第2話 お姫様の夢

 ねえ、ウサギさん、ウサギさん。

 あなたはどこからきたの?

 あなたはどこへいくの?

 あなたの毛並みはとっても素敵。

 耳も触っていいかしら。少しだけよ?

 ぴくぴくと鼻も動くのね。本当に可愛いわ。


 ねえ、ウサギさん、ウサギさん。

 わたしは外をしらないの。

 しっているのは城の中と、町の中。

 城壁の外はしらないの。

 森ってどんなもの?

 湖ってどんなもの?

 城の塔からいつもみてるの。

 どんな匂いがするのかしら。

 地面を踏むのはどんなかんじなのかしら。

 舟に乗るのってどんなかんじなのかしら。

 わたしは探検をするの。

 森だったら、端から端まで。

 湖だったら、一周して。


 ねえ、ウサギさん、ウサギさん。

あなたもついてきてくれるかしら。

外のことをしっているなら、こころづよい味方だわ。

わたしをまもってくれないかしら。

ほかの誰にもたのまないわ。

あなただけ。

あなただけよ。

お返しに美味しいものをたくさんごちそうするわ。

だから、ねえ。

わたしのだいすきなウサギさん――いつも腹ペコのウサギさん。

いつまでもそばにいて。




そこには森と平原、湖があった。

湖から引かれた水は、頑丈な城壁で囲まれた一つの街に向かう。

それほど大きな街ではない。だが、一人一人の住民が暮らすのには何の不便もない街だ。時折、行商たちがやってきて、遠い国の文物を持ち込んでは、珍しがられたものだ。

城壁の内には、さらにもう一つ壁がある。

城館はその中の小高い丘に建っている。

それを守る塔もあった。屋上には家の紋章を描いた青旗がたなびいている。

紋章は、ひどく単純だった。金色の楕円――まるで、黄金のタマゴのよう。

事実、数多く所蔵されている財宝の中でもっとも大切にされているのは、黄金のタマゴだった。

大広間の玉座の隣には、国王の威光を讃えるように、建造当時から石の台座が設えられていた。黄金のタマゴはいつだって、そこに鎮座している。台座からぴったりとくっついて離れない。鈍い金色の輝きは、永遠の繁栄を象徴するようだった。

 誰だって黄金のタマゴを敬っている。国王でさえ、タマゴの前では頭を垂れる。

 はじめにこの城の主になった男は、この黄金のタマゴを携えていた。彼は、黄金のタマゴが幸運をもたらすのだと語ったという。実際のところ、城は主が変わっても、栄えている。一族はタマゴをそれは大切にした。

 黄金のタマゴは決して割れないようにした。幸運を与えていたものが割れる――そのことは不吉にしかならないのである。

 台座は徐々に飾り付けられていった。誰も決して近づかぬように、台座は優美な彫刻を加えながら大きくなっていく。とうとう台座の端から手を伸ばしても触れないほどになった。

 ある時、不作法者が人々の目を盗んで、タマゴを手に入れようと、台座に飛び乗った。だが、それは無理な話だった。タマゴはぴくりとも動かない。体中の力を使っても、取れない。下半分は石の中に埋まったまま。諦めようとしても、今度は手がタマゴに張り付いて離れない。逃げられずにいるうちに、気付いた衛兵に殺されてしまった。

 それからタマゴにずっと張り付く役職が出来た。黄金のタマゴを守る者――黄金の騎士。金色で塗り固められた鎧を身にまとい、近づく者をよせつけない。国中でもっとも名誉ある役目で、もっとも武勇に優れた騎士が任命された。

