んでくる。しかしそれでも頭の上からミカンは落ちない。
「……そういう事なんだ。ならそういう事にしておきましょう」
何かしらふに落ちたのか、彼女は後ずさりしつつ姿勢を正し、ハジメと目線を同じくする。
(何がどういう事なんだ)
「それならそれで話は変わるわね」
彼女は胸を張るや左手を腰にあて、拳を握ったまま右腕をこちらへ真っ直ぐに突き出した。一瞬殴られるのかと身構えるも
「端的にいくわ。質問に1つずつ答えて」
彼女は拳を前へつき出した状態から、人差し指のみを上へ伸ばしただけだった。
「あなたの名前は?」
「高梨ハジメ」
「なぜこうなったか理解出来ている?」
「まったく何も」
「どうやってここへ?」
「気がついたらいつの間にか」
「目的地は?」
「いや特には」
「気分は」
「混乱中」
「ミカンの事知ってる?」
「当然」
「今一番疑問なのは?」
「なんでミカンなんだ」
「OKよ」
(いやだから何がOKなんだ……)
彼女は伸ばしていた右腕を自らの
(はー……まさか散歩中に誰かとこんな会話をすることになるなんて、思ってもみなかったな)
手持ち
(ちょうどいいな……何があるかな)
先ほどの問答で若干ノドに渇きを覚えていたハジメは、何か好みの飲み物はないかと自動販売機へと歩み寄る。
だが、脳内に浮かぶ購買候補を選り好みする思考は、自分の目を疑いたくなる光景によって妨げられることになった。
「ってなんじゃこりゃ?」
一番上から一番下まで、『つめたい』から『あたたかい』まで。すべての展示されている缶ジュースの表示が、同じ。
その自動販売機はただ一種類のミカンジュースしか売っていなかったのだ。
「いやだからなんでミカン!?」
落ち着きかけた思考がまたしても乱された。そんなハジメの動揺など気にも留めず、彼女はぽん、と自らの手を打つや
「まとまりました。これなのね」
と独り
「あーもう無理! なあ、一人で納得しないでさ、分かるように説明してくれないか?」
「それもそうね」
こちらが異常な自動販売機にあわてている間に、何がふに落ちたのだろうか。彼女が先ほどまでハジメに見せていた威圧的な態度は消え去っていた。
「高梨君、ざっくり言うとりあえずピンチなの」
「ざっくりすぎてなにがなんだか分からない」
「そう? そうね……今のあなたの状況は『断崖絶壁のすぐ側で、スイカを割る道具も持たずに目隠しスイカ割りしようとしてる』ようなものよ」
「どんな例えだ」
「言いかえるなら嵐の夜に『ちょっと田んぼの様子を見に行ってくる』って出かけちゃったようなものよ」
「死にに行くようなものだねそれ」
「そういうことよ」
「いやどういうことだよ!?」
「やっと調子が戻ってきたようね」
言われてみれば、初対面だと思う人と話しているハズなのに。
ハジメはずい分と気兼ねなく会話出来ている自分に驚いた。まるで体に染み付いているかのように、するすると問答を重ねる事が出来ている。
「簡単にいうと、徐々にピンチよ」
「簡単にしすぎて逆に意味が分からなくなってない?」
「……今はここまで。ここで立ち止まってる余裕は無いわ」
話はここまでと言わんばかりに、彼女は自動販売機に駆け寄ると、側面に立てかけてあったナニかを掴み上げた。長さは1メートルほどで、素材はダンボールだろうか? 本来の形から平べったく折りたたまれているように見える。彼女はそれを左手で掴み上げ、小脇に抱えた。
(……嘘だろ……)
ハジメには、ひと目見てそれが何か見当がついた。
だがそれを認めたくないばかりに、つい彼女へ確認をとる。
「……何それ?」
「私物よ」
「じゃなくてその手に持ってるやつの名前」
「? 見たことない? ミカン箱よ」
「またミカンかよ……」
ハジメがうんざりとした表情を見せている間に、彼女は何かに気が付いたようだ。
「OK? それじゃ」
彼女は一気に距離を詰め、空いている右手でハジメの袖を掴む。突然の行動に驚く暇もない。
彼女はハジメの袖を掴んだまま振り返り、ずいずいと歩き始めた。
ハジメからすれば体勢を崩されたまま、彼女に引きずられるようになってしまう。
「ちょっ、何!?」
「『元の場所に』帰りたいのなら、付いてきなさい」
引きずられるのはごめんだと、ハジメは体勢を立て直して彼女に続く。
(あーもう。何なんだよ今日は。軽く散歩するつもりなだけだったのに、知らない人に絡まれるし。結局誰か分からないし、何やら付いて行く事になるし……まあ分からない事だらけだけど、一つだけハッキリした事がある)
ハジメは何か諦めるように、そっとため息をこぼした。
(今夜はもう考え事なんて出来そうにない)
どうやら本日の散歩は、いつもより賑やかになりそうだ。
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