わらしべ長者と包み紙

さむいのである。いつもこの寒さになると何を着ればよいのか悩む。フリースの長袖Tを出してきて着るのだが、それだけでは寒い。だがまさか冬用のコートを出すわけにもいかない。かといって秋用のコーディガン……はいったいどこに行ってしまったのか……

なのでいつもの古着屋さんに行ってきた。500えんでライトダウンを買ってきた。は、良いのだが。

どうも肩幅がちょっときつい。

というはなしを実家ですると、なくなったばあちゃんが着てたというライトダウンコートをくれた。モンベルだ。これぞわらしべ長者。500えんの古着と交換した。

いや、わたしはこーとが欲しかったわけではなくて、家でちょっと引っかけるものが欲しかったんだけど……

しかしばあちゃんはもう15年も前になくなっている。その遺品のコートなのに、こんなに綺麗に残ってるもんなんだなあ、と少し驚いた。

遺品をゴミ屋敷に放置する人もいれば、こうやって残して伝えてゆく人もいる。

わたしがいま住んでる家には、30年前にしんだ義理のお婆さんの遺したお弁当の包み紙が未だに棚という棚に詰め込まれている。捨てろよ!!!!って思った。

3件のコメント

  • (わたしが)(捨ててない)(だけなのだ)

    いやこれにはちょっと語弊があって、この家に引っ越して来る時に、

    家のものは捨てるな

    と義理親から言われてるのである。なので捨てない。分家の本家だとかなんとか妙なプライドに凝り固まっているので「俺のおやじの家だ!置いてあるものにさわるな!」みたいなことを最初に言われたんだけど、ゴミですよねこれ・・・

    っていう。
    とはいえゴミを捨てるのにもなかなか一苦労なので(ゴミ置場が遠い)(めんどくさい)(大きいものを捨てるのにお金がいっぱいいる)
    なので放置しております。そのうち片付けに2トントラック呼ぶし。何だったら大量にある足場の木材で花壇の枠を作ってもいい。



    どんなに大事な本家だろうが、誰かが住んであげなければボロボロになるのだよ。住んでいたってやがてはボロ家になっていくのだ。まして人がいなければ空気が腐ってしまう。この家は何十年もの間、単なる別荘だった。義父にとっては母を看取った家になるのだろう。触るな、という気持ちはわかる。

    わたしはミニマムな人間なので、家中の収納という収納がすでにゴミと座布団と他人の布団でうずもれていても生きていけるぐらいしかものを持っていない。

    ふつうの家に布団が12組も夏冬セットであるほうがおかしいんじゃああああああ!!!!ふとんだらけやないかあああああ!!!!!捨てさせろおおおおお(壊れ)



  • 古いものが捨てられないと大変ですね。そう言うのが間違った方向に進んじゃうとゴミ屋敷になるのかなぁ。適度にいらないものを捨てるのって大事ですね。
  • 親の(わたしにとってはほぼ他人ですが)ものを捨てられないというのはねえ、業が深いですよ・・・ただでさえ年寄りはものに執着して執着して執着して埋もれていってしまうというのに、それを振り払って広々とする家のことを想像することもしないんですね。そこにあるものを動かさないのが今までの人生の肯定であるんだという、むしろそれぐらいの勢いで捨てないですねえ。
    前にも書いたかもしれないですけど


    25年前に買って置いといた新品のふとんが



    っていう話をされた時、背筋がぞわあってしました。
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