[完結]1-A 第1話 ミカンに至るその前は
「どうしても書けない」
ため息混じりのぼやきが口からもれた。眉間のしわを指でほぐすと、投げだすように座っていたイスにもたれかかり天を仰ぐ。だらしなく開かれた口からは泣き言しか出てこない。
一呼吸ほどのあいだ上を向いていただろうか。そのままの体勢で視線だけが宙を泳ぎ、窓際の時計へと吸い込まれた。視界の端には窓越しに月明かりが映る。
「もうこんな時間か……よし」
時刻は深夜。少年は手慣れた動作で身支度を済ませると、メモ帳を片手に家を抜け出した。
「まずは歩く。歩いていれば頭も冴える、それから考えよう」
外に出て見れば思ったよりも肌寒い。空を見れば雲はまばら、月だけではなく星まで見える。
(まあ、歩いていれば暖かくなるし、丁度よくなるさ)
これくらいの寒さでもう一度部屋に戻り支度し直すのは面倒と、少年は息を白くしながら初冬の夜へと繰り出した。
(まっさか最初の一文すら書けないなんて)
少年は悩んでいた。理由は簡単だ。もともと小説やライトノベルを読むのが好きだった少年は、好きが転じて「自分も書き手側に回ってみよう」と某大型小説投稿サイトへ小説を投稿しようと考えた……のだがそれがうまくいかない。うまくいかない理由が分からない。だから悩んでいた。
(先の展開が思いついてないってワケじゃないんだけどなぁ)
少年は場に合わせようとした。どうやら『テンプレ作品』と呼ばれるタイプを運営が推奨しているようだ。他のサイトでは流行っているようだし、書くのも簡単とのことだ。これから書き始めるのにぴったりだ。
しかし少年は最初の最初からつまずいた。どうしても書き始めることが出来なかったのだ。
(休み明けには只野と書いた内容見せ合うってのに……どうすれば)
少年はとあるクラスメイトに、自分が書いた小説を読ませる約束をしていた。内容を決める前だったからか、無駄に自信がある風を
我ながらあの自信はどこから来ていたのかとツッコミたくなる。その結果自分で自分の首をしめているだけに、なおさら過去の自分が恨めしい。
(簡単だって言われてるし、簡単なハズなのに。何が駄目なんだろうな)
少年の思考は自問自答の海で、その体は夜の街で、これといった方向性も見出だせず右に左に迷走する。その足取りはどこかを目指すのではなく、歩き続けることを目指していた。
少年には行き詰まって考え事をする時、夜に散歩をする趣味があった。歩きながらの方が思考の整理がはかどる、だから歩く。
歩くことがそもそもの目的になっている少年は、特に目指す場所を決めるでもなく、あてもなく街を練り歩く。
「しかしなんでだ……簡単に書けるはずなのに……」
口からは自らへの疑問がこぼれ続け、目線は自らの影に注がれる。歩みは止まず、愚痴も止まず。
なにか思いつけば、とメモ帳を片手に持ってはいる。けれど今の所これと言った案は浮かばず、開いたページは白いままだ。
(あれだけたくさんあるのに、まったく書けないって事は自分に問題があるのか? 何がいけないんだ……っと)
思考の海を泳いでいると、耳に響いてくる規則的な物音で少年は我に返り、前方へ注意を向ける。
(ここで人とかち合うなんて珍しいな)
前方のT字路から誰かがこちらに向かってきた。自然とやってくる人へと関心が向けられるが、夜間であることもあるのかどうにもハッキリ認識出来ない。
着ているコートは厚手のものだろうか。体型はハッキリとせず、マフラーとメガネで顔は伺えない。少年は肩にかかる黒髪と、足をあまり開かない歩き方で、おそらく女の人だろうと結論付けた。
深夜営業のコンビニで買い物でもしてきたのか、その手にはふくらんだビニール袋が握られている。
(うーん結構若めの……女の人っぽいな)
気付かぬうちに、ジロジロ見ていたのだろうか。こちらの目線に気付いたのか、意図せず対面の女性と目が合った、その途端。彼女は片足を軸にその場で180度向きを変え、元来た道へかけ出して行った。
「……ですよね」
時間は深夜といって問題ない。少年は思考をまとめるためにふらつきながら散歩していた。深夜に一人でメモ帳を片手に、足取りがハッキリしない歩行者。
