目の前に、廃屋と、雑木林と、薄汚い庭と。
それから、どう見てもゴミの山にしか見えない、枯れ木と雑草と意味不明なつる草がうじゃうじゃまきついたジャングルジムみたいな異世界の風景が広がっている。
めまいがした。絶句する。けむしがいっぱいいそう。蛇もでそう。上から何かいろいろ落ちてきそう。蜂の巣とか絶対に大量にありそう。
おそるおそる、足を踏み出す。
何かの割れる音がした。
朽ちた看板を踏んづけたらしい。あたしはそれをおずおずとつまんで拾い上げた。
赤いペンキで手書きされた、おどろおどろしい【桃山ば】の文字。どうやら半分に割れてしまったらしい。残りの【ら園】はどこに行ったのか。そのへんを探してみても、ぜんぜん見当たらない。
「ここが、【桃山ばら園】……?」
それが、おじいちゃんが残してくれた、たったひとつの、そして――親戚の誰もが眉をひそめて首を振る、もらってもぜんぜんうれしくない形見の名前だった。
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「何でバラなのに桃なのよ。何でバラなのに山なのよ。何で? ねえ何で?」
あたしはハンカチで額の汗を拭きながら、今日だけでもたぶん五十回以上は毒づいたであろう愚痴を口にした。目の前に続くのはうんざりするような坂道。言葉通り、先が見えない。
教えられた住所のメモを片手に、電車にゆられて一時間。普通電車しか停まらない駅で降りると、駅員さんもいない無人駅だった。スマホで自動改札を抜けると、目の前には駅前商店街が
何にもなかった。
「うそぉ」
思わず変な声が出る。
目の前にあるのは狭い道路一本。対向車線もない。駅前のロータリーらしき空き地には、田舎のベンツこと軽トラが三台もとまっていた。
シルバーの軽トラの荷台には、けいふんと書かれた巨大な袋。山のように積みあがっている。すごく、くさい。
その隣。レンガ色の軽トラの横には、カタモト肥料店と書いてあった。肥料店? っていうかレンガ色? これが車の色? 鉄橋の色にしか見えない。
もう一台の軽トラの荷台には、なぜかステテコ姿のおじさんが、麦藁帽子をかぶって、クワを抱きしめて、ぐーぐーと高いびきをかいていた。あたしは何も見なかったことにした。
ロータリーのはしっこに、自動販売機がある。バスの停留所みたいな屋根つきの自動販売機だ。いわば唯一の駅前商店街といえるだろう。なんせ四つも店があるのだ。販売機の中のジュースたちは、まるでエリートみたいな顔をしてキラキラと輝いていた。
おじいちゃんの形見である【桃山ばら園】は、趣味が高じて庭を一般公開するかたちの個人バラ園だった、らしい。あんまり山奥にあるもんだから、父さんも母さんも、今まで一度も連れて行ってくれたことがない。何でそんな人里離れたところにばら園を作ろうと思ったのか、正直、あたしにはわけが分からない。
だから、おじいちゃんが亡くなってからは、バラどころか庭も建物もだれも整備をしなくなって、放置されっぱなしになっていた。
ときどき、インターネットの個人ブログなんかに「行ってみた」記事が載ったりするのだけれども、どれも「廃屋」とか「雑木林」とか、ひどいのになると「心霊スポット」「事故物件」なんていう悪口をかいてる人までいた。そんな投稿といっしょに上げられている写真は大概、朽ち果てた看板とか、獣道みたいな暗い山道とか、そんな感じばっかりで。
そんな有様を見ると、自分たちがおじいちゃんを山に見捨ててたみたいな、そんな気持ちにさせられて、だんだんつらくなって。見なければいい、なんて思うようになっちゃって。
だから、おじいちゃんがなくなってから二年ぐらいは頑張って見ないようにしていた。だけれども、やっぱり、ちょっと気になったりもして。
一ヶ月ぐらい前に、ネットで検索をしてみた。
すると、当たり前かもしれないけど、以前見たものより新しい記事は、ひとつもあがってなくて。
もう、何年間も、誰も来てないんだ、って。
もう、誰も、おじいちゃんのばら園のことなんて覚えてないんだ、って思うと。
何だか、急にさびしくなって、それから、いてもたってもいられなくなった。
だから、学校が休みの日にママに言って、おじいちゃんのばら園の住所をおじさんに聞いてもらうことにした。
おじさんは電話で、「照葉《てるは》ちゃん、あんな空き地に何の興味があるんだ? 男はおれしかいないから仕方なく権利取ったけどさあ山なんて売るに売れないし売っても二束三文だし余計な固定資産税ばっかりかかってさ、だから家もそのままで取り壊してないんだよ。空き家でも残ってると税金がちょっとは安くなるらしいからねえ。まったく山とか、オヤジの道楽にも程があるよなあ、夢ばっかり追いかけてろくな遺産を残さない」とかなんとか文句ばっかり言っていたが、結局、【桃山ばら園】の住所と行きかたとを教えてくれた。それから、「行っても何もないよ」と最後に付け加えて電話を切られる。