[完結]1-A 第3話 弾むミカンと沈むココロ


(なんで落ちないんだろ)


 目の前で揺れ動き、時折ときおり浮き上がるミカン。

 彼女の激しい動きに連動し、せわしなくはずむミカン。

 彼女の足が地面から離れ、また地面に着くまでの間、たしかに頭上から空へ舞うミカン。

 しかし地に落ちることはない。まるで彼女に吸い寄せられているみたいだ。彼女とミカン、一体どんな関係が……


(なんて考えてる場合じゃない!)


 つい先程まで自分がいた場所で響く、何かが壊れる音。前へ、前へ歩みを早める二人の後ろから。

 『ナニか』が迫る、音がする。


「なあ! なんか後ろからすごい音がするんだけど!?」

「高梨君、振り返っては駄目よ」

「なんで!」

「こちらが見ないことで現状いまが保たれているから! 振り返って確認すると、よけいに状況が悪くなるの」

「何がなんだか分からないけど、何かがやばいのは分かった!」


 現在、ハジメは彼女に袖を掴まれたまま、いずれとも知れぬ目的地へ連行されている最中だ。そしていつからだろう。ハジメが自分と彼女以外の、規則的な音を立てるナニかに気が付いたのは。

 最初に気付いたのは彼女だったんだろう。彼女がハジメの袖を掴み取ったのも、今思えばこのナニかに反応しての事だと思う。


(前は見えないし後ろも見てられないし)


 背後から響く、低い怪音。一体、自分たちの背後で何がうごめいているのか。そんな想像に思考を飛ばす暇もない。

 最初のうちはゆるやかだった歩みも、徐々にスピードを上げ、今では全力疾走にまで至っている。袖を掴まれたままのハジメは、思うようにバランスも取れず、とにかく彼女の走りに合わせることに終始しゅうししている。どこに向かっているのか考えるよりも、どう転ばないようにするかで精一杯。


(いろんな事に置いてけぼりだよホント!)


 すぐ目の前には彼女の背中がある。それにより視界が開けないまま走り行く内に、突然前方から現れやがるのは、道路にある大小さまざまな段差。こいつらで転ばないようにすることが、今の優先事項だ。結果自然と足元ばかり見てしまい、どこに行くのか余計に分からなくなる。

 ごろり、ごろり。重さを伴ったナニかが迫り来る。地面を見ながらひた走るハジメには、地面を走るヒビ割れの原因が、自分を覆う大きな影が、今自分の後ろにいることが嫌でも理解出来た。


「高梨君、あなた『ナシ』は持ってないの?」

「え、なんだって?」


 道中、彼女からの質問が宙を飛ぶ。しかし地面に意識を向け、転ばないことに全神経を費やしているハジメは上の空な返答を繰り返すだけ。


「必要なものがあるの、高梨君。私のミカンみたいに何か果物を持ってない?」

「え、なになに!? ちょっと今は無理」

「だーかーら! 今必要なの!」

「え、なんだって!?」

「ええいまどろっこしい」

「え、なんだっ」

「ていっ」


 突然、後頭部への衝撃に襲われたハジメは、何もわからぬまま意識を失った。



――――――――――◇◇◇――――――――――



「ここまでくれば、まずは一安心ね」

(あれ、一瞬頭がボーッしたような……)

 

 気が付けば、ハジメは彼女に袖を引かれ、どことも知れぬ街並みの中にいた。

 いつの間にか周囲の街並みは違う様相を見せていた。大通りに出たのか、街路灯の色はあたたかさを感じる橙色に変わり、灯る間隔も狭まっていた。自然と影になる範囲も狭まり、照らされる街の顔も先ほどまでいた所とは違って見える。


(よく分からないけど、なんとかなったのか)


 先ほどまでとは打って変わり、ハジメを引く彼女の歩みも穏やかなものになっていた。

 周りの景色を一通り眺め終わると、自然と視界の大部分を占める、彼女の後ろ姿に注意が向いてしまう。

 焦っている内は分からなかったが、彼女の髪は思っていたよりも長かった。まっすぐ伸ばせば腰骨の上辺りまでありそうだ。


(もしかしてこれうちの制服……? )