誰がどう見ても完全に『怪しい人』である。
これではたまにすれ違う人から不審な目で見られるのも仕方がない。それが異性ならなおのこと、露骨に距離を空けてそそくさと立ち去られようが弁論の余地はない。
(ま、これが望み通りだし)
特に傷付いた様子もなく、こんなことはいつもの事だと、少年はそのまま前へ進む。
少年にとってこんなことはいつもの事だった。散歩は思考の整理のためにすることであり、街や行きかう人たちを眺めるものではない。深夜にこうして散歩するようになったのも、『すれ違う人数が減るから思考に没頭しやすい』、それくらいの理由だった。
T時路に差し掛かったところで一度立ち止まり、どちらに行こうか思案する。左に行こうと思っていたけれど、それだと先程の女性の後を追う形になってしまう。どうにも面倒な勘違いをされそうだ。ならば右に進むしかない。
(そういや、ここで右に曲がったことはなかったな。いつも無意識に左の道ばかり選んでたってことか? これも1つの新発見かも)
左に行こうと思っていたけれど、左には自分を避けて行った人がいる。だから右に行こう。そんな軽い考えで、少年は進む道を変えた。
(なにかいいこと、起こらないかなー)
――――――――――◇◇◇◇◇――――――――――
(ここらはずいぶんと静かなんだな)
いつもと違う道には、いつもと違う景色がある。
目の前に広がる団地道は、いくぶん道幅が広くなったように感じる。昼間でも行き交う人が少ないのか、道にゴミも自動車のタイヤの跡も目につかない。地面に目を落としても、映るのは淡い街路灯の光に照らし出された自らの影だけだ。
(なんか思考スピードが上がった気がする)
今は深夜。この団地に入ったくらいから雲が空を覆ってしまい、視界は遠くを写せない。そのせいか余計に身の回りに気が回ってしまう。
青白い街路灯に彩られた、車道と歩道を区切るポール。その上に手を這わせてみれば、まるで自分の手まで青く染まっていくようだ。鼻の奥を刺すような冷えた空気が体を巡り、街を包む静寂が心を落ち着かせてくれる。
(昼間に来れば、また違ったモノが見えるんだろうけど……)
昼間に散歩するとどうしても人と会うことになるだろう。そうすればさっきみたいに相手に不快な思いをさせてしまうかもしれない。
かといって自分の趣味である散歩を辞めるつもりもない。ならば人と出会いにくい深夜に散歩をし、一目見て怪しい人だと分かるようにアピールしよう。そう心に決めて散歩している。
だから少年にとって今夜出会った女性のように、一目見て怪しい人扱いされ、避けられるのは喜ばしい事だった。散歩中は怪しい行動を取る。そうすれば相手が勝手に距離を取ってくれるし、話しかけられることもなくなり思考がはかどる。そう思っていた。
だが、今日に限ってはそうでは無かった。
「ていっ」
「!?」
突然、頭を揺さぶられるような衝撃に襲われる。
思考に没頭していた少年にとってはまるで夢からたたき起こされたかのようだ。何がどうなっているのか思考が追いつかない。唯一知覚できた後頭部に残る何かが当たったような感触に、自分は人にでもぶつかってしまったのかと泡を食う。
(なんっ……当たった? こけた?)
我に返って辺りを見渡せば、少年はいつの間にか団地を抜け、見知らぬ公園の前に立っていた。そして少年の注意は目前でたたずむ誰かへと向けられる。
少年が認識した誰かは、同年代の少女のようだった。少女が背負う、公園入り口前にある
(誰? いやどこ、何が……?)
自らの置かれた状況が理解できない。その間にも、少女は長い黒髪をかきあげながら言葉を紡ぐ。
「見知った顔が見慣れない事をしているわ」
何が起こったのか。
ここはどこなのか。
自分が無意識に何かをしでかしてしまったのか。
そもそも目の前にいる、さも顔見知りのように振る舞う少女は誰なのか。
深夜に一人で街を練り歩き、フラフラしながら思考に没頭する。そんな明らかに怪しい自分に、話しかける人がいた。それだけでも驚いてしまうのに。
彼女は、なぜか頭の上にミカンを乗せていた。
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