第2話「首だけの魔女」

 暗い、暗い道を灯りも持たず進んでいく。こんなに暗いなら、光源を何か持ってきて置けばよかった。ここの床はツルツルとした岩でできているみたいで、滑りやすい。後悔するが、もう十分くらいは歩いてきたのだ。今更戻るのも面倒くさい。手探りで周囲の状況を確認し、慎重に進む。

 この通路は、どうやら下に続いている様だ。滑らかではあるが、少しずつ少しずつ下っている。一体、どこまで連れて行かれるのか。

 先ほど解いた魔法が思い起こされる。あれだけすごい魔法を張っていたのだ。きっとこの先におじさんの行方を知る手がかりがあるはずだ。俺は確かな期待を胸に、奥へ、奥へと歩を進めた。



「明かり?」

 更に倍近い時間をかけて、この謎の通路を歩いてきた。そんな俺の目の前に、突如光が見えた。それは、近づく度にどんどん大きく、輝きを増していく。何があるかは知らないが、そろそろ終点の様だ。重く感じていた俺の足も、少し軽くなるというものだ。

 近づいていくと、そこにはどうやら小さな部屋があるみたいだ。光は、その小部屋の入り口から漏れ出ていた。剣の柄に手をかけ、中を覗き込む。

「何だ? この部屋は……」


 俺の視界に入ってきたのはうず高く積まれた、もう使い物にならない魔法器具の山だった。俺は側の山から折れた魔剣の残骸を拾い上げた。短くなってしまった刀身からは、魔力の欠片も感じられない。しかし、刻まれた王家の刻印から、これが以前は魔法武器として扱われていたことは分かる。刀身の錆から見て、相当昔の物だろう。他の魔法器具を見ても、どれも同じような状態だった。

 ここは、ゴミ置き場なのだろうか。期待していた物がある可能性の低さを目の当たりにして、俺は苦笑するしかなかった。

 


 ガラクタの山を一つ、二つ崩した所で、疲れがどっと出た。散らばったそれらを払いのけて、俺は体を重力に任せて倒れこむ。今の所収穫はなしだ。ガラクタを一つ一つ見ていくのは、骨が折れる。俺の努力をあざ笑うかの様なガラクタの合唱も、うんざりだ。少し手が触れただけで、ガラガラと大きな音をたてて崩れていく。普段はもっと根気強いつもりなのだが、さすがに今日は期待も大きかっただけあって、心も萎えてしまっていた。



 今日はこのへんにして、帰ろうか。ガラクタ相手に、時間をかなり浪費した気がする。きっと、家族が俺の帰りを待っているだろう。

 あまり心配をかけると、二度とこの屋敷に入れてくれないかもしれない。それだけは御免だ。

 帰る時は光源をここから借りていこう、と寝そべったまま、光源を探す。しかし、どこをどう見回しても、ランプの類は見当たらない。おかしい。それなら、この光は、一体何の光だ?



 部屋の奥の方から、光はさしている様だ。そして、この光がランプのものでないことも分かった。そう、この輝きはまるで……太陽光のそれだ。こんな地下深くに太陽の光が降り注ぐなんて、ありえるのだろうか。

 俺は光の正体を探るため、ガラクタの山をかき分け、部屋の奥へ、奥へと進んでいく。崩れたガラクタのせいでなかなか思う様に足を動かせない。それでも一歩一歩、光を求めて俺は歩いた。



 突然、目の前にあったはずのガラクタの山が消えた。俺の体を支えていたものが消えてしまったので、バランスを失う。立て直そうとするも、間に合わず、そのまま地面が迫ってくる。


「いてっ!」


 ドスンという鈍い音と共に、俺は情けない恰好で地面にキスをしていた。思い切り打ち付けた腹が痛い。頭は今の状況を理解できず、何も考えられない。一体、何が起こったんだ?