 彼女の言動と頭の上のミカンにばかり気が向いていたが、よくよく見ると彼女の服装は見覚えがあった。ハジメの通う学校指定のコートに似ているような気がする。

(冬服の上からコート着てるのかな。確かうちの制服って男女とも襟元に校章付いてたような……)

 しかしハジメの思案は、彼女が首元に巻いてあるマフラーによって阻まれた。単色に白いラインが入っただけのシンプルなマフラーだ。そしてその生地きじの色は


(オレンジ色、か……ここまでくるとイヤでも慣れてくるな)


 後ろ髪の上からマフラーを巻いている影響なのか、それともさっきの全力疾走のおかげなのか。彼女の後ろ髪はマフラーの上でたるみ、丸みをもってふくらんでいた。

 その膨らみは彼女が一歩踏み出す毎に、規則的にぴょこぴょこと揺れる。それがまたハジメの視線を奪うのだ。なぜだか、妙にかわいい。


 「なんだかジロジロみられている気がする」


 彼女は前を向いたまま、ハジメへと話しかける。予期せぬタイミングで話かけられ、ハジメの肩がびくりと跳ねた。たまらずハジメの口から言葉がもれる。


「あ、あのさ」

「何?」

「いやほら、さっき『徐々にピンチ』とかなんとか言ってただろ? イマイチ意味が分からなくてさ」


 ハジメはなぜか後ろめたい気持ちになり、その場しのぎに言葉を重ねる。こころなしかしゃべるペースも早くなってしまう。別段やましいことをしていたわけではないのに。


 「それにさっきの、明らかに普通じゃない何かとかさ。要はどういうことなんだ?」


 ハジメの疑問を受け、彼女は歩みを止めた。振り返りハジメの顔を見据みすえると


「……らしくないわね」


 彼女の態度が、また変わった。


「何を、詳しく聞きたいの?」

「いや、結局のところ今どうなってるのか、さっぱり分からないんだ」

「その物言いはどこが分からないのかすら自分で分かってないように感じるわ」

「いやそれは」

「今私が話している高梨君と、私の想定している高梨君とのズレがどれほどなのか。私には把握出来ていないの」

 

 彼女の言葉は、完全にハジメの予想を外れた。思ってもみない返答ばかりで、ハジメは心ばかりが焦り、まともな応対にならない


「どう分からないのか説明してもらえないと、こちらも答えられないのよ」

「どうってそりゃ……えっと」

「私は、高梨君が求めている要点を、私が想定している高梨君へ伝わるように答えたわ。それをあなたは『要はどういうことなんだ?』と。そう言う」


 彼女は視線をそらさない。白い息を吐きながら、抑揚よくようをあえて抑えながら、彼女はハジメに問いかける。

 ハジメにだって、彼女から何かを求められていることくらいは分かる。けれども、何を言うべきなのか分からない。


「答えだけ聞いても分からないのに『結局~』だの『要は~』だの、答えだけをせつくのはやめて欲しい」


 彼女の言うとおりだ。ハジメは何が聞きたいのか自分の中で整理していなかった。自分がしておくべき思考の整理すら、彼女に押し付けた物言いだったことに気付く。


「……なんかごめん」

 

 途端に彼女の表情がかげる。


「あ、いや違うの、謝ってほしいんじゃないの。責めてるように聞こえたのならごめんなさい。いつもと違う反応で不安になって、つい」

(あれ、これって……)


 先ほどまでとは違う、歯切れの悪い言葉。目を伏せ自らの髪を触るその仕草に、ハジメは強烈な既視感きしかんを覚えた。

 だが頭の中に壁が出来たかのように、脳内での想起そうきが阻まれる。今見た仕草には見覚えがある。なのにそれが誰の仕草なのか思い出せない。何かが詰まり、歯車がうまく噛み合わない不愉快さばかりがつのる。


(あーハッキリしねえ!)


 あまりのまとまりのなさにイライラを覚え、つい近くの街路灯を蹴りつけてしまう。

 その途端、二人の立っていた辺りの地面に穴が開いた。


「は?」

「あっ」


 まるで底が抜けたかのように地面が崩れ、その下には大きな暗闇が広がっている。


「何が一体どうなってんのおおおおぉ」

「……はぁ」


 まるで状況が飲み込めないハジメと、困ったようにため息をつく彼女。

 二人は突如として開かれた暗がりへ、吸い込まれるように落ちていった。

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