こんばんは。
雪の香り。です。
石神井川弟子南さま、レビューコメントありがとうございます。
ここを読んでいるかはわかりませんが、いただいたコメントで考えさせられたことを以下につづります。
私は「努力が足りなかった」のではなく「努力の仕方を間違った」のかもしれません。
今まで「娯楽になる物語を書こう」と四苦八苦してきました。
けれど「世々続くものを残そう」とはまったく考えていなかったのです。
むしろそんな風な望みを抱くのは傲慢だと否定してきました。
自分にそんなものが書けるはずがないと。
「娯楽になる物語」で金銭を得ようとしておきながら、その「娯楽になる物語」を無意識のうちに見下していたのかもしれません。
正しさも間違いもまだ判断が付きませんが、失礼だったのは確かです。
そしてはるか昔に生きた人々が何故詩歌を詠んだのか。
美しい情景を残したくとも写真などはない時代。
人々に自分の感動を伝えて共有したい気持ち。
現代のSNSにも通じますが、紙も使い捨てにできない貴重なものだったときです。
その紙を使ってなお残そうとしたその想い。
先人たちに思いを馳せれば、私はそこまで切実に「伝えたい」ことを書いてきただろうか、いや「選考を通過しそうなネタかどうか」という一点しか考えていなかった。
そう気づいて愕然としました。
もっと……私は私の内なる魂からわき出でる物語を探さなければならないときが来たのかもしれない。
私は知らずのうちに「私に書ける物語などこれくらい」と殻を破るどころか押し込めていた。
凡人の癖に凡人から抜け出す努力をしていなかったなんて馬鹿だ。
もうお金を稼ぐのはあきらめたのだし、それでも書いてしまう自分が止められないのならば、僭越かもしれないけれど「世々に続く」ようなものを目指してみようかなと……。
それには今まで以上に「書く」だけでなく「読む」もしなくてはいけないなと心新たにしました。
以上です。
長文ですみません。
では、良いお年を。
あなたにも私にも幸運が訪れますように。
おわり