 上体を起こし、背後を確認すると、そこには無数のガラクタが転がっているだけ。さっきまで山の様にあったガラクタは、どこに消えてしまったのだろうか。


「ぷ……。くくくく」


 誰かの押し殺した笑い声が聞こえてきた。無邪気な、女の人の声。この部屋には俺以外の人間はいないはず……。とっさに剣の柄に手を触れる。

 どこだ、どこにいる?俺は打ち付けた腹の痛みをこらえて立ち上がった。今の状態で奇襲をかけられたら終わりだ。俺は周囲を見回し、声の主を探した。


 それは俺の目の前にいた。太陽の様な光が降り注ぐ、その一番明るい所に。


 それは、必至に笑いをこらえていた。地面にまで届く様な金色の長い髪。光に照らされたその顔は、俺が今まで見たどんな女よりも美しい。

 それだけだったら、俺はただただ感動して、彼女の魅力に見入っていただけだっただろう。しかし、今の俺はそういう訳にはいかなかった。俺の頭を覆い尽くしていたのは未知に遭遇した時の驚き、ただそれだけだった。


 彼女、いや、そいつは……。




 首から下が無かったのだ。 



 



 何分経っただろうか。俺はそのあり得ない、残酷な美しさに目を奪われていた。気付いたら、そいつは笑うのをやめ、豪華な装飾が施された台座の上で目を瞑ったまま置物の様に動かなくなっていた。俺は無意識に開いていた口をきつくかみしめ、つばを飲み込んだ。

 何だ、こいつは。先ほどの笑いがなかったら、俺はこいつを人形か何かだと思っていたに違いない。それぐらい綺麗に整った顔だ。生気すら感じられる。では、こいつは生きているのか? 人の首の形をした魔物なんて、聞いたことがない。

 

 沈黙がこの部屋を支配していた。俺の背中に流れる冷たい汗は、決してこの部屋が寒いからではない。目の前のそれが原因で流れる、正真正銘の冷や汗だ。こいつは一体何なんだ?

 それは微動だにせず、眠っている様にも、死んでいる様にも見えた。まさか、笑い死んじまったか?

 

 そうだ、魔法だ。先ほどのガラクタの山。あれが消え去ったのも、魔法のせいなのだろう。多分、幻覚系の魔法。となると、俺が聞いたこいつの声も、魔法の効力がどっかに残っていたせいじゃないか?

 目の前の女の生首が生きているというよりは、さっきの笑い声が幻覚幻聴だったという方が、よっぽど説得力がある。俺は幻覚に怯えていたのだ。


「馬鹿らしい」


 俺はスタスタと軽い足取りで、それに向かって歩き出した。近づけば近づくほど、その肌の綺麗さが、白さが良く分かる。そう、やはりこれは人形なのだ。

 冷静になれ、俺。おじさんはきっとこんなことじゃビクトモしないはずだ。

 手が届く距離までそれに近づいた。少し手を前に上げれば、届く距離。

「これは人形だ」

 俺はそれを証明すべく、その美しい頬にゆっくりと手を伸ばした。


 


 ガブ。



「ガブ?」

 そいつが、伸ばした俺の手に噛みついていた。



……。


「いででででで!」

 俺は痛みに思わず大声で叫びをあげながら、そいつを振りほどこうと必至で腕を振った。思いっきり振っていたら、そいつはポーンと綺麗な放物線を描き、「ギャッ!」という短い悲鳴をあげて、床に叩き付けられた。

 俺は噛まれた自分の手のひらを確認した。血がダラダラと垂れてきている。あの野郎、本気で噛みやがったな。

「っつ!」

 突然手のひらに走った強烈な痛みに、俺は声にならない悲鳴をあげた。見ると、手の甲に黒い痣ができている。それもただの痣ではない様だ。幾何学的な模様が、そこには浮かび上がっていた。