 これほどに厳重に守られた黄金のタマゴ……皆の注目を集めないわけがない。

 やがてまことしやかに囁かれることになる。

 黄金のタマゴは、世界のタマゴ。割れたら戻らず、世界は滅びる、と。




 さて、黄金のタマゴを守る黄金の騎士がいるその街に、一人の乙女がいる。

 城主である国王の一人娘、つまりは小さな国のお姫さま。

 視察で滅多に帰ってこない父をずっと待っている。

 彼女はずっと一人だった。母もなく、兄弟姉妹もいない。

 一日でやることと言えば、窓辺で刺繍をすることだけ。出てくるのはため息ばかり。

 窓の外には街が広がっていた。それを見るたび、彼女はふさぎ込む。

 ああ、私には。あの景色には加われないのだわ。

「姫様、ふさぎこまないでくださいまし」

「姫様、何かお気に召さないことでも」

「姫様、お加減がわるいのでしょうか」

 ネズミたちは心配して、チューチュー啼いた。

 心優しいネズミたちにも、彼女の心の曇りを晴らすことはできない。

「姫様も外に出られればいいのにねえ」

 仲良しだったイヌの門番も、お姫様の憂鬱をどうすることもできない。

 とうとう、城を預かる大臣にも伝わってしまう。

「姫様はお疲れなのですよ。特に何もしておりませんがね。城のことはわたくしにお任せを」

 大臣のネコは髭をそよがす。

 お姫様は、いじわるな物言いを気にする代わりに、大臣の顎の下を撫でる。

 くりくりとした黒眼を閉じて、ゴロゴロと心地よさそうな音を出した大臣は、彼女が手を引っ込めてからはじめて、滑空する鳥よりすばやく後ずさる。

「にゃ、にゃにをするんですっ。わたくしは大臣にゃのです! そこらの下賎なネコと同等に扱わないでいただきたい! 擦り寄ったりはしませんからね!」

 尻尾をぴん、と立てて喚く。

「カルルは誇り高いネコだもの。高貴なネコは擦り寄らないものだわ」

 お姫様がそういうと、ネコは満足そうにふう、と息を吐く。

「姫様にもよくお分かりで。ネコはにゃんにゃん啼きませぬ。ふてぶてしく民を見下ろすものです!」

 大臣の毛並みは秋の枯れ草の色をしている。お姫様が秋の来訪とともに寝転がりたくなる草原と同じ色。微かな風にもふわあ、と広がり、特に顎の下辺りは毛がより集まって極上の触り心地になるのを彼女は知っている。

「ええ、そうね。あなたはネコなのだもの。にゃんにゃん啼くより、お仕事よね」

「あなたはヒトなのですから、もっと偉そうにしてください! お父上はもっと」

「もっと?」

 カルル大臣は顎を小さく引く。

「ええい、うるさい、うるさい!」

 丸まった背中を精一杯後ろへ逸らし、彼は彼女に迫った。

「それよりも! 姫様はいつ結婚されるのですっ? にゃん年も……」

 ごほん、と大臣は咳払い。

「なん! なん年も何年も、姫様はどんな縁談にもうん、と言われない! 身分が高く、容姿も申し分ないとは言え、決まったお相手がいないのは大問題!」

「だって、いないのだもの」

 お姫様は肩を竦めました。

「お父様だって、積極的に持ってきてくださるわけでもないわ。それはそうよね、お父様自身、お母様を見初めたのは縁談じゃなくて、舞踏会だったじゃない。それで……それに、とっても素敵な大恋愛だったのですって!」

 お姫様のつぶらな瞳は、窓の外へと向かう。白いハトの群れが、自由に形を変えながら旋回していく。

「姫様は、夢見がち過ぎます!」

 ぴしゃりと大臣が言い放つも、彼女の耳には入らない。

「いいでしょう、私の夢。いつか私一人を愛してくれる方に出会って、ずうっとずうっと幸せになるの」

 夢を語る時だけは、お姫様の憂鬱は鳴りを潜める。薔薇色の頬は燃ゆるように熱くなり、声音は天上の調べそのものに。清らかな天使の笑顔を浮かべるのだ。

「知りませんよ、わたくし……」

 白旗を上げるのは、いつも大臣のほう。収穫間際の麦穂に似た尻尾を下げて、首を振る。



 ねえ、待って。

 私は語り手を止めた。それはごく自然な反応だった。

「なに」

 滔々と語り続けられていた物語が中断し、旅人は椅子から体を離さずに、顔だけ私の方に向けている。相変わらず、むっつりとしているようで、何の感情を表しているようには見えない。

「あの……」

 恐る恐る尋ねる。

「その世界では、イヌやネコやネズミが当たり前に喋るのですか?」

「……そう」

 長い沈黙の末の肯定に、どんな意味があるかわからない。当惑、逡巡、警戒……?

 思考を遮るように、ロッキングチェアがまたしてもぎい、と鳴く。

 私は火かき棒を構えて、暖炉の調子をみた。パチパチと音が鳴る。熱を持った空気が部屋に充満していったのを感じる。

 ふと置時計を見れば、夜明けにはほど遠い。旅人の服はまだまだ濡れている。

 それを確かめていたら、ふと背後を振り返る。背中に視線を向けられていたから。

「二本足で立ち、ヒトのように服を着るんだ。……ネコの貴族、イヌの兵士、ネズミの召使いがいる、世界」

 男は待ち受けていたように、言葉を付け足した。

 心臓の鼓動が跳ねあがる。

「で、では……続きを」

 私は再び椅子に収まると、彼は以前と同じように宙を見る。

「続きを語ろう……」

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