第3話 腹ペコウサギ

 しばらくして、お城には、お姫様にお目通りを願う者が現われたのだった。

 彼は旅人。世界中を旅したのだという。

 あまり口数が多い方ではなかった。

それよりも旅の苦労を雄弁に語るのは、あちこち擦り切れて汚れた外套である。

「しばらくこちらに滞在していただきたく」

 お姫様は玉座近くに立ちながら、自分の前に跪く旅人を見つめた。

 彼女の興味を引いたのは、旅人と名乗った彼が、ウサギだったからじゃない。

 ウサギは旅人そのもの。今までだって何度も会ってきた。

 ただ、今回のウサギさんは……。

「大きな、ウサギさんなのね」

 彼女は目を真ん丸にしたのは、あまりにも大きかったから。硬そうな赤褐色の毛に覆われた体は、お姫様がぎゅうっと抱き付いたところで埋もれてしまいそう。耳も体に合わせて、とても大きい。ぴん、と伸びている。でも、決して太っちょの印象じゃなくて、野に生きる精悍そうな体つきをしている。

「姫様、離れてくださいませ! 相手は旅人のウサギ。何かばい菌を持っているやもしれませぬ!」

「大丈夫、カルル。旅で大変な目に遭われたことはあっても、この方は健康そのものでしょう、気にすることもないわ」

 間を遮るように割って入った大臣は、黒い鼻をぴくぴくと震わせるだけのウサギを威嚇するように、口から牙を見せ、彼女に突き出された手には、爪が出ている。

 彼女は、大臣が旅人をよく思っていないのを知っていた。

 でも、旅人は……ウサギは、私たち城がもてなすもの。遥かな昔から決まっている。

 内に籠るだけの彼女に常にない刺激をもたらしてくれる。

「しかし、わたくしは旅人が嫌いなのですよ。得体が知れない。……城主の厳命が無ければ、迎えたいとも思えにゃ……ごほん、ない。それは皆も同じです! 黄金の騎士殿もそうでしょう!」

 大広間にいたのは、お姫様と大臣と旅人だけではなかった。もう一人、いたのである。頭の先から爪先まで黄金の鎧に包まれた黄金の騎士、その人である。

 彼は長槍を持ちながら、黄金のタマゴのある台座付近に屹立していた。昼夜を問わず、彼は台座に張り付いて、タマゴを守っているのだ。

 カシャリ。耳の奥をざらつかせる金属音を響かせながら、お姫様の傍へと歩む。

「姫君の……」

 顔までも覆う面当てでくぐもった声が確かに言葉を紡ぐ。

「姫君が望むなら、私はどのようなことでも従いましょう」

「あぁ、君に話を振ったのが間違いだったよ!」

 大臣は苛立たしげに尖った靴先で床を叩きながら、言い放って、その場を去っていく。

 彼女が騎士に向き直る。

「カルルだって、悪気はないのよ。お役目ご苦労さま」

「いえ、では」

 胸に手を当てて、一礼。元の位置に戻る。

「ごめんなさいね、ウサギさん。何はともあれ、歓迎するわ。好きなだけ滞在していって」

「感謝します、お姫様」

「いいえ、これもしきたりですもの。お気になさらないで」

「どうも」

 彼女がにっこり笑ったのは、これからの生活に心躍らせていたから。

 ウサギさんはずっと外にいた。外に出られないお姫様は、外の話に耳を傾けることしかできない。ネズミたちにも、イヌたちにも、ネコたちにも、彼女の憂鬱を晴らすことはできない。

 最後にウサギさんが来たのは随分昔のことのように思える。あれは、白い毛並みだったか、耳は垂れていたか……。

 でも、彼女の目の前にいるウサギは今まで見たどんなウサギよりも大きい。

 愛玩したくなる可愛さよりも、手を伸ばしても逃げてしまう敏捷そうなウサギ。素っ気ない言葉には、警戒心が見え隠れ。

 澄んだ黒真珠のような瞳。何を考えているのだろう。

 お姫様の心が傾きかけたのは、旅のウサギが立ち上がって、お姫様を見下ろした時。

 彼女の美を讃えるのでなく、大臣のように意地悪なことを囁きかけるのでもなく、恐縮しきって俯くのでもなく。

「名前は何とおっしゃるのですか」

 と、ごく自然に尋ねられた時だった。

 誰もに姫と呼ばれた彼女にとって、まるで崇められるだけ彫像が、自由に動くことを覚えた一瞬だった。ごく普通の会話が、なんということもない問いが、とても嬉しく感じたのである。

 お姫様は先ほどとは比べ物にならないほどの日だまりのような笑顔を浮かべた。

「シシィよ」

 口に言うのも嬉しくて、もう一度。

「シシィと言うの」



 それからというもの、お姫様の関心はぜんぶウサギになった。

 ウサギ、ウサギ、ウサギ……。

 彼女はせいいっぱい大きなウサギをもてなした。

 朝はおはよう、から始まって、おやすみなさいで終わる。城内でウサギの行くところ、どこへなりともついていく。

 もちろん、ずっとくっついていたって、旅のウサギはむっすりだんまりしている。もっぱら世話を焼いて、話しかけるのはお姫様だけ。

「城を案内してさしあげる」から始まって、「お夜食はいかが」、「今夜は星が綺麗。ともに見に行きましょう」。

 ウサギは拒まないが、そのたびにため息をつく。生き生きと動いていた耳が、疲れ切ったように下を向く。

「どうしてそんなに私に構うのですか」

「私があなたを抱きしめていいのなら、考えてもいいわ」

 彼女はいつもそう返す。

 最初に会った日には土埃にまみれていた体は、城での湯浴みでさっぱりと清潔になった。赤褐色の毛並みはつやつやと輝き、大臣のようなふわふわの触り心地ではないけれど、ぺったりとひっついていたくなるのも、本当だった。

 けれど、いつまでたっても、ウサギとお姫様の距離は一歩半。彼女が詰めようとしても、目敏く気づいてしまう。ぴょんと飛び上がって顔を背ける。

 お姫様は、ウサギにはほんのちょっぴり意地悪をしてしまう。

 そうすると、ある時ウサギはこう告げたのだ。

「姫様が私をお腹いっぱいにしてくださったのなら」

「お腹いっぱい? そんなの簡単だわ」

 お姫様は喜々として、準備に取り掛かる。

 料理番のネズミに、給仕のネズミ、果てはなんの関係もない通りがかりのネズミも集めて、彼女はウサギのためにたくさんのごちそうを用意させた。

 城の中はばたばた、とネズミたちが忙しなく歩く音が絶えなくなった。ネズミたちは働き続ける。

 お姫様はどんなごちそうを出すかを考えた。足りない食材はすぐさま指示を出し、手が回らない仕事があったら引き受けた。

「さあさ、あと少し! ほっぺた落ちるほどの美味しい料理でウサギさんをお腹いっぱいにさせましょう! それでみんなでパーティーするのよ! 一晩中踊りあかしましょう!」

 大広間いっぱいに料理が運び込まれた。テーブルを増やしても入りきれない。

 廊下にも並べられた。それでも入りきらないで、城の空いた部屋全部に料理を詰め込んでようやく終わった。

 そして晩に、ウサギのためのパーティーが催された。

 白い食卓についたのはお姫様とウサギ。

 カルル大臣は、お姫様の斜め後ろで咬み殺さんばかりの視線を送る。瞳孔がきゅうっと狭まっていく。しかし、何も言わなかった。ある一言を除いたら。

「姫様、あまりやりすぎると地下牢に放り込んでしまいますよ」

 彼女はいやいや、と首を懸命に横に振り、恐ろしさのあまりに身震いした。

 城の地下牢にいるのは、とっても悪いことをした一匹の怖いネズミととっても気味の悪い数羽の飛べない鳥。

 お姫様は彼らを見るたび、心がずん、と重くなり、手足が言うことを聞かなくなる。背中に悪寒が走る。じめじめした地下牢は、光も入らず、太陽に見捨てられたところだった。

 彼らは言葉を知らない。チューチュー、ガーガー、服を着ることも知らず裸のまま、鉄格子を揺らしながら野生そのものの叫びを上げている。繰り返し、繰り返し……病的に。

 彼女が花冠を作って遊ぶような子どもだったなら、泣き出していた。

 だから、お姫様にとって「地下牢に放り込む」ことは何よりも嫌なことだった。

「カルル、やだわ。自分だって嫌でしょう」

「嫌ですよ……吐き気がするほど、奴らが嫌い。醜くて、おぞましい。そのぐらい、姫様のしていることは度が過ぎている、ということです」

 お姫様は申し訳なさそうな顔をする。

「でもね……私、嬉しかったの。だって、ウサギさんがお願いめいたことを言うのは、はじめてだったから。ああ、ウサギさん。お味はいかが? えぇ?」

 彼女は食卓につくウサギを見ようとして、目を丸くした。

 二人のついていた食卓いっぱいに並べられていた大皿の中身は、きれいさっぱり消えている。サラダも、メインディッシュも、スープもデザートも……。

 ウサギはがつがつと食べていた。スプーンとフォーク、ナイフを器用に持ち替えて、無礼でない程度に早く、早く、駆け足よりも早く、料理は口の中に運ばれていく。

 まるで魔法のようだった。どれだけ食べても、ウサギのお腹はぺったんこに見える。

 召使いのネズミたちは入れ替わり立ち代わり、チューチュー啼いている。

 急げ、急げ。

 早く次の皿を!

 まだあそこの部屋の皿は残っているはず!

 ない!

 ない!

 ない!

 ウサギは一心不乱に食べている。大きな黒い目は手元の皿に釘づけのまま。

 まるでネズミとウサギの追いかけっこのよう。

 料理を平らげるウサギと、絶え間なく皿を運ばなければならないネズミの勝負。

「にゃんということだ……!」

 カルル大臣は頭を抱えている。お姫様も呆然とその光景を眺めるのだった。

「にゃんということ……」

 彼女は口調が移っていることにも気づかない。






 お姫様がウサギのために作らせた料理は、全部が全部ウサギのお腹に収まった。

 元々大きなウサギだったけれども、お城中を埋め尽くす量を食べたとは思えないほど、お腹は膨らまず、様子は食べる前と何ら変わりない。

 それなのに、旅のウサギは、心底つまらなそうな口調で、

「お腹がすいたな……」

 ひくひくと可愛い鼻をうごめかせる。

 料理がすべて無くなった、と報告を受けた彼女は、ウサギの正面の席につく。

「ウサギさんは、いつもお腹をすかせていたの? 今までもずっと?」

「どんなものでも私のお腹はいっぱいにならないのです。気は紛れますが」

「どんなものでも……決して?」

 彼は静かに首を振る。

「決して、ではありません。たった一つだけ、あります。それを探すため、旅をしています」

 お姫様はウサギをかわいそうだと思った。

 食事の後の満腹感がどれだけ幸せなことか。

 彼は食べても食べても、幸せにならない?

 食事は人生の楽しみの一つ。美味しいものは、簡単に人を幸せにするのに。

「いつもお腹をすかせている腹ペコウサギさん。あなたにとってのごちそうが見つかるよう、祈っているわ」

 彼女は神妙そうにそう告げたのだった。



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