「ちょっと、いきなりレディを放り投げるなんて、何考えてんのよ!」

 生首が俺を睨み付ける。

「先に仕掛けたのはそっちだろ!」

「はあ⁈こんな、可愛い女の子に噛んでもらったのよ、むしろありがたがるべきだわ!」

「普通の女の子なら噛まれるのも大歓迎だが、生首は御免だ! ……って何言ってんだ俺⁈」

「うわあ。何言ってるの、この人。気持ち悪い……」

「殺す!」

 俺は剣の柄に手をかけて、ハッとした。いかんいかん。相手のペースに乗る訳にはいかない。なんせ相手は得体の知れない生首だ。俺を油断させて食い殺す気かもしれない。冷静になれ。

 剣の柄から手を離して、質問する。

「お前は何者だ? どうしてこんな所にいるんだ? おじさんとは知り合いか?」

「質問は一個ずつにしなさい。そんなにいっぺんには答えらえないわ」

 生首はうんざりといった風に眉に皺を寄せた。どうやら、質問に答えてくれる気はある様だ。

「すまん。悪かった」

「あら、意外に素直なのね。……まあ、私も少し申し訳ないことをしたと思っている。謝るわ」

 生首は目を逸らしてそう言った。顔が綺麗なだけあって、その姿に罪悪感を覚えてしまう。しかし、仕掛けてきたのはむこうだ。

「まあ、全面的にお前が悪いもんな!」

「はあ⁈さっきの謝罪はどこ行ったのよ!」

「俺もやっぱお前が悪いと思ってたんだよね~」

「殺す!」

 生首の額に青筋が浮かんでいる。さっきの仕返しが出来て満足だ。

「あと、私を“お前”よわばりするとは、いい度胸じゃないの」

「ほう。お前がそんなにすごい奴だったとは。これは失礼した」

 俺は仰々しく礼をしてみせた。生首は鼻を不機嫌そうにフンと鳴らす。



「私はね、正真正銘の《太陽ノ魔女》よ」

 

「なっ⁈」

 生首の口から出た思いもよらない単語に、俺は目を見開いた。そんな俺の顔を見て、満足気な顔をする魔女。俺の驚いた顔がそんなにお気に召したらしい。

 


 《太陽ノ魔女》。それは歴代の《魔者》の中でトップクラスの魔力を誇る存在。しかしそれは伝説の中だけの存在……、とされていた。だが、今俺の目の前にはその伝説の存在がいるというのだ。目の前でドヤァ、としている生首がそうだなんて、にわかには信じられない。


 だが、もしかしたら本当にそうなのではないだろうか。だんだんと、生首の女の存在を納得するには、それが理由としては適当な気がしてきた。伝説の魔女以外に、こんな芸当は出来ないだろう。俺は不本意だが、一旦その言葉を信じて飲み込むしかなかった。


「で、その魔女さんが、どうして首だけでこんなガラクタだらけの部屋に?」

「まあ、ちょっと訳ありでね」

「その訳を俺は聞いているんだ」

 魔女は迷惑そうに顔をしかめた。

「うるさいわね。そういうあんたこそ、何者なのよ」

「俺はカイア。狩人だ。父はドロム、ファルマの弟。つまりファルマは俺のおじさんってことになる」


 ファルマの名前を聞いた途端、魔女の表情が一変した。その顔には驚きと、それに悲しみ……だろうか、そんな表情がありありと現れた。やはり、おじさんと関係がありそうだ。


「そう……。確かにファルマに似ているわ。ファルマの若い時は、きっとこんな感じだったんでしょうね……」


 その目は遠くを見ていた。俺の背後の、さらにその後ろにある見えない何かを。


「ファルマとは、知り合いだったのか?」

「……そうね。ただの知り合いよ」

 一瞬ためらった後、そう絞り出す様な声で呟いた。どこからどう見てもただの知り合いを思い出している態度だとは思えない。やはり、おじさんはこの魔女と何か関わりがあったのだろう。

「何があった?」

「あんたに喋る必要はないわ」

 そりゃそうだ。過去に何かあって、それを他人に「はい」と返事一つで喋る奴なんてこの世の何処にもいないだろう。

 だが、俺もここで引き下がる訳には行かない。どうしても、何か手がかりが必要だ。


「頼む。俺が求めている情報を、君が持っているかもしれないんだ。この通りだ」

 俺は深々と頭を下げた。魔女は驚いた声をあげた。

「すごい態度の変わり様ね。あなたが求めている情報って?」

「今、おじさん……ファルマは、行方不明なんだ。俺はファルマを探し出して、話がしたいと思っている」


「ファルマが行方不明ですって⁈」


 魔女が大声を上げた。


「知らなかったのか?」

「もちろんよ。私はもう十数年もここに閉じ込められてるのよ」

「おいおい、冗談はよせよ。十数年ってお前今いくつ……」


「もう四十年以上生きているわ。言い忘れてたけど、私、不老不死なの」


 俺が言い終わる前に彼女はあっさりとそう答えた。


 不老不死、だと⁈ いや、確かに生首になってでも生き永らえているからにはそうなんだろうけども。彼女の、「別に、大したことじゃありません」、という軽い口調のせいで、俺はにわかには信じられなかった。彼女はさも当たり前のことを言ったかの様に、俺に追及する暇を与えず話を続行する。


「それで、ファルマが消えたのは何年前?」

「そうだな……。行方不明と大々的に報じられ、捜索が開始されたのは一八年くらい前だったはずだ」

「一八年……。私、相当な時間ここに閉じ込められてたのね」

「なあ、どうしてここに閉じ込められていたのか教えてくれないか?」

 魔女は吐き捨てる様に、俺の質問に答えた。


「ファルマが……あいつが、私の首をはねて此処に閉じ込めたのよ!」


 俺は信じられないという顔で魔女を見た。しかし、彼女の眼は真剣そのもの。とても嘘を言っている様には見えない。


 俺が聞いた話だと、ファルマはどんな魔物よりも強くて、そしてそれだけでなくどんな道徳者に負けず劣らず優しい人だったそうだ。そんな人が女の首をはねる、という事があり得るのだろうか。それも、知り合いの首を。


「嘘では……ないんだな。すまん、嫌なことを思い出させちまって」

「別に。もう過ぎたことよ」

 彼女は何でもない様な口ぶりでそう答えたつもりだったのだろう。だが、俺は気付いた。その声が微かに震えていることに。

「お前が何かおじさんを怒らせる様な事をした、なんてことはないんだな?」

「私が? ……そうね、確かにあまり仲が良いとは言えなかったかも。でも、こんな姿にされる様なことは、した覚えはないわ」

 魔女はため息を吐いて目を閉じた。俺はもっと何か聞こうと思ったが、何故か聞くのを憚られる、そんな雰囲気が漂っている。俺は彼女が口を開くまで考え事をする事にした。

 おじさんは姿をくらます前に、この伝説の魔女の首をはねた。目的は何だったのだろうか。彼女の話からして、何かおじさんの逆鱗に触れることはなかったらしいが。おじさんが彼女の首をはねるメリットが分からない。うーん……。


「ねえ」

 魔女の言葉が、俺を現実に引き戻した。魔女の首は床に転がったままだ。

「何だ?」

「あなたは何故、ファルマを探しているの? あなたとファルマには、何の接点もないはずよ」

「あー……」

 確かにそうだ。俺は、おじさんが行方不明になった後に産まれた。おじさんと血の繋がりこそあるものの、彼と会ったこともない赤の他人だ。疑問に思うのも当然だろう。


 あまり、話したくはないんだが。


「笑わずに聞いてくれるか?」

 魔女は俺の言葉を聞いて、眉を細めた。

「それは聞いてから判断するわ」

 きっと笑われるだろうな。そう思いながらも、俺はその理由を話すことにした。特別隠す理由もない。

「この世界は、どこか歯車がずれてしまっていると、ある奴が俺に言ったんだ。俺にはその時、そいつが何を言っているか分からなかったし、多分俺を惑わす為の狂言だろうと思って気にしない……つもりでいたんだ。だが、その言葉がなぜか、俺の頭から離れねえ。まるで呪いの様に俺の頭の中で繰り返されるんだ。俺はその言葉の意味を問う為に、おじさんを探そうと思ってな。人類最強の男なら、俺のこの疑問に答えられるんじゃねえか……って聞いてる⁈」


 魔女は小刻みに震えながら俺の話を聞いていたが、とうとう我慢できずに吹き出した。その美しい唇からは似合わないゲラゲラという下品な笑いが小部屋に響いてうるさい。魔女の生首はどうやって動いているのか、床の上を転がりながら笑っている。


「笑わないって約束したよな⁈」

「いや、思春期にありがちな妄想を真面目な顔で語られちゃったもんで、ついね……」

 魔女は眼に涙を浮かべてヒーヒー言っていた。

「あーお腹痛い。あはははは!」

 どこに痛くなるお腹があるんだよ。そう思いながらも口には出さず、俺は魔女の笑いが収まるのを待って、話を進めた。

「なあ、あんた。何か心当たりはないか? この世界の歪みというか何というか……」

「さあ。どうかしらね」


 魔女は冷ややかな微笑を浮かべてそう言った。妙にはぐらかした返答だ。もしかしたら、俺はおじさんを探さずとも、今ここでその答えを聞けるかもしれない。そう思うと何か緊張してきたぞ。


「頼む。教えてくれ。この通りだ」

 俺はまた、深々と頭を下げて懇願した。

「嫌よ。私が仮に何か知っていたとしても、あなたに話す必要はないわ」

 その言葉は、彼女の口から力強く、突き放す様に発せられた。その迫力に俺は何も言うことが出来ず、それと同時に、俺はこの魔女が何か知っていることを確信した。もしかしたら、おじさんの居場所も何か心当たりがあるのかもしれない。だが、今は聞くべきではないだろう。


「まあ話せるようになったら話してくれ」

「そんな日が来るとは思えないけどね」

 魔女の手厳しい言葉と、その口調の子供っぽさに俺は苦笑いするしかなかった。


「さあて、じゃあそろそろ帰るか」

 もう夜も深まってくる頃だ。家族が俺のことを心配して待っているに違いない。

「そう。じゃあ私も連れていきなさい」


「え?」


「何その事態が飲み込めません、て顔は。あんたまさか私をここに置いていくつもりじゃないでしょうね⁈」

「もちろんそのつもりなんだが……」

「ふざけんじゃないわよ! こんな素敵な女性をこんな地下の冷たいとこに置いていくつもり⁈」

 自分で素敵とか言うなよ。俺は心の中で呟きながら、どうしようかと考える。

 個人的には魔法を解除してしまったここに、貴重な情報源を残していくのは大変危険なので、家に連れて行きたい。しかしこの生首を家族に見せたら、どんな反応をされるか分かったもんじゃない。特に妹は、見た瞬間に泣き出してしまうだろう。そもそも、こいつが本当に信頼していい奴なのかすらも、分かっちゃいねえ。相手は伝説の魔女だしなあ……。



「ってちょっと何思案顔でウロウロしながら、出口に近づいて行っているのよ!」

「あ、ばれた?」

「当たり前でしょ! あんた私を馬鹿にしてるでしょ⁈」

 彼女は今にも飛びかかってきそうな剣幕で、俺をにらむ。しかし、今や魔女と俺との間は数十メートルも空いている。この距離ならいくら魔女といえども、何もすることはできまい。

「明日また、会いにきてやるから。今日はさようならだ」

「あんたが会いに来てもちっとも嬉しくないんだけど⁈ 私はこの地下室が嫌だっつってんのよ!」


 俺は魔女の言葉を背に受けながら、スタスタと部屋の入り口へ向かおうと、足を動かした……はずだった。


 動かねえ。足は一歩を踏み出したまま、その場で動きを止めてしまった。足だけではない。手や体の自由も利かない。一体何が起こってるんだ? 俺はかろうじて自由に動かせる首を使って、後ろを振り向いた。


「やっぱり、保険をかけておいて正解だったわね」


 得意顔の魔女がこちらを見ている。その両眼が先ほどとは違い、紅く、怪しく光を放っている。口元には余裕の笑みだ。先ほどまでのうろたえぶりはどこへやら。

「何の真似だ?」

「それはこっちのセリフよ。私を置いて帰ろうなんて、いい度胸してるじゃない。私は今ここで、あなたを殺すことだってできるのよ?」

 魔女の言葉を聞き終わる前に、俺の右腕が俺の意志に関わらず動いた。腰にある剣を抜き、俺の喉元にその白く光る刃を押し当てる。

「何だ、これ?」

 俺は剣を握る自分の右手を見て、目を見開いた。その右手は、さっき魔女に噛まれた場所だ。甲に現れていた黒い痣が、先ほどよりもはっきりとした輪郭を持って現れている。墨で書いた様に黒々と浮かび上がったそれは、魔女の眼と同じ色の淡い光を帯びていた。


「声が震えているわよ。ふふふ」


 魔女は微笑を浮かべて、俺を見上げている。しかし、その表情から読み取れるのは、何といえばいいか、ただただ、俺をからかって楽しんでいるという感じだ。多分本気で俺を殺したりはしない……はず。落ち着け、落ち着け。

 俺は首にある冷たい刃の感触をなるべく意識しない様にし、彼女に話しかけた。

「魔法か?」

「そうよ。呪術の一種ね。私がちょ~っと睨みを効かすだけで、あなたは蛇に睨まれた蛙の様に動けなくなる。そして、その体の支配権は私に委ねられる。あなたは私の命令には逆らえないのよ」

「そりゃ、酷い呪いだな」

 俺の苦笑を見て、彼女はため息を吐いた。

「やっぱり、人間は信頼できたものじゃないわね。ついこの間、ファルマに裏切られたばかりの私が、あなたをすっかり信用する訳ないじゃない。保険をかけておいて正解だったわ」

 どうやら、俺が見つけた手がかりは、とても一介の狩人の手には負えない、いや、この国のどんな人間の手にも負えない代物の様だ。

「まあ、茶番は終いよ。あなたの焦る顔が見れて楽しかったわ」

 その言葉と同時に、俺の体は支配から解放された。急に戻った自由に対応できず、俺は床にしりもちをついた。魔女と視線の高さが同じになる。

「さあ、そんなとこにへばってないで、早く私を外に連れ出して」

 もう選択肢は残されていなかった。俺はこの生意気な、良く言えば無邪気な得体の知れない魔女を、我が平和な家庭に持ち込む以外に道はない。ダッシュで逃げようものなら、俺の人生はこの冷たい地下室であっさり終わりを迎えるだろう。それは御免だ。家族を巻き込む恐れがあるのは不安だが、仕方がない。

 俺は舌打ち一つ、覚悟を決めた。

「しゃあねえ。家に帰るぞ」

 俺は立ち上がり、彼女の元に歩み寄った。

「私の名前は、リリアよ。よろしくね」

「よろしくな」

 右手を差し出そうとして、握手できないことに気付いた。俺は両手を差し出し、ひょいと彼女を持ち上げた。ずっしり重いその頭部は、俺の腕の中にすっぽり収まった。何かこうしてみると、小動物みたいだな。サラサラの髪が腕に触るのが、気持ちいい。

「もう噛むなよ」

「あら? びびってる?」

「び、びびってねーし!」

 俺の迫真の演技(?)に魔女は満足そうに鼻をならした。

「さあ、早くこの暗闇から私を連れ出してちょーだい!」

「はいはい」

 やれやれ。俺はこのワガママな伝説の魔女を、不幸の種かはたまた希望の光を、外の世界に連れ出す為に、暗い階段を上って行った。







「痛い! ちょっと何コケてんのよ!」

「明かりがないんだからしょうがないだろ!」

「私を地面に落としたら承知しないんだからね!」


 先が思いやられるな……。